寝顔
顔面を机の上に置いた鞄に突っ伏し、両腕を開いた足の間にだらりとたらし、黒尾鉄朗は眠っている。こんな体勢で眠っていては呼吸ができないのではないかと、
は不安に思ったけれど、黒尾の大きな肩は規則正しく上下しているので、どうやらその心配はないらしい。
は机に頬杖をついて、つんつんと天に向かって立っている黒尾の髪を眺めている。クラスメートが近くを通り過ぎると、少し遅れてゆらりと揺れる。よっぽど強い整髪料を使っているのか、ちょっとやそっとでは乱れたり崩れたりしないらしい。
「あれ、黒尾寝てんの?」
声をかけてきたのは、大きな猫目のクラスメートだった。
「夜久くん」
夜久は黒尾と同じバレーボール部で、黒尾とは仲がいい。黒尾の隣の席の
も、そのついでのように話しかけられることがたびたびあって、夜久とはあいさつの他にもほんの少し世間話をする仲になっていた。
「これ、いつから寝てんだろ?」
夜久は黒尾のつむじを指差して言った。
「私が戻ってきたときにはもうこうだったかな」
「15分くらいか」
夜久は黒尾の肩を揺すって「おーい、黒尾―」と、大きな声で起こそうとしたけれど、その両腕が足の間でぶらぶら揺れただけで、寝息は乱れない。
「起きないね」
「起きないな」
夜久は困った顔をして腕組みをした。
は夜久と黒尾を交互に見やって聞いた。
「何か用事?」
「部のことでちょっとね」
「黒尾くんって部長なんだっけ」
「普段は頼りになる主将なんだけどねぇ」
夜久がそう呟いた時、黒尾がぐるりと頭を回して、片耳を鞄に押し付けるように寝返りを打った。その顔には、鞄のシワがくっきりとうつっていて、目と口が半開きになっている。唐突にあらわになった黒尾の寝顔を見て、
と夜久は同時に口元を抑えた。
「ちょっと、これは……」
「ぶっ!」
夜久はなんとか笑いをこらえようとする一方、
は全く遠慮なく吹き出した。人の体とは不思議なもので、あまりにもおかしなことがあると、呼吸が止まる。体中の筋肉が連動してぷるぷると震え、お腹に力が入りすぎて笑いたいのに声が出ないのだ。きりきりと痛む腹を抱え、
は体を「く」の字にまげた。
「
さん? 大丈夫?」
と、夜久が心配そうにいうけれど、
につられて今にも笑いだしそうな声だった。その騒がしい空気になんだなんだと、クラスメートが集まってきたけれど、黒尾はやっぱり、目を覚まさない。
「ちょ、これ、写メとっておこうよ……!」
なんとか笑いを押さえ込んだ
は、ポケットの中から携帯電話を取り出す。折りたたみ式の携帯電話をパキンと開き、黒尾の寝顔に向けてカメラを起動させた。
「いやいや、ちょっとそれはさすがに黒尾も怒るんじゃ……」
夜久は目尻に浮いた涙を拭って、形ばかり
を静止した。笑いが完全に収まっていないのか、かざした手が小刻みに震えている。
は我関せずと言ったていで、いっそ感激していると言ってもいいほど気持ちのいい笑顔で片手を頬に当て、携帯電話の画面を食い入るように見つめている。そこには、黒尾の寝顔がアップになっていて、ついそれを覗き込んでしまった夜久も我慢が出来ずに「ぶはっ!」と笑った。
「なんてぶさいくなの……!」
「ちょっと、
さん! 黒尾がそれ聞いたら傷ついちゃうよ!」
の手の中で、携帯電話がパシャリと鳴った。同時にカメラのフラッシュが強く光って、それが黒尾の意識を呼び覚ましたらしい。黒尾は眉間にしわを寄せて、細く目を開くと、
の構えた携帯電話をぎりと睨みつけた。
「……何やってんの?」
寝起きのかすれた声で、黒尾はうなった。
は携帯電話のレンズ越しに黒尾と目を合わせ、心底楽しそうに笑った。
「写真撮影。はぁい、黒尾くん笑って笑って!」
「え? なにそれ?」
しぱしぱと瞬きをする黒尾を、もう一度シャッターを押して画面の中に捉えると、目を閉じる直前の一枚がフレームに収まった。それを見て、
がまた声を出さずに笑うので、黒尾は寝起きの頭でも状況を理解したらしい。長い腕をさっと伸ばすと、目にも止まらぬ速さで
の携帯電話を奪い取った。
「何勝手に撮ってんだよ」
「だって! おもしろい顔してるから!」
「あぁ?」
「ちょっと! ケイタイ返してよ!」
「うわ、お前、これ、アウトだろ」
「ねぇ! 返してって!」
「消すからな、これ」
「だめー!」
が腕を伸ばすと、黒尾がさっとそれをかわす。笑いを噛み殺しながら黒尾の手の先を追う
と、ひょいひょいとそれをかわす黒尾は、まるで小さな子どもが大人にからかわれているようにも見えたけれど、一番近くでそれを見ていた夜久には、まるで恋人同士が仲良く喧嘩をしているようにも見えて、なんと声を掛ければいいか分からなくなってしまった。実際、黒尾は目を覚ましてからまだ一度も夜久を見ない。どうやら
の携帯電話に夢中で、夜久の存在そのものに気づいていないらしい。
夜久は用事を切り出そうと何度か口を開いたけれど、
と黒尾のやり取りを邪魔する気にはどうしてもなれず、
「あれ、夜久、いつからいたの?」
と、黒尾から声をかけるまで、何も言えなかった。
黒尾の長い腕の先にある、大きな手のひらが
の顔面を抑え、
は携帯電話をめがけて両腕をめいっぱい伸ばしてばたばしている。
あぁ、こんなアニメを昔見たことがあるなぁと、夜久は思って、
「うん、いたんだよ」
と、苦々しく呟いた。
20150112
なんか、ごめんなさい。黒尾くんは美人顔じゃなく、おもしろ顔だと思っています。
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