~Red Riding Hood parody~
考えていなかったわけじゃない。ただ、今年はなんて言ったって春高出場ラストチャンスだし受験だしでろくにデートもできていないのに、一足飛びにそんなことを口にしたら体目当てだと思われても言い訳できないし、そんなことで2人の関係を壊してしまうなんて絶対に嫌だし、とまぁ、そんな健全な男子高校生の悩みを抱えながら、及川徹は毎日この言葉を口にする。
「
! 一緒に帰ろう!」
その日は日曜日だった。午前9時から始まった練習が夕方6時に終わって、明日は週に一度の休日だ。しかも、ハッピーマンデーで授業も休み。こんな日こそデートくらいしたいのだけれど、
は部活動が休みの日には朝から晩まで塾の予定を詰め込んでいる。今年は受験生なのだから仕方がないけれど、もう少し2人の時間を大切にして欲しくて、及川は不満だった。
暗くなりかけた道を家路につきながら、及川は隣を歩く
に笑いかけた。
「ねぇ、
。今日どこか寄っていかない?」
は及川を見上げて、大きな目でまばたきをした。
「どこかって?」
「どこでもいいけど。行きたいところない?」
「うぅん、別に」
はそっけなく答えて、視線を落とす。及川はその仕草にこっそり傷ついたけれど、折れそうな心をなんとか奮い立たせた。
「映画とかは? 観たいのあるって言ってなかったっけ?」
「今から、映画なんか観たら門限過ぎちゃうよ」
「じゃぁ、カラオケとか?」
「そんな気分じゃないな」
「じゃぁ、甘いものでも食べに行く?」
「夕ご飯食べられなくなっちゃう」
「……じゃぁ、お茶するだけでもどう?」
及川が限界まで譲歩してやっと、
はしぶしぶといったていで頷いた。まぁ、誘いに乗ってくれただけでも上出来だ。
通学路から少し外れて、青城生がよく集まっているカフェに寄った。日曜の夜なのでとても空いていて、2人の他には女性の二人組と、白髪のおじいさんしかいなかった。
及川はカフェオレを頼んで、
はミルクティーを頼んだ。2人とも、砂糖とはちみつをたっぷり使った。
「勉強、はかどってる?」
「まぁね。徹は、勉強より練習か」
「それなりにはやってるよ。これでも進学希望なんだから」
「スポーツ推薦固いんでしょ?」
「そりゃそうだけど……」
カフェオレから立ち上る湯気越しに
の整った顔立ちを眺めながら、及川はぼんやりと言葉尻を濁した。
の手がティーカップを両手で包み込むようにしていて、手首が細くて、その内側が白くてとても綺麗だった。
「徹は、結構余裕だよね」
「え? そんなことないよ?」
頬を軽く叩かれたような衝撃を感じて、及川は視線を上げた。
は表情のない顔でティーカップを見下ろしている。怒らせてしまっただろうか、強引にお茶になんか誘ったせいで。
「でも、そういう風に見えるよ、やっぱり」
「そうかな。例えば、どんな風に?」
「うぅん」
は甘いミルクティーをひとくち口に含む間、じっくりと考え込んだように見えた。
「練習しててもさ、みんなが真剣にやってる中で、急にふざけたこと言ったりするじゃない」
「あれは、みんなの緊張をほぐそうとしてやってるんだよ。1、2年って、そうでなくても3年に気ぃ遣うじゃん? そういうの取っ払ってやりたいっていうか、それも主将の仕事の内って言うかさ」
「でも、それも余裕があるからこそできることだとは思わない?」
「そうかな? そんなこと言われても、俺全然実感ないよ」
そうだよ。余裕なんか全然ない。こんな風に落ち着いたふりして部活の話なんかしていたって、どのタイミングなら
の手を握っても不自然じゃないかなとか考えてるし、帰り路、今日はちゅーできるかなって既にむらむらしてるし。
「
はどう? 余裕ある?」
「私なんて、全然だめ。なんとか仕事こなすだけで精一杯って感じ」
「後輩のこととかよく見てくれてるじゃん。すごく助かってるよ?」
「でも、余裕はやっぱりないよ。うまくいかなくて、悔しいこともあるし、本当に役に立ってるかとか分かんないし」
「そんなことないよ! 役に立ってるって!」
つい声が大きくなってしまって、及川ははっとした。苦笑している店員と目があってしまって、気まずく笑い返す。あぁ、恥ずかしいったらありゃしない。変に目立って
の肩身を狭くしてどうするんだ。
「……ごめん、でかい声出して……」
小声で言うと、予想に反して
は肩をかすかに震わせて、ぷっと吹き出した。
「ふふっ。ありがとう」
