冬の日は短く、黒尾くんとの待ち合わせの時間にはとっぷりと日が暮れてしまう。見つけてもらいやすいよう、スポットライトを浴びるように街灯の真下で待っていると、体育館の方から真っ赤なジャージの集団がどやどやとやってきた。

それを見送ってから少しして、やっとトサカ頭の黒尾くんが姿を見せた。

「よぉ、お待たせ」
「お疲れ」

黒尾くんはにやりと笑うと、私の頭をくしゃりと撫でて、その手で私の手を取った。ふたりで並んで歩き出す。

春高を目前に控えて、バレー部は毎日遅くまで厳しい練習に励んでいる。私はその間、図書館の学習机とぴったりくっついてセンター試験に備えて勉強をする。部活や勉強に時間を取られてデートをする暇もない私達にとって、学校から家までの数十分はとても貴重な数十分だ。

「いつも待たせて悪ぃね」

と、黒尾くんは私の顔を覗き込み、口を横にいーっと伸ばすように笑った。

「いいよ。そんなの気にしないで」
「いやーでもさ、こう寒いとこで待たせるの気が引けるっていうかさ」
「大して待ってないし」

それに、黒尾くんを待ってるの好きだし、と言おうとしてやめた。こういうのはさすがにマゾっぽい気がする。

「次から、図書館で待ち合わせにしない? その方が暖かいでしょ」
「でも体育館からだと遠回りになるよ」
「まぁそうなんだけどさ」
「部活で疲れてるのに悪いよ」
「うーん」
「私、本当に気にしてないよ」
「そんならいいけど」

他愛もない話をしながら、家路は急がない。ゆっくり足を進めてふたりきりの時間を少しでも引き延ばす。

途中コンビニに寄って、黒尾くんはホットココアを、私はアミノ酸入りスポーツドリンクを買う。店を出てからそれを交換して、黒尾くんは早速キャップをひねった。私はペットボトルを両手で包み込んで冷えた指先が温まるまで待った。

「いつも思うけど、そういうの好きなのって意外」

黒尾くんは真面目くさって答えた。

「疲労回復にいいんだよ」
「疲れてるの?」
「部活終わりだからね、筋繊維ぶちぶちだよ」
「え、それ平気なの?」
「だからこれ飲むんだよ。家に帰ったらちゃんとした飯を食う」
「飲み物にまで気を遣って、それこそ疲れない?」
「別に。俺が飯作るわけじゃないし」
「そうだろうけど」

黒尾くんの話を聞いていると、いつも途方も無いような気持ちになる。

毎朝早起きをして、始発の電車に乗って登校して、ホームルームがはじまるまでは朝練、授業が終われば夜まで練習。土日となれば朝から晩まで体育館に入り浸り。その合間を縫って受験勉強もこなしているのだ。センター試験は春高のほんの数日後。目の回るほど忙しいに違いなく、想像するだけで私には絶対に真似できないと、いっそ怖いような気持ちにすらなる。

黒尾くんの日常は、私の想像を遥かに超える。

「すごいね、本当」

馬鹿みたいな言葉しか出てこない自分が情けなかった。頑張って、なんて、こんなに頑張っている人に言えないし、応援するよ、というのも何か違う気がする。私は黒尾くんの力になれることは何にもできないのだから。ただ黒尾くんと並んで歩けるだけで私は幸せで、それだけで1日の疲れも吹っ飛んでしまうくらいだけれど、黒尾くんはどうなんだろう。

激しい練習で筋繊維ぶちぶちの疲弊した体で、私なんかに付き合ってこんなにゆっくり歩いてくれて、寄り道までして、本当は早く家に帰っておばあちゃんが作った夕ご飯をお腹いっぱい食べたいんじゃない? 早く布団に入ってぐっすり眠りたいんじゃない? 私のために我慢させてるんじゃない?

そんなことを考えていたら、ふと、頬に何か冷たいものが触れた。黒尾くんがペットボトルを私のほっぺに押し付けたのだ。

「ひゃっ」
「どうした? ぼーっとして」
「いや、別に何でもないけど」
「ココア、冷めるよ」
「うん」

キャップを捻って、少しぬるくなったココアを口に含む。勉強で酷使した脳にココアの甘さがじんわりと染みるように美味しくて、思わず口元が緩む。

黒尾くんがにやりと笑った。

「おいしい?」
「うん、甘い」
「勉強頑張ると甘いもの欲しくなるよね」
「そうだね」
「本当、毎日よく頑張ってるよな」
「黒尾くんこそ」
「俺はちゃんのおかげで頑張れんだよ」
「えぇ?」

思わず声が裏返ってしまった私を、黒尾くんは目を丸くして見下ろした。

「そんなに驚く?」
「あぁ、いや、その、そうだよね、ごめん」

とっさに何を言ったらいいのか分からなくなって、無意味に手をぶんぶんと振り回してしまう。変な声を出してしまったことが恥ずかしくて、でも、黒尾くんの言うことももっともで、過剰に反応してしまうのが不慣れな感じがしてみっともない。

