ひばな 「沖田君、出掛けるの?」 呼び止められたので振り向いた。が洗濯物で一杯の篭を抱えて、心配そうに自分を見ていた。つい昨日まで布団から起き上がれないでいた病人が一人歩きしているのを見たら、それは心配もするだろう。仕方がない。 「もしかして仕事に行くつもり? まだ休んでていいって、近藤さんも言ってたでしょ?」 「違いますよ。ちょっと散歩してくるだけでさぁ。一日布団の中じゃ体が鈍るんでね」 「熱は計った?」 「三十六度五分でした」 「ならいいけど。ねぇ、沖田君?」 は気がついたようだった。さすがだ、は頭がいい。けれどその辺りの準備はぬかりなくしてきたから、沖田は余裕の表情で笑った。 「制服で、散歩するの?」 「万事屋のとこのチャイナに謝ってきます。正装の方がいいでしょ?」 予想通りの指摘。用意していた答えが、唇から滑り出た。 は一瞬面食らった顔をして、それから曖昧に笑った。どうやら沖田の嘘に気付いているようだ。それでも引き止めたり問いただしたりしないのは何故なのだろう。の考えている事はいつもよく分からない。 「あんまり無理しちゃ駄目よ。気をつけてね」 「分かってますよ。行ってきやす」 「はい。行ってらっしゃい」 嘘を吐いている事に少しだけ罪悪感はあったけれど、笑顔で見送りをしてくれる人がいる事は嬉しかった。外出の目的も去ることながら、少しだけ足が軽くなったような気がした。 門を出て、さて、チャイナ娘はどこにいるかと当たりをつける。万事屋で怠惰に過ごしているだろうか。あの巨大犬と散歩をしているのであれば、公園か、神社か。それともかぶき町の片隅でよっちゃん達と遊んでいるか。いつどこに現れるか分からない神出鬼没な奴だから、片っ端から探してみるしかないだろう。 と、思っていたら存外すぐに見つけてしまった。ふと目を向けた道の先、巨大な白い犬と紫色の傘が道の角を曲がったのが見えた。駆け足で後を追う。 けれど角を覗き込むようにして曲がった瞬間、顔面に紫の傘が突き刺さった。痛かった。 一瞬気を失ってしまった沖田は、神楽に連れられてかぶき町に唯一ある神社に行った。寂れた場所で、木材が腐っているんじゃないかと思える程ぼろぼろの社殿を、雑草が覆い茂っている。 「ここなら銀ちゃんにも土方にもばれないネ」 とは、神楽の言い分だ。その二人にばれるとまずい事になるらしい。確かにそんな予感はするので、沖田も同意した。 傘に突かれた額が丸く赤くなって少し腫れている。そこを庇うために、境内に寝転がって空を仰いだ。神楽は賽銭箱を挟んで反対側に神楽が座っていて、地面に届かない足をぶらぶらと揺らしていた。定春は日陰に入って昼寝している。 「まるで俺が来るって分かってたみたいな言い草だな?」 「女のカンはよく当たるんだヨ」 「どうだか。お前まだ餓鬼だろーが」 「餓鬼でも女は女ネ。なめんじゃねぇヨ」 今日はおそらく喧嘩にはならないだろう。二人の間に距離があるし、そういう雰囲気ではない。出会えばいつも、突発的で爆弾のように弾ける合図がある。視線が合った瞬間の火花のようなものだ。けれど今日はそれがなかった。目が合う前に傘で突かれたからだ。 「お前、風邪引いてたんじゃなかったのカヨ?」 「誰に聞いたんでぃ?」 「銀ちゃん」 そう言えば、がそんな事を言っていた。勤務中に倒れた自分を屯所まで運んでくれたのは銀時だったと言う。きちんと礼を言うようにと、布団で食事を取りながら念を押されたことを思い出す。 「もう治ったのカ?」 「まぁな」 「ちっ」 「おい、お前今舌打ちしたな。