あなたはわたしの夏の全て








 夏の遅い夕暮れが始まる前に、土方はとふたりで屯所を出発した。

 土方は黒い麻の着物の着流し姿で、腰には刀を差しているために物騒な見た目になっていたが、水色の生地に桃色の花が散った柄の浴衣に、真っ赤な兵児帯を締めたが隣に並ぶと、不思議と柔らかな雰囲気になる。すれ違う町人が、着飾って浮かれているを見て目を細めた後に、隣に立つ土方を見て珍しいものを見るような顔をして会釈して過ぎていく。

 土方は耳の下がかゆくなるようなこそばゆさを覚えながら、目だけで会釈を返した。隊服を着て街を歩けば真選組の鬼の副長と恐れられ、笑顔を向けられることなどほとんどないから、どういう顔をしたらいいか分からない。

「土方さん! 早く早く!」

 は小走りしながら、土方を振り仰いで言う。

「ちゃんと前見て歩け、転ぶぞ」
「大丈夫だもん」
「そんなに走らなくても花火は逃げねぇよ」
「いーから早くってば!」

 に手を掴まれてぐいぐいと引っ張られる。所詮、土方の腕力に敵う力ではないのだが、の勢いにつられて前に前につんのめってしまう。

 が履いているぽっくり下駄が、からんころんと、かろやかな音を立てて耳に涼しい。





 河川敷には屋台が並んでいて、花火が始まるまでまだ時間はたっぷりあるというのに人で溢れていた。小さなは人波に紛れてあっという間に見失ってしまいそうになるので、土方はずっとと手をつないで歩いた。元気が良すぎる子犬の手綱を引くような気分だった。

「土方さん、りんご飴食べていい?」
「お前、食いきれんのかよ?」
「大丈夫よ」

 の顔と同じくらいの大きさのりんご飴を食べきれるわけはないと思ったが、残ったら食べてやればいいかと土方は妥協した。

 はりんご飴を持った方の腕に巾着の紐を通して、もう片方の手を土方の手の中に収めている。の背中で、兵児帯が金魚の尾ひれのようにふわふわと揺れている。

「土方さんは何か食べないの?」
「俺はいいよ」
「お腹空いてないの?」
「まぁ、何かあったら動かなきゃならねぇしな」
「ちょっとくらい、いいんじゃないの?」
「そういうお前は遊んだりしねぇの? 射的とか、型抜きとか」
「あぁいうのは苦手」
「金魚すくいは?」
「あんまり得意じゃない。土方さんは?」
「さぁ、しばらくやってねぇな」
「じゃぁ勝負しない?」

 正直面倒くさかったが、が強引に腕を引っ張るのでしかたなく金魚すくいの屋台に行った。

 青いプールの中で大量の金魚がうようよと泳いでいて、浴衣や甚兵衛を着た子ども達が群がっている。は浴衣の袖を濡らしながら奮闘したが、結局一匹もすくえずにポイが破れてしまった。穴の開いたポイを見下ろすの横顔が、思いのほか落ち込んで見えて、土方は無意識の内に着物の袖をぐいとたくし上げる。が、気合いは空回りしてあまりうまくはいかなかった。ほんの少しだけずるをして受け皿を水に沈めて一匹だけすくった。ちょうど目を離していたのか、屋台の店主は気が付かなかったようだが、はいたずらっぽく笑って土方の肘をつついてくる。土方は素知らぬふりをした。

 結局、店主に一匹おまけしてもらって、赤と黒の金魚を一匹ずつ、ビニール袋に入れてもらう。土方はそれを指先に引っ掛けて、と手をつないでぶらぶらと河川敷の方まで歩いていく。

 どうにか場所を見つけて、ふたり並んで芝の斜面に腰を落ち着けた頃には、すっかりいい時間になっていた。

 黒々とした川面が、祭りの提灯の赤い光を映して怪しく光っている。河川敷に集まった人達の、手持ちの提灯や、携帯電話の灯りが眩しいほどで、今夜は大きな月が出ているからなおさら明るい夜だ。人の顔もはっきりとよく見える。これではいくら攘夷浪士が悪だくみをしてもやりにくくて敵わんだろうと土方は思う。

