元々、土方はの見舞いに来るつもりは一切なかった。真選組を代表して近藤と沖田が病室に顔を出したと聞いていたし、事件の後処理に追われてなかなか時間も作れなかった。何より、をあんな目に遭わせておいてどの面下げて見舞いに行けるというのか。合わせる顔がないと思っていた。

 そう思っていたはずなのだが、の元へ足を運ぶ口実ができたとき、土方の心は弾んだ。これでやっとの顔を見に行くことができる。会いに行かない理由を積み重ねることは簡単だったが、それを突き崩してしまえる理由を必死に探していたことも、また事実だったのだ。

 昼間は誰と顔を合わせてしまうか分からないから(間違っても万事屋の顔なんか見たくなかった)、面会時間外の夜中に病室を訪ねることにした。ナースステーションで警察手帳をちらつかせ、事件の被害者へ事情聴取をするからしばらく病室には近づくなと命令したら、当直の看護師に化け物でも見るような目で睨まれた。一週間も攘夷浪士に監禁された上、大火傷を負った患者を真夜中にたたき起こすのだ。確かに、人でなしには変わりない。

 灯りの消えた病室にそっと滑り込む。重要事件の被害者であるは、事情聴取などで頻繁に真選組の人間が出入りするので、特別に個室が割り当てられていた。

 土方は息を飲んだ。窓からの月明かりがの寝顔を照らしている。の肌は青白く、頬はこけて首も細くなってしまっている。火傷をした両腕には白い包帯が巻かれていて、包帯の陰からのぞく指先は子どものように小さく細い。

 本当に辛い思いをさせてしまった。

 土方はそっとベッドの縁に腰を下ろし、その手を取ろうとしたけれど、迷った挙句その手を引っ込めた。傷を負ったに触れるのが恐ろしかった。白い包帯を巻かれ、薬の匂いのする病院服を着たは、少し触れただけで茎が折れてしまいそうな枯れる寸前の切り花のようだった。

「……土方さん?」

 いつの間に目を覚ましたのか、がかすれた声で土方の名前を呼ぶ。
 土方は怖気づきそうな自分をふるい立たせ、なんとか声を絞り出した。

「よぉ」
「……やっと、来てくれましたね」

 は微笑んだ。自分の顔を見てまだ笑ってくれるのかと、土方は胸苦しくなる。

「悪いな、起こしちまって」
「いいえ、いいんです」

 は体を起こそうとして、傷が痛んだのか顔をゆがめた。土方は慌てて手を貸してやり、上半身を支えて背中にクッションをあてがってやろうとした。が、は逆に、包帯を巻いた腕で土方の体にしがみついてきた。力の入らない指先が土方の服の袖を掴んで離さない。

 そんなことをするつもりはなかったのに、土方はを抱きしめ返してしまった。

「……あいたかった……」

 耳元でささやくに、土方は唇を噛んで答えた。

「辛い目に遭わせて、本当にすまなかったな」
「また、生きて土方さんに会えたんだから、いいんです」
「怖かったろう」
「何回か、本当に死ぬかと思いました」
「悪かった。守ってやれなくて、本当に悪かった」

 つい腕に力を込めてしまい、が苦しそうに喘ぐ。その声を聞いて我に返った土方は、慌てての体を離してクッションにもたせ掛けてやった。

「……少し、痩せました?」

 は指先で土方の頬をなぞりがら言い、土方もの頬と首を撫でた。

「それはこっちのセリフだ。ただでさえ細っこかったのに、首の筋が浮いてるぞ」
「土方さんも無理したんでしょう? 疲れた顔してますよ」
「俺のことはいいんだよ」

 は潤んだ瞳でじっと土方を見つめて逸らさない。いつもならすぐに照れくさくなってしまって土方の方が視線をそらしてしまうのだが、それすらもったいないような気がしてできなかった。息だけで声を出せは十分に届く距離で見つめ合い、土方は口火を切った。

「これを届けに来た」

 土方が胸ポケットからそれを取り出したのは、小さな巾着だった。の手のひらに収まるほど小さく、古びた端切れでできている。よく使い込まれていて、ところどころ手直しをした跡もあった。

 の目が大きく見開かれるのを見て、土方はほっとした。にとってよほど大切なものなのだろう。手元に戻してやれてよかったと心から思う。

「これをどこで?」
「見廻組の、佐々木局長は分かるか?」
「はい。鉄くんのお兄様ですよね」
「そいつから届いた。どこで拾ったかは言わなかった。ただ、お前の大切なもんだから返してやれってな」
「そうなんですか。どうして佐々木さんがそんなこと知ってらっしゃるんでしょう?」
「あの野郎と深い話でもしたことあんのか?」
「いいえ。姿を見かけたことがあるだけです」
「それじゃ、お前と親しい誰かから言付かったのかもな」
「私と親しい人なら、直接会いに来てくれてもいいと思いますけど」
「来られない事情でもあったんじゃねぇのか」

 はうっとりと目を細め、膝の上に置いた巾着を大事そうに撫でた。

「これを探していて、逃げ遅れたんです」
「離れの爆発のことか?」
「えぇ。鍵があったのでいつでも逃げられたんですけど、荷物ごと取られてしまったこれが気掛かりで、それで……」
「命が惜しくなかったのか? このために死んでたかもしれねぇんだぞ」

 つい責めるような言い方をしてしまった土方は、言ってしまってからはっとした。怪我をして弱ったをしかりつけるなんて、本当に人でなしではないか。
 口から出たことを引っ込めようと四苦八苦している土方を見て、は深い笑みを浮かべる。

