地面を揺るがすような爆発音がして外に出てみると、蔵がひとつ吹っ飛んでもうもうと黒い煙を上げていた。

 ――桂くんの仕業だ。

 すぐにそうと気づいたは、食堂から飛び出してきゃぁきゃぁ悲鳴を上げている女中達を押しのけて蔵へ急いだ。

 今日は三番隊隊長斎藤終の隊規違反の真偽が問われる隊内裁判が行われているはずだ。どうせこの裁判は桂が仕組んだことに違いないのだが、どうしてその裁判中に蔵が爆発するようなことになったのだろう、どんな理由があるにせよ、桂の潜入が明るみに出たことは間違いない。

「桂を追えー!」
「絶対に逃がすなー!」

 爆発に巻き込まれて体中を煤で汚した隊士達が崩れた蔵から這い出して来る。大声を上げる隊士達、煙を吸ってしまったのか、意識を失って担架で運ばれる者、消火器をかき集めてきて消火活動にあたる者が入り乱れている。けれど大きな怪我をしている隊士はいないようだ。蔵ひとつ吹っ飛ばされても、皆が無事ならそれに越したことはない。

 けれど、崩れた蔵の中に入った途端にの血の気が引いた。

 人形のようにだらりと力なく垂れ下がった四肢、煤に汚れた顔、少し焦げついた隊服。隊士ふたりに体を支えられて引きずられるようにしているところを見ると意識がないようだ。首に巻いたスカーフと黒髪が風になびいている。

 土方だ。
 
 小走りで駆け寄ったに気づいて、隊士達がぎょっと目を丸くした。

「わぁ! さん!?」
「こんなところまで入ってきちゃ駄目ですよ! 危ないですよ!」

 五十嵐と藤島はベテランの中堅隊士で、ともよく知った仲だ。は平静を装って答えた。

「大丈夫よ。それより土方さんは? 頭でも打ったの?」

 がそばに転がっていた焦げたむしろを拾って地面に敷いてやると、ふたりはそこに土方の体を横たえた。はとっさに土方の頭を膝の上に乗せる。ふたりが目を合わせて息を飲むのが気配で分かったが、まずは土方の脈をとる方が先だ。首の大動脈に指を三本添えてみる。良かった、ちゃんと動いている。

 五十嵐が申し訳なさそうな顔をして言った。

「爆発から俺達をかばって吹っ飛ばされたんですよ。頭は打ってないと思うんですけど……」
「爆風に当てられてころっと気を失っちまいました。直に目覚めると思います」
ちゃん! ここに来てたのか!」

 と、誰よりも存在感のある突き抜けた声を上げて、近藤がやってきた。近藤はの膝枕の上でぶっ倒れている土方を見るなり、くすぐったそうに笑った。

「トシがぶっ倒れてんのを見るのはずいぶん久しぶりだなぁ!」

 五十嵐と藤島も顔を見合わせて頷いた。

「確かに」
「副長、いつも隙が無いからな」

 近藤も五十嵐も藤島もすっかり肩の力を抜いてくだけた様子なので、土方がそれほど重傷ではないことは確かなようだ。はほとっとして、そっと土方の頬を撫でた。

 五十嵐と藤島が水と手拭いを取ってくると言って駆け出していき、は懐からハンカチを取り出して、土方の顔の汚れを拭ってやる。そんなを、近藤は温かい目をして見ていた。

「そんな綺麗なハンカチ、汚しちまっていいのかい?」
「ハンカチはそのために使うものですよ」
「はははっ! 言われてみればそうだなぁ」
「何ですか? そんな、にやにやして」
「いや、羨ましいなぁと思ってさ。俺もお妙さんの膝の上で眠ってみたいよ」

 は答えに詰まって苦笑いを返した。近藤の恋路は前途多難で、なかなか役に立つ助言をしてやれないところがいつも心苦しいところだ。

 五十嵐が持ってきてくれた水で手拭いを濡らして、土方の顔の煤を拭う。これが少しは気付けになってくれればいいと思っていたのだけれど、土方はぴくりともしない。

「近藤さん、土方さんが目を覚ましたら、今日はゆっくり休ませてあげてくださいね」
「うん?」
「最近、随分根を詰めていたでしょう。相当お疲れなんだと思います」
「俺もそうしたいのは山々なんだけどなぁ」
「なんですか?」
「桂が屯所に現れて、しかもまんまと逃げられたとあっちゃぁ、トシは黙ってられんだろうな」