 少し離れた場所にそよ姫と神楽を見つけて、土方は眉をしかめた。ふたりは焼きそばやらたこ焼きやらイカ焼きやら綿飴やらチョコバナナやら、抱えきれないほどの食べ物を山崎と沖田に持たせて、額をつき合わせてガールズトークに花を咲かせていた。そよ姫はお忍びだというのに、遠目から見ても目立って仕方がない。

「あ、沖田さんと山崎さん」

 土方の目線を追って、も気が付いたらしい。両腕一杯に焼きそばを抱えた姿を見て、は目を丸くした。

「挨拶してきてもいい?」
「やめとけ。ああ見えても一応仕事中だからな」
「そっか。あんなに食べきれるのかな?」

 は興味深そうな目をして言った。そういうの持っているりんご飴は、ようやくりんごの芯が見えてきたところで放置されている。

 土方はの手からりんご飴を奪って、一口齧った。本当は煙草を吸いたかったが、祭りの会場全体が禁煙になっているうえ、申し訳程度に設営された喫煙所はここからずっと離れたところにしかない。喫煙者は冷遇される世の中だ、飴で我慢するしかない。

「やっぱりお腹空いてたんじゃない」

 的外れなことを言って、は笑った。

「別に、煙草吸えねぇから口寂しいだけだ」
「ふぅん」
「何だよ?」
「ひとつ聞いてもいい?」
「あぁ?」
「土方さんの彼女ってどんな人?」

 土方は、まだ固い飴に覆われた部分に前歯を立て、ばりばりといい音をさせてりんごを齧る。口の中で砕ける飴の破片が歯茎にあたって少し痛い。

「何だよ、急に?」
「彼女、いるんでしょう?」
「誰に聞いたんだ?」
「誰ってことないけど、みんな言ってるわ」
「へぇ、なんて?」
「なんてって、ラブラブな彼女がいて、屯所の家政婦さんで、今はちょっとお休みを取ってて会えなくて、土方さんは寂しがってるんだよって」
「へぇ、そうか、なるほど、分かった」

 土方はりんご飴を齧りながら、屯所に戻ったらとりあえずいの一番に山崎を締め上げることに決めた。

 キレかかっている土方には全く気付かず、は土方の顔を覗き込みながら言う。

「ねぇ、どんな人なの? 教えてよ」
「どんなって、別に普通の奴だよ」
「普通じゃ分かんないよ」
「なんでもいいだろうが」
「なんでもいいなら教えてくれたっていいじゃない、ケチ」
「ケチで結構」

 土方の膝の上にまで身を乗り出してきたの額に指をついて押し返して、土方はこっそり額の汗を拭った。そんなことを聞かれたって、正直に答えられるわけがない。山崎の野郎、後で絶対絞め殺してやる。

 は頬をぷっくり膨らませて膝に頬杖をつく。あどけない表情が、明るい夜の底で青白く照っている。

「本当は今日、彼女と花火を見に来たかったんじゃないの?」
「はぁ? なんで急にそんな話になんだよ?」
「彼女がいたら彼女と行くものでしょう。なんたって夏の花火大会よ」
「俺は元々仕事するつもりだったんだっつーの」
「彼女は行きたいって言わなかったの?」
「言わねぇよ。向こうだって俺が仕事だって分かってるし」
「ふぅん」

 土方が横目でじろりとを見やると、も子どもらしいつぶらな瞳を細めて土方を睨み返してきた。その呆れたような眼差しより、りんご飴の匂いのする甘ったるいため息にぎょっとして、土方は肩を強張らせる。

「何だよ?」
「土方さん、そんなんじゃきっと、近いうちに振られちゃうわよ」
「何でお前にそんなこと分かるんだよ?」
「きっと誰でもそう思うわ」
「はぁ?」
「みんなはラブラブだって言ってたけど、それも本当かどうか怪しいわね」
「ちょっと待て。何が言いてぇんだよこら」

