夏祭り







 音駒高校の近くには神社があって、毎年お盆には夏祭りが開かれる。参道には屋台が並び、華やかな浴衣に身を包んだ子ども達で町中が賑わう。小さな神社の小さな祭りでは花火も上がらないし神輿も出ないけれど、赤い提灯が連なった夜道を歩くだけで気分は盛り上がるものだ。
 しかしまさか、こんなところでと鉢合わせるとは思ってもみなかった。小さな神社の小さな祭りとはいえ、狭い参道に人がわんさとすし詰め状態で、人混みが苦手だというが好きこのんでこんなところに来るとは思わなかったからただただ意外だ。

「あ、黒尾くんだ」

 言うなり、はぷっと息を吹いて笑った。

「なんだよ?」
「いや、そのジャージ、やっぱり目立つなと思って」

 部活が終わってそのまま祭りに流れてきた黒尾は、バレー部専用の真っ赤なジャージを着ていた。確かに派手な色だし、黒尾のように背が高いとなおさらだ。はこの格好を見るとよく笑う。

「部活だったの?」
「おぉ。今日はちょっと早めに切り上げてきた」

 黒尾が後ろを振り返ると、黒尾と同じ格好をしたバレー部員達が、興味津々とを見つめていて、その腕を夜久がぐいぐい引っ張って人混みの中に紛れていこうとしているところだった。夜久が去り際に意味ありげに片目をつむって見せたのがなんだか気に触った。

「いつもきつい練習してっから、今日くらいは息抜き」
「ご苦労さま」
は誰と来てんの?」
「友達と来たんだけど、あっちのお好み焼き屋さんで並んでて戻ってこないんだよね」
「誰?」
「小川ちゃん」
「誰だっけ?」
「同じクラスでしょーが」

 は学校で見るときと同じ制服姿で、肩には学生カバンを引っ掛けている。辞書でも入っているのか、それは厚く膨れてとても重そうだった。それに、この人混みだ。全校集会ですら参加できないが、こんなところにひとりでいるなんて。

「大丈夫?」
「買い終わったらラインくれるから、はぐれたりしないよ」

 黒尾の心配をよそに、はきょとんとして首をかしげた。

「大丈夫ならいんだけど……」
「黒尾くん、部の人と一緒にいなくていいの?」
「別にいんじゃね。あいつらだってガキじゃねぇんだし。は?」
「小川ちゃん、なかなか連絡くれなくて。何やってんのかな」
「じゃ、一緒に時間つぶす?」
「あ、本当に?助かるわ」

 助かる、という言葉が、小さな棘になって黒尾の胸に刺さった。あれ、なんだろうこれはと思った時にはもうずぶずぶと心臓の深くまで侵入していき、黒尾ひとりの力ではどうにもできないほど奥の方へ入り込んでしまった。
 のとなりを歩きながら、押し寄せる人並みからをかばった。は小川ちゃんとやらからのメッセージを待っているようで、緑色の液晶と睨めっこしてばかりいた。まるでゲームに夢中で前方不注意な研磨そのものだった。

「お好み焼きの次は焼き鳥並んで来るって」
「小川ちゃんってそんな食いしん坊なの?」
「超がつくほど。でもめっちゃ細いんだよね」
「へぇ。こっちはなんか買っとかなくていいの?」
「うん。私、そんなにおなかすいてないし」
「ふぅん」

 ふと、人波の切れ間にあまり人の並んでいない屋台が見えた。

「時間あるなら、あれやらねぇ?」

 黒尾が指差した先を見て、は目を丸くした。
 子ども用のビニールプールみたいな水槽の中で、赤や黒の金魚がうようよと泳いでいる。小さなビニール袋に閉じ込められた金魚が、屋台の軒先にぶら下がっていて、ライトの光を浴びてその縁が線のように光る。金魚すくいの屋台だった。
 は金魚が好きなのだと、黒尾は思っていた。スマートフォンのカバーは水色地に赤い金魚の模様をしているし、いつだったか、金魚の夢を見たことを話してくれたことがある。誘えばきっと、喜ぶかと思った。

「え、やだ」

 ところが黒尾の予想に反して、は強く拒絶した。

「え、なんで?」
「なんでも何も、いやだから」

 はふる、と首を横に振って、またスマートフォンに視線を戻してしまった。そのまま先に進もうとして近くにいた子どもにぶつかりそうになったから腕を掴んで引き止めたら、不審そうな顔で睨まれた。

「そんなにやりたいなら黒尾くんひとりでやってくれば?」
「いや、俺は別にどっちでもいいんだけどさ」
「じゃぁ、そんなむきになることないじゃん」
「本当に興味ないの?」
「えぇ?」
「金魚、好きなんじゃないの?」

 は黒尾を見上げて、鼻の頭に深く皺をきざむ。そんな不細工な顔をしないで、素直に笑えばいいのにと黒尾は思う。

「好きだから、やりたくないの」
「はぁ? 何それ、意味分かんねぇ」
「だって、また死なせちゃったりしたらいやなんだもん」
「それは昔の話だろ」
「昔の話かもしれないし、黒尾くんにとってはくだらないことかもしれないけど、私にはちょっとしたトラウマみたいになってんのよ」
「だから、今なら克服できるかもしんねーだろって」
「そんなの分かんないじゃない」
「何をそんなびびってんの?」
「びびってない!」

