一緒に帰ろう
部活が終わって、部室で荷物の整理をしていると、鞄の中に携帯電話がないことに気づいた。制服のポケットや、ロッカーの中まで探してみたけれども見つからない。どうやら教室の机の中に忘れてきてしまったらしい。
「悪いけど、お前ら先に帰っててくれる?」
「どうしたの?」
夜久が鞄を肩にかけながら言う。
「ケータイ、教室に忘れてきた」
「クロさんが忘れもんって、珍しいっすね!」
山本が大きな声でわめいたけれど、面倒くさかったのでそれは無視することにした。それにちょっと傷ついた山本を犬岡が慰めている。
「待ってようか?」
「いいよ、別に。研磨、ちゃんと前向いて歩けよ。じゃぁな」
小さなゲーム画面に視線を落としていた研磨は、ぴくりと肩を震わせて「ちゃんと見てるし……」と小声で呟く。海に目配せをすると、了解した、というように頷いた。
我ながら心配性だなと呆れるような気持ちになりながら、黒尾は先に部室を後にした。
暮れかけた空はオレンジ色で、校舎を黒い影のように浮かび上がらせている。もうほとんどの生徒は残っていないようで、部室棟の一角を離れれば、人気がなくとても静かだった。黒尾は少し駆け足になりながら、廊下を歩く。いやに靴音が響いて、昼間の校舎とはまるで別の場所のようだ。昼と夜とで、学校はこんなにも違う顔を見せる。体育館の昼と夜なら見飽きるくらい見てるんだけどな、と思って、教室の扉に手をかけた。
「わっ!」
がらり、と扉が大きな音を立て、それと同時に人の声がした。灯りのついていない教室に人がいるとは思わなかったのだけれど、目が慣れてくると、黒尾の席のとなりにひとりの女子生徒が立っているのが分かった。
「
?」
「あ、なんだ、黒尾くんか」
はあからさまにほっとしたようなため息をついた。一体に何に驚いたり安心したりしているのか、黒尾には分からなかった。
「こんな時間まで何やってんの?」
黒尾が聞くと、
「黒尾くんこそ」
と、
が応酬する。
「俺は、忘れもん取りに来たんだよ」
黒尾はがたんと椅子を引いて、机の中からスマートフォンを探し当てた。置きっぱなしにしている辞書の影に隠れていたらしい。ボタンを押すと、液晶の白い光が黒尾の顔をぱっと照らした。
「ケータイ?」
「そう。
は? 何してんの?」
液晶の灯りが黒尾の手元からこぼれて、
の顔をほんのりと白く照らしている。教室の蛍光灯の下で見る
と、暗い教室の中で見る
とは、なんだか別人みたいに見えて戸惑った。同じ人間なのに不思議なもんだなと思い、きっと今の自分も、
には別人のように見えていることだろうと想像する。
「私は、さっきまで図書室にいたの。もう帰るとこ」
「勉強?」
「そう」
「テスト終わったばっかなのに、偉いな」
5月の中間テストで、
は学年3位の成績をとっていたことを、黒尾は思い出した。成績上位者20名は、中間テストの結果報告(各教科の平均点や、最高得点、最低得点、全体の傾向などをまとめて1枚のプリントにしたもの。個人の成績表はまた別の用紙に印刷されて、個別に配られる。)に名前が載る。そこに
の名前を見つけた時には驚いたものだった。
「今年、受験だもんな」
「黒尾くんも受験でしょ? 部活と両立するの大変だね」
「まぁ、でも、好きでやってるから」
「そう」
「帰るか」
「うん」
「
って、歩き?」
「電車。黒尾くんは?」
「……俺も電車」
確認するんじゃなかったな、と少し後悔して、黒尾は目を細めた。黒尾が先に教室を出ると、小走りで
が後をついてくる。これじゃどうあっても駅までは一緒に帰るしかない。
を放ってひとりで帰ってもいいけれど、
も一応女子だし、外はもう暗いし、そんなことをしたらなけなしの良心が痛むし、かといって駅までの道のりを一体どんな話をして乗り切ればいいだろう。授業中となりの席に座っているのとは訳が違う。そもそもどうしてこんなことで悩まなくちゃならないのか。
「なに、むつかしい顔してるの?」
ふいに、
が言った。
「え?」
「眉間にしわが寄ってるよ。疲れてる?」
は自分の眉間を指差して黒尾を見上げていた。黒尾はまさか