 今度は土方の方が身を乗り出したが、はつんと鼻を高く上げてそっぽを向いてしまう。子どもの言うことに何をむきになっているのかと、土方も自分が情けなく思えたけれど、このまま聞き流すわけにはいかなかった。どうでもいい赤の他人が言うことならいざ知らず、この子どもの言うことはつまり、彼女の言に等しいのだ。

「……なぁ、本当に俺、嫌わてると思うか?」

 みっともない弱々しい声が出て、土方は肩身を狭くした。何を言っているのだ、俺は。これでは馬鹿みたいだ。子ども相手に恥ずかしいったらない。

 は横目で土方を見やると、まるで大人のように分別のある顔をして言った。

「彼女とどのくらいデートしてるの?」
「デートって……」

 たまに休みが合う時に食事に行って、そのまま連れ込み宿に流れたりはする。それを子どもの手前、デートと呼んでいいものか自信はなかったが、とりあえず勘定しておくことにする。

「月に二、三回か」
「それだけ?」
「お互い忙しいんだから、十分だろ」
「どこに行って、何してるの?」
「何って」

 子どもに言えるか。

「まぁ、いろいろだよ」
「ふぅん。まぁ、いいけど。彼女はそれで楽しんでるの?」
「あぁ、楽しんでると思うけど」
「本当に?」

 疑わしい目線を向けられて、土方は口籠ってしまう。そう言われるとはっきりとした確信が持てない。

 確かに、考えてみればワンパターンではある。けれど、そもそも仕事が忙しくて休みを合わせるのも一苦労なのだ。どうにか時間ができても夕方からの数時間一緒に外に出られればいい方で、同じ屋根の下で生活しているから毎日顔だけは合わせているけれど、よく考えれば、デートらしいデートなんて一度もしたことはないかもしれない。
 そのことに気づいて、土方は自分のことながら愕然とした。そりゃ、外で待ち合わせて食事をしてゆっくり宿で過ごすのもデートのひとつではあるだろうが、それだけだ。いやでももうお互い十分な大人なのだからそんなことばっかりしていたって別に悪いということはないはずなのだが、何なんだ、この罪悪感は。

 子どもの姿をしたが、静かに土方を睨んでいる。

 土方はとっさに顔を覆って呟いた。あまりの忙しさに同じ屋根の下にいながら顔も合わせることのできなかったことがあって、たまりかねて隊士の目を忍んで屯所で逢引したことを思い出した。全く、穴があったら入りたいような気分になる。

「……なんか、すまん」
「私に謝ったってしょうがないでしょ」
「まぁ、そうだけどよ」
「もうちょっと、ちゃんとデートしてあげた方がいいよ。振られたくなかったらね」
「お前、ガキのくせになんでそんないろいろ分かってんだよ?」
「だって、女の子だもの」
「女の子だと分かるもんなの?」
「そうよ、生まれつきね」

 は自信にたっぷりの笑顔を浮かべて、ぐんと胸を張る。生まれつき、という言葉はにわかには信じられなかったが、うまく言いくるめられた事実はもう認めざるを得なかったので、土方は黙ってひとつ頷いた。

 その時だ。

 甲高い音がひとつ夜空に響いたかと思うと、空に大輪の菊の花が咲いた。地上が昼間のように明るく照らされ、地上からわっと歓声が上がった。

「わぁ!」

 の声が聞こえて、土方はそっと目をやった。

 赤や緑の花火の光に照らされて、空を見上げるの顔も極彩色に染まっていた。大きな瞳に光の雨が映って、まるできらきらと輝く黒曜石のようだ。ふと見下ろすと、の手は土方の着物の裾をしっかりと掴んでいた。

