は鏡台の前に座り、髪をくしけずりながら自分の顔をじっと見つめていた。顔色は悪く、目の下にはくまが浮き、髪の毛はパサついていて櫛を通してもまとまらない。体重が落ちてしまったのか顎が細くなっていて、布団から起き上がって正座をするのがやっとだった。

 離れにはひとりが残されている。少女は食事の準備をするために母屋に行っていて、母屋の外には攘夷浪士が見張りに立っていた。

 もはやひとりの力ではここから逃げ出すことはとてもできそうになく、苦しい顔をして俯いた。逃げ出すことを諦めたわけではなかったが限りなく不可能なこととも思え、これからどうすればいいのかもはやさっぱり分からなかった。

 その時、何か物音がして、少女が戻ってきたのかと振り返る。だが、食事を運んできたにしてはおかしな音だ。低くくぐもった声、何かが倒れ込むような音。

 不思議に思って振り返ったの前に現れたのは、腰まである長い髪と長い脚の美しい人だった。

「お久しぶりね、さん。まだ生きている?」
「……さっちゃん、さん? どうして……」

 さっちゃんは扉に内側から鍵をかけた上につっかえ棒をすると、雨戸を細く開き、外の様子を伺う。少しの無駄もない鮮やかな動きはさすが一流の忍だ。

 さっちゃんはぽかんと目を丸くするの前に膝をつくと、の頬をぺちりと叩いて満足げに頷いた。

「思ったより元気そうね。ひとりで立てる?」
「立てると、思うけれど……、どうして、さっちゃんさんが?」
「話は後よ。今は早く逃げましょう。吉田が戻ってこないうちに」

 さっちゃんはの腕を掴んで無理に腰を上げさせようとする。は咄嗟に、腕を突っ張って抵抗した。それはほんの些細な仕草だったが、さっちゃんは驚いて思わずその手を放してしまった。

さん、あなた何を考えてるの?」

 は力なく首を横に振って答えない。
 さっちゃんはたじろいだ。

「おい、?」

 雨戸から声がする。
 その声に、はあからさまにびくりと肩を震わせた。

、無事か?」

 雨戸を乗り越えて部屋に侵入した銀時は、の顔を見るなり泣きそうな顔をして笑った。
 さっちゃんは不安に駆られたが、銀時に場所を譲るためにの手を放した。

「……銀さん」

 は何かに取りつかれたような目をして銀時をじっと見つめる。そばに駆け寄ってきた銀時が手を伸ばすと、すがりつくように銀時の胸に飛び込んだ。

「あぁ、銀さん、良かった。また会えた……」

 銀時はの肩を抱いてそれに答えた。

「遅くなってすまねぇ。辛い思いさせたな」
「ちょっと! 感動の再会中に悪いけど、時間がないんだからいい加減にしてちょうだい!」

 さっちゃんが苛立ちと嫉妬心が混ざった声で怒鳴る。

「よし、逃げるぞ、。しっかり……」

 銀時はの体を抱え上げようと腕に力を込めたが、は銀時の胸に両手をついて体を離す。銀時は何をされたのか分からず、腰を浮かせたまま呆然とした。

「駄目よ、銀さん。わたし、ここから逃げられない」
「何言ってんだよ。チャンスは今しかないんだぞ」
「ちがうの、そういうことじゃないのよ……」

 は銀時の着物の裾を握りしめ、その瞬間、手の甲に大粒の涙がぱたぱたと落ちた。がこんな風に手放しに泣く姿を見るのは初めてで、銀時は呆然とした。
 は涙で乱れる息をどうにか整え、喘ぐように言う。

「わたしね、攘夷志士の取引に利用されるみたいで、桂くんと高杉くんがね、これからここに来るんだと思うの……」
「あぁ、知ってる。吉田って男が俺のところにも来たよ」
「そうなの? 何をするつもりなのか聞いた?」
「詳しくは分からねぇが、どうせろくでもねえことだ。協力すればお前を解放すると言われた。だがそうもいかねぇから、先にお前を助けに来たんだ」
「そう。さすが、銀さんね……」

 はかすかに笑った後、嗚咽をこぼして首を振った。

「でも、駄目よ。わたしは、自分でここから逃げないといけないの」
「だから、何でなんだよ? あの野郎に何かされたのか?」
「ううん。ちがうの」

 は大きく息を吸い、覚悟を決めたように泣き腫らした顔を上げる。銀時ははっとした。は傷ついた目をして、銀時を睨みつけていた。まるで、戦場で命乞いをする負傷兵のような目。

「わたしが、桂くんや高杉くんと友だちだって分かったら、土方さんにどう思われると思う?」
、お前……」
「馬鹿なこと言ってるって分かってるわよ。でも、それだけが気になって、気になって気になってしょうがないの。土方さんがこのこと知ったら、きっとわたしを屯所から追い出すわ」

 銀時の胸に取りすがって、は声を上げて泣いた。まるでこの世の終わりのような、断末魔の叫び声だった。
 扉のそばに立っているさっちゃんが心配そうにこちらを見ている。
 銀時はを抱きしめ、喉から小さな声を絞り出した。

「ごめんな。俺達のせいでこんな思いさせちまって……」

 その声はの耳にかすかに届く程度の声音だった。泣き声にかき消され、ましてやさっちゃんには全く届かなかった。

 だから突然、が銀時の胸を両手で叩きつけ、大声で怒鳴りつけた時にはさすがに度肝を抜かれてしまった。

「どうしてそんなこと言うの!?」
「……?」
「そんな、皆と出会ったことが間違いだったみたいに言わないで……!」

 どんっ、と重い音を立てて胸に振り下ろされるこぶしを、銀時は静かに見下ろした。の白く細い腕にはほとんど力は残っていなかったが、銀時にはこれ以上ないほど重かった。

 もう、どうしたらいいのか分からない。

 のために自分は何ができるのか、考えても考えても、もう何も思い浮かばなかった。







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