青いなら捕まえてよ







 家政婦の仕事はいくらでもあったけれど、子どもの私にできることはほとんどなかった。

 洗濯をしようにも物干し竿に手が届かない。料理をしようにもそもそもシンクに手が届かない。ましてや隊士達数十名分の食事を作るなんて、とても無茶な話だった。

 しかたがないので、屯所の掃除に専念することにする。体が小さいと小回りもきくし、他にすることもないので体力がありあまっている。屯所は広いから、できることはたくさんあった。その合間に、台所でいもの皮をむいたりキャベツの千切りを作るのを手伝わせてもらったりもした。

 作業がひと段落した頃、ちょっと休憩しておいでとすすめられて、中庭に面した縁側に腰掛けていた時だった。そこはちょうど良く日陰になっていて、ときどき思い出したように吹いてきて涼しい。

「休憩中ですかぃ?」

 栗色の髪をした隊士のひとりが声をかけてきた。

「はい。えぇと……」
「沖田総悟でさぁ」

 沖田さんは私の隣に腰を下ろすと、ポケットから棒付き飴を取り出した。

「食いますか?」
「はい」

 ありがたく受け取って、包み紙を解く。真っ青なガラス玉にヒビが入ったような飴だ。口に入れると、爽やかなソーダの味が舌の上に広がった。

「おいしいです。ありがとう」

 沖田さんはまじまじと私を見ている。
 なんだろう、顔に何かついているかな。

「なんですか?」
「いや、青いキャンディ食べたら元に戻るって聞いたんですけど、やっぱ地球産のじゃ駄目みたいですねぃ」

 沖田さんはぺろりと舌を出してとぼけてみせた。

「仕事には慣れましたか?」
「いいえ、まだ全然です。掃除と、ちょっとしたお手伝いしかできることがなくて、申し訳なくって……」
「まぁでも、今のさんができることなんてそれくらいでしょ。身の丈以上のことをする必要はねぇと思いますけどねぇ」
「でも、大人の私はやっていたんでしょう?」
「こういう考え方は俺も嫌いですけど、子どもにはどうしてもできないことって、やっぱりあるもんですよ。それを補うのが大人の役目なんだから、遠慮なく甘えたらいいんですって」
「そういうものでしょうか?」

 私は舌の上で飴玉を転がしながら、沖田さんの言うことを理解しようと必死に頭を振り絞ってみたけれど、ちっともうまくいかなくて落ち込んだ。

 子どもとは言え、お世話になっている以上はきちんと働いて返さないといけないと思う。よく知っている人達ならいざ知らず、縁もゆかりもない人たちなのだ。ただ好意に甘えるわけにはいかない。

「土方さんには、何か言われたりしてねぇんですかぃ?」
「いいえ」
「何にも?」
「はい。今日はまだお会いしてません」
「そりゃぁいけねぇ。職務怠慢だな」

 沖田さんはそう言うと、意地悪く笑った。

「しょくむたいまん?」
「仕事サボってるって意味ですよ」
「土方さん、サボってるんですか?」
「近藤さんがさんのこと任せたんだから、それを放ったらかしてたらそうでしょう」
「でも、お仕事で忙しいでしょうし……」
さん。あんた、一応非常事態に陥ってるんだから、もう少し自覚した方がいいと思いますぜ」
「非常事態?」
「記憶がないって、しんどくないですか?」

 私は答えに詰まった。

 自分が陥った状況を、そこまで悲観的に考えてはいなかった。これは夢の出来事だからいつか覚める。それまでがまんすればいいことのはずで、その時が来るまで、なりゆきを見守るしかない。確かに今まで見た夢の中で一番長くて嫌な夢だとは思うけれど、非常事態だなんて。そこまで言うほどのことだなんて。

 私が質問に答えることができずに考え込んでいる間、沖田さんは何にも言わずにそこにいた。答えを急かすでもなく、話題を変えるでもなく、ただじっと待っていてくれた。私には、その沈黙はものすごく重かった。

「沖田さんは、どうして私に敬語を使うんですか?」

 耐えきれなくなって、とっさに思い浮かんだことを聞いてみた。
 沖田さんは薄茶色の大きな目をしばたいた。

「どうしても何も、さんにはいつもこうやってしゃべってましたからねぇ」
「子どもの私にも同じようにするの、変だと思いませんか?」
さんは変な感じするんですかぃ?」

 私はくすぐったいような気持ちになって居住まいを正した。

「ちょっとだけ」
「そうですか。でも、俺はずっとこうだったんで、急には直せませんよ」
「土方さんも、元からずっとあぁなんでしょうか?」
「あぁって?」
「あの、なんだか、怒っているように見えるので……」
さんに? 土方さんが?」
「はい」

