ドライヤーの温風になびく髪が頬をぺちぺちと叩いて、それでずいぶん髪が伸びたことを実感する。
ロングヘアの友達に話は聞いていたけれど、ほんのひと月美容院に行くのをさぼっただけで、こんなに髪を乾かすのに時間がかかるようになるとは思わなかった。面倒くさいし鬱陶しいけれど、自分のために手間暇かけているこの時間は嫌いじゃない。ボタニカルシャンプーの爽やかで甘い匂いが私を包んでうっとりする。
風呂場の扉が開く音がして、濡れ髪から水滴を滴らせた黒尾くんがリビングに戻ってきた。私はドライヤーを止めて唇を尖らせる。
「ちょっと、ちゃんと拭いてよ」
「拭いたよ?」
「しずくが落ちてるでしょ。後で滑るんだから」
黒尾くんはしぶしぶ洗面所に戻ると、首にタオルを引っかけてきた。冷蔵庫からサイダーを取り出し、カシュッといい音をさせてペットボトルの蓋を開ける。さっきコンビニで買った三ツ矢サイダーだ。私が買ったなっちゃんのりんご味もついでに取ってくれた。
「まだ乾かねぇの?」
ベッドの縁に腰掛けてサイダーを一口飲んでから、黒尾くんは言った。
「長いと時間かかるんだよ」
「俺が風呂入って何分経ったよ?」
「いちいち時計見てない。ていうか、黒尾くんが早すぎるんじゃない? ちゃんと洗った?」
「失礼な。俺めっちゃきれい好きだぞ」
再びドライヤーのスイッチを入れる。風の音が邪魔で会話ができないので、自然と会話は途切れる。けれど、鏡越しに様子は分かった。いつもはつんつんとトサカのように立っている髪が、濡れてぺたりと額に張り付いている。たったそれだけの変化なのに印象は驚くほど変わる。突然大人っぽくなって、目元が隠れることで表情に憂いが生まれるのだ。私は唇を噛んで笑いをこらえた。どんなに大人っぽくセクシーに見えても、中身は黒尾くんだ。お調子者で意地悪でちょっとだらしがないところがたまにキズなところは、高校生の頃と何ひとつ変わっていない。
ようやく髪が渇いて、ドライヤーの電源を切る。汗をかいたペットボトルを開けて甘いりんごジュースで喉を潤す。
「はい、ドライヤーどうぞ」
「俺はいいよ」
「え? なんで?」
「ほっとけば乾くし」
「でも、ほっとくと髪の毛がびがびにならない?」
言ってから、はっとした。そういえば黒尾くんの髪はいつもがびがびだ。
「あぁ、もうなってたか」
「お前、何気に失礼なこと言うよな」
「失礼なんて思ってもないくせに」
「まぁ、思ってないけどね」
黒尾くんは尖った歯を見せていたずらっぽく笑う。高校生の頃は、こんな風に笑われるたび腹が立ってしょうがなかった。からかわれているか、ばかにされているか、むしろその両方だと思っていた。今はそんなこと思わずに一緒に笑える。黒尾くんのこのいじわるな性格に、私は慣れたんだろうか? 自分のことなのによく分からないけれど、悪い気はしない。そうでなければ、濡れた髪から雫を落としてフローリングを濡らして平気でいられるような人とは一緒に暮らせない。
ドライヤーのコードを巻いて引き出しにしまう。黒尾くんは長い足を伸ばしてベッドにごろりと横になり、枕元に置いていたタブレットの電源を入れた。隣に寄り添って手元をのぞき込むと、案の定バレーの動画だった。
私はげんなりして文句を言った。
「またこれ?」
「またって何だよ。これ見んのは今日初めてだぞ」
「違いが分かんないよ。前に一緒に見たのと違うの?」
「あれはブラジル対イタリアで、これはアメリカ対中国。全然違うだろうが」
「そんなのいちいち覚えてないよ。私、ネトフリで見たいドラマあるんだけど」
「じゃぁ自分ので見れば?」
「いっしょに見ないとつまんないじゃん」
「じゃぁこれ見終わったらな」
「えぇ、ひと試合見終わったら何時? 寝ちゃうよ」
「本当にお子ちゃまだねぇ。明日休みなんだから夜更かししようぜ」
黒尾くんはふっと息を吐くように笑うと、私の肩を抱くように腕を回してきた。黒尾くんの広い肩を枕にすると、タブレットはよく見える。前に見たものと何が違うのかも分からないつまらない動画だったけれど、黒尾くんの肩の高さは私の頭を支えるのにぴったりだ。一緒にドラマ見られたとしても、眠気に負けてしまうとしても、どちらにしてもここにいられればなんでもいいような気になるからちょっと悔しい。
黒尾くんの濡れた髪が私の頬にあたる。冷たくて、眠気覚ましにはなりそうだ。私は黒尾くんの胸に抱きついて、タブレットから聞こえる歓声に耳をすませた。
何年たってもまともにルールも覚えられないけれど、これが黒尾くんが大好きな世界だ。
20201227