あなたがいれば夜は泣かない







寝転んでテレビを見ながら煎餅を齧っている沖田を見下ろして、土方は呆れてものも言えず舌打ちをした。

「なんでぇ、土方さん。もう戻ったんですかぃ? 随分早いんですね」

呑気にそう言う沖田は、普段とまったく変わったところはない。そのことに腹が立って、土方は顎を上げて沖田を睨みつけた。

「てめぇはまだ仕事中なんじゃねぇのかよ?」

「今日は午後から有給とってたんですよ。ドラマの再放送見逃したくなかったんでね」

ばりばりと煎餅を齧る音が耳障りで、土方は二の句を継げなかった。

沖田に言いたいことは山程ある。悪ふざけでに怪我をさせたこと、屯所の一部を爆破して壊したこと、を慕う隊士達から白い目で見られていること、そんなもの全てに背を向けてあっけらかんといつもどおりに過ごしているとは、一体どういうつもりなのか。

言いたいことが多すぎて何から話せばいいか分からなくなってしまった土方は、結局何も言わずに障子を閉めようとした。

「おぉ、トシ! 総悟はここにいるか?」

その時姿を現したのは、近藤だった。

「ここに居るぞ、近藤さん」

近藤の声が聞こえて、沖田の肩がぴくりと震えるのを、土方は見た。

「あぁ、いたいた。総悟、ちょっといいか?」

近藤は土方に目配せをして、どかりと沖田の目の前に座り込む。沖田はドラマの再放送を中断されて不愉快そうに目を細めたけれど、近藤を無視するわけにもいかず、体を起こして座り直した。

「なんですか? 近藤さん」

「あぁ。ちゃんの怪我の件だったんだが、治療費がこのくらいだそうだ。それから、屯所の修繕費がこのくらい」

近藤は2枚の請求書を沖田の目の前にかざす。沖田はそこに記された数字を見て眉をひそめた。

「これ、お前の給料から天引きするぞ。会計方に話は通したからな」

「……分かりやした。話はそれだけですかぃ?」

「いいや、これからが本題だ」

近藤はにこりと笑うと、膝に手をついて身を乗り出した。土方はその大きな背中を眺めながら、沖田が決まり悪そうな顔をするのをじっと眺めていた。

ちゃんに謝っていないそうだな?」

「誰がそんなこと言ったんでぇ?」

「皆言ってるぞ。俺もそう思う」

「今、休暇とってるらしいじゃないですか」

「外泊してるわけじゃあるまいし、離れの部屋に行けばいいだろう?」

の住まいは、屯所の片隅にある小さな離れだった。

「隊士が離れに入るのは局中法度に反するじゃないですか?」

「今回は特例だ。そうだろう? トシ」

土方は目を細めて小さく頷いた。

「あぁ、そうだな」

「だそうだ。ひとりじゃ心細いんだったら、ついて行ってやろうか?」

「それくらいひとりで行けまさぁ」

「そうか。分かった」

近藤は親しみを込めて笑うと、沖田の肩をぽんと叩いて立ち上がる。土方に目配せをすると、土方はそれに従って近藤の後をついていこうとした。その背中に、沖田が言った。

「土方さんは謝ったんですか?」

土方は振り返って、厳しい目で沖田を睨んだ。

「俺は謝った」

土方はそう答えて、沖田の顔を見ずに障子を閉めた。

部屋からだいぶ離れてから廊下の途中で立ち止まった近藤は、後をついてきた土方を振り返って苦笑した。

「全く、いつまでも子どもで参っちまうな。あいつは」

「子どもっつーか、それ以前の問題じゃねぇか? 今時、人に怪我させたら幼稚園児でも謝るだろ」

ちゃんは? 何か言ってたか?」

「別に何も。まぁ、総悟のことはよく分かってるだろうから、謝罪がねぇくらいでどうこういうこともないと思うけどな」

「優しいな、ちゃんは。けどまぁ、ひどい怪我じゃなくて良かったよ」

土方は煙草の煙を吐き出しながら、の頬の傷を思った。瓦礫がぶつかったせいで擦過傷ができた上、熱を持って腫れていた。

「けど、顔の傷だぞ? 痕が残ったらどう責任取るつもりなんだ? あいつ」

近藤は神妙な顔をする土方の横顔を見やって、にやりと笑う。

「なんだ? トシはちゃんがキズモノになったくらいで愛想つかすような男だったのか?」

「あぁ!? 誰がそんなこと言った!?」

むきになって声を荒げた土方を見て、近藤は豪快に笑った。土方は照れて頬を赤くして、乱暴に煙草の火を押しつぶした。



その夜、丑三つ時を少し過ぎた頃、土方はふと目が覚めて起き上がった。部屋が爆破されてしまったせいで寝床が変わったからか、まだ新しい布団に体がなじまず寝つきが悪かった。