 近藤は腕組みをして、難しい顔をして土方を見下ろした。

 近藤の言わんとしていることは、にも何となく分かった。自分に厳しく、プライドの高い土方のことだ。攘夷志士のなかでもリーダー格の、超一級の指名手配犯である桂小太郎が、一カ月もの長期間に渡って屯所の内部深くまで潜入していたのだ。気が付かなかったとはいえ、三番隊の隊長格の資格まで与えて、内部情報を持ち出された可能性も大いにある。きっと土方は怒りに我を忘れて、さらに仕事に邁進することだろう。

「それでも、休ませてあげた方がいいと思いますよ」

 は土方の顔を見下ろしてため息を吐いた。膝に乗せた頭が天地逆転しているからそう見えるだけかもしれないけれど、脈をとった首筋はなんだか頼りない触り心地がしたし、頬が少しこけている気がする。黒い煤を拭っても、目の下の黒っぽい色が消えない。

「トシは幸せ者だなぁ」

 近藤はふいに、屈託のない笑顔を浮かべて穏やかにそう言った。

「いつもありがとう、ちゃん。トシのそばにいてくれて」
「近藤さん?」
「仕事の方は俺がなんとかする。ちゃんは、トシが無茶なことしないように見張っていてくれないか?」
「えぇ。でも、土方さんが私の言うことを聞いてくれるかどうか……、こういうことは近藤さんから言ってくださったほうがいいんじゃ?」
「だったら、どこかの離れにでも縛り付けて動けないようにしちまっても構わねぇよ。それくらいしねぇと休む気になんかならないだろうからな、トシは」

 近藤は大きく笑ってから、の肩をぽんと叩いて離れていった。

 近藤はいい人だ。
 実る見込みの薄い恋に身をやつして辛い思いをしているのに、そのために卑屈になったりしないし、土方とを僻んだりもしない。それどころかこんなに穏やかに土方とを見守ってくれる。なんて懐の広い人だろう。
 
 鉄之助に何事かを言付けている近藤の後姿を眺めながら、は膝の上の土方の頬を撫でた。

 土方さんがついて行くと決めたあの人は、本当にすごい人ですね。

 と、その声に答えるように土方が身じろぎをして、苦しそうにげほげほと咳き込んだ。

「土方さん? 気が付きました?」

 と目が合うなり、土方は嫌そうな顔をしてを睨んだ。

「お前、こんなところで何してんだよ。危ねぇだろ」
「こんなところで寝っ転がってる人に言われたくありませんよ」

 は土方の肩を叩きながら笑った。思っていたとおり、土方はとても不機嫌で、予想していたとおりのことを言うものだからおかしかった。
 
 の膝の上から起き上がろうとしてふらついた土方は、顔色を悪くして口をふさぐ。

「……気持ち悪ぃ」
「無理しないでください。さっさと逃げないからこんなことになるんですよ」
「俺が逃げるわけにいかねぇだろ。危うく屯所まるごと吹っ飛ばされるところだったんだぞ」
「そのおかげで、土方さんが一番重症ですよ」
「……誰も、怪我しなかったか」
「えぇ。倒れたのは土方さんだけですよ」
「……みっともねぇ」

 土方は泣きそうに細い声でぼやいた。

 そこまで自虐的になることはないと思うのだけれど、とっさにかける言葉が思いつかない。土方は安っぽい慰めの言葉で簡単に慰められてくれるほど素直な性格はしていないのだ。

 が迷っている間に、土方は追い打ちをかけるように弱気な声で言う。

「……俺はいつもこうだな」
「いつも?」
「またお前を危ない目に遭わせちまった」

 はぽかんと目を見開いた。土方は顔を真横にそらして、蔵の現場検証を進める隊士達を見ている。けれどその眼はどこかぼんやりとしていて、ここではないどこか遠くの場所を見つめているようにも見えた。

「私は危ない目になんかあってませんよ」
「屯所中に爆弾が仕掛けられてたんだぞ」
「でも、結局爆発しなかったじゃないですか」
「爆発してたらお前も巻き込まれてた」
「だから、巻き込まれずに済んだじゃないですか」