黒尾くんが私を見下ろしている。そんなに真っ直ぐな目で見つめないでほしい。

「謝んないでよ」
「ごめん」
「ほらまた」
「ごめんなさい。あっ」
「ははっ、なんだそれ」

黒尾くんが白い歯を見せて笑った。

ちゃんは本当、おもしろいな」

私はむっと唇を尖らせて答える。

「そんなことない」
「素直じゃないなぁ」

黒尾くんは何がそんなに楽しいのか、くっくと喉の奥で笑った。

ちゃんと一緒にいるの本当飽きないわ」

それは、どういう意味なんだろう? 私は笑えるってこと? つまり、ピエロみたいってこと? 私は美人じゃないし、背も低いし、足も短いし、胸も大きくないしセクシーじゃないし、お世辞にもかわいいとは言えない。そんなことはもうずっと昔から、生まれた時から分かっている。

でも、たったひとり、私を好きになってくれる人くらいは心からそう思ってくれたらいいなって夢見ていた。

黒尾くんにかわいいと思って欲しくて、ずっと短かった髪を伸ばし始めた。かしゆかみたいなさらさらのストレートヘアにはまだ遠いけれど、自分なりに頑張っている。

自分のことをかわいいと思えないと言いながら、黒尾くんにはかわいいと言ってもらいたいなんて、矛盾している。
私は、黒尾くんにどう思ってもらいたいんだろう。少なくとも、「おもしろい」と思われるのはちょっと悔しい。かといって、こんな自分をどうやって変えたらいいんだろう。

頭の中がぐちゃぐちゃして考えがまとまらない。こういう時こそ甘いものが必要かも、そう思って口に含んだココアはもうすっかり冷めていた。

ちゃん、怒ってる?」

ふいに、黒尾くんが控えめな声でそう言った。見上げれば、黒尾くんの小さく鋭い目が、不安そうに私を見下ろしていた。

「え、なんで?」
「急に黙るから」
「あぁ、ご」

また謝りそうになって、すんでのところで唇を噛む。黒尾くんが今にも吹き出しそうに唇を尖らせたけれど、ぐっと堪えたのが分かった。

「ちょっと考え事してただけよ」
「何考えてたのって、聞いてもいい?」
「えーっとね」

まさか「黒尾くんにとって私は面白いだけなの? かわいくはないの?」なんて言えなくて、私はまた言葉の海で迷子になった。変なことを言って黒尾くんに嫌われたくない。もともと美人でもなくかわいげもない私だから、ひとつ失敗しただけで取り返しのつかないことになりそうな気がする。

黒尾くんに、嫌われたくない。だって、黒尾くんが好きだから。理由はそれだけだ。

「あのさ、もし言いたいことあんならちゃんと言ってくれよな」

待ちくたびれたのか、黒尾くんはそう言った。

「え?」
「俺もさ、自分が口悪い自覚あんだよ。それで嫌な思いしたんなら言って欲しい」
「そんなんじゃないよ」
「そう? じゃぁ何をそんなに悩んでんの?」
「それは」
「何?」
「黒尾くんと関係ないことだよ」
「俺と一緒にいるのに違うこと考えてたの?」
「あぁ、そうじゃないの。そうじゃなくてね。私が勝手に悩んでるだけで、こう、思い癖? っていうのかな、もうなんて言ったらいいのか」
「まとまんないんだ」
「そう、まとまらないの」

ふと、黒尾くんは急に足を止めた。私の手を少し引いて向かい合う。

こんなに近くで黒尾くんを見上げるには、空を見上げるようにうんと首をそらさないといけない。

その存在が大きければ大きいほど、その全てを把握するのは難しい。足元を見れば、互いのつま先がキスをしているように見えるほど近くにいる。けれどその顔を見上げても、黒尾くんが何を考えているのかは分からない。私は他の誰より黒尾くんの近くにいる。けれど、近づきすぎて身動きが取れない。

どうしよう。言葉が見つからない。

「いいけどさ」

黒尾くんは静かに言った。

「まとまったら話してよ。気になるから」
「……じゃぁ、まとまったらね」

私が答えると、黒尾くんはいたずらっぽくにやりと笑った。黒尾くんはいつも本当に楽しそうに笑う。いたずら大成功、みたいな、ちょっと悪っぽい笑い顔。

「黒尾くんって、いつも楽しそうだよね。部活で疲れててもさ」
「うん、楽しいよ」
「何がそんなに楽しいのって、聞いてもいい?」
「何がって、ちゃんが面白いからだよ」

その言葉が私の胸をぐさっと刺した。その痛みに、私はとっさに口走ってしまう。

「私ってそんなに変なことばっかり言ってる?」
「そういうことじゃねぇけど、そうだなぁ」

黒尾くんはんーと首をひねって少しだけ考え込む。やがて、何かひらめいたように嬉しそうな顔をしてぐっと顔を近づけてきた。

ちゃんが好きだから。理由はそれだけ」








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20201220