バレンタイン
その日、教室に入ってきた黒尾くんは、いつもは持っていない紙袋を指先に引っ掛けていた。蛍光灯の光を映して、てろん、と光る小さな紙袋。それを見て、私は今日が何月何日でどういう日なのかを思い出す。黒板の右端には、2月14日と白いチョークで書かれたそばに、誰が書いたのか、赤いハートマークがひらりと飛んでいた。
「おっす」
「おはよう。何それ?」
紙袋を指さすと、黒尾くんは何気ないふうを装ったような顔で「もらった」と答えた。チョコレートをもらって嬉しくないわけはないけれど、慣れないおしゃれな紙袋を持て余しているように見えた。
「昇降口で待ち伏せでもされたの?」
「よく分かるのな。見てたの?」
「いや、なんとなく想像つく」
黒尾くんは鞄を机の脇にぶら下げると、紙袋は机の上に乗せたまま腕組みをした。
黒尾くんが何を考えているのかを想像してみる。チョコレートをくれた女子のことを考えているのかもしれない。もし告白なんかされていたら、どう返事をしようか悩んでいるのかもしれない。されていなくても、好みの子だったら嬉しくて口元がにやけるのをこらえているのかもしれないし、もしくは、ひとつもチョコレートをもらえていないクラスメイトから妬みと僻みの入り混じったなんらかの攻撃を回避する手段を講じているのかもしれないし、それとも実は黒尾くんは無類の甘いもの好きで、今ここでチョコレートの封を切ってしまおうか、それとも家に帰るまで楽しみを取っておくか究極の選択を迫られているのかもしれない。
「何をじろじろ見てんの?」
「いや、別になんでも」
黒尾くんに不審そうに睨まれたので、私はとぼけて、へらりと笑い返す。黒尾くんがチョコレートをもらったというだけででここまで楽しみ倒せる自分も、大概燃費がいいなぁと思う。
「何をそんなに考え込んでるのかと思ってさ」
「考え込んでるってほどでもねぇけど。これ高そうだなって思ってただけ」
「そうだね。たぶんそれ一粒300円からすると思うよ」
「まじで!?てかなんで分かんの!?」
「紙袋のブランド名に偽りなければそうだと思うけど」
黒尾くんは紙袋に箔押しされたアルファベットの羅列を睨む。たぶん、どう読んだらいいか分からないんだろう。眉間にシワが寄って眉尻が上がった。
「信じらんねー」
「愛されてるねー」
「それは知らねぇよ。渡されただけだもん」
「え、なんだ、告白されなかったの?」
「ただ『これもらってください』って押し付けられただけ」
「ふぅん。可愛い子だった?」
「さぁ、一瞬でよく覚えてねぇや。初めて見る顔だった気がする」
「手紙とか入ってないの?」
「ない」
「じゃ、あれだね。黒尾くんもうすぐ卒業だから、彼女の思い出作り的な何かなんじゃないの?」
「へぇ、そうなの?」
「勝手な想像だけどね」
「あっそう」
ふと、黒尾くんは紙袋の持ち手を掴むと、それを私の机にひょいと乗せた。ぶっきらぼうな一言を添えて。
「やるよ」
「え!? いらないよ!」
「なんで?」
「なんでもなにも、それは黒尾くんがもらったんでしょ!?」
「だって俺、甘いもん食わねぇし。
は、食うんだろ?ブランド名詳しいくらいなんだからさ」
「いや、詳しいってほどでもないんだけど、でも……」
「いいじゃん。ちゃんと食ってくれる奴がもらってくれた方がこいつも喜ぶよ」
「渡してくれた子の気持ちとか考えるともらいにくいよ」
「なんで? 思い出作りだっつったのはそっちじゃん」
「言ったけどさ」
「これを俺に渡した時点で、あいつの思い出作りは完了してんだろ。そしたら、もらったもんをどうしようが俺の自由じゃん」
黒尾くんの指先が、つんと紙袋を押す。私はそれ以上返す言葉が見つからず、とうとう紙袋に手をかけた。中を覗くと、長方形のきらきらした宝石箱のようなチョコレートボックスが見えた。一粒300円じゃきかない気がした。まだ朝礼前の時間だというのに、ちょっとお腹が空いてきたような気分になる。
ごめんね、名前も知らない黒尾くんを好きな女の子。どうやらあなたの黒尾くんへの思いは、私の胃袋の中に収まってしまうことになりそうよ。
「っていうかさ」
黒尾くんが、語調を強めて言う。
顔を見ると、黒尾くんは不思議そうな顔をして首を傾げていた。
「
は俺にチョコくれないの?」
「は?なんで?」
「となりの席の仲良しさんじゃん、俺ら」
「別に、黒尾くんのこと好きでもなんでもないもの」
「今時、友チョコのひとつもないってひどくねぇ?」
「今時、逆チョコのひとつもないっていうのはどうなのよ?」
「俺は今やったじゃん」
「これはただの横流しでしょうがっ」
20160214
↓