ちゃん、今日バレー部見に来ない?」

と、夜久くんが言った。

 朝礼が始まる直前で、朝練の終わった運動部が駆け足で教室に飛び込んでくる騒がしい時間帯だった。黒尾くんの姿はまだ見えない。

「何かあるの?」
「練習試合。午後から三高合同でみっちりやるんだよ」

 今日は試験が終わったばかりの短縮授業日だ。運動部にとっては活動時間が伸びてさぞ嬉しいことだろう。

「どうしようかな、塾もあるし」
「バレーの試合見たことある?」
「ないけど」
「見てみてよ、面白いよ、ちょっとでもいいからさ」

 今朝の夜久くんはやけに元気だ。大きな目がキラキラ光って眩しい。遅刻寸前で駆け込んでくる男子生徒の騒がしい声、教室全体がざわざわして、浮き足立っている。それにつられて、私まで気が大きくなっているような気がした。

「テストも終わったし、息抜きにちょっと行ってみようかな」
「よし! 絶対な!」

 夜久くんが白い歯を見せてにっかり笑った時、ちょうどチャイムが鳴って、それと同時に黒尾くんが教室に駆け込んで来た。

 音を立てて椅子を引き、どかりと座り込んだ黒尾くんの額には、まだ汗の粒が光っていた。

「ギリギリー」
「おはよう」
「はよ。いやー、朝から白熱して時計見てなくて」
「汗拭いたら? 風邪引くよ」
「相変わらずヤサシーのね」
「隣で異臭放たれても困るしね」

 黒尾くんの後ろの席で、夜久くんが笑いながら口の前に人差し指を立てていた。黒尾くんは鞄の中からタオルを取り出そうとしていて気づいていない。

 夜久くんの笑顔を見ていたら、なんとなくわくわくしてきた。

 黒尾くんの日頃の意地悪に仕返しをしたいとは常々思っていたけれど、真面目で良い子の私ひとりの力ではなかなか妙案は浮かばなかった。ここは夜久くんの企みに乗っかってみることにしよう。

 夜久くんにウィンクをして合図を送ったら、ちょうど顔を上げた黒尾くんと目が合った。

「え、何?」
「なんでもないよ」





 授業は午前中に終わって、黒尾くんと夜久くんは足早に部活に行ってしまった。

 私はいつもなら、図書館へ行って塾に行く時間までずっとそこで過ごすのだけれど、今日はお弁当を食べながら友達と雑談をしてから、体育館へ向かった。夜久くんがラインで教えてくれたことでは、試合が始まるのはアップをしてからだと言うのでのんびり向かうことにした。

 練習試合だというのに、見学者が大勢いて驚いてしまう。

 三校合同試合だというから、三校分の関係者が集まっているんだろうか。体育館の二階席は半分ほど埋まっていて、他校の生徒も混じっているようだ。大きな横断幕がかかっていて、練習試合にしてもずいぶんな気合の入りようだ。

 バレーの試合どころか、生でスポーツ観戦をするのもほとんど初めてと言ってもいい私は、すっかり気後れしてしまう。観戦席のいちばん上、隅っこの席に腰を下ろそうとしたら、ちょうど、フロアにいる夜久くんと目が合った。大きな瞳がきらきら光るのが、離れた場所から鏡を反射するように見えた。

 夜久くんがこちらに駆け寄って来たので、私は観覧席の階段を降りて柵から身を乗り出し、フロアを真上から見下ろした。

「やぁ、来たね!」

 夜久くんが私を見上げて笑顔を見せる。私はいつもより少しだけ大きな声を出して答えた。

「うん、来たよ」
「何時までいれるの?」
「三時くらいまでかな」
「じゃ、2セットくらい見られるね」
「セット?」
「見てれば分かると思うよ。ゆっくりしてってね」

 軽やかに手を振ってフロアの中央に戻って行く夜久くんを目で追っていると、黒尾くんとも目が合った。

 観覧席から見下ろす黒尾くんは、不思議といつもより小柄に見えた。隣に立っている長身の人、というより、縦に長いと言った方がしっくりくるような人と比べてしまうからだろうか。それとも、今まで見たことのない角度で黒尾くんを見下ろしているからだろうか。

