目を覚ましたら霞む視界の中にを見付けて、銀時は虚ろな意識の中にも安堵した。酒に一服盛られて、多勢に無勢の喧嘩をして、銃で腹を撃たれて、橋の上から川に落ちた事を一瞬の内に眼裏に見る。

「銀さん? 目、覚めた?」

の声が降ってきて、銀時は無理矢理に瞼を持ち上げて瞬きをした。

「……おー、今何時?」

「三時よ。夜の方の」

「……日付は?」

「甲月乙日。銀さんを拾ったのはついさっきだけど……。大丈夫? 体痛む?」

返るの声は静かで、耳にようやく届くか届かないか位の声量だ。
銀時は両手を握り込もうと力を込めたけれど、うまくいかない。指は動くけれど力が入らない。それが顔に出たのか、は「無理しないで」と言って冷たく銀時の手を握った。の手のひらが冷えているのだ。銀時は怪我のせいで体中熱っぽかった。

「もう少し眠って。明日にはお医者様にも来てもらえるから」

が立ち上がる気配がして、銀時は思わず無我夢中でその手を掴んだ。体が麻痺しているから、それは厳密に銀時の意識的な行動ではない。けれどその時の銀時は必死で、つい今しがた拳を作る事すら出来なかった手で、必死にの手首にすがった。言わなければならない事があった。






エンドレスリピート症候群






銀時がいるのは真撰組の屯所、その敷地内にある離れである。つまりの居住場所だ。
この事を知っているのは銀時を助けるのに手を貸した山崎と近藤だけで、他の隊士達には秘密にされている。真撰組に怪我人を匿う前例などなかったからで、そもそもそれが銀時でなければ、それを連れて来たのがでなければこういう状況にはならなかった。

「万事屋の旦那、様子どうです?」

銀時を匿って一週間ほど経った日の朝、朝番の隊士が出払って人気が少なくなった屯所である。
山崎に問われて、は神妙な面持のまま首を横に振った。

「まだ体が動かないみたい。本当は入院してきちんと治療しなくちゃならなかったのにね、銀さんがどうしてもって」

「一体何やらかしたんですかね、銃で撃たれるなんて……。本当なら警察沙汰ですよ。局長もよく許可しましたよね」

「感謝してるわ。山崎くんにも迷惑かけちゃって、ごめんなさいね」

「いえ、俺は平気ですよ。さんの方こそ大丈夫ですか? 日常業務に加えて旦那の世話なんて大変でしょ?」

「大丈夫よ。銀さんなんて昔からあぁなんだもの。人に寄りかかってないと立ってられないような人なんだから」

「そ、そうなんですか? まぁ無理はしないでくださいね。それから……」

そこで山崎は言葉を区切って、の耳元に口を寄せる。声が吐息ほどに小さくなって、も無意識に口元に手を添えて声を潜めた。

「土方さんにはくれぐれも気をつけてくださいね。本当、面倒臭いですからあの人。あらゆる意味で」

「もちろん分かってるわ。心配してくれてありがとうね」

「これから旦那の所ですか?」

「えぇ」

「気をつけてくださいね」

山崎はしつこいくらいに念を押す。は笑顔でそれを受け止めて、曖昧に頷いた。自分の居住場所である屯所で、こんなにも神経質にならなければならない事態が起こるなんてちょっと馬鹿馬鹿しかった。





の住む離れは屯所の東外れにある。
不規則に並んだ敷石が曇りガラスがはまった引き戸に続いていて、この通路は局中法度によって一般隊士の使用が禁止されている。

戸の中に入ると小さな台所が右手側にあって、奥は湯殿と手洗いだ。左手側は障子の引き戸で、八畳ほどの小さな部屋にはの寝具で銀時が横になっている。

「銀さん」

が呼ぶと、銀時は首から上だけを動かした。

「飯?」

声色が呑気で体調が事がよく知れたので、は安心して笑った。

「今用意するから待っててね。起きられる?」

「どーだろ。ちょっと、手ぇ貸して」

「はいはい」

は作り置きしておいた味噌汁を温め直して、小さな土鍋で粥を作る。銀時はいちご牛乳が飲みたいとか散々わがままを言っていたけれど、そんなものを買ってきて誰かに銀時の存在が露見してしまってはいけないのでそこは我慢させている。献立が粥なのは、銃弾で内臓が少し傷ついたからだ。