「本当に、たくさん心配かけてごめんなさい」
「お前が謝ることじゃない。元はと言えば、俺が悪いんだ」
「どうして土方さんが悪いんです?」
「お前が俺と付き合ってるから、あの浪士はお前を拉致したんじゃなかったのか?」
「つまり、真選組との取引の材料にしようと……?」
「少なくとも俺はそう考えていた。違うのか?」
「あー……」

 は何かを言おうとして口ごもった。答えを知っているが、伝えあぐねているように見えた。土方は戸惑う。被害者であるが何を隠し立てする必要があるのだろう。これまで隊士が行ってきた事情聴取にも、は疲れた体に鞭打ってよく協力してくれていると土方は聞いていた。

「どうした?」

 土方はの顔を覗き込んでたずねる。
 は不安そうに土方を見つめ返すと、覚悟を決めたようにひとつ瞬きをした。

「土方さんに、言わなくちゃならないことがあります」
「なんだ?」
「これを伝えたら、私は真選組にはいられなくなるかもしれません。でも、もしまたこんな事件が起きた時に、必要以上に心配をかけるのは申し訳なくて……」

 土方はの頬に手を添えて目を合わせる。
 は泣き出しそうに瞳を潤ませて、土方の手に頬をすり寄せた。

「私は、本当は真選組にいていい人間じゃないんです」
「何を言い出すんだよ」
「だって、そうなんです。私、土方さんが思ってるような人間じゃありません」

 土方は突然、の唇を親指でふさいだ。むっと息を詰まらせたは、土方の真剣なまなざしに押し黙る。

「それは、伝説の攘夷志士・白夜叉に関することか?」
「……知ってたんですか?」
「いつかの折にな。万事屋の野郎が自分でそう名乗った。お前、あいつとは昔馴染みだって言ってたもんな」

 は堪らなくなって目を伏せる。その肩が小刻みに震え、こらえきれなくなった涙がシーツを濡らした。

「……黙っていてごめんなさい。銀さんは大切な友だちだから、それを売るようなまねはできませんでした」

 は絞り出すように言い、しがみつくように土方の隊服の裾を掴んでいる。こんなに必死に自分の気持ちを訴えるを見るのは、土方は初めてだった。

 万事屋の坂田銀時が伝説の攘夷志士・白夜叉だと知っていて、それを隠していたことを、責めるつもりは土方にはなかった。そのつもりがあるなら、このことに気づいたときにすぐを問いただし、さっさと真選組から追い出すなりしただろう。

 それをしたくなかったから、土方は黙っていたのだ。

 昔話では、人間に化けたたぬきやきつねは、その正体を暴かれたら最後、もう人間と一緒に暮らすことはかなわない。恩返しのために人間に化けて自分の羽で反物を織ったつるは、人間にその正体を暴かれたために元の姿に戻って空高く飛んで行ってしまう。

 そんな風にを失うなんて、土方は絶対に嫌だった。

「分かってた、前からずっと。分かっていてお前に確かめなかったんだ」

 土方はそう言うと、の唇に自分のそれを静かに押し当てた。

「……土方さん」
「聞かなかったことにするし、これからも聞かない。ただし、俺は真選組副長だ。攘夷活動の疑いがあれば誰だろうと斬り殺す。それがお前の昔馴染みであろうとだ」

 こんなことを言ったら、は泣くだろうかと土方は思った。けれど、を縛る目に見えない糸を断ち切ってしまいたかったし、攘夷浪士が何度の命を狙ったとしても、を守り抜くための覚悟を示したかった。

 けれど、予想は外れた。
 はじっと土方を見つめ返し、強気な目をして微笑んだ。

「あの人達相手じゃ、一筋縄じゃいかないと思いますよ」
「あの人達?」
「銀さん以外にも、昔馴染みの攘夷志士がいるんです。土方さんもよく知っている人だと思います」
「誰のこと言ってるんだ?」
「桂小太郎と高杉晋助です」

 土方は顎が外れたのかと思うほどあんぐりと大口を開ける。驚きのあまり声も出ないらしい。は笑いをこらえながら、両手で土方の頬を挟んで問いかけた。

「彼らと過ごした子ども時代は、私の大切な宝物なんです。だから捨てられません。出会ったことが間違いだとも思いません。……それでも、聞かなかったことにしてくれますか?」

 土方の脳裏に、沖田の顔がよぎった。

 料亭に手入れに入る前日、沖田は明らかに重要な手掛かりを握っていたのにそれを土方には報告しなかった挙句、近藤にも口止めした。あれは、もしかしたらこのことだったのではないだろうか。

 土方の頭の中で、あらゆることがぐるぐると回っていた。それはイルミネーションに彩られたメリーゴーランドのように眩しくて、考えをまとめようにもさっぱりうまくいかない。いっそ眩暈を起こしそうになる。

 を助け出したかった。取り戻したかった。そのために死に物狂いでやってきた。その望みは叶って、は今、土方の腕の中にいる。喉から手が出るほど欲したものを簡単に捨ててしまえるほど、土方は諦めが良い性格をしていなかった。

「……もういい。こうなったらどうにでもなれだ」

 土方は大きなため息とともに呟くと、の腰を掴んで引き寄せ力いっぱい抱きしめた。は包帯を巻かれて思うように動かない腕を精一杯伸ばしてそれを受け止める。口元には笑みを浮かべたまま、目尻から涙が伝った。

「ありがとう。土方さん」
「頼むから、もう勝手にどっか行くな」
「えぇ、どこにも行きません。二度と」








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