 土方は涙をこらえるような仕草で目元を覆うと、重いため息をついてぐったりとうな垂れた。

 まさか、とは息を飲む。
 まさか、泣くの?
 嘘でしょう。あの土方さんがこんなところで?
 はとっさに土方の頭上に覆いかぶさって、土方の泣き顔を隠した。

 土方の弱いところを誰かに見られでもしたら。
 それは絶対に嫌だと、の中で誰かが叫んだ。

「そろそろ立てますか? 立てそうだったら行きましょう」
「行くって、どこに?」
「ちゃんと休める場所に、ですよ」





 離れにでも縛り付けておけと近藤が言ったので、は土方を離れにある自分の私室に連れていくことにした。これは局中法度に違反することなので誰かにばれたら切腹ものだけれど、近藤がいいと言ったのだし、隊士達は爆破事件の事後処理に忙しく走り回っていたので、誰にも気づかれずに離れまで移動するのはわけもなく簡単なことだった。
 
 立っているのもやっとな調子の土方を部屋に放り込んで、風呂を沸かしてやってすぐに外に出る。なにせ仕事が溜まっているので、急いでそれを片付けてこなければならない。鉄之助を捕まえて、土方の着替えを離れまで持ってくるように頼んでから、食堂で女中達と一緒に夕飯の準備に取り掛かった。こう大きな事件があっては、夜食も準備しなければならないからいつもの二倍忙しい。
 
 土方は離れに閉じ込めておけば勝手に休むだろう。鍵をかけてきたわけではないけれど、きっと人目を恐れて自由に外に出ることもできないはずだ。今はまだ頭がちゃんと回っていないようだし、体もぼろぼろだから、きっとすぐに眠ってしまう。今この瞬間、の部屋は土方にとって世界で一番の安全地帯だ。誰もそこに土方がいるとは思わない。局中法度を破ることを何よりも嫌うのは、他でもない土方なのだから。
 
 が夕食時の戦場のような食堂からどうにか生還したのは、夜の九時を回ろうという時だった。いつもと比べれば随分早い時間に戻って来られた。
 
 土方の夜食にと用意したおむすびを持って離れに戻ったとき、部屋には灯りもついておらず真っ暗で、その暗闇に沈むように、土方は畳の上で、大の字になって眠っていた。

 布団を出していいと言ったのに、もしかしたら床を延べる体力も残っていなかったのだろうか。だとしたら悪いことをしてしまった。あまり急いで出て行かずに、布団くらい出してあげればよかった。
 
 台所におむすびを置いておいて部屋に上がり、土方の寝顔を覗き込んだ。
 目元には深い影が落ちていて、まさにぐったりという言葉が一番似合う顔をしている。は土方の額に落ちかかる前髪をかき上げてやって、その頬を撫でた。寝顔が痛々しくて、愛おしくて、子犬の背中を撫でるように土方の頬を撫で続けた。どうやら目を覚ます気配はまったくない、ということが分かるまでそうしていた。

 土方が寝ている場所を避けて布団を敷いて、風呂へ行って、洗面台に突っ込んであった煤まみれのシャツと隊服をビニール袋に包んで、自分も風呂に入ろうと思ったら風呂場が煤まみれだったので、掃除をしてからシャワーを浴びる。寝間着に着替え、肌と髪の手入れをして、そうこうしている間に、あっという間に真夜中になった。

 もすっかりくたびれていた。明日の朝も早い。本当ならいつもの布団に横になってきちんと睡眠をとって明日に備えるべきなのだけれど、は畳の上に大の字になっている土方と、敷いたばかりの布団を天秤にかけて前者を選ぶことにした。

 は土方の隣に横になり、布団の上掛けをふたりの体の上にかけてから、遠慮がちにその腕に頭を乗せてみた。土方がかすかに身じろぎをしたので起こしてしまったかとびくびくしたけれど、土方は顔をこちらに向けるだけの寝返りを打って静かな寝息を立てた。ほっとする。土方の安らかな眠りを邪魔したくなかった。

 邪魔はしたくないが、ほんの少しだけ体に触らせて欲しいとも思った。

 土方の熱い胸板に手を添えてみる。規則正しい心臓の鼓動が指先に聞こえた。小さな生き物が手のひらの中で脈打っているような感触がして、心地が良くてずっと触っていたくなる。

 明日の朝、腕がしびれていたらごめんなさいね。でも左腕だし、剣を握るのには困らないでしょう。どうか許してね。
 
 は暗闇の中、じっと目を凝らして土方の寝顔を見つめていた。
 眠りが訪れるまで、今夜はずっとこうしていようと思った。






20170529