最後の夏にいた証
「土方さん。一番隊戻りました」
「おぉ、ご苦労さん」
刀の手入れをしていた土方の元に、沖田が顔をのぞかせた。上着を肩にかけ、シャツの袖をまくり上げてはいるがその表情は涼しげで、額に玉のような汗をかいていた土方は面白くなく目を細めた。
「首尾はどうだ?」
「どうもこうも、この暑さじゃ浪士も攘夷活動どころじゃないんでしょう。どこもかしこも静かなもんですよ。ところで、
さんは?」
土方は中庭の向こうを指差した。
見ると、中庭を挟んだ向こう側の縁側を四つん這いになって走り回っている子どもがいる。頭に三角巾を付け、袖をたすき掛けにし、裾をたくし上げ、雑巾がけをしているのだ。その勢いたるや、興奮した若い犬が元気に走り回る姿にそっくりだった。
「これはまた、精が出ますねぇ」
「無理すんなよって言ってんのにちっとも言うこと聞かねぇんだよ、あいつ」
「
さんらしいですね」
「なんか用だったか?」
沖田はズボンのポケットから小さな包み紙を取り出す。それはコンビニで売っている棒付き飴で、パッケージは全て青かった。
「お前、まだそんなことやってんのか?」
土方は呆れて目を細めた。
「いいじゃねぇですか。ちょっとした遊びですよ」
近頃、市販の青い飴を
に舐めさせては効果を見る、という遊びが隊士の中で流行っているのだ。土方がいくら、天人謹製の青い飴でなければ効果はないと言い聞かせても誰も止めない。
浪人上がりの粗野で乱暴な男たちが、小娘ひとりに寄ってたかって青い飴を餌付けしているさまは見るに堪えないものがある。隊士達がどうしてそんな阿保の一つ覚えのように毎日毎日同じことを繰り返すのか、土方は呆れるばかりだ。
「
さんも、結構楽しんでくれてると思いますぜ」
縁側を雑巾がけしている
の前に、原田と山崎が現れた。ふたりはうきうきと肩を弾ませながら、
にビニール袋を差し出している。おそらく、中身は青いキャンディだろう。
は嬉しそうに笑ってぺこりと頭を下げると、袋からキャンディをひとつ選んで口に放り込んだ。少し間をおいて、原田と山崎は苦笑いをしながら肩を落とし、
と三人で、顔を見合わせて笑った。
「馬鹿な奴ら」
吐き捨てるように言う土方に、沖田は首を傾げた。
「土方さんは試したことないんですか?」
「するわけねぇだろ。なんか意味あんのか?」
「意味はないですけれど、ちょっとしたアトラクションみたいなもんですよ。
さんだって、あぁなっちまってから遊びにも行かず屯所で働きづめなんですよ。あの年の子どもが、友達も作らず、ひとり遊びもしねぇで掃除ばっかしてるなんて、やっぱりどこか不安なんですよ。それなのに、俺達に心配かけまいと笑ってくれるんです。飴玉くらいプレゼントしたって罰はあたらないでしょってどうかしたんですかぃ? 土方さん?」
「……いや、なんでもねぇけど」
土方は頭を抱えてぐったりとうな垂れた。
が掃除ばかりしているわけをそんな風に考えたこともなかったし、なによりあの沖田が、自分にも考えもつかなかったことをさも当たり前のことのように言ってのけることが信じられなかった。
くそ生意気がガキだとばかり思っていたのに、いつの間にここまで成長したのか、それに比べて自分は少しでも進歩しているんだろうか、そう考えるとやり切れない気持ちになる。
の笑い声が聞こえて顔を上げてみれば、原田が
を肩車して中庭をぐるぐると駆け回っていた。隊士の中でも特に背の高い男だから、見晴らしがよくて気持ちがいいのだろう。
は原田の剃り上げた頭をぺちぺち叩いて、楽しそうに笑っていた。山崎は携帯電話のカメラを向けて、笑いながらシャッターを切っている。
縁側からその和やかな光景を眺めながら、沖田が言った。
「万事屋の旦那はいつになったら戻ってくるんでしょうねィ」
「さぁな、言ってなかった。あの口ぶりじゃ、そう遠くねぇ星だとは思うが」