「え? なにが?」
怒ってないのかな、という不安が及川の脳裏をよぎったけれど、
は笑っていた。顔を覗き込んでみると、弓なりに微笑んだ口元が開いて真っ赤な舌が見えた。その暗い赤色にどきりとして、動揺を隠すためにカフェオレを口に含んだ。
「徹って変なところで必死だよね」
「そう? そんなに面白かった?」
「うん。面白かった」
一体何が
のツボに入ったのかは分からなかったけれど、今日はじめて
の笑顔が見られたことに、及川はほっとした。今日は帰りにちゅーくらいはできるかもしれないという希望が湧いて、嬉しくなって頬の筋肉が緩んだ。
いい気分で店を出ると、日はすっかり暮れて人通りはほとんどなかった。
を横目で見やって様子を伺いながら手を伸ばし、平気な顔を装ってその手を取ろうとしたら、及川の手は空を切った。
「もうこんな時間か」
は鞄の中からスマホを取り出して時間を確かめていた。左手に鞄、右手にスマホ。及川のために三本目の手は存在しない。行き場を失った手を握りしめて、及川は苦笑いした。
「送っていくよ」
「ありがとう。……あれ?」
は鞄の外側についたポケットを探っていた。次は、鞄の内側のポケット、それから制服のジャケットのポケット、スカートのポケット。
「どうかした?」
「家の鍵忘れたかも……」
「え? 親は?」
「今日は遅くなるって言ってた気がするんだよね」
はむつかしい顔をしてスマホを睨んだあと、大仰にため息をついた。
「やっぱりそうだ」
「大丈夫? 親何時に帰ってくんの?」
「10時過ぎるって。どうしよう、家入れないや」
及川の胸の内に、やましい気持ちが湧いた。いやでも、夜の10時まで大事な彼女を寒空の下に放り出すなんて絶対にできないし、彼氏として彼女を守るのは当然の義務だし、もしも
が痴漢や変質者に出くわして危ない目にあったら大問題だし。なんとか正当な理由を並べ立てて、その陰に見え隠れするどうしようもない自分の本性を箱の中に押し込んで蓋をする。及川は勇気を振り絞った。
「俺の家、来る?」
は及川を見上げて、きょとんと目を丸くした。
「いいの?」
「全然! 親が帰ってくるまでいればいいよ。帰りも送るし」
「親御さんに悪くない?」
「事情が事情だし。大丈夫だって」
は少し迷うような間を置いたあと、遠慮がちに頷いた。及川は天にも登りそうな気持ちになったけれど、それが顔に出ないようにこらえ、「親に連絡する」と言って、
から視線をそらした。どうしても口元がにやけてしまうのが止まらなかった。
ところが、そのにやにやはいつまでも続かなかった。親にメールを打ったら、「悪いけれど今日急に親戚の誰それが入院したらしいからお見舞いに行かねばならない何時に帰れるか分からないから夕飯はテキトーによろしく」と投げやりなメールが返ってきた。虚をつかれた及川は、
に何も言えないままスマホをポケットにしまった。
家に着くまでのほんの15分程の時間が永遠みたいに長くて、家に着くまでの間に
とどんな話をしたのかまるで覚えていない。
は笑っていたかな。それともつまらなさそうに目を細くしていたかな。もしかしたら、また怒らせるようなことを言ってしまったかもしれない。ただちょっと視線を隣に向ければ分かることなのに、そんな簡単なことさえできなくて、壊れた操り人形みたいに自分の体がいうことをきかなかった。
家に着いたら、やっぱり家族は誰も帰っていなくて、当然電気もついていなかったから
もすぐに分かったと思う。扉を開けて「どうぞ」と
を家に招き入れた時、
は「お邪魔します」と言って意味ありげに微笑んだ。
「俺の部屋、2階だよ」
「うん」
古くて少し軋む階段を上がりながら、部屋散らかってなかったかなとか、マッキーに借りたあのDVDちゃんと隠してあったかなとか、不安要素が次々頭をよぎったけれど、ここまで来たら引き返せない。
「はい、どうぞ」
襖を引いて、先に部屋に入る。良かった、散らかり具合はいつもよりはいくらかましだった。
「和室なんだ」
は部屋をぐるりと見回して言った。
「なんか意外」
「ははっ、よく言われる」
部屋の隅の定位置に鞄を下ろして、そばに転がっていたバレーボールを手に取った。暇さえあれば常に触っているボールだ。
がいるのに習慣でついそうしてしまって、慌てて振り返ると、
はちょうど鞄を肩から下ろしかけていたので、その鞄を手にとって部屋の隅に下ろしてあげた。