 気がついたら、私は地面を見下ろしてすっかり猫背になっていた。

 どうして土方さんの顔を思い出すと、心がしゅんと小さくなってしまうんだろう。

 近藤さんや沖田さんはとても親切にしてくれるし、台所を手伝わせてくる家政婦のみなさんも優しくしてくれている。見ず知らずの私を温かく迎えてくれて、とてもありがたいことだと思う。

 でも、他の誰にどんなに優しくしてもらっても、土方さんが言ったことが耳から離れない。

――こんなガキ置いておけるわけねぇだろうが
――俺は忙しいんだ! ガキの面倒なんか見てられるか!

「ちゃんと働ける大人じゃないと、ここにいちゃ駄目なんじゃないかなって……」

 私がどんなに頑張っても、土方さんにとって、子どもの私は役立たずの邪魔ものでしかない。

 だからせめて迷惑をかけないように、ちゃんといい子にしていないといけない。土方さんの気に触ることをしちゃいけないし、怒らせるなんて以ての外。土方さんに迷惑をかけないように、言いつけを守って、静かな物分かりのいい子でいなくちゃ。

 自分を奮い立たせるようにそう思うたびに、まるで水やりを忘れた花みたいに心がしおれてしまう。

 早く、夢から覚めたい。
 松陽先生と銀さんと桂くんと高杉くんのいる、あの寺子屋に帰りたい。

さんに、ひとつ、お仕事お願いしたいんですけどねぃ」

 ふいに、沖田さんは私を見下ろしてにやりと笑った。

 お腹の底の方がぷるりと震えたのが分かって、私は口の中で、まだ丸い飴玉に舌をぴったりくっつけて黙り込んでしまう。突然氷室の中に放り込まれたような気分だ。なんだか寒い。

「頼まれてくれますかぃ?」
「……はい」

 どんなに嫌な予感がしても、この夢の中ではいい子でいなければならないので、私は素直にひとつ頷いた。





 暑い。
 蒸し風呂に放り込まれたように暑い。

 自室で雑務をこなしていた土方はさすがに嫌気がさしてきた。

 どうして真選組の隊服はこんなに分厚い生地でできていてちっとも風を通さないのだろう。攘夷浪士と斬り合いになった際に少しでも体を守れるようにと頑丈な造りになっているからだと分かってはいるのだが、この暑さではそんなことはものすごく些末な問題に思えてくる。

 軒にぶら下げた風鈴も、ほとんど風がないので滅多に鳴らない。

 文机に書類を広げたまま、スカーフをほどいて首元から風を送っていると、縁側から足音が聞こえた。

「誰だ?」
「あ、あのっ、です」

 は縁側に膝をついて、障子越しにひょこりと顔をのぞかせた。そのおどおどした目つきが土方の神経に触ったが、子ども相手にいかんなと思い直して、慌てて咳ばらいをひとつする。

「あぁ、なんだ、どうした?」
「お茶を淹れたんですが、いかがですか?」
「あぁ、もらう」

 が盆に乗せて持ってきたのは、透明な氷が浮いた冷茶だった。江戸切子のグラスが涼しげで、屯所にこんな細工の食器があったのかと土方も驚いてしまう。よく冷えたそれは面白いように喉を転がり落ちて、清々しくうまかった。

 は緊張した面持ちで、盆を膝の上に乗せて土方を見ていた。

「うまいな。ありがとよ」
「お口に合って良かったです」
「仕事は?」
「あ、掃除と、ちょっとだけ台所のお手伝いをしているんですが、あの、あまりできることがなくて……」
「そりゃそうだろうな」
「え、どういうことですか?」
「ガキなんだから無理すんなって言っただろ」
「で、でも!」
「でも、なんだよ?」

 はむっと唇を尖らせ、何を考えているのか、興奮して顔を真っ赤に染める。動揺するとすぐ顔に出てしまうなんて、大人だった頃にはほとんどと言っていいほどなかったことだ。子どもだから仕方がないのかもしれないが、土方には痛々しく感じられるばかりだ。