「お待たせ、銀さん。出来たわよ」

「おー」

が手を貸してやると、銀時は布団の上に胡坐をかいて座る。その膝の上に盆に載せたままの土鍋をおいて、銀時は食事前に両手を合わせた。

「今日で何日目だっけ?」

「ちょうど一週間よ」

「そうか。まだ動けねぇかな」

「だめよ。傷口が開いたらどうするの」

「そういえば今週のジャンプは」

「屯所内ではマガジン以外の漫画は読めないことになってるから」

「何それ。何ルールだよ」

「土方さんルールよ。マヨルールとも言うわね」

「信じらんねぇな。どうなってんだよ真撰組は。個人の自由はないのか」

「私は関係ないから分からないけど」

それからしばらく、他愛ない話を視線も合わせずにした。

銀時はに助けられて屯所に担ぎ込まれた日、重症を負っていながら、体が全く思うように動かない状態で、ただ一言だけ縋る様に言った。神楽や新八や、その他銀時に近しい者に銀時がここにいることを決して知らせるなと、それだけ。

にその意味は全く分からなかったのだけれど、言うなと言われたから言わなかった。銀時が一体何をしでかしたのか、何に巻き込まれたのか、何が起こっているのか。は知らない。銀時が言わないからだ。何となく聞けずにいた。

「ごっそーさん」

「はい。お粗末様」

再び両手を揃えて膳を下げた銀時は、後ろ手に右手をついて天井を仰ぎ見る。左手は負傷していて包帯の白色が眩しい。

「午後にお医者様が往診に来てくださるから、それまで休んでてね」

「いや、いいよ。今日中に出てく」

「え?」

目を見張ったを見もせず、銀時は「今まで悪かったなぁ」とぼんやり言ってぱきりと首を鳴らした。

「何言ってるの。満足に体動かすこともできないくせに」

「一週間も寝てたら逆に体が鈍るんだよ。大丈夫だ」

「私に嘘ついて誤魔化せると思ってるの? 無茶したってまた痛い目見るだけでしょ」

「そうゆっくりしてられねぇんだよ。こっちにも色々あんだから」

「色々って何よ。それなりの理由があるっていうならちゃんと言って」

「時間もねぇんだよ」

銀時は体に包帯を巻きつけたまま、の静止も待たずに立ち上がる。案の定ふらりと足元が覚束ず、が慌てて手を貸した。再び布団の上に腰を落ち着けた銀時は、やるせなさそうに苛々と頭を掻いた。

「無茶しないで。死んじゃったらどうするのよ」

の声には答えない。銀時が妙に自暴自棄になっている様子に、は呆れてため息を殺しきれなかった。

銀時はいつも勝手だ。昔からそうだった。事情を話そうとしない。怪我をした経緯も、真撰組に匿われていることをひた隠す理由も、何も話してくれようとはしない。銀時は卑怯だ。だからモテないのだ。恨みを込めて、は銀時を睨む。

「銀さん。私がここまでしてるんだからちょっとは何か話してくれたっていいんじゃない?」

「何かって、何を」

「全部が駄目なら、神楽ちゃん達に連絡しちゃいけない理由だけでもいいから。何も教えてもらえないんじゃあんまりにも割に合わないわ」

銀時はどこを見るでもなく、皺の寄った布団を見下ろしたまま動かない。は無言の圧力をかけてただ待った。

しばらくして口を開いたのは銀時で、そこから零れたのは病んだ人間のような熱くて重苦しいため息だった。

「……誰にも言うなよ」

「言わないわ」

「……こういう所、見られたくねぇんだよ。神楽とか新八とかには特に」

「……どういう事?」

銀時はぽろぽろと掻い摘んで、今巻き込まれている事件について話してくれた。引き篭もりの息子の父親が死んで、その息子も何年も前に死んでいた。家族が壊れていて、さらにそれから逃げようとしているもう一人の息子がいる。
その壊れた家を見ていたらどうしようもなく憤ってしまった事。ただの自己満足のためにしている事だという事。こんな事のために、神楽や新八を危険な目に合わせたくないこと。自分の情けない姿を見せたくない事。

その一部始終を、銀時はの目を見ずに語って、は銀時の顔をじっと見つめたまま黙って聞いていた。

は何となく言葉が出ず、話が終わってもしばらくは黙ったままだった。

「……銀さん」

「んあ?」

それでも嬉しかったのは本当だった。銀時が、家族について悩んでいる。壊れた家族を嘆いている。
の脳裏によぎるのは過去に壊れた銀時との家族だ。親代わりだった吉田松陽の後姿だ。後悔なんてしていない。ただ懐かしさと共に思い出すのは少しだけ寂しさを孕んだ愛しさだ。いつまでもきっと忘れる事のない、繰り返し繰り返される想いだ。まるで病気のようだと、は思う。

は、うな垂れたままの銀時の肩に触れて優しく撫でた。

「……ありがとうね。銀さん」

銀時は答えず、しばらくそのまま身じろぎもしなかった。






20080625