「けど、もう二週間ですよ? 面倒なことにならなきゃいいんですけどね」
「俺に言うな、俺に。面倒なことってなんだよ?」
「よく分かんねぇですけど、長い期間若返るのって、あんまり体にいいことじゃねぇと思いませんか? よく分かんねぇですけど」
沖田の言うことも一理あるような気がして、土方は考え込んだ。考え込んだところで、できることといえば銀時が青いキャンディを持ってくるまでじっと待つことだけなのだが。
兆しが現れたのは、それから三日後のことだった。
「お前、少しやつれてねぇ?」
食堂で配膳の仕事をしていた
を見かけて、土方は何も考えずに呟いた。
大人用の割烹着の袖を端折って無理矢理体に合わせ、ビールケースの上に乗ってみそ汁の配膳をしていた
は、きょとんと目を丸くして土方を見返した。
「そ、そんなことありません」
「そうか? 顔色悪ぃぞ。無理すんなって言ってんだろ、ガキなんだから」
はむっと口を尖らせると、意地を張ったような顔をしてみそ汁を椀に注ぐ。
「ガキじゃありません!」
近頃の
は、土方に子ども扱いされるといちいち言い返すようになった。屯所での生活にも慣れ、少しずつだができる仕事も増え、一丁前に自尊心が育ってきたらしい。寂しいと泣かれるよりはいいかと、土方は気にしないことにしている。
「青い飴ばっか食ってっからだぞ。好き嫌いせずにちゃんと食え。でっかくなれねぇぞ」
「飴ばっかり食べてなんかいません!」
「いいからさっさとみそ汁よこせ、後ろつっかえてんだろうが」
はみそ汁の椀を土方の盆に叩きつけると、頬を膨らませてつんとそっぽを向いた。
初めて屯所にやってきた日には、土方の顔を見るだけで借りてきた猫のように小さくなっていたのに、本当によく慣れたものだ。
それにしても、憎まれ口を叩く元気はあるようだが、本当に顔色が悪いのは気掛かりだった。来る日も来る日も暑い日が続いているからバテているのかもしれない。それとも子どもの身で働きすぎだろうか。
そんなこと考えていた矢先に、
が倒れた。
知らせを聞いた土方は、屯所に戻ってすぐ、自分の部屋にも寄らずに
の部屋に足を向けた。
「あ、副長。おかえりなさい」
出迎えたのは山崎だ。
の枕元に座って、氷水で冷やしたふきんを絞っている。
は布団に横になって眠っているようだ。
「どうしたんだ? 熱中症?」
「いいえ、それがですね」
山崎は
の額にふきんを乗せてやりながら苦笑した。
「歯が抜けそうなんですって」
「歯ぁ?」
「右の奥歯らしいんですけれど、痛みがあって、あまりもの食べられなかったみたいなんですよ。その上、この暑さで体力も落ちて、バテちゃったみたいですね。きちんと栄養をとって休めば大丈夫だそうです」
「……なんだよ、それ」
土方はどかりと腰を下ろしてため息を吐く。
じゃ、後はお願いしますね、と言って山崎は出て行き、入れ違いに鉄之助が土鍋を持ってきてくれた。歯が痛くても食べられるようにと、軟らかく煮たおかゆを作ってくれたらしい。(鉄之助が、ではなくおそらく
の代わりに台所を預かっている家政婦が、だろう。)蓋を開けるとまだほのかに温かく、この暑さではあっという間に悪くなってしまいそうな気がして、付け合わせの梅干しをくずして混ぜ込んでおく。
何事もなかったなら良かった、そう思うのと同時に、土方は腹が立ってしょうがない。少し落ちつこうと、縁側に出て煙草を吸う。
が目を覚ましたのは、土方が煙草を三本消費した後だった。
「起きたか?」
土方が声をかけるなり、
はぎくりと顔を強張らせた。その怯えた目つきにさらにいらついて、土方は大きな声を上げてしまわないようにぐっと腹に力を入れた。
「腹減ってねぇか?」
「……はい、いいえ」
どっちだよ、とは声に出しては言わない。
「おかゆ、あるぞ。食えよ」
「……はい」