 どうしてこいつはこんなに必死な顔をするんだろう。そんなに歯を食いしばっていたら息が詰まって苦しいだろうに。

「言いたいことがあるならはっきり言えよ」

 土方が一声かけてやると、は真っ赤な顔をしたまま大きく息を吸った。

「あの! 土方さんの好きな食べ物は何ですか!?」

 弱い風が吹いてきて、風鈴が一度、ちりんと鳴った。

「なんだよ、いきなり?」
「いや、あの、えっと、よ、よかったら、お作りしましょうか……?」
「別にいいよ」
「なにがお好きなんですか?」
「マヨ丼。知ってるか?」
「いいえ、知りません」
「うまいぞ」
「そうなんですか。よく行く場所はどこですか?」
「何なんだよこれ? なんの尋問?」
「いえそういうわけでは。どこですか?」
「そうだな、煙草屋かな」
「煙草、体に悪いですよ」
「好きなんだからいーんだよ。それで? 質問終わり?」
「あ、あとひとつだけ」
「俺は忙しいんだよ。さっさとしろ」
「土方さんは、彼女はいるんですか?」

 その時、襖の向こうの縁側から床板がきしむ音がした。土方は反射的に刀を掴み、勢いに任せて襖を開く。

「てめぇの指金か? 総悟」

 耳に紙コップを押し当てた沖田が、純粋無垢な笑顔を浮かべていた。

「いやだなぁ、土方さん。俺はふたりに前みたいに打ち解けて欲しいと思っただけですよ」
「こんなことしてねぇで仕事をしろ」
「俺、今日はオフなんで」
「じゃぁなおさらこんなところで油売ってねぇでどっか行け」

 へぇへぇ、と気の抜けた返事をして、沖田は後ろ手に手を振りながら廊下の奥に姿を消した。

 土方は舌打ちをして、襖を閉める。まったく、あいつは十八にもなるというのに子どもすぎるのだ。部屋に戻って腰を落ち着けると、は体を小さくして縮こまっていた。

「……ごめんなさい」
「沖田にそそのかされたんだろ。別に怒ってねぇよ」
「……でも、お仕事の邪魔を……」
「お前が茶ぁもってきてくれたんだろ。だから今は休憩中だ」

 のつむじが土方の目の前にあった。片手で掴めそうなほど小さい頭、膝の上にそろえた両手はぎゅっと握りしめられたままだ。

 なんだか見ていられなくなって、土方はその小さな頭を撫でてやった。はびくりと肩を震わせたが、それだけだった。

「なんでこんなことしたんだよ?」

 が口を開くまで、土方は静かに頭を撫で続けた。まるで、この瞬間だけなつかれた野良猫の背を撫でているようだと思う。たぶんこの猫は、気が済んだら何事もなかったような顔をして部屋を出て行くのだろう。

 それでいいし、それがいい。小さな子どもの相手になって何をしてやればいいのか土方には分からないし、それがだと思えばなおさらだ。

 は口を開くと、小さな声で言いわけをした。

「沖田さんに教えてもらったんです。大人だったとき、土方さんにお茶を淹れてあげるのは私の仕事だったって」
「あぁ、そういやそうだったな」
「質問をしたのは、沖田さんがしてみたらって。仕事だと思ってやってみなって。三つ、沖田さんが考えてくれて」
「お前そんなに暇なの?」
「……暇というわけではないんですが、あの、みなさんに迷惑をかけているんじゃないかと思うと申し訳なくて」

 はしゅんと体を小さくして、落ち込んでいる。

 子どものくせに、どうしてそんな小難しいことを考えるのだろう。こんなに人の目を気にしてばかりいては疲れてしまうだろうに。

 土方は少し考えて、尻ポケットから財布を取り出して、札を一枚抜いた。

「ひとつ、頼みてぇことがある」
「なんですか?」
「煙草切れたから買ってきてくれるか。マヨボロ、1カートンな。釣りでなんか好きなものでも買ってこいよ」

 は両手で札を受け取ると、目を輝かせて背筋を伸ばした。

 子どもの体であまり働かせすぎるのもどうかと思ったが、屯所の外の空気を吸えば少しは気分も変わるだろう。

「マヨボロ、1カートンですね。すぐに行ってきます!」
「おう。車に気を付けろよ」
「はい!」

 ぴょこんと頭を下げて、小走りで部屋を出て行くを見送って、土方はため息を吐く。

 が元の体に戻るまで、できるだけ不安を感じずに楽な気持ちでいて欲しいと思うけれど、そのためにどうしてやったらいいのか分からなかった。

 そもそも、はまだ土方のことをそれほど信頼してはいないようだ。もしかしたら沖田の方が気が合っているようだし、面倒を見てやるのには適任なのではないだろうか。いやだが、またふたり示し合わせていたずらでもしかけられたら面倒くさい。

「……なんでこんなことになっちまったんだかなぁ」

 土方は文机の上に突っ伏した。






20170716