舌打ちしただろ」 「うるせぇよ。お前なんかまだしばらく寝込んでろヨ。にさんざん迷惑かけてねちねち甘えてロヨ」 「いや、ねちねちっておかしいだろ。ていうか何でそこでさんが出てくるんだ?」 神楽は少しだけ黙った。言いにくい理由なのだろうか、それとも自分になぞ話す義理はないとでも言うのだろうか。神楽の横顔は無表情で、何を考えているのか分からない。 しばらく待った。 「……私。この間と話したネ」 「へぇ。何を?」 「銀ちゃんの事」 「ふぅん」 は銀時と昔馴染みだという話は聞いているから、納得できた。けれど妙なのは、神楽の表情が冴えないことだ。後ろめたい話でも聞いたのだろうか。銀時ならそんな話いくらでもありそうだ。けれど神楽が落ち込む理由が解せない。 「何か変な話でも聞いたのかぃ?」 「……」 答えない。話す気がないのか。それならそもそもこんな話の流れにならないはずだ。沖田は辛抱強く待った。 「……、家族が死んでるんだって」 沖田には初耳だった。神楽は視線を落としたまま話し続ける。 「銀ちゃんとは、兄弟みたいだったんだって」 「あぁ、なるほどな。言われて見ればそんな感じだな」 「って。お前それだけかヨ」 「それ以外に何があんだよ」 「……」 また黙った。いつもの通りに、畳み掛けるように恨み節を吐き捨ててくれたら、思う存分に喧嘩をしてストレス発散することもできる。けれど今日は駄目だ。火花が散らない。 「……俺も死んだよ」 神楽が驚いて、視線がこちらに向くのが分かった。だから起き上がる。視線を合わせないように、さっきまでの神楽の真似をするように下を向いた。 「この間、姉貴が死んだ」 黒いブーツの下、蟻が行列を作って歩いていた。延々と、どこまでもずっと、長い列を組んでいる。黒い、蟻の列。葬列の様だと思えた。 「元々体強くなかったんだけど、江戸に出てきて悪化して」 「それで仕事中に倒れて風邪引いたのカ?」 「……誰に聞いたんだよそれ」 「銀ちゃん」 物凄く納得できた。恥さらしとは思わないけれど、どうせ銀時の事だから肝心な事一つも説明はしていないのだろう。なんて面倒臭い人なんだ。 けれど今それはどうでもいい。銀時は今ここにいない。今ここにいるのは自分と神楽と、昼寝をしている定春だけだ。腐った木材と雑草が風にかき乱されて、空気が匂い立つ。蟻の葬列が足を止めた。 「だから、たぶんさんの気持ちも少しは分かると思う」 「……何だヨ? 急に」 「てめぇがさんの話するからだろ」 「てめぇの話が聞きたくてこんな話してんじゃねぇヨ」 「だったら何なんだよ」 一瞬で雰囲気が険悪になった。ぴんと張り詰めた糸の様に緊張する。これは危険だ。火種が爆ぜる直前の、固まった熱。目が合ったら爆発する。 「……人は、結局皆死んじゃうんだヨ」 神楽は言う。定春がぴくりと耳を動かして、薄く目を開けながら頭をもたげた。 「……だから?」 「だから、ヨ」 神楽の手が傘の柄に伸びるのが見えた。反射的に腰の刀に手が伸びる。火打石のカウントが聞こえた。参、弐、壱。目が合って火花が散った。神楽の傘が火を噴いて、沖田の刀が風を薙いだ。 さっきまで喧嘩になんかならないと思っていたのは、傷ついた自分への甘えだったのだ。どうしてそんな物に縋ったのだろう。人はいずれ、誰だって死ぬんだ。側にいる人は、絶対に自分より先にいなくなってしまうんだ。死んでしまうんだ。約束されていている。世界で唯一、何にも裏切られない約束。 沖田は知らず、足元の蟻の葬列を踏み潰していた。 20080914 |