布団の上に起き上がった
に、おかゆをよそってやる。
は見守る土方の目を気にしながら、恐るおそる匙を動かした。
「酸っぱくないか? ちょっと、梅干し入れすぎた」
「いいえ、おいしいです」
その顔が全くおいしいとは言っていなくて、土方は頬杖をついてため息を押し殺した。
子ども相手に大人げないとは分かっている。しかも、相手は体調を崩して倒れたばかりなのだ。けれど、土方の顔色を窺って上目遣いにこちらを見上げてくる
の眼差しは、ざわざわと土方の神経を逆撫でする。
も食べることに集中できないようで、小さな子どものように匙からおかゆをぽろぽろこぼしている。
「何やってんだよ」
つい荒っぽい声を出してしまって、
は肩を縮こまらせた。
「す、すいません……」
がおかゆを食べ終わるまで、ずいぶん時間がかかった。鉄之助を呼んで土鍋を片付けさせ、
がおかゆをこぼして汚したシーツを取り替えてやる。
布団の上に正座した
は、肩身が狭そうな顔をして土方に頭を下げた。
「ご心配おかけして、本当にすみませんでした」
土方はできるだけ穏便に話をしようと努めたけれど、生来からの荒っぽい性格が災いして、あまりうまくはいかなかった。
「歯はまだ痛むのか?」
は右側の頬を押さえて答える。
「少し……。でも、大丈夫です。もうすぐ抜けると思うので……」
「本当か? ちょっと見せてみろよ」
「え、嫌です」
「嫌じゃねぇよ」
「お医者さんに診てもらったので大丈夫です」
は両手で口をふさいで首を横に振る。そこまでされるとさすがに無理を言う気にはなれず、土方は早々に諦めた。
「なんで黙ってたんだ? 痛いからって飯食わなかったらどうなるか、少し考えれば分かることだろ」
「すみません」
「謝ってほしいわけじゃねぇんだけど」
「だって、なんとかなるかと思って、歯が抜けるのは初めてじゃないし、皆さんにもらった飴もたくさんあったし」
「飴って、あんなもんで腹一杯にならねぇだろうが」
「……すみません」
「だから謝るなって」
これ以上何を言ったらいいのか分からなくて、土方は途方に暮れた。
腹は立っていたが、謝らせたいわけではない。痛いのに我慢することはないし、ましてや食べ物を噛むこともできなくなるまで我慢をするなんて。
けれど、土方の真意はどうやら
には届いていないようだ。なぜ叱られているのか、理由も理解できずに、ただ怖い顔する土方に怯えて小さくなっているだけだろう。全く伝わらないもどかしさに、土方は眉間の皺を深くする。
そして、思う。もし、今ここにいるのが、
の「先生」だったら。
きっと大人の良識を持って、静かに微笑みながら、真っ直ぐに
の目を見てたんたんと言い聞かせるのだろう。歯が痛むのなら正直に言いなさい、食事をとれないということは本当に大変なことなのだから、特にあなたのような育ち盛りにとっては。そんな風に、穏やかに。
の口から語られる「先生」は頼もしく、優しく、包容力にあふれた落ち着いた大人を想像させる。けれど、荒っぽくこらえ性のない性格の土方には、とてもそんな真似はできそうにない。
は相変わらず土方か体を小さくして俯いていて、土方からその頭頂部しか見えない。その小さなつむじに、どうしようもなく腹が立って、土方は
の顎の下に手を入れて無理やり仰向けにして目を合わせた。
が、その瞬間に失敗したと確信した。
は怯えた目をして、たちまち大きな瞳を涙で潤ませた。
「ごっ、ごめんなさい……、ゆるしてくださいぃ……」
土方は涙に怖気づいて、つい声を大きくしてしまう。
「だから! 許すとか許さねぇとかじゃねぇんだって!」
「じ、じゃぁなんなんですか? ごめんなさいって言ってるじゃないですかぁ!」
「だからなぁ……!」
土方はもう嫌になってきて、片手で
の顎を掴んだままがっくり肩を落としてしまった。
「もっと自分を大事にしろよ!」
