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忘れものはしあわせの夢をみるか 「はぁい、そこのお兄さんちょっと寄ってかない? 可愛い子いっぱい揃ってますよぉ!」 ピンク色の半被を着てキャバクラの客寄せをしているのは桂とエリザベスだ。迷い猫を探して夜のかぶき町をうろうろしていた銀時は、昔馴染みの隣に立って、半ば呆れながらその肩を叩いた。 「よぉ、ヅラ。こいつ見なかった? ピンクのリボンかけた三毛猫なんだけど」 「ヅラじゃない、桂だ。猫はいないがピンクの猫耳娘ならいるぞ。寄っていくか? 銀時」 「生憎だが、俺は猫耳に興味はねぇ」 銀時は桂の後頭部を思い切り殴り飛ばして、ビルの暗く細い階段に腰を下ろした。桂は後頭部を撫でながら立ち上がり、恨みがましく銀時を睨んだ。 「どうした? 荒れているな。何かあったのか?」 「猫探して1日中歩き回って疲れてんだよ」 膝に頬杖をついて、銀時は愚痴をこぼす。桂はド派手なキャバクラの看板をエリザベスに持たせて、銀時のそばに立った。 「今日、を見かけたぞ。絆創膏と包帯姿でな、団子屋の店主と話していたところを見かけて立ち聞きしたんだが、真選組での悪ふざけに巻き込まれて怪我をしたらしいな」 「知ってるよ。俺も今日会ったし。ていうかお前、立ち聞きって」 「近頃真選組の見廻りが厳しくてな。あまり表立って動けんのだ。日銭を稼ぐのも命懸けだ」 「客寄せなんてやってりゃそりゃぁな」 エリザベスがプラカードで道行く男達に声をかけては無視され、白い目で見られ、マスコットかと間違われて酔客に抱きつかれて殴り返したりするのを眺めながら、銀時は桂にだけ聞こえるほどの声で言った。 「昔、缶蹴りやったことって覚えてるか?」 「あぁ、子どもの頃はよくやったな」 「その時、が怪我したことは?」 「怪我? 何の話だ?」 疑問符を浮かべる桂に、銀時は右のこめかみを指で叩いて見せた。それだけで銀時が言わんとすることを理解した桂は、顔を強ばらせて腕組みをした。 「……あれは、缶蹴りの最中のことだったか」 「そうらしい。が言うにはな」 「が話したのか?」 それは意外だ、と桂はぱちくりと瞬きをした。 「缶蹴りしてたときに、鬼に見つかってびっくりして転んだときの怪我だってさ」 桂はしばらく考え込んで、自信なさげに言った。 「……そうだったか?」 「少なくとも俺の記憶とは話が違う。お前はどうだ?」 「違うな」 「やっぱりそうだよな」 銀時は唇を噛んで渋い顔をする。そんな銀時を見下ろしながら、桂は思いつくまま話した。 「が嘘をついている、ということはないな。お前にそんなことをしても何の意味もない。なら、故意にそんな話をしたのは何故だ?」 「自分が怪我してて、たまたま缶蹴りしてるがきんちょ見てたからだろ」 「にとっては思い出話の域を出ていなかったというわけか。ただ、にとっての思い出と俺たちの記憶に齟齬があるなら、は忘れてしまったと考えるのが妥当じゃないか? 何せ、俺たちの記憶は同じなのだから、信憑性が高いのはこちらだろう」 「だよな」 べろべろに酔っ払った酔客が、派手な着物を着て肩を露出している風俗女に絡んで、肩を抱き込んでいる。女はいや、といいながらも大事な金づるを逃すまいと、その手を取ってネオンが光る暗い店の中に姿を消した。 銀時は眉根を寄せて、酔客と女の後ろ姿を睨んでいた。 桂は銀時のただならぬ気配を感じて眉をひそめる。銀時の気持ちも分からないではない。けれど過去は過去だ。今それを思い悩んだことで、過ぎたことは変えられない。 「が忘れているのなら、それでいいではないか。辛い記憶だ。思い出して泣くくらいなら、忘れて笑っていられる方がずっといい」 桂は銀時を慰めるつもりで言った。 「……そうだな」 銀時はそう言いながら、まだ不満そうだった。 確か、春と夏の間のよく晴れた日のことだった。松陽先生と桂くんと私とでおにぎりをたくさん握って、寺子屋のみんなで河原でピクニックをした。新緑が瑞々しく空が青い、美しい日だった。褌一丁になって泳いでいる子もいたし、魚釣りをしている子もいたし、川底のよく磨かれた美しい石を集めている子もいたし、大きな岩の上で日向ぼっこしている子もいたし、少し高くなっている場所から川の深みに飛び込んで度胸試しをしている子もいた。私は、川面を銀色に光る魚の影を眺めながら、先生の隣にくっついていた。