 どちらにせよ、ぽかんと口を開けて私を見ている黒尾くんの情けない顔ったらなかった。

 どっきり大成功。

 笑顔で手を振って見せたら、髪をかきあげるついでのような仕草で手を振り返してくれた。





「なんであいつ来てんの?」
「俺が呼んだ」

 夜久が当然のようにあっさり答えたので、黒尾は二の句が継げなくなってしまった。こんなに驚いている自分の方がおかしいと言われているような気がして胸がもやもやする。

「聞いてねぇんだけど」
「いちいち言う必要ねぇだろ」
「言えよ」
「なんで?」
「びっくりすんだろーが」
「なんでクラスメイトが練習試合見に来ただけでびっくりすんの?」
「あいつ興味ねぇだろ、こういうの」
「それちゃんが言ったの?」
「言ってねぇけど、だってあいつ、俺がバレー部だって教えてやるまで知らなかったんだぜ?」
「全然知らない奴が何部かなんて知らなくたっておかしくねぇだろ」
「えぇ、そう?」
「黒尾って見かけによらず卑屈だよな」
「夜っ久んは見かけによらず毒舌だよね。なんでまた誘ったの?」
「別に深い意味はないけど」
「意味もないのに何で?」
「黒尾こそなんでそんなに気にすんの? いいだろ別に、クラスメイトに試合見られるくらい」
「いやそれはいいんだけどさ」
「何、もしかして緊張してんの? ちゃんにかっこわりぃとこ見せらんねぇって?」
「誰もそんなこと言ってねぇだろうが!?」
「だったらうだうだ言ってねぇでさっさとアップしろやキャプテン!!」
「なに騒いでるの?」

 菩薩のような顔で笑いながら、海が言う。

 黒尾は唇を噛んで、「なんでもねぇよっ」と吐き捨てた。

 怒りたくて怒ったわけではない。夜久がわけの分からないことをするからいらいらしただけだ。

 が練習試合を見に来たくらいで、どうしてこんなに動揺してしまうのか、自分でもわけが分からなかった。





 夜久のしたことで、黒尾はその日ずっと機嫌が悪かったが、その標的になったのは練習試合の相手チームと、リエーフだった。腹立ち交じりのスパイクが、相手コートに鋭く突き刺さる。定期的に練習試合を組んでいる馴染みの学校だったが、いつになく威力を増した黒尾のスパイクに「黒尾はパワー増したな!」とか、的外れな賞賛を浴びせていたけれど、小さなミスをするたびに黒尾に怒鳴られるリエーフは、さすがの夜久も見ていていたたまれなかった。リエーフが馬鹿で単純で底抜けに明るくて真面目な性格をしているから良かったものの、これが少しでもメンタルに弱点を抱えるチームメイトだったらと思うと、恐ろしくなる。きっと、数カ月は再起不能の傷を心に追わせることになってしまったに違いない。

 夜久がを練習試合の観戦に誘ったことには、本当に、深い意味はなかった。ちょうどテストが終わったばかりですっきりした開放感を感じていたところだったし、テスト勉強に費やしていた時間を練習に当てることができると思うと楽しみで仕方がなかった。

 自分が楽しいと思うことを、最近仲良くなった友達にも分けてあげたいと思うのは、そんなに不自然なことではない。

 を呼んだことを黒尾に黙っていたのは、ちょっとからかってやろうという悪戯心が湧いたからだ。黒尾と喧嘩は、夜久にとっては一番身近なアトラクションのようなものだ。そこにという興味深い登場人物が登場したのだから、それをいじらないではいられなかった。

 練習試合が終わり、反省会が終わって帰り支度をしてスマホを見たら、からラインが届いていた。

 ――今日は、誘ってくれてありがとう。バレーをしている黒尾くんがあんなにかっこいいとは知りませんでした。

 がこんなことを言っていると知ったら、黒尾はどんな顔をするだろう。ちらりと盗み見た黒尾は、腹立ちまぎれに試合に臨んだせいでいつもより疲れているようで、ぐったりと肩を落としている。

 これ以上いじめたらかわいそうだな、と夜久は思った。動揺した黒尾の餌食になるリエーフが、だ。

「どうした、夜久? 部室閉めるぞ」

 鍵をチャラチャラ鳴らしながら、黒尾がだるそうに言う。

 これは、いつかの切り札として取っておこう。夜久はスマホをポケットにしまって慌てて鞄を掴み上げた。

「あぁ、今行く」

 まだしばらく、黒尾をからかって楽しめそうだ。そう思うとわくわくしてきた。人の恋路を娯楽にしようとするのはあまり人道的なことではないと分かっていたけれど、相手は黒尾だ、知ったことかと思った。





20180207