「……だって、こんなことで迷惑かけちゃだめだと思って……」
「迷惑なんざいくらだってかけていいんだよ! 総悟を見てみろよ、あいつにかけられた迷惑で俺がどれだけ苦労してるか分かるか!?」
「だったらなおさら私が迷惑かけるわけには……」
「そうじゃねぇ! お前は少し総悟のふてぶてしさを見習えと言ってんだ!」
「でも」
「お前みたいなガキがひとりでなんでも背負いこもうとするのは鼻っから無理な話なんだよ! ちょっと仕事覚えたからって大人ぶって調子に乗ってんじゃねぇぞガキのくせに!」
「ガキガキって、そんな言い方しなくたって……!」
ふと、
は喉が詰まったような顔をして口を噤んだ。
「なんだ? どうした?」
口の中で何かを転がすようにして、
は口元を両手で覆い隠す。その目に力なく睨まれたので仕方なくその手を離すと、
は口から小さな白い骨の欠片を吐き出した。
「抜けました」
「……あぁ、そう」
呆気に取られて、土方は気の抜けた声で呟いた。
の手のひらの上に落ちた小さな白い歯は、土方の小指の先よりも小さくてあまりに頼りない。こんな小さなものが、
にものを食わせないほどの痛みを与えていたと思うと信じられないような気がする。
は手の中に落ちた歯よりも、歯列の空白の方が気になるらしく、しきりに口の中をもごもごやっている。
「ちょっと、口開けてみろ」
土方が言うと、今度は素直に口を開いて見せた。
右側の奥に空白がある。しかしよく見ると、根元に新しい歯の白い頭が覗いていて、出血もほとんどないようだ。
「痛くねぇか?」
「はい」
「普通に飯食えそうか?」
「はい。たぶん」
「そうか。良かった」
安心してほっとため息を吐いた土方を、
は目を真ん丸に見開いて見つめ返した。
無垢な子どもの目。生まれて初めて世界を見た時の驚きと感動がないまぜになった目。どうしてお月さまは私の後をついてくるのかと、夜空に浮かぶ天体を指差すような目。
土方は
の頬を乾いた手のひらで撫でてやる。
「乱暴にして、怒鳴って、悪かったな」
は答えなかった。
それからふたりで中庭に出て、抜けた歯を屋根の上に放り投げた。下の歯が抜けたら屋根の上に投げると、しっかりと丈夫な新しい歯が生えてくる。そういう慣例があって、武州の田舎では土方もそうしていた。
の力では屋根の上まで届かなかったので、土方が代わりに投げてやった。歯が瓦にあたってかすかな音を立て、それはもう二度と地上には落ちてこなかった。
はじっと屋根の上を見上げて動かないので、土方も煙草を吸いながら付き合ってやった。日差しが強く、じっと立っているだけで汗が噴き出してくるほどの暑さだ。せめて、
に直射日光が当たらないように、土方は自分の影の中にその体が収まるように立っていてやる。
やがて、
は屋根を見上げたまま呟いた。
「私、小さい頃、お母さんに捨てられたの」
突然の告白に、土方は息を飲む。
「小さすぎてはっきりと覚えていないんだけど、先生が教えてくれた」
は書いてあるものを読み上げるように、無感情に話す。けれど本当は、その胸の中で複雑にもつれ合った感情が燠の火のようにくすぶっていて、決してその火が大きくならないように、慎重に言葉を選んでいるようにも見えた。
「そうだったのか」
土方は静かに相槌を打った。
「私は、悪い子だから」
「悪い子?」
「悪い子だから、私のお母さんは、私がいらなくなったんだと思う」
「先生がそう言ったのか?」
「ううん。でも、分かる」
土方は煙草を地面に落として、踵で火を踏み潰した。
夏の太陽が作り出す、背の低い黒い影の中に立って、ただでさえ小さな
の体はなおさら小さく頼りない。その存在ごと黒い影の中に沈んでしまいそうに思えて、土方は
の頭の上に手を置いた。
「だから、私はいい子でいたい。先生にも土方さんにも迷惑をかけないで、よく働くいい子でいたい。……もう、誰にも捨てられたくないから」