と何を話せばいいか悩んでいた、とは言い出せず、曖昧に言葉を濁す。
「まぁ、そういうことにしといて」
「うん、そういうことにしとく」
に気を遣わせたかな、と思って、黒尾は複雑な気持ちになった。
は勝手に面白がって勝手に笑って、勝手に納得して、それで満足しているようなところがある。はじめてちゃんと話をした図書室で、背が高くて笑われたのだって、こっちの気持ちなんてお構いなしだった。身体的な特徴を笑われるって、それがどういう意味でも気に障るものだって、
は考えたことがあるのだろうか。それを結構根に持っている自分にも気づいて、黒尾は胸にわだかまるぐちゃぐちゃした塊みたいな気持ちを心の中で必死に握りつぶした。そうやって、
に振り回されていることが、気に入らなかった。
「そのジャージって、バレー部の?」
が言った。
「あぁ、そうだけど」
黒尾は「NEKOMA」とアルファベットのロゴが入ったジャージを見下ろした。バレー部専用の部活ジャージで、真っ赤な生地に白抜きの文字が入っている。1年生の時はじめて袖を通したときは、あまりの派手さに辟易したものだったけれど、慣れとは恐ろしいものだ。今ではなんの違和感もなく、この格好で新幹線にすら乗れる。
「その格好見るの初めてだったから。教室に入ってきた時、誰かと思ってびっくりしたんだよね」
と、
は言った。それで、さっきはあんなに驚いたのかと合点がいって、黒尾はいつもの癖でいじわるく笑った。
「不審者かと思った?」
「そんな派手なかっこした不審者がいたらおかしいけどね」
もふざけた調子で笑った。
「バレー部は全員これ着てるけど」
「本当に?」
「おう。この間、このかっこで宮城まで行ってきた」
「うそ!? 新幹線!? 乗ったの!?」
「乗ったよ。部の遠征合宿だったから」
「それは、勇気あるね……っ」
「笑いながら言うなよ」
はいつものように、腹を抱えて笑った。
人気の少ない夜の入口の道端で、明るく響く
の笑い声は心地良かった。これが部の後輩の声だったら、近所迷惑になりはしないかとか、すれ違った老人に危害を加えたりしないかとか、心配が先に立つけれど、
の声は聞いていて心地良い。普段教室で聞いている声と、夜に聞く声はやっぱりどこか違う。不思議なもんだな、と思う。
駅に着くと、ラッシュの時間にちょうどぶつかってしまったらしく、サラリーマンや学生で、構内はいっぱいだった。
「電車、何番線?」
は浮かない顔で答えた。
「1番」
「俺も。どこで下りんの?」
「○○駅」
の言った駅は、黒尾が降りる駅の3つ手前の駅だった。
ちょうど駅に滑り込んできた電車に、人波が押し寄せる。郊外の沿線は本数が少ない。みんな、今この電車を逃すまいと必死だ。
「電車、次の待つ?」
「え?」
はきょとんと目を丸くして、黒尾を見上げる。駅の灯りを浴びて、その顔が白く光っている。
「人ごみ、苦手って言ってたろ?」
「そうだけど。黒尾くん、先に帰っていいよ? 遅くなるよ」
「それでもいいんだけど」
黒尾はさっき心の中でぐしゃぐしゃに握りつぶした気持ちを、絡まったイヤホンのコードを解くように、解きほぐす。
に振り回されるのは癪だ。けれどそれも、悪いことではないような気がしているのも、事実だった。
「別に、急いでるわけでもないし」
「そう?」
改札をくぐって、ホームのベンチにふたりで腰を下ろすと、チャイムが鳴って、人ごみを押し込んだ電車がゆっくりと発車した。
がらんとしたホームでそれを見送っていると、その窓の中に見慣れた赤いジャージの集団を見つけてしまって、黒尾は苦笑した。チームメイトは電車の中で、にやにや笑ったり、何か言いたげに口を開けていたり、相変わらず携帯ゲームに夢中だったりしていて、明日のことが急に心配になった。なんだかものすごく面倒くさいことが起こりそうだった。
その隣で
は、
「真っ赤なジャージが、集団で、あれで、新幹線?」
と呟いて、またひとり腹を抱えて笑っていた。
201500202
真っ赤なジャージを着なくちゃならない高校生男子の心理
↓