秋。文化祭の季節である。
文化祭といえば、学校行事の中でも特に気合の入るもので、特に文化部などは夏休み中からその準備に追われ、その日が近づけば近づくほど生徒達は浮き足立つものだ。
が、まさにこの秋、春の高校バレー全国大会出場を目指して追い込みをかけているバレー部は、正直に言って文化祭どころではない。かろうじてクラスの出し物くらいは把握しているものの、積極的に準備を手伝うほどの余裕はなく、特に部長としていくつもの雑務を抱えながら練習をこなしている黒尾は、当日の朝になってようやく自分の役割分担を確認できたほどだった。
貴重な休日を文化祭にあてたのは、学校生活を楽しむことも学生の本分のひとつであるという猫又監督の考えあってのことだが、なんの準備もしないままいきなり祭りの只中に放り込まれるのも考えものだなと、黒尾は鏡に映る自分を見つめながら思った。
「似合ってるよ」
と、
が半分笑いながら小脇をつついてきた。
「お世辞はいいって」
「いやいや、本当だって」
「どの辺が似合ってると思うんだよ?」
「間違いなく笑いは取れるよ」
「それ似合ってるって言わなくねぇ?」
制服の黒いズボンに、同じく制服の白い開襟シャツ、この日のために衣装係が縫ったというギャルソンエプロン、そこまではいい。頭の上にちょこんと乗っかっている黒い猫耳が問題だった。
接客をするときは猫耳をつけるというルールは、企画の初期段階から決まっていたことらしい。知っていれば接客係なんか絶対に回避したのだが、部活にかまけてその役割分担をするホームルームを欠席してしまったことが災いした。
3年5組の出し物は「猫カフェ」だ。教室中、いたるところに猫のぬいぐるみが飾られていて、いったいどこからこんなにたくさんかき集めてきたのか不思議なほど猫で溢れている。いつもは時間割や模試の日程、事務的な様々なお知らせが貼られている掲示板には、あらゆる種類の猫の写真が飾られ、そのひとつひとつに猫の特徴や性格の解説がついていた。どうやらこのクラスには重度の猫オタクが隠れていたらしい。
猫耳カチューシャはおそらく女物なのだろう、黒尾にはサイズが合っておらず、まるで孫悟空の緊箍児(きんこじ)のように耳の裏のあたりを締め付けてきて痛い。
どうにか痛みを和らげようとカチューシャを少しずつずらす黒尾を、
は遠慮なく笑った。そんな
の頭の上にも白い猫耳が付いている。毛足の長いふかふかの耳は、天使の輪っか光る
の黒髪に不思議とよく似合っていた。
「あとで写真撮らしてね」
「絶対ヤダよ」
「オレンジジュースふたつと、猫クッキー2セット、4番テーブルでーす」
「ほら、黒尾くん。仕事仕事!」
「はいはい」
黒尾は言われたとおりのものを準備する。消しゴムスタンプとステンシルで彩られた紙コップと、切り紙の花とトレーシングペーパーで飾られた紙皿は、この日のために作られた小道具係の力作だ。
「おー、黒尾! お疲れー!」
と、からかい交じりの笑顔で言ったのは夜久だった。隣には海がいつもどおり、仏のような笑顔をして座っていた。
「お前も接客係だろうが」
黒尾は恨みがましく言ったが、夜久はへへんと笑った。
「俺の当番は午後からだよ。ちゃんと割当表見ろよな」
「あぁ、そうかよ。これ、気を付けろよ」
「猫耳? 何をどう気を付けなきゃなんないの?」
「頭、割れるかと思うくらい痛い」
黒尾がカチューシャを直しながら言うと、夜久と海は椅子から転げ落ちそうに笑った。
小学生くらいの子どもを連れた夫婦がやってきて、
が接客に入っている。子どもはテーブルに飾られた猫のぬいぐるみをいたく気に入ったらしい。膝の上に乗せてぎゅっと抱きしめている。
は満面の笑みだ。今にも作り物の白い猫耳がぴくぴくと動き出しそうだった。
「
ちゃんと仲良くやってる?」
と、夜久がいたずらっぽく笑いながら言った。
黒尾は何の気なしに答えた。
「まぁ、そこそこな」
「せっかく同じ時間の当番割り振ってやったんだから、仲良くやれよ」
「なんだよ、やっぱりお前の仕業かよ」
「感謝しろ」
「頼んでねぇし」
「係決めの時にいなかったお前が悪い」
「まぁまぁ。もうその辺で」
険悪になりそうな雰囲気を、海が笑顔でなだめた。
は片手に猫のぬいぐるみを持ち、子どもが抱きしめているぬいぐるみとおしゃべりさせて遊んでやっていた。声色を使って甲高い声でおかしなことを言い子どもを笑わせている。そのアニメキャラのような声に、隣の席に居合わせた他校の学生までくすくす笑っていた。
「
さん、だっけ。彼女かわいいね」
海の言葉に、黒尾は目の色を変えた。
「海ってあぁいうのタイプなのか? 初耳だ」
「子どもに優しい女の子はいいなって思うよ」
「今はあんなだけど、あいつ、あぁ見えて結構性格きついぞ」
