ちゃんと付き合うことになった。黒尾がそう言うと、夜久はただでさえ大きな瞳を1.5倍くらいに見開いた。
「まじで!?」
「まじまじ」
「何で急にそんなことになったんだよ!?ついこの間までギスギスしてたくせに!!」
「やっくん、ちょっと、声でかい」
夜久ははっとして口を閉じると、思い出したようにシャツのボタンを外す。バレー部の部室は広々しているとは言い難い。ロッカーと用具に部屋の半分を占拠された空間は、大声を出すと部屋中がびりびり震えるようだった。
黒尾は脱いだ制服を大雑把にたたんで鞄にしまいながら言った。
「ギスギスしてたこともひっくるめて、ちゃんと話したんだよ」
「そうだったのか。いつの間にって感じだ、全然気づかなかった」
「やっくんには心配かけたね」
「まぁな。お前、聞いても何も教えねぇし」
「相談するんじゃなく、自分で答え出さなきゃと思ってたんだよ」
「そうか。お前らしいな。何はともあれ、おめでとう」
夜久はジャージのジップを一番上まで引き上げると、胸を張って両手を腰に当てた。
「やぁ、それにしても、お前ら本当に時間かかったな! このまま何も進展せずに卒業しちまうんじゃないかと思ってたぜ!」
ジャージの襟の形を整えながら、黒尾はん? と疑問符を浮かべる。時間がかかった、とはどういう意味だ?
黒尾が
に対する恋心を自覚したのはごく最近のことで、長かったと言えるほどの時間は経っていない。それにこの気持ちは自分の胸のうちにだけ留めていて誰にも話さなかったのだ。
「やっくん、それどういう意味?」
「意味ってなんだよ?」
「いや、何が長かったって言いたいのかと思って」
夜久はぱちくりと瞬きをして、真顔で言う。
「だってお前ら、側から見たら付き合ってないのがおかしいくらいだったんだぜ? 俺がどんだけやきもきしてたと思ってんだ。さっさとくっつけばいいのにってずっと思ってたんだ」
黒尾は思い切り顔をしかめた。
「はぁ? 何言ってんだよ。どう考えても俺は嫌われてただろうが。お前の目は節穴か?」
「嫌われてると思ってたのにずっとあの態度だったのかよ。前から思ってたけど、お前は本当に性格ひねくれてんな」
「それについては否定しないけども、そうじゃなくて」
「なんだよ」
「つまり、やっくんから見たら、前から俺と
ちゃんは好き合ってるように見えてたってこと?」
「だからそう言ってるだろ」
何を当然のことをいまさら、と言いたげに、夜久が首を傾げる。首を傾げたいのはこっちの方だと、黒尾は思う。
同じ教室で同じ景色を見てきたと思っていたのに、夜久には全く違う景色が見えていたらしい。
夜久はサポーターとタオルを掴むと「先に行くぞー」と言って、部室を出て行った。
黒尾くんから電話がかかってきたのは、夜の10時を少し過ぎた頃だった。
「はい、もしもし」
『もしもし、俺』
私はシャーペンをノートの上に投げ出して立ち上がり、にやけてしまう口元を押さえた。ここは私の部屋なのだから誰も見ている人はいないけれど、恋に浮かれている自分をもうひとりの自分がたしなめる。
『勉強してた?』
「うん、黒尾くんは?」
『俺も。眠気がやばかったから電話しちゃった』
電話越しの黒尾くんの声は、直接会って話をする時よりも近い気がする。体の距離はこんなに遠いのに、不思議だ。
「明日も朝練で早いんでしょ。夜更かししちゃダメだよ」
『分かってるけどさ』
今日は学校で会えなかったからね、と言った黒尾くんの声が少し寂しげに聞こえたのは、私のうぬぼれだろうか。そうだとしても、黒尾くんが私と同じ気持ちでいてくれることが嬉しかった。
「今日、夜久くんに会ったよ」
『そうなんだ、何か言ってた?』
「おめでとうって。話したんだね」
『まぁ、一応な。影で心配してたみたいだったからさ。勝手に話しちゃって悪かった?』
「そんなことないよ」
夜久くんには、黒尾くんとのことで悩んでいた時に話を聞いてもらったことがある。あの時は、黒尾くんの意地悪にどう対処したらいいか、本気で悩んでいた。今振り返ると笑い話だけれど、当時の私にとっては深刻な問題だったのだ。
私も黒尾くんも、気づかないうちに随分と夜久くんのお世話になってしまっている。
「夜久くんってすごいよね。ずばっとしたアドバイスをくれるし、迷いがなくて」
黒尾くんが電話の向こうで笑う。
『そうそう。バレーしてる時もそうなんだよな。プレイスタイルに性格が出るんだ。真っ直ぐで、自信たっぷりで、そこにちゃんと実力が伴ってるから説得力もあってさ』
「黒尾くんよりもキャプテン向いてるんじゃない?」
『それは残念でした。リベロはチームキャプテンできないんですー』
「リベロってなんだっけ?」
『リベロってのは守備専門のポジションで……』
黒尾くんのバレー魂に火をつけてしまったのか、そこから黒尾くんはバレーボールにおけるリベロというポジションの重要性について滔々と語り出した。眠気を振り払おうとするもやもやした声があっという間に生き生きしだして、前のめりになりながら瞳を輝かせている姿が目に浮かぶ。
