|
地雨 「痛ってぇ」 痛みに上擦る声で、土方はうめいた。 いつもは肩肘張って弱音のひとつも吐かないのに、今日ばかりはどうしても我慢できないらしく、目に涙さえ浮かべていた。 「もうすぐ終わりますから。しっかりしてください」 「痛てぇもんは痛てぇんだよ、ったく」 土方の左肩から二の腕にかけて、ばっさりと大きな太刀傷ができている。浪士と斬り合いになって受けた傷だ。何針も縫っているので、一日に一度消毒をしてガーゼと包帯を変えなければならない。まだ完全に傷がふさがっておらず、傷跡はまだ生々しかった。 「そんなに文句言うなら、最初っから怪我なんかしなきゃいいんですよ」 「それができたら苦労しねぇんだよ」 「あんまり無茶しないでくださいって言ってるんです」 「してねぇよ。ここ最近ちゃんと休んでんのはお前も知ってんだろ」 「知ってますよ。みんなに隠れて道場稽古してるからこんなに傷の治りが遅いのも知ってます」 「……見てたのかよ」 「見てなくても分かります」 土方は苦虫を噛み潰したような顔をして黙り込んだ。そんな顔をするくらいなら、見栄なんか張らなければいいのに。土方のこういうところが、ときどきとても面倒くさい。 「はい、終わりましたよ。もうあんまり動かないでくださいね」 救急箱を閉じて言うと、土方はさっそくたばこに火をつけて一服した。怪我をした体にはたばこの煙も毒だろうに、そんなことは意に介さないようだ。手当したばかりの右肩の着物をはだけたままで、包帯の色が白々しい。 「動かねぇと体がなまるんだよなぁ」 「散歩でもしてきたらどうですか? 歩くのは問題ないんでしょう?」 「こんな腕で攘夷浪士にでも出くわしたら太刀打ちできねぇだろうが」 「じゃぁ、動かせる方の腕で筋トレとか?」 「ガラじゃねぇな」 部屋の中に生ぬるい風が入って来て、揺れた髪が頬をくすぐる。誘われたような気がして視線をやると、今にも雨が降り出しそうなどんよりとした曇り空が見えた。体にまとわりつく空気がしっとりと重たい。 「雨も降りそうですし、やっぱり今日は屯所で大人しくしておいた方がいいですね」 土方は気だるそうに首をぽきりと鳴らしてため息を着くと、まだ長いたばこを灰皿で押しつぶした。重い前髪が風に揺れて、面映げに瞬きをした。 「そうだな。たまには昼寝でもするか」 言うなり、土方は立ち上