私は泳げなかったので、ごうごうと音を立てて流れる川が怖かったのだ。 「もみんなと遊んできていいんですよ?」 先生はそう言って笑ったけれど、私は首を横に振って、先生の着物の袖を掴んで離さなかった。 「のやつ、また先生にひっついてんのかよ!」 「やーい、弱虫ー!」 いじわるな男の子が笑って囃し立てたので、私はますます先生の影に縮こまった。男の子は乱暴で、声が大きくて、苦手だった。一部の数人を除いては。 「おいお前ら、弱い者いじめはしちゃいけねぇって寺子屋で習わなかったのか?」 その声がして、男の子達はびくりと顔をこわばらせた。「やべぇ! 銀時に聞かれた!」「逃げろ逃げろ!」と声を上げ、蜘蛛の子を散らすように走って行ってしまう。 先生の背中から顔を出すと、褌一丁で仁王立ちした銀さんが、やる気のない顔で男の子達を睨んでいた。 「ったく、あきもしねぇでよくやるな。もいつまでもめそめそめそめそしてっから悪ぃんだぞ」 「……別に、めそめそなんかしてないもん」 「ところでお前、そろそろ泳げるようになったのか?」 「……まだだけど」 「この年になって泳げねぇとかしゃれになんねぇぞ。教えてやるから来いよ」 「いやだ。水着も持ってきてないし」 「浴衣で泳げ」 「水冷たいもの」 「泳いで身体あっためるんだよ」 その後もなんとか屁理屈をこねてみたけれど、銀さんに無理矢理手を引かれて逃げられなくなってしまった。先生に助けを求めてみたけれど、先生はただ穏やかに微笑むばかりで手を差し伸べてはくれなかった。結局、冷たい水に入ることができなくて、着物も脱がずに大きな岩の上に座って、気持ちよさそうに泳ぐみんなを眺めていたら、誰かに背中を押されて着物のまま川の中に落ちた。ただでさえ泳げないというのに着物が水を吸って重みを増して、身動きが取れず溺れていたところを銀さんと桂くんが岸に引き上げてくれた。私の背中を押したのは、高杉くんだったらしい。高杉くんが謝らなかったので、私も何にも言わなかった。 「あいつを見てると腹が立つ」 銀時や桂にさんざんなじられた後、松陽と顔を合わせた高杉は不満げにそう言った。松陽は文机に向かって書きものをしていて、筆を滑らせる手を止めずににこやかに答えた。 「どうしてですか?」 「分かんねぇけど、なんだか苛々するんだ。弱々しくて、先生に頼ってばっかりで、甘ったれてる」 松陽は喉を鳴らすようにくつくつと笑った。高杉は何がそんなに面白いのか分からず、じっと松陽の横顔を睨んだ。 「先生。には親がいねぇって前に言ってたよな?」 「えぇ、そうですよ。5つか6つの頃、捨てられていたところを私が預かったんです」 「だから、先生はあいつを甘やかしてんのか?」 「あっはっは。甘やかしているつもりはありませんよ。けれど、を拾ったのがもっと赤ん坊の頃だったらこうはならなかったでしょうけどね」 「どういうことだよ?」 「赤ん坊の頃の記憶は、年を重ねるとなくなってしまうでしょう。その頃だったなら、親の顔を思い出すこともないでしょうけれど、が捨てられたのは5つか6つの頃だから、きっとまだ親の顔をうっすらと覚えているんだと思います。夢に見て、時には夜中に飛び起きることもあるようですしね」 「夜泣きするなんて、赤ん坊と同じじゃねぇか」 「まぁそう言わないでください。本人も辛いのですよ」 「そんなに辛いことなら忘れっちまえばいいのに」 高杉はぞんざいに言った。すると、松陽は手を止めて筆を硯に立て掛けると、高杉に向かって体の向きを変え、改まった調子で言った。 「確かに、辛い記憶を思い起こして泣くより、忘れて笑っていられる方がいいのかもしれませんね。けれど、辛い過去と向き合うということは、自分自身と戦うということです。は甘ったれで弱虫なのかもしれません。けれど、なりのやり方で、今も戦っているんですよ。そのことだけは、分かってやってください」 松陽の言わんとしていることは、高杉には理解できなかった。松下村塾に通い始めたことをきっかけに勘当された自分は、過去を捨て、松陽についていくと固く決心した。だからもそうすればいいのにと思っていた。 けれど、松陽に逆らいたくはなかったから、不承不承頷いた。 「……分かった。覚えとく」 きっと、松陽は高杉の考えることなどお見通しだっただろう。けれどその時は、笑って頷いただけでそれ以上は何も言わなかった。 20150518 |