「そうなの? 話してみたいな。黒尾、紹介してよ」
黒尾はとっさに、なんと答えていいか分からなくなった。海の笑顔はいつもと変わらないように見えたが、普段とは違うなんとも言えないすごみがあった。本気か嘘か分からない。たじろいで身動きが取れなくなった黒尾は、夜久が腹を抱えて必死に笑いを堪えていることにも気づかなかった。
やがて、暖簾の向こうから黒尾を呼ぶ声がして、黒尾は海には何も答えずにそそくさと引っ込んでいった。心なしか、猫耳が前方に傾いて元気をなくしているようだった。
「これでいいの?」
「かんっぺき!」
夜久は、ぷるぷると肩を震わせ、まるで泣くように笑いながら、海に向かってぐっと親指を立ててみせた。海はほんの少し申し訳なさそうな顔をして、猫型クッキーの耳をかじった。
「黒尾ってここまでしないと動けないような奴だとは思わなかったけどな」
「俺も意外だったんだけどさ。意気地のないことをぐだぐだ言うんだもんよ、お節介も焼きたくなるわ」
「後から喧嘩しないでよ、ふたりが言い合ってるの見るとひやひやする奴もいるんだから。1年とかは特にな」
「そろそろ慣れてきてるんじゃねぇの?」
「リエーフあたりは最初から気にしてないと思うけど他はどうかな」
それからふたりは、犬山は最近やっと慣れてきたかなー、手白と芝山はまだびびってるなと、後輩達の話に終始して、黒尾に引っ掛けた小さな嘘のことはさっさと忘れてしまった。
黒尾が裏方に引っ込んで、頭を痛めつけるカチューシャを外したとき、ちょうど
も戻ってきた。
「仕事中だろ、遊んでんじゃねぇよ」
と、黒尾は嫌味を言ったが、
はちっとも気にしていないようだった。
「接客って楽しいね、子どももかわいいし」
「そりゃ良かったな」
「黒尾くんの友達も来てたね」
「しゃべったの?」
「ううん。夜久君と話してたし」
「そうか、良かった」
「? 何が?」
「別になんでも。なんか飲む?」
「いいの? 売り物でしょ?」
「接客係はひとり一杯サービスだって」
小物入れに立ててあるお湯に溶かすタイプのコーヒーや紅茶の中から、
はキャラメルミルクティーを選んだ。黒尾はそれを横から奪い取って、紙コップに入れ、お湯を注いでやる。
「ほら」
「ありがとう」
ふたりで壁際に立ったまま、紙コップを傾けた。他の接客係が新しくやってきたお客に対応するために暖簾を押して出て行って、つかの間ふたりきりになる。巡らせたカーテンの向こうから、夜久のよく通る笑い声が聞こえてきて、黒尾はほんの少し悔しい気持ちを抱えながらぼそりと言った。
「当番終わったら、
ちゃんはどうすんの?」
は、紙コップを両手で包むように持ち、湯気を上げるミルクティにふぅふぅと息を吹きかけながら答えた。
「友達と約束してるよ。一緒に文化祭見て回るの」
「あぁ、そっか」
そりゃそうだよな、とがっかりして、黒尾は紙コップの縁に噛みついた。
「黒尾くんはどうするの?」
「たぶん、研磨と合流するかな」
「けんま?」
「バレー部の後輩」
「そうなんだ」
自分の言うことで墓穴を掘って、ますます
を誘いにくくなってしまった。どうしてこうもうまくできないんだろうと、黒尾は自己嫌悪で胸が潰れそうだった。夜久がお節介を焼きたくなる気持ちもなんとなく分かった気がする。もし同じことでぐだぐだと悩んでいる友達がいたら、黒尾も夜久と同じことをしただろう。
「どうしたの? 疲れちゃった?」
突然黙り込んだ黒尾に、
が言った。白い猫耳を付けた
が上目遣いに自分を見上げてくる。その丸い瞳が猫のようにかわいくて、黒尾はまじまじとその目を覗き込んでしまう。
「猫耳が痛くてね」
「そんなに?」
「だって、サイズ合ってないんだもん」
子どものように唇を尖らせて言う黒尾に、
は軽やかに笑った。
「そっか、それは辛かったねぇ」
が笑うと、右側の頬に小さなえくぼができる。そんな些細なことに初めて気が付いた黒尾はこの半年ずっと隣に座っていたのにどうしてこんなことも知らなかったのかと、自分にあきれた。それは、いつも
を怒らせるようなことばかりしていたからだ。
「どっかですれ違ったら声かけていい?」
「いいよー。私も黒尾くん見かけたら声かけるね」
「後夜祭まで見てく?」
「うん。キャンプファイヤー楽しみだね」
「そだな」
暖簾を押して、クラスメートが戻ってきた。黒尾が猫耳を外していることを目ざとく見つけて指をさして責めてきたから、黒尾は仕方なくまだじんじんと痛む頭にカチューシャをはめる。
三蔵法師が御経を唱えると孫悟空の頭を締め付ける、これはあの金色の輪っかだ。あんまり情けない言い訳をして油断していると、横からきた奴に
を奪われるぞと、警告を発する緊箍児だった。
20180916