寝直そうにも目が冴えてしまったので、水でも飲もうと食堂に足を向けた。夜勤の隊士以外はすっかり寝静まって、物音ひとつしない。そのはずだったけれど、食堂にひとつだけ灯りがついていた。

「誰だ?」

土方の声にびくりと肩を震わせたのは、寝巻きの浴衣姿のだった。

「……土方さん」

は冷蔵庫から取り出した製氷皿を両手で持って、きょとんと目を丸くして立ち尽くしていた。

「こんな真夜中に何してんだ?」

「すいません、起こしちゃいましたか?」

「いや、目が覚めちまっただけだけど」

オレンジ色の灯りがたったひとつ、食堂の一角を照らしている。の顔半分にだけ光があたっていて、頬の大きな絆創膏と手首に巻いた包帯を際立たせていた。土方は湯呑に水道水を汲むと、それを傾けながらのそばに近寄った。

「氷をどうしようってんだ?」

は製氷皿を見下ろして、力なく微笑んだ。

「手首が痛んだので、冷やそうと思ったんですけれど、痛くて氷をあけられなくて……」

長方形の製氷皿から氷を取り出すのは、手首を捻挫していては難しい仕事だ。土方はの手からそれを取って、氷をビニール袋に詰めてやった。

「ほら」

土方はを手近にあった椅子に座らせ、自分もその正面に座る。の手首の包帯と湿布を外すと、手首は赤と青が混ざったような色をしていて、熱を持って腫れていた。直に氷をあてがうと、は気持ちよさそうに息を吐いた。

「ありがとうございます。少し楽になりました」

「できるだけ動かさないでおけよ。捻挫は安静にするのが一番いいんだからな」

土方がそう言うと、は息を漏らすようにして微笑んだ。

「まぁ。土方さんにそんなことを言われる日が来るなんて」

「あぁ?」

「だって、それを言うのはいつも私なんですよ? 怪我をするたびに無茶するのは土方さんじゃないですか」

「あぁ、そうだったな」

の穏やかな微笑みを見つめて、土方は自分の手のひらに乗せたの手を改めて握り直した。そうせずにはいられなくなったのだ。オレンジ色の明かりに照らされた、頬に貼られた絆創膏には、涙で濡れた跡があった。

「泣くほど痛かったのか?」

土方にそう問われたは、きょとんと目を丸くした。よく見ると、その目は赤く充血していた。

土方はの頬を撫でて、幼い子どもにするように優しい声音でを慰めた。

「心配しなくても、痛いのは最初だけだ。ちゃんと治る」

は穏やかに目を細めると、土方の手に頬をすり寄せるように首を傾げ、笑った。まるで、涙を堪えるために無理に微笑んだような、そんな笑い方だった。

「……そうですよね」

土方はの額を自分の肩に押し付けるように抱きしめた。





嫌な夢を見て真夜中に目が覚めることがあった。どんな夢なのかはっきりと覚えていたことは一度もない。目が覚めた時、全力疾走した後のように体中汗だくになって、声を上げて泣いていた。寂しくて悲しい気持ちに支配されてどうしようもなく、松陽先生の布団に潜り込んだことが何度もあった。先生はそのたび、私が眠るまでずっと頭を撫でていてくれた。

ある時、いつものように泣きながら目が覚めた。その日は満月で、灯りがなくても辺りが見通せる夜だった。涙を拭いながら松陽先生の元へ行こうと部屋を出た時、銀さんがひとり、屋根の上に登って月を眺めている事に気がついた。

「何してるの?」

屋根に登って声をかけたら、銀さんはぱちくりと瞬きをした。

「お前こそ何してんの?」

「銀さんが起きてるのが見えたから」

「俺は、眠くなかったから」

空を見上げると、月がぽってりと丸く輝いていて、世界にたったひとつしかない幻のお饅頭みたいに見えた。私は銀さんの隣に寝そべった。

「一緒にいていい?」

「好きにしろよ」

銀さんと一緒に、お饅頭みたいなお月さまを眺めていると、自分でも気がつかないうちに、寂しくて悲しい気持ちはどこかへいってしまった。どうしてなのかは分からないけれど、銀さんの隣にいると心が落ち着いた。





高杉がそんなの様子を見ていたことを、は知らない。




20150525