 花火を見るだけでこんなに喜んでくれるのなら、もっと早く連れて来てやればよかった。子どもの横顔に、見慣れたの面影が重なった。

 ふたりはうまくいっていると土方が思っていられるのは、ひとえにの忍耐強さのおかげなのだろう。土方は何事にも剣を中心にしかものを考えられないし、真選組の任務が一番の優先事項で、それは近藤に従って江戸に上ると決めたあの日からずっと変わらない決意だ。

 任務より、の幸せを優先することはできない。

 けれど、幸せというものは土方が思うほど大袈裟なものではないのかもしれない。

 今は子どもとは言え、はりんご飴を食べ、金魚すくいをして、土方と並んで花火を見るだけで、こんなにも満足げに笑ってくれるのだ。ましてや、は何かをしたいだの欲しいだの、土方の前では一度も口にしたことはない。無欲、というわけではないだろうが、もしかすると、あまり期待されていないのかもしれない。そう思うとショックだったが、自業自得と考えて受け入れることにする。

 空一面を埋め尽くすように打ちあがる花火を見上げて、土方は思う。

 この景色をにも見せてやりたい。

 光の雨が降るような夜空をふたりで一緒に見上げることができたら、どんなにいいだろう。

 土方は目頭がじわりと熱くなるのを感じて、慌ててまばたきをする。美しい花火に見入っているふりをして、こぼれてしまわないようにずっと空を見ていた。





 帰り道。

 はしゃぎ疲れたのか、はとぼとぼと歩きながらこっくりこっくりと船をこぎ出したので、土方は仕方がなく背に負ぶってやった。帰路に付く人波の中で、体の小さなは大人の足に蹴とばされてしまいそうだったから、むしろこの方が安心だ。の巾着と金魚が泳ぐビニール袋を指先に引っ掛けて、土方は人波に歩調を合わせてゆっくり歩いた。

 ふと、その人波に逆らってこちらに向かって歩いてくる銀髪頭を見つけて、土方は目を見張った。

 銀時が少し遅れて土方に気が付いて、物憂げに片手を上げた。

「戻ったのか」
「おう。悪いな、時間かかっちまって」

 銀時はくるりと方向転換をすると、土方の隣に並んで歩き出した。

「屯所に行ったら、お前ら花火見に行ったって言うからこっち来てみたんだけど、もう終わっちまったんだな。俺も見たかったよ、花火」
「花火はどうでもいいから、例の飴は? どうなったんだよ?」
「そう焦るなって、ほら」

 銀時は胸ポケットから小さな小瓶を取り出すと、土方の目の前にかざして見せた。夜の青い闇の中では見えにくいが、青い飴が二粒、丸い形を保ったまま確かに瓶の中に入っている。

「間違いねぇんだろうな?」
「大丈夫だって、ちゃんと確認したし」

 銀時は小瓶を、土方の指先にぶら下がっている巾着の中に押し込むと、土方の背中にもたれかかって目を閉じているを見る。そして、懐かしそうに微笑みながらそっとの頭を撫でた。

「いい子にしてた? こいつ」

 土方は胸の奥がむかつくのを感じてむっと口を尖らせた。

 いい子、といえばいい子ではあった。子どものくせに働き者だし、隊士達からも好かれてかわいがられてはいた。が、土方の言うことにはちっとも従わないし、沖田の入れ知恵のおかげもあって振り回された。

「……あぁ、まぁな」

 迷った末、土方は曖昧に言葉を濁した。いろいろあったが、そのいろいろを全て説明するのはもう面倒くさかった。

 銀時は土方の仏頂面には気づかず、眠るの柔らかい頬をつついている。

「全然起きねぇのな。よっぽど楽しかったのかね」
「すんげぇはしゃいでたぞ。屯所じゃ娯楽のねぇ生活してたからな」
「何、お前こんな子ども扱き使ってたのか?」
「俺じゃねぇよ。こいつが自分から勝手にあれこれ手ぇ出したんだ」
「へぇ、そりゃまぁ、らしいことで」
「昔からこうなのか?」
「まぁな。結構かわいそうな生い立ちしてっから、他人に気ぃ遣うのが極端な奴なんだよ」
「あぁ、それは聞いた」
「あ、話したの? こいつが? 一応確認するけど、今、お前が負ぶってるこの小さいのが、だよな?」
「そうだけど、何だよ?」
「へぇ、そりゃ、信頼されたもんだな」
「何が言いてぇんだ?」
「別に。俺は又聞きだったからさ」