「ありがとう」
「あぁ、うん」
変な間があいて、しまったと思う。どんなことを話して間を持たせればいいのか、見当もつかなくて焦る。
が口を開きかけた時、なぜか及川はボールを
の胸もとに押し付けてその言葉を遮った。
「喉、乾いてない? 何か持ってくるよ」
「あぁ、うん」
ボールを抱えまま立ち尽くす
を残して、逃げるように部屋を出た。
だって、どうしたらいいって言うんだろう。家族がいない家で、
とふたりきりで、理性を働かせなきゃいけないなんてそんなのほとんど拷問じゃないか。いや、自分を拷問しているのは他でもない自分だし、そうしなきゃと思っているのも嘘じゃない。だって、
を大事にしたい。いつもうまく出来ないけれど怒らせたくないし、傷つけたくない。何かひとつ間違えたら、そこでこの関係が終わってしまうんじゃないかと思うと怖くて仕方がない。失敗したくないし、こんなことでうじうじ悩んでいるカッコ悪い自分を
に気づいて欲しくない。
は「徹は余裕だよね」って言ってくれたけど、余裕なんてこれっぽっちもない。
と手をつなぎたい。
とキスをしたい。
を抱きしめたい。でも、もしも失敗して怒らせて嫌われたら最悪だ。
コカ・コーラのボトルとグラス、歌舞伎揚げのお徳用パックを盆に載せて部屋に戻る道すがら、及川は何度も深呼吸をした。
「お待たせー……」
部屋に入って、及川はぽかんと目を丸くした。
は、及川がいつもそこで寝起きしているフロアベッドの縁に腰掛けて、ひとりでバレーボールをオーバーハンドパスしていた。まっすぐに伸びた腕が、落下してくるバレーボールを受け屈伸し、同じ高さにボールが跳ね上がる。ボールを見上げる
の瞳、まっすぐに伸びた背筋、曲線を描く胸元、
の白い二の腕。ボールと
が一体になって、奇跡みたいにきれいだった。
「あ、おかえり」
及川に気づいた
は、静かにボールを受け止めた。及川が毎日毎日暇さえあれば触り続けているボールを
が抱きしめているのを見るだけで、及川は胸がいっぱいになった。
「コーラでよかった?」
盆を床に置いて、内心散々迷ったあげく
の隣に座る。
「うん。あ、歌舞伎揚げ」
「ごめん。なんかこんなんしかなくてさ」
「私これ好きだよ。家にもいつもあるの」
「そうなんだ、良かった」
家に誰もいないから、少しでも会話が途切れるとやたら静かになってしまって間がもたない。音楽でもかけるか、テレビでも見るかすればいいのかもしれないけれど、いまやっと腰を落ち着けたばかりなのにまたすぐ立ち上がるのも間が悪いような気がする。
「もしかして、今日家族の人いないの?」
がコーラを一口飲んで言った言葉に、及川は心臓を鷲掴みにされたような気分になった。
「うん、実は。なんか急に親戚が入院したらしくて、見舞いに行くって……」
「そうなんだ」
が何を考え込んでいるのか、及川には分からない。騙し討ちみたいに誰もいない家に連れ込んでしまったことを怒っているかもしれないし、全然会話が続かなくて退屈しているかもしれない。だって、
の顔を見ることができなかった。見たら最後、なけなしの理性が音を立てて燃え尽きてしまいそうだった。
に嫌われたくない。けれど、そのために何をしたらいいのかまるで分からなかった。
「ねぇ、徹? 聞いてる?」
「聞いてるよ」
本当は何にも頭に入ってこなかったけれど、どうにか笑ってそう答える。
がこっちをじっと見ているのが気配で分かる。あぁもう、そんなにまっすぐに見つめないで欲しい。どきどきするじゃん。心臓口から出そう。
「何でこっち見ないの?」
そんなことしたらもう理性がきかないって分かってるからだよ。
は全然分かってない。俺がどんな気持ちで
を好きでいるかとか、どれだけ大事にしたくて、怒らせたくなくて傷つけたくないと思っているかとか。そのために、今俺がどんな気持ちで自分と戦っているかとか。
にどんなことしたくて、どんなに
にひどいことをしたいと思っているかとか、何にも知らないままこっちを見ないで欲しい。
何もかも、自分の中にあるいやらしくて下品なもの全部、
のせいにしたくなって、そんな自分が嫌で嫌でたまらなかった。
「徹?」
その時、
の手が及川の膝に触れた。白く滑らかな手の甲に視線を落として、及川はそれを握り返すべきかどうか散々迷った。迷って迷って迷った挙句、自分に負けた。
赤頭巾ちゃん 気をつけて
20150914
及川は健全な高校生男子なんだと思うんだよ。