金魚の夢






子どもの頃から、繰り返し同じ夢を見る。

私は金魚で、青いバケツの中で生きている。空は青く、バケツも青い、真っ青な世界。それが私の世界の全て。日に何度か、大きな影みたいなものがバケツの上を通り過ぎて、深く暗い影を落としていく。柔らかな円形の水の中、完璧に守られた真っ青な檻。ただそれだけの夢だ。不安も恐れもない。ただ、だんだんと息苦しくなるのだ。ポンプも水草もないバケツの中はあっという間に酸欠になる。えらを大きく開いてはなんとか酸素を取り込もうとするけれど、どんどん苦しくなる。そうやって静かに死に向かっていく感覚。それをじっと味わう夢なのだと思う。

子どもの頃から、こんな夢を何度も何度も見ている。

?」

その夢から私を引き上げたのは、低く柔らかい声だった。

目を開けると、眩しかった。世界中が夏の喜びに震えて発光しているみたいだった。しょぼしょぼする目をこすって、今は体育の授業中だということを思い出す。頭が痛くなって、先生に頼んで見学させてもらっていたのだ。校庭の楓の木陰に入って休んでいる内に眠ってしまったらしい。

「大丈夫?」

「なんだ、黒尾くんか」

「なんだとはなんだ。サボってんなよ」

「サボってないよ。見学してるの」

「寝てたじゃん」

「起きてるよ、今は」

「今はな。山田センセが、具合悪いんなら保健室つれてってやれって言ってんだけど」

どうする? と、黒尾くんは首を傾げる。でかい図体でそんな可愛らしい仕草をしてもアンバランスで、ふざけたお芝居みたいだった。私は力なく笑った。

「どうしようかな」

「頭痛ぇの?」

「うん」

「ここで寝るより保健室で寝ろよ」

「それもそうだね」

「ん」

黒尾くんが大きな手を差し出してきたので、遠慮なくその手を貸してもらう。自分でほとんど力を入れることなく、すっと立ち上がらせてもらって、眠っていたせいで強ばった体を少し伸ばす。

「行くか」

「黒尾くんも一緒に行くの?」

「連れてってやれって言われたんだよ」

「保健委員でもないのにね」

「となりの席のよしみじゃねぇ?」

「っていうか、黒尾くんが保健委員だったらちょっと、おもしろくない?」

「おもしろいってなんだよ?」

「保健委員の黒尾くんは、なんか、いかがわしいね……っ!」

「勝手に想像してんなよ」

校庭を横切りながら、保健委員の黒尾くんを想像して、お腹をかかえて笑った。たぶん、みんなからはお腹が痛くて保健室に行くのだと見えただろう。私の頭の中では、白衣を着た黒尾くんが不敵に笑っていた。

黒尾くんはおかしい。背も高くて、顔立ちも華やかで格好良くて、一部の女子に「黒尾くんって彼女いるのかな」って噂までされるくらい人気があるのに、そういうことにはちっとも興味がなさそうで、持って生まれた素材は整っているのに、表情とか、仕草とか、物腰がいちいちおもしろくて、髪のセットがいつも決まってるねって褒め言葉のつもりで言ったら、「あぁ、これ寝癖」なんてあっさり答えたり、でもそれは嘘でもなんでもなく本当のことらしく、どんな寝方したらそんな寝癖がつくのだかいまだに謎だ。

「なんか、夢でも見てた?」

ふと、黒尾くんが言った。

「え?」

「なんか、そんな風に見えたから」

黒置くんは横目でこちらを見下ろして、一体何が楽しいのか、相変わらずにやにや笑っている。頭が痛いって言ってるのに、そんな人を見下ろしてこんなに楽しそうににやにや笑うんだから、黒尾くんってやっぱり性格悪いなと思う。

「うん。まぁ」

「授業の見学中に夢見るとか、神経図太いな」

「眠りが浅かったんだね、きっと」

「どんな夢?」

「金魚の夢」

「金魚?」

黒尾くんは私に歩調を合わせてゆっくりと歩いてくれている。校庭の乾いた砂を踏みしめてゆっくりと歩みを進めながら、私は夢の記憶を反芻した。

「よく見るの。金魚の夢。昔ね、金魚が死んじゃったのよ。子どもの頃飼ってたんだけど。夏祭りの金魚すくいで取って、バケツの中で。でも、3日くらいで死んじゃって。お腹がぷっくりふくれてすごく白くて。それをずっと、覚えてて。夢に出てくるんだよね」

青いバケツの中を窮屈そうに泳ぐ金魚の背びれを思って、私は青空を見上げた。金魚がバケツの中から見上げた空はどんな色をしていただろう。夢の余韻に後ろ髪を引かれて、そんなことを思ってみたりする。

ふと気がつくと、黒尾くんの口元から笑顔が消えていた。鋭い三白眼が明るい夏空の下でほんのりと暗い。どうしたの、と言おうとしたけれど、黒尾くんの方が先に口火を切った。

「……悲しかった?」

黒尾くんがどうしてそんなことを聞くのか分からない。けれど、頭が痛くて考える気力もなかったから、聞かれたことにだけ答えることにした。

「あの時は、ちょっと気持ち悪かったかな。今は、もうちょっと大事にしてあげればよかったって思う」

「大事にって? その金魚どうしたの?」

そう聞かれて、私は自嘲気味に笑った。

「お母さんが生ごみに捨てた」




201500223



すいません、趣味に走りました。白衣の黒尾くんを想像して笑ったのは実話。