雲ひとつない水色の空が広がる秋晴れの日。
隊士達がほとんど立ち入らない屯所の奥まった一角で、
はひとり、裁縫仕事に没頭していた。ボタンが取れてしまったり、生地が裂けてしまったり、血痕がこびりついてどうにもならなくなってしまった隊服が山積みになっている。本当ならば買い換えた方が手間はないのだが、幕府お抱えの警察組織、天下の真選組とはいえ、無尽蔵に予算を使えるほど恵まれてはいない。殉職した隊士の隊服を直して、新たに入隊した隊士に配給することもある。
の仕事は、真選組の財政事情を支える上で決して無下にはできない仕事だった。
そんな
の背中を、土方は見ていた。
雑務に追われて部屋にこもりきりになっていたのはいいものの、ただじっと机に向かっているのは性に合わない。少し息抜きでもしようと、たまたま通りがかった部屋の襖が開け放たれていて、
はそこにいたのだった。
土方は、
がこちらに気づかないのをいいことに、じっとその背中を見つめていた。そうしていたいと思ったから、そうしていた。他に理由はなかった。
の後ろ姿、白く透き通るようなうなじと、きつく帯を締め上げた腰の線、白い足袋を履いた小さな爪先を見ているだけで、どこからか得体の知れない多幸感が押し寄せてきて何も考えられなくなってしまう。それがただただ不思議だった。あの小さな背中を、力任せに抱きしめたいと思った。
「あら、土方さん」
裁縫箱に手を伸ばして体を捻った
が、微笑みを浮かべて振り返った。
土方は慌ててひとつ咳払いをして、たった今そこを通りがかったようなふりをした。
「おぉ。御苦労さん」
「何かご入用ですか?」
「いや、たまたま通りがかっただけだ」
土方はくたびれた隊服の山の一番上に積みあがっていた上着を持ち上げてみた。それは脇の下から腰にかけて生地が大きく裂けてしまっていた。
「こんなもん直せんのかよ」
は平気な顔をして笑った。
「大丈夫ですよ。色も黒ですから、跡もあまり目立ちませんしね」
「買い換えられりゃ一番いいんだけどな。余計な金もねぇのに、あいつらの仕事は荒っぽくて仕方ねぇ」
「あら、それは土方さんもでしょう?」
がからかうように笑う。その視線がこそばゆくて、土方は視線を逸らして歯を食いしばった。
「うるせぇ。仕事なんだからしょうがねぇだろうが」
「えぇ。分かってます」
「分かってんならわざわざ言うなっ」
「はい。失礼いたしました」
は、お茶を淹れますね、と言って、部屋の隅、コンセントのある側に置いてあった電気ポットの再沸騰のボタンを押した。柿の花十字の模様の花ふきんの下に、急須と湯呑みが用意してあった。
の裁縫箱の中には、縫い掛けのふきんがあった。赤い糸で縦の糸が縫われているだけで、まだどんな模様が浮かび上がってくるのかは分からない。
「お前、そういうの好きだよな」
土方が言うと、
ははにかむような顔をして答えた。
「好き、というか、息抜きですね」
「息抜きになるもんなのか?」
「えぇ、なりますよ。隊服の直しは頭を使いますけれど、これはただ真っ直ぐに同じ幅で針を動かすだけですから」
は、縫いさしの花ふきんを手にとって、その縫い目をそっと親指の腹で撫でた。
「子どもの頃からの趣味なので、刺していると落ち着くんです」
そう
が呟いた時、土方はこめかみの辺りがじりりと焦げ付くのを感じて目を細めた。子どもの頃、と口にした
の甘やかな声音が土方の神経をざわつかせる。苦い砂を噛むような、喉に異物がつまるようだった。
はそんな土方には気づかず、再び針を動かし始める。土方には目もくれず、何か雑談をするわけでもない。ただ黙々と、土方の隣で手を動かしている。
土方はゆっくりと茶を飲み干してから、
の背中に手を掛けると、結い上げた髪の下の白いうなじに唇を押し付けた。
「わっ、ちょっと、土方さん……!?」
不意打ちに、
は身を捩らせて正座していた足を崩した。土方は唇を離さないまま
の腰に手を回す。
「急になんなんですかっ……」
「ちょっと、息抜き付き合えよ」
「針、使ってるんですから。危ないでしょ」
は体制を崩しながら、どうにか針山に針を刺す。土方は
のうなじに強く吸い付きながら、その手が針を手放す様をじっと見ていた。
は針を手放した手で、土方の手を握り返す。土方は、
の白い首筋に濃い赤色の痕を残したことを確認して、満足げにそれを見下ろした。
「……土方さんって、ときどき本当に脈絡がないですよね」
「そうか?」
「そうですよ」
土方は
の着物をずり下げて首元に額を押し付け、吸血鬼のように柔らかい肌に歯を立てた。
は息を詰めて声を押し殺す。しばらくふたり抱き合ったまま、肌と唇だけを合わせていた。
あまりに静かな午後で、お互いの呼吸と心臓の音しか聞こえなかった。
「ねぇ、土方さん」
甘い息に乗せて、
が囁く。
「今、何を考えてるんです?」
土方は答えなかった。
20161129