遠くにありて
ロードワーク中に、研磨がいなくなった。見知らぬ土地で道に迷ったとあっては一大事と、音駒高校のゆかいな仲間たちは騒ぎ立てたけれど、黒尾のスマートフォンに研磨から着信が入ったので、それで位置情報を確認して、黒尾が迎えに行くことになった。
スマートフォンを持っているなら研磨が合宿所なり総合体育館なりを検索すればいいと思わないでもなかったけれど、どうせ移動中もゲームを手放せないために道に迷ってしまうこと請け合いだ。孤爪研磨という男はそういう奴なのだ。
上り坂の多い住宅街を、スマートフォン片手に歩く。東京よりも涼しいのかと思っていた仙台は、確かに朝と夜の涼しさが東京よりもひんやりと過ごしやすいような気がしたけれど、炎天下の太陽の下、じりじりと焦げ付くアスファルトは、東京と変わらず攻撃的だ。眩しく激しい真夏。体育館に戻れば蒸し風呂。暑さには比較的強い方だとはいえ、見知らぬ土地のそれは、いつも以上の威力で体力を奪っていくようだ。
ふと、通りすがった道に、昔ながらの駄菓子屋のような商店があった。木造の平屋で、曇ったガラスのせいで店の中はよく見えない。かすかにテレビの音が漏れ聞こえてくるから、誰か人はいるのだろう。その古めかしい外観にそぐわない真新しい自動販売機が2台、引き戸の半分を隠すように立っている。ジャージのポケットに手を突っ込むと、なんとかペットボトルを1本買えるだけの小銭があったので、500mlのスポーツドリンクを買って、その場で半分ほど飲んでしまう。喉を通って食道を胃に向かって液体が流れていくのを感じて、随分と喉が渇いていたのだということにやっと気がついた。こんな場所でひとり、熱中症で倒れたりしたらことだ。一休みを決め込んで、店の軒先の日陰に入り、もう一度喉を潤す。見上げた空に、入道雲が眩しく光っていて、蝉の鳴き声がうるさい。歩みを止めて立ち止まったせいか、一気に汗が吹き出てきて気持ちが悪かった。今すぐシャワーを浴びてクーラーのきいた涼しい部屋でパンツ一丁で寝られるんなら100万円くらい払ってもいいのに、と思って、顎の下を流れる汗を手の甲で拭った。
ふと、ポケットの中でスマートフォンが着信メロディを鳴らした。研磨だろうかと思って慌てて画面を見ると、11桁の数字が登録していない相手からの通話を告げていた。少し迷ってから、通話ボタンを押してみる。研磨がケータイを落として、通りすがりの誰かに電話を貸してもらっているのかもしれないと、思ったからだ。
「もしもし?」
『あ、黒尾くん?』
想像とは真逆の女の声が耳を攻撃して、心持ち、耳からスマートフォンを遠ざけた。
『黒尾くん? もしもーし?』
「あの、どちらさんですか?」
そう尋ねると、電話の相手は呑気に告げた。
『あ、
です。元気?』
「
?」
思わず声が裏返ってしまい、周りに人がいないか確認した。この炎天下に通行人はおらず、乗用車が一台、排気ガスを撒き散らしながら通り過ぎていった。
『もしかして今、外? 電話大丈夫?』
「いや、大丈夫も何も、なんで俺の番号知ってんの?」
『え? 夜久くんが教えてくれたよ? 聞いてなかった?』
「聞いてねぇよ」
『あっそう。まぁ、いいじゃん。でさ、ちょっと黒尾くんに聞きたいことあるんだけどね』
おかまいなしか、と内心毒づいて、電話に耳を澄ませたままスポーツドリンクを傾ける。セミの鳴き声がうるさくて、電話の声が少し遠いような気がする。
「なに?」
面倒くさいような、疲れたような声で問い返すと、
はのんきな声色で、至極真面目に言った。
『黒尾って、ゲンガーに似てるって言われたことない?』
「……え? 何それ?」
意図せず気の抜けた声が出た。耳元で、
の声が淡々と流れてくる。
『あ、知らない? ポケモンのキャラクターなんだけどね、これがすっごく黒尾くんに似てるんだよ! さっき気づいたんだけど!』
「あー、そうなの?」
『あ、あんまり気にならない?』
「気になるっつーか、なんつーか……。それ言うために電話してきたの?」
『うん、もう早く言いたくって。画像検索してみてよ、本当に似てるから!』
「あー、分かった分かった。今忙しいから後でな」
『感想聞かせてね。じゃぁね』
「おう」
通話終了の文字を見下ろして、黒尾はため息を押し殺せない。一方的に言いたいことだけ言って、それも何に似てるだか似てないだか、そんなくだらない話で、世間話のひとつもしなかった。今、部の遠征合宿中で宮城にいると言ったら、
はどんな顔をしただろう。教えてやればよかったかもな。土産を買って来いとかなんとか言われそうだけれど、ずんだ餅味のスナック菓子とか、買っていったら喜ぶかもしれないし、それくらいなら安いもんだし、買いに行く時間があればいいけれど。
にそんなことをしてやる義理はないかもしれない。悩むところだ。
ペットボトルを飲み干して、店先にあったゴミ箱に放り込む。スマートフォンをポケットに突っ込んで、黒尾は日陰から飛び出した。緩やかな上り坂を駆け上る。移動していなければ、研磨はこの方向にいるはずだ。早く迎えに行ってやらなければ。それに、バレー部1のゲーマーであるところの研磨に聞けば、ポケモンのゲンガーとやらの正体も分かるだろう。
20150126
ずんだ餅はおいしいけれど、スナック菓子はそうでもないと思うよ。
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