 今までに聞いたことのない大きな声を出して、は黒尾の手を振り払った。驚いた通行人がちらほらと黒尾を横目で盗み見ていく。きっと、こんな往来の真ん中で女の子を怒らせるひどい男だと思われているのだろうなと思ったけれど、不思議と罪悪感はなかった。

「ちょっと、ここで待ってろよ」

 黒尾はそう言って踵を返し、金魚すくいの屋台でどうにかして金魚を一匹すくい上げ、店のオヤジに一匹おまけしてもらった二匹を金魚袋に入れてもらってすぐにのところへ戻った。

「やるよ」
「えぇ?」

 は鬱陶しそうに黒尾が差し出した金魚を睨んだけれど、それが演技であることは黒尾には手に取るように分かった。小さな金魚袋の中で窮屈そうに泳ぐ金魚の尾びれがひらりと揺れるたび、の瞳はきらりと光るようだった。

「夏休みの宿題」
「はぁ?」
「飼育日記つけろ。夏休み明けに提出な」
「小学生じゃあるまいし、なんでそんなことしなきゃなんないの?」
「いいから育ててみろって。簡単に殺しちまったら承知しねぇからな」

 その時、が握りしめていたスマートフォンがピコン、と音を立てた。小川ちゃんがようやく焼き鳥をゲットしたらしい。
 黒尾はの手に無理やり金魚袋を押し付けた。

「じゃ、新学期にな」

 が何か言っていたけれど、無視した。
 友だちがやってくるまでの、ほんの数分の暇つぶし。軽い気持ちでしたことだったけれど、に「助かる」と言われたことが、黒尾には予想以上にこたえていた。それはつまり、にとって自分は小川ちゃんより優先される存在ではないということで、クラスメイトの中では飛び抜けて仲の良い間柄だと思っていたのに、裏切られたような気がしたのだ。だから、金魚を無理やり押し付けるなんて意地悪なことをしてしまった。珍しく本当に鬱陶しそうな顔をしていたし、これで本当に嫌われたりしたらどうしよう。

「あれっ! 黒尾さんひとりでどーしたんすか!? もしかして、振られたんすか!?」

 合流したリエーフが嬉々として傷口に塩をぶっかけてくるので、明日の練習はめちゃくちゃにぶっ壊れるまでしごいてやろうと思った。





 祭りの翌日、は学校にも塾にも行かず、商店街の熱帯魚センターで金魚鉢と水草と金魚の餌を買い込んだ。もちろん、黒尾に押し付けられた金魚のためのものだ。バケツやどんぶりで飼育してみようかとも思ったのだけれど、子どもの頃の失敗を夢に見てしまい、いてもたってもいられなくなってしまったのだ。万全の体制をとらねばと思った。本屋さんで「金魚の育て方」という本を買って熟読し、受験勉強をしているのだと勘違いした母がやたら褒めちぎってくれたけれど、きっと真実がばれたら大目玉を食らうだろう。
 幸い、二匹の金魚は金魚鉢の中ですいすいと絡み合うように元気に泳いでいる。窓辺から差し込む夏の光が鱗に弾かれて、まるでそれ自体が光を放つ真っ赤な宝石のようだった。

「……飼育日誌か」

 は金魚鉢を睨みながら腕組みして呟いた。夏休みの宿題という言葉を真に受けているわけではないけれど、このままなんのレスもしなかったらそれはそれで何を言われるか分からない。別に怖くはないけれど、黒尾の意地悪はうっとうしいのだ。
 の鬱屈とした気持ちも知らず、金魚はガラスの金魚鉢の中でゆうゆうとエラ呼吸をしている。それはいつまで見つめていても飽きることはなく、は窓辺に頬杖をついてただそれを眺めていた。
 どれくらいの時間そうしていただろう。
 夏の高い日差しがようやく夕暮れに傾いてきた頃、のスマートフォンがぶるると震えた。見ると、黒尾からラインでメッセージが送られてきていた。

『金魚、元気?』

 たったこれだけのメッセージで、スタンプもない。ぶっきらぼうでそっけなくて、まるで黒尾の人柄そのものを表しているようだった。
 「大丈夫?」と、黒尾はいつもに言う。はそれが不思議だった。特に黒尾は立ち居振る舞いや言葉遣いがうさんくさくて、黒尾が素直に自分を心配してくれているのだとは、一朝一夕には信じられないのだ。そんなに自分は大丈夫そうに見えないのか、一周回ってただの悪口に思えることすらあった。
 でもそれはきっと、黒尾自身の人柄のせいではなくて、黒尾自身ではどうしようもない生まれ持った特別な能力のせいでもあるのだろう。
 自分を心配する黒尾の気持ちは分からないだったけれど、金魚を心配する黒尾の気持ちだけは素直に受け取ってやることにした。

『大丈夫。元気だよ』

 メッセージを送ったあと、せっかくだから写真を添付しようと金魚鉢にスマートフォンのカメラを向けたら、金魚のお尻で何か長いものがひらひらと揺れていた。それはあまりに立派な糞だった。





20160613



金魚シリーズ、これにて完。