草木も眠る丑三つ時。

 は物音に気付いて目を覚ました。隣で眠っている少女を起こさないようにそっと立ち上がり、肩にショールをひっかけて寝間から居間に出る。誰もいなかった。風の音でも聞き間違えたかと思いながら間接照明を点けたら、畳の上で大きな影がもぞりと動いた。

「わっ!」

 吉田が畳の上にうつ伏せになって伸びていた。

「……吉田さん? 大丈夫ですか?」

 肩をゆすると、吉田はうめき声をあげて体を捩り、その瞬間、強い酒の香りが匂い立つ。は思わず鼻先を袖口で覆った。

「酔ってるんですか? ちょっと、吉田さん?」

 吉田はごろりと仰向けに転がり、うつろな目をしてを見上げた。

「やぁ、さん。こんな時間まで起きてたの?」
「寝てましたよ。どうしたんですか? こんなになっちゃって」
「へへっ、みっともないだろ。笑っていいよ」

 吉田は自虐的にそう言うと、手のひらで目元を覆って酒臭いため息を吐く。
 吉田が酔っているところを見るのは初めてだ。これから大きな攘夷作戦を決行しようという時に、どうしてしまったのだろう。の前ではいつも飄々と笑っていた吉田が、自棄になったように四肢を投げ出して。

 逃げるなら今だな、と悪知恵が働いたものの、の足は動かなかった。ひとまず冷たい水でも汲んできてやろうかと腰を浮かしかけた時、吉田の手がの手首を掴む。

 は散々迷った挙句、吉田の羽織を脱がせてやり、膝の上に吉田の頭を乗せて体を楽にしてやった。吉田は大人にされるがまま身動きのできない子どものような顔をして、のすることを眺めていた。

さんは優しいね」
「吉田さんが大人げないんでしょ。どうしたんですか? 何かあったんですか?」
「あったよ。ありまくりだよ。もうごっちゃごちゃ」
「そうですか」
「リアクション薄いなぁ」
「吉田さんがそんなに焦ってるなんて、私にとっては好都合なことでしょ?」
「さすが、しっかりしてるねぇ」

 吉田はごろりと寝返りを打つと、の膝にしがみつくように抱きついてきた。さすがのも驚きを隠せなかったが、相当弱っているらしい吉田を見ていると哀れに思え、子どもにするようにその背中を撫でてやる。

「高杉晋助に会ってきたよ」
「まぁ、そうなんですか」
さんを人質に作戦に協力してくれるよう頼んだんだけどさ、あいつなんて言ったと思う?」
「さぁ、なんて言ったんですか?」
「煮るなり焼くなり好きにしろってさ」

 吉田は膝の上からこっそりを盗み見た。昔馴染みの男にそこまで言われてはさすがのも堪えるかと思ったのだが、は静かに微笑んだままだった。
 もっと泣くとか喚くとかするかと思ったのに。意地の悪い気持ちになって、吉田は唇を噛み締める。

「がっかりしないの?」
「高杉くんはそういうこと言う人なんですよ」
「どういう意味?」
「今風に言うと、ツンデレちゃんって言うのかしらね」
「あんなこと言っておいて君を助けに来るって言いたいの?」
「まさか、それはないでしょ。私のためにそんな捨て身なことする人じゃないですもの」
「何だよそれ。わけ分かんない」
「一言では説明しにくい関係なんです。私達」
「高杉と白夜叉をさんがこっぴどく振ったんだっけ?」
「それは勘違いだって何度も言ってるでしょう」

 はくすくす笑いながら、吉田のざんばらの髪を手櫛ですいている。の冷たい指先が首筋に触れるのが気持ち良くて、吉田はの膝の上で目を閉じた。酒のせいで世界がぐるぐる回っていて、の声は空の高いところから響く子守歌のようだった。

「高杉くんは、元気そうでした?」
「あぁ、相変わらず余裕しゃくしゃくな顔してたよ。呑気に三味線なんか弾いてさ」
「そう。元気なら良かった」
「……さんはおかしいね」
「どこがですか?」
さんの彼氏、真選組の鬼副長なんでしょ?」

 吉田のうなじを撫でていたの手がぴたりと動きを止めた。
 今日初めてが動揺していることを感じ取って、吉田は顔を上げようとするものの、の手に抑え込まれた上に酔いが回ってもう力が入らない。

「どんな気分なの? 過激派攘夷志士の筆頭で一級の指名手配犯が昔馴染みで、恋人は幕府の犬のおまわりさんってさ」

 だんだんと呂律の回らなくなってきた舌で何とかそう言う。
 は吉田の頭を抱え込み、優しく耳をふさぐように吉田の上に覆いかぶさった。の甘く柔らかな息が吉田のうなじをくすぐり、ふたりの隙間に小さなつむじ風が巻きおこる。

「それは、ご想像にお任せします」

 それは突風を巻き起こす前兆となり、ふたりの間から大きな大きな嵐が生まれようとしていた。







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