は遠慮がちに土方の足に寄りかかって体を傾けてきた。
この子どもは、この小さな肩の上に、なんて重い荷物を背負いこんでいるのだろう。
土方は
の脇の下に手を入れて
の体を抱き上げると、高く、肩の上に担ぎ上げた。
「わぁっ! え!? なに!? きゃぁ!?」
悲鳴を上げてじたばたする
の膝を揃えて、腕で抱える。
のつま先から草履が滑り落ちたが気にしない。
は苦し紛れに土方の髪と耳を掴んでしがみついてきた。
「ちゃんと飯食って元気になったら、どっかに出掛けるか」
「え? でも……」
「屯所に引きこもって掃除ばっかしてるからそんなくだらねぇこと考えちまうんだよ。少しは外の空気を吸えよな」
「く、くだらない……?」
「くだらねぇよ。誰がお前を捨てるなんて言ったんだよ? 先生が言ったのか?」
「先生はそんなこと言わないわ!」
「俺だって言わねぇだろうが」
「でも、」
「まぁ、確かにお前は嫌な奴かもな。無理すんなっつってんのに俺の言うことちっとも聞きやがらねぇし、あげく歯が痛くて飯が食えなくて倒れるんだもんな、自分勝手にもほどがあるわ。あぁ、そうだ、いっぺん捨てられとくか?」
土方は中庭にある小さな池のほとりにたつと、
の着物の帯を掴んで池に投げ入れようとする。池の水は暗い緑色に澱んでいて、見るからに嫌な気配を漂わせている。
「きゃーー!! 止めて嫌―――――!!」
は大声を上げて、土方の隊服と髪の毛に力いっぱいしがみつく。髪の毛が抜ける不穏な音をいくつか聞いて、土方は眉間に皺を寄せたが、
の体を掴む手の力は緩めない。
「てめぇが俺の言うこと聞かねぇのが悪いんだろが!」
「だって! 他にどうしていいか分からないんだもの嫌――――!! 離さないでーーーー!!」
「捨てられたくなかったら少しは俺の言うこと聞きやがれこの分からずやが!!」
「聞く!! 聞くから!! お願いだから落とさないでーーーーー!!!」
頃合いを見て、土方は
を腕の中に抱え直してやった。
は全力疾走した後のように荒い呼吸をして、もはや声も出ないようだ。体力の落ちた体で、土方の腕力と真っ向勝負をしたのだから、当然だ。
土方は
を抱きかかえて部屋に戻り、縁側に下ろしてやって自分も隣に腰を下ろす。
は疲れ果ててごろりと横になってしまったので、土方は膝の上に
の頭を乗せてやった。
「どっか、行きてぇところないのかよ? どこでもいいぞ」
「……分からない」
「夏なんだから、海とか山とかさ」
「……土方さん忙しいんでしょ?」
「なんとかするよ」
「……海とか山に、私のこと捨ててきたりしない?」
「なんでそういう話になるんだよ、この流れで?」
「だって、私のこと嫌な奴って言った……」
「嫌な奴って言えば、総悟も嫌な奴で、それもお前の一千倍は嫌な奴だけどな、俺はあいつを捨てたことはねぇぞ」
「沖田さんは大人じゃない」
「あいつにも小さい子ども時代があったんだよ」
「そうなの?」
「当たり前だろ。もう何年だ? 十年? いやもっとか」
「……本当に?」
「そうだよ。それと比べて、お前なんかたった二週間だろうが、あんまり俺を見くびるなよな」
は黙り込んで、土方の膝の上でじっとしていた。あんまりじっとして動かないので、疲れて眠ってしまったのかと土方は思う。小さな肩を撫でてやると、ほんのり汗ばんで湿った肌の手触りがした。
軒先を見上げて思う。屋根の上に転がっている
の小さな歯。
大人の体に戻ったとき、
の欠けた歯がそのまま元に戻らないということはあるのだろうか。考えるとぞっとした。取り返しのつかないことになっていなければいいのだが。
「……そうね」
が呟いた。
土方の頭の中を読んだのか、それともただの寝言だったのか、結局土方には分からなかった。
20170807