一限目の授業が終わったところで、黒尾くんは大きな巾着袋を机の上にどんと乗せた。何かと思えばお弁当で、ご飯とおかずの二段重ねの、それは大きな弁当箱だった。
いただきますも言わずに箸を動かしはじめた黒尾くんから、目が離せなくなる。早弁にしてもいくらなんでも早すぎやしないだろうか?
一口が大きくて、梅干しごはんもおかずも瞬きをする間にみるみる減っていく。ちゃんと噛んでいるのか疑わしいほどのスピードで、もしやするすると飲み込んでいるのではないのかと黒尾くんの口元をじっと観察してみたけれど、どうやらちゃんと咀嚼はしているようだ。あぁよかったと、思う自分がおかしい。なんで私が黒尾くんの心配なんかしてるんだ?
「なんだよ?」
私の視線に気づいた黒尾くんは、口にから揚げをふくんだまま言った。
「いや、よく食べるなと思って」
つい愚にもつかないことを言って、黒尾くんをぽかんとさせてしまった。
「あ、邪魔してごめん。どうぞ、食べて食べて」
黒尾くんは次に卵焼きを頬張った。卵焼きの形に頬がふくらんでいるのがまるでハムスターみたいだ。こんなに大きな体をしているくせにおかしい。
「お腹空いてたんだね」
黒尾くんは返事をする間も惜しいようにうんうんと頷いた。
黒尾くんは朝早くからバレー部の練習に明け暮れている。聞けば、朝練の開始時間は7時30分らしい。黒尾くんはバレー部のキャプテンだし、電車通学だし、それよりもっとずっと早起きをして体育館や部室の鍵を開けたりしているだろうから、家で朝ご飯を食べてくる余裕がないのかもしれない。
「大変そうだねぇ」
心から同情して言うと、黒尾くんはそれほどでもないというように首を傾げる。ほんのちょっとした仕草でなんとなく会話が成り立ってしまうのがおもしろくて、私は重ねて問いかけた。
「今日のおかずは、筑前煮? もしかして手作り?」
「ばあちゃんのな」
「美味しそう」
「やらねぇよ?」
「いらないよ。食べたら眠くなるじゃん」
「そっちは?」
「ん?」
「朝飯」
何を食べてきたのか、ということだろうか、いくら食べることに夢中になっているとはいえ言葉足らずにもほどがあるな。
「朝は食べないよ」
正直に答えるなり、黒尾くんは目を丸くした。
「え、まじで?」
「だって朝から食欲わかないし、ご飯食べると眠くなるし」
「ちゃんと食べないと栄養が偏るでしょうが。あと、なんだっけ、朝食抜くと肥満のリスクも上がるとか聞いたことあるぞ」
「失礼だな。別に太ってないし」
「将来的にって意味だよ。ちゃんと食ったほうがいいぞ、俺みたいに」
「スポーツやってる人と一緒にされてもね。それに朝食べてないのは黒尾くんだって同じじゃん」
「何言ってんだよ、朝飯はちゃんと食ってるっつの」
「え? そうなの? じゃぁなんで早弁なんかしてるの?」
「腹減ったからだろうが」
「朝ご飯ちゃんと食べてくるならどうしてこんな時間にお腹が空くの?」
「朝飯のエネルギーは朝練で消化しちまうんだよ」
「バレーって大変なんだね」
「そうだよ、飛んだり跳ねたり大変なんだよ」
黒尾くんはしみじみと頷くと、最後の一口を頬張って、もぐもぐと口を動かしながらお弁当箱を片付け始めた。10分足らずであの量をすっかり平らげてしまうだなんて、黒尾くんの胃袋は一体どうなっているんだろう。
知りたいような、知りたくないような。湧き上がる好奇心は抑えきれず、私は恐る恐る質問した。
「ちなみに、お昼ご飯はどうするの?」
黒尾くんは何を当然のことを聞くのかと言いたげに眉をしかめた。
「食堂で食うよ。ミーティングしながら」
「え? そうなの?」
「なんでそんな驚くの?」
「だって、お昼ご飯を持ってきているのに食堂でミーティングの予定を入れてるっておかしくない?」
「何で?」
「え、だってお昼ご飯……」
「え? 昼飯?」
「え? 違うの?」
空になった弁当箱を指差してみる。黒尾くんはますますわけが分からなさそうに首を傾げた。
「これは、朝飯だよ」
「朝ご飯は食べてきたって言ってたじゃん」
「それはそれ。これは朝練が終わった時用の弁当。2回目の朝飯って言えば分かる?」
「食べすぎなんじゃないの!?」
「スポーツやってるとこんなもんだよ」
よく聞けば、朝食が2回どころか昼食の後、部活中にも間食をし、部活が終わればプロテインを飲み、家に帰ったらしっかりと夕食も食べるのだという。食事が1日に6回! 想像するだけでげっぷが出そうだ。
まさかそんなことは言えなかったので、失礼にならない言葉を頭をひねって探す。
「すごい胃袋だね!」
意味不明な褒め言葉だったが、黒尾くんは特になんとも思わなかったようだった。
「それはどうも」
授業の開始を知らせるチャイムが鳴って、古典の谷崎先生が教室に入ってくる。まるで子守唄のような優しい声で古文を朗読することで知られたおじいちゃん先生だ。お腹が満たされた黒尾くんには天敵に違いない。
もしも黒尾くんが眠気に打ち負けそうになったら、そっと肩を叩いて援護射撃をしてあげることにしよう。
20200914