すき嫌いあいびき  鳥養繋心







 古いガラスの引き戸を引くと、昔懐かしいがらがらがらという音がした。この音を聞くといつも安心する。だからいくつになってもここへ来るのをやめられない。古いほこりと、少しだけ煙たい匂い。ここの空気が私はとても好きだった。
 店の奥からやる気があるんだかないんだかよく分からない「いらっしゃーい」という間延びした声が響いてくる。声の主は私の顔を見ると、

「なんだお前か」

 と言って鼻から煙を吐き出した。

「仕事中に喫煙とは、感心しないね」
「いいだろ、別に。俺の店なんだから」
「繋心のじゃなくてお母さんの店でしょ」
「で、何? 醤油でも切れたか?」
「何でもいいからお酒ちょうだい」
「うちは居酒屋じゃねぇんだよ。明るいうちから飲んでんじゃねぇ」
「今日はもう仕事は終わったんだからいいの」

 繋心はしぶしぶクーラーからワンカップを取り出して、私の手から200円を奪ってレジスターに突っ込んだ。私はその場でプルタブを引いて、ぐびりと喉を潤す。繋心は眉根を寄せて何か言いたそうな顔をしたけれど、私はそれを無視した。
 近所のおばちゃんがティッシュを買いに来たので、店の隅に設置してあるテーブルに場所を移す。その後すぐ烏野高校の学生がアイスを買いにやってきた。こんなところで1人ワンカップを傾けている女がよほど珍しかったのか、見てはいけないものを見てしまった、みたいな顔をしてそそくさと店を出て行った。扉が閉まった瞬間、「なにあれー」「あやしー」とかなんとか黄色い嬌声が聞こえてきて、イラっとした。

「で、どうした?」

 カウンターでジャンプを読みながら、繋心はぶっきらぼうに言った。私は、少しだけ酔いが回って潤んだ目で繋心を睨みつける。別に、繋心は何にも悪いことはしていないけれど、仕方がなかった。

「……振られた」
「へぇ。今度はなんで?」
「二股かけられてて、私の方が2番目だったの」

 言葉の最後が、涙と酔いで潤んだ。まったく、情けないったらありゃしない。このタイミングでまた女子高生が店の引き戸を開けたりしたら、馬鹿にされるどころかドン引きされそうだけれど、もう歯止めがきかなかった。鼻をすすると、ずびっというなんとも子どもっぽい情けない音がした。

「お前、振られてここに駆け込んでくんの何度目だよ?」

 繋心の言葉がぐさりと胸に刺さる。けれど、本当のことだからなにも言い返せない。何もかもが嫌で嫌でたまらなくて、記憶を失うくらい飲んで酔って、辛いこと苦しいこと、全て忘れてしまいたかった。

「ねぇ、繋心。お願いだから私を慰めてよ」

 涙声で訴えても、繋心は顔色一つ変えずにジャンプのページをめくっていた。私は繋心の指先を睨みつけ、返事を待つ。
 安いお酒の匂いが、この店の古い匂いに混ざって私の鼻をくすぐった。たったそれだけのことで、私の心がじわじわと音を立ててほぐれていくのを感じた。
 子どもの頃から、ここへ来るといつも安心した。何年経っても変わらないこの店の空気。ずっと売れずに残っているたわしや洗剤のパッケージは古めかしく、毎週発売される週刊誌の真新しさと同居して妙にノスタルジックな空気を醸し出している。

「もう少しで店番終わるから、それまで待ってろ」

 繋心の口からこぼれた言葉は、私の傷ついた心に優しく沁みた。
 きっと、繋心はこれから私を飲みに連れ出してくれて、私の気が済むまで愚痴を聞いてくれて、酔っ払って前後不覚になった私を家まで送り届けてくれるだろう。たぶん、お父さんとお母さんが繋心に謝ってお礼を言って、私は翌日の遅い朝に二日酔いで痛む頭を抱えながら両親のお説教を聞くことになる。そして来週になってから、何食わぬ顔でまたこの店の扉を開くのだ。
 私にはどんな時だって、いつも繋心がいる。だから私は大丈夫。彼氏がいない辛い現実も、繋心とこの店があれば乗り切れるのだ。


20151109