正直に言って、話の内容は半分も理解できなかったけれど、黒尾くんの楽しそうな声を聞いているだけでわけもなく幸せな気持ちになる。受験勉強が終わったら、バレーのルールを勉強しようと、私はこっそり心に決めた。黒尾くんの好きなものを、私も好きになりたい。
『なんか、俺ばっかり喋ってるな』
「おもしろかったよ」
『
ちゃんも何か喋ってよ』
「なんだろう。改めて言われると思いつかないな」
『なぁ、良かったらテレビ電話に切り替えない?』
「え、それはだめ」
『なんで?』
「だってもうお風呂入っちゃったもん。今パジャマだし」
『何それ、ちょー見たい』
「やだよ、恥ずかしい」
『
ちゃんって何着て寝てんの? ネグリジェ?』
「セクハラ!」
責めるつもりで発した言葉が、笑いで中和される。下品な雰囲気や、嫌な感じはちっともない。少しだけ照れ臭さはあったけれど、くすぐったい嬉しさが胸に満ちる。付き合う前だったら考えられないことだけれど、恋人同士になるとこういう話もできるようになるのだ。
私は照れ臭く笑いながら言った。
「別に、普通のパジャマだよ」
『俺はスウェット』
「へぇ、そう」
『どんなスウェットか興味ない?』
「ないよ」
ふと、脳裏に疑問符が浮かんだ。無視すればそのまま消えてしまいそうな小さな疑問だったけれど、空に飛んでいきそうな風船の紐を捕まえるように、私の心が勝手にジャンプする。
「ねぇ、黒尾くん」
『ん?』
こんなことを、聞いてもいいものだろうか。もしかしたら聞かれたくないことかもしれないし、今更ほじくり返して、意味のあることとも思えない。けれど、なんだか無性に気になって、意識が引っ張られる。
私の迷いを察したのか、黒尾くんが先に口を開いた。
『言いたいことあんなら何でも言ってよ。俺達、付き合い始めたばっかりなんだからさ、たくさん話しようよ』
「変なこと聞くかもしれないけど、いい?」
『いーよー』
黒尾くんらしい間延びした返事が、私を勇気付けた。私はベッドの縁に腰を下ろすと、スリッパのつま先を見下ろしながら言った。
「黒尾くん、告白してくれた時にこう言ってたじゃない。振られると思ってたって」
『言ったね』
「もし私が黒尾くんの立場だったら、望みもないのに告白なんてできないと思うんだよね。傷つきたくないし、怖いと思うし」
『分かるよ、俺も怖かったもん』
「なのにどうして、告白しようって思ったのかなって、ちょっと聞いてみたかったんだけど」
電話の向こうに沈黙が落ちる。やっぱり、聞くべきではなかったかもしれない、後悔が押し寄せてきて息がつまる。私は思わず両足をベッドの上に引き上げてぎゅっと抱きしめた。
『
ちゃんは、正直に話しておきたいんだけど』
そう言った黒尾くんの声は、いつになく真剣だった。
『ちょっと暗い話なんだよね。それでもいい?』
「いいよ」
『うち、母親いないんだよ』
私の胸が、ずくんと嫌な音を立てて痛んだ。母親がいない、それはどういうことだろう。離婚? それとも、別の理由だろうか? それを聞いてもいいものかどうか、悩んでいる間にも沈黙がどんどん伸びていく。何か言わなくちゃ。焦るほど言葉が出ない。苦しい。気がつけば、私はいつの間にか呼吸をするのを忘れていた。
『そんなに深刻に受け取らないでね。ガキの頃の話だし、親父もじいちゃんもばあちゃんもいるしさ。今でも悲しいとか傷ついてるとかじゃないから』
「うん、分かった」
私は納得したふりをして、無理に頷いた。
『ただ、今でも思ってることがひとつあってさ。母親がいなくなる前に、もっとこうしたら良かったなとか、言っておけば良かったなとか、そういうことはときどき思うんだよ』
「後悔?」
『そうそう。そういうのがあるから、もう、同じような思いはしたくないなっていうのがあって』
「うん」
『だから、振られると分かってても、言わないで後悔するよりも、当たって砕けろ精神で行動したわけだよ』
「そうだったんだ」
『だから、
ちゃんとこんな風になれたのは、俺にとっては奇跡みたいに嬉しいことだよ』
私は腕に力を込めて、膝頭に鼻先を押し付けた。そうでもしないと、胸の高鳴りが、熱が、花火みたいに打ちあがって破裂してしまいそうだった。
意地悪なことを言って、私を怒らせるような悪ふざけばかりしていたあの黒尾くんが、大切な秘密を打ち明けてくれた。
私は黒尾くんにとっての奇跡。そう思うとこそばゆい。思わず、ふふふと含み笑いをしてしまいそうになって、唇を噛んでこらえる。
「話してくれて、ありがとう」
私は囁き声でそう言った。
『こちらこそ、聞いてくれてありがとう』
黒尾くんの声は、私を好きだと言ったときと同じくらい甘く響いて、私はたまらず、膝を抱えたままベッドに倒れた。
20201220