今日は全校一斉の模試なので朝練がない。

 だからというわけではないのだけれど、油断した。

 早起きが必要ないからと言って、あんなに夜更かしをするんじゃなかった。いつもより気分が乗って勉強がさくさく進むから寝るタイミングを逃してしまったのだ。

 寝る子は育つという言葉は正しく、毎日規則正しい時間にきっちりベッドに入ることを子どもの頃から習慣づけているおかげで、この身長に恵まれた。だからこそ、自分は夜更かしに慣れていないところがあるっていうことをもっと自覚しておくべきだった。

「はよ」
「おはよ、うわっ、クロ!」

 顔を合わせるなり、は目を丸くした。

 突然俺をニックネームで呼ぶなんてどういう心境の変化かと思ったらそうではなくて、俺の黒いマスクに反応しただけだった。こんなささいなことでショックを受けている自分がちょっと情けない。

「風邪引いたんだよ」
「黒尾くんでも風邪引いたりするの?」
「ひでぇな、俺だって人間なんだけど」
「体強いんだと思ってた。運動部だし」
「運動部でも風邪ぐらい引くわ。筋肉で予防できるわけじゃねぇんだから」
「イメージだよ」

 むせ返るような咳が出て、会話が中断する。おかしいな、朝ちゃんと薬も飲んできたのに。まだ効き始めていないんだろうか。この調子じゃ模試の結果も知れている。せっかくあんなに勉強したのに。

 と、隣の席からにゅっと細い腕が伸びてきて、机の端に何かを置いた。個包装ののど飴だ。ミント味。

「あげる」
「いいの?」
「辛そうだから」
「悪いな、サンキュ」
「熱はないの?」
「朝はなかった」
「無理しないで、休んだ方がいいよ」
「でも、模試だし」
「模試は、あくまで模擬なんだからいいんじゃない。本番じゃないんだし」
「でも、模試だけ休んで部活には出たらそれはそれで印象悪いだろ」
「その状態で部活出るつもりなの?」

 驚愕、という言葉はこういう時に使うんだろうなと思えるような顔をして、はなんとも言えないしかめっ面をした。

「そんなに驚かなくても」
「いやだって信じられなくて」
「体は動かせなくてもやれることあっからね」
「へえ、そう」
「わけ分かんねぇって顔してる」
「うん、わけ分かんない」

 だって、キャプテンが部活休んだりしたら部の空気が緩む。

 特にリエーフは俺や夜久の目の届かないところでスパイク練ばかりしたがるし、学年が下の連中はレギュラーでないだけまだまだ覚悟が足りなくて、ちょっと目を離すとすぐに緊張がゆるんでしまう。

 春高予選の後、夜久が足首の捻挫で少しだけ練習を休んだ時なんか、全国行きが決まった安心感も合わさってひどいものだった。もう一度気合いを入れ直すために苦労した。だから、ちょっと咳が出るくらいで休んでなんかいられないのだ。

「私だったら絶対休むけどな」
「なんで?」
「私のせいで誰かに風邪が移って、最悪、部員全員が感染しちゃったら嫌じゃない」

 返す言葉が見つからず、むっと口をつぐんだ。確かに、想像しうる限り一番最悪のパターンはそれだろうけれど、そこまで心配することはあるだろうか。馬鹿は風邪を引かないというし、山本とかは地でそれを行きそうだ。風邪を引いたことにも自分で気づきそうにないというか、病気とかしたことあるんだろうか、あいつ。

 とはいえ、山本だけ感染を免れたとしても、他の連中がダウンしてしまっては元も子もない。バレーはひとりではできない。

「やっぱ、保健室行って寝てこようかな」
「もう模試はじまるよ」
「模試の間は寝て、部活の時間になったら起きる」
「本末転倒だね」
「模試は本番じゃねぇけど、バレーは練習しねぇと本番に力を発揮できないからな」
「そんなに言うなら好きにすれば」
「止めないの?」
「止めたけど、黒尾くんが言うこと聞かなかったんでしょ」

 がくれたのど飴を握りしめて立ち上がる。模試の直前、教室は緊張感でぴりぴりしていて、みんな参考書を眺めているから俺達には注意もむけない。

 俺は直筆のノートに視線を落としているの目の前にしゃがみこんで、机の縁に腕を乗せての顔を覗き込んだ。

「なに?」

 ぱちくりとまばたきをしたの顔、俺と同じように夜更かしをしていたのかもしれない、少しだけ目が赤い。

「風邪移さないでとか、言われるかと思った」
「さすがにそんな酷いこと言わないよ」
「保健室、付いてきてほしいって言ったら困る?」
「もうすぐ予鈴鳴るから無理。どうしたの?」
「風邪引くと人に甘えたくなるよねぇ」

 言ったら、の頬にさっと赤みが差す。照れたかな。と、思った瞬間、蔑むように目を細めて睨み下ろされた。

「さっさと保健室行ってくれば? 先生に優しくしてもらったらいいよ」
は優しくしてくんねぇの?」
「のど飴あげたでしょ」

 そういえば、そうだった。手のひらを開いて、ビニールがくしゃりと鳴るのを確かめる。

「サンキュ。先生によろしく言っといて」
「うん。お大事に」

 そっけないなと思ったけれど、もう時間がないし、それ以上絡むのはやめにした。ぼんやりする頭を抱えて、いつもよりも人の少ない廊下を歩く。

 熱に浮かされたようなことを口走った気もするけれど、浮かされたどころか本当に熱が出て来たような気がする。何もかも風邪と熱のせいにして、今は少しだけ眠りたい。




20180418





これ、書き終わったあとのどがいがいがになりました。