 土方が横目で銀時を見やると、銀時は気まずそうに頬を掻きながら、土方とは半歩ほど遅れたところを歩いていた。いつまでも飽きずにの寝顔を眺めていたいようだった。

「子どもの頃には、できるだけ楽に生きて欲しいっつーか、あんまり辛いとか苦しいとか、そういうことのない方がきっといいと思うんだよね、俺は」
「急に何だよ?」

 土方は鬱陶しい目をして銀時を睨む。けれど、存外、銀時が真面目な目をしているものだから茶化すのも悪いような気になる。

「俺がいない間、こいつどうしてた? 楽しく過ごせてた?」
「そうだな、まぁ」

 初めの頃こそ、慣れない場所に緊張を隠せないようだったが、隊士達にはかわいがられていたし、よく笑っていた。土方の見ていないところでは沖田とよくつるんでいたようだし、原田に肩車されて中庭を駆け回っていたことを思い出す。

 花火を見に連れて行ってやると言った時、弾けるように笑って土方の首にしがみついてきたの笑い声。

「うん、楽しくやってたよ」
「だろうな。この顔見たら分かるよ」
「顔?」

 そう言われても、土方には、背中にいる人間の顔はいくら首をひねっても見えないので分からない。

 銀時は訳知り顔で、土方の肩をぽんと叩いた。

「じゃ、俺は帰るわ。後はよろしく頼むな」
「おい、こいつと話さなくていいのか?」
「別に話すことなんてなんもねぇよ」
「お前にはなくてもこいつにはあるかもしれねぇだろ」
「あったらなおさら、さっさと退散するわ。文句言われたくねぇしな」

 銀時は土方をひょいと追い越すと、するりと人ごみに紛れ、そのまま姿は見えなくなってしまった。





 花火大会の警備のためにほとんどの隊士が出払っている屯所は驚くほど静かで、ましてや敷地の端に位置するの部屋は、青い闇に沈んでひっそりと静まり返っている。

 布団を敷いてを寝かせてやってから、土方は巾着の中から青い飴の入った小瓶を取り出した。月の光にかざしてみると、端がわずかに金色に光る青色だ。閉じ込められた空気が飴玉の中で星のようにきらめいて、まるで遠い銀河の星をぎゅっと凝縮して小さな玉の中に閉じ込めたようだ。これをひとつ食べれば十歳年を取るというのだから、確かにそのくらいのエネルギーが詰まっていてもおかしくはないのかもしれない。

「……ひじかたさん?」

 声がして振り返ると、が布団の上に身を起こして、しょぼしょぼと目を擦っていた。

「ごめんなさい、寝ちゃった」
「気にすんな。もう遅いからな」

 は頼りない足取りで縁側に出てくると、土方の肩にもたれかかって、土方の手元を覗き込んだ。眠気で真っ直ぐ立っていられないらしい。

「なぁに? それ」
「あぁ、青い飴。これは本物な」
「本物? 銀さんが来たの?」
「来たっつーか、花火の帰りに会った。すぐ行っちまったけどな」
「なんだ、会いたかったな。話したいことあったのに」
「俺もそう言ったんだけどな。文句言われたくねえってよ」
「文句なんか言わないわ」

 はふにゃふにゃと力の入らない体を持て余して、今にも倒れそうに土方の肩に寄りかかっている。見かねた土方は、を膝の上に抱え上げてやり、その目の前に青い飴の入った小瓶を差し出した。

「これで、元に戻れるな」

 は小瓶をまじまじと見つめると、体を斜めにして土方を振り仰ぐ。

「元に戻るってことは、私は大人の体に戻るってことよね?」
「あぁ、そうだな」
「そっか。もう、終わりなのね」

 名残惜しそうな顔をしてがそう言うので、土方は意表を突かれて息を飲んだ。

「なんだよ、嬉しくねぇの?」
「だって楽しかったんだもの」

 は小瓶を手のひらでくるくると回しながら言った。土方にはその表情までよく分からなかったが、その声は笑っているようだった。

 土方は、浴衣に合わせて結い上げたの髪を指先でほぐしてやりながら言う。

「そうか、良かったな」
「土方さんのおかげね」
「俺は何もしてねぇよ」
「そんなことないわ。今日は、花火に連れて行ってくれてありがとう」
「お前がどうしてもっていうからだろーが」
「それから、たくさん優しくしてくれてありがとう。歯が抜けた時も、迷惑かけたのに許してくれてありがとう。私みたいな子どもを、ここに置いてくれてありがとう。働かせてくれてありがとう」
「なんだよ、急? ひとり卒業式?」
「ふふふ、そうかも」

 全てほどけたの髪が、ふわりと小さな肩に落ちる。癖がついてくるくるとうねる髪を、土方は指に絡めてもてあそんだ。の髪は柔らかく細く、まるで羽毛のような肌触りがして気持ちが良かった。

「元に戻ったら、全部忘れちゃうかな」
「どうだろうな。小さくなった時にも全部忘れっちまってたんだから、大きくなっても全部忘れっちまうんじゃねぇの?」

 と、突然、は勢いよく振り返って、土方を睨んだ。くるくるとうねる髪が土方の手を縄のようにぴしゃりと打って、むしろその痛みに土方は驚いた。

「そんな寂しいこと言わないで!」
「いきなり怒るなよ」
「どうしてそんな寂しいこと言うの……っ」

 夜闇にも、の目にうっすらと涙が浮かんだのが分かった。とっさに前を向いて泣き顔を隠したに、土方は呆然とした。

 ――信頼されたもんだな。

 そう言った銀時の顔が、なぜだかふいに思い浮かんだ。

 が丁寧語を使わずに話すようになったのは、いつからだったろう。初めの頃は土方の顔を見るだけでびくびくと子兎のように震えていたというのに、今ではこうして面と向かって怒鳴り声を上げられるまでになったとは、まったく大したものだ。

 土方の足の間にちょこんと座って、膝を抱えながら涙を拭う小さな背中を見下ろして、土方は眩しいような気持ちになった。小さかった沖田が日増しに成長していく様を間近で見ていたときの、腹立たしさの混ざった感嘆の気持ちを思い出す。

 子どもというものは、ちょっと目を離した隙に、あっという間に大きくなってしまうものなのだ。それはなんて寂しくて、そしてなんて愛おしいことだろう。

「悪かったな」

 土方はの肩に手を置いて、なぐさめるようにさすってやる。

「そんなつもりで言ったんじゃない」
「……じゃぁ、どういう意味?」

 ふてくされたような声を出して、は言う。

 その言い方がいじらしくて、かわいくて、土方は吐息をつくように笑った。

「お前が忘れても、俺はちゃんと覚えてるから。安心しろよ」

 土方の手の中で、の肩が小さく震えた。

 次の瞬間、はくるりと身をひるがえし、土方の首に細い腕を巻き付けてがっしりと抱きついてきた。

「絶対ね、約束よ」

 土方の耳元で、が言う。

 土方はその小さな体を両腕でしっかり抱きとめて、静かに頷いた。

「あぁ、分かった」

 の体は、泣いて体温が上がったのか、心配になるほど熱かった。真夏の夜、汗ばむ肌が柔らかく、子ども特有の香ばしい匂いをさせていて、土方はの首筋に鼻先を押し付けてその香りをしっかりと記憶に焼き付けた。

 明日の朝になれば、この子どもは消えてしまう。
 消えてしまったら最後、もう二度と、会うことは叶わない。
 けれど、きっと子どもというものは全てそういうものなのだ。

 だからこそ、大人になったに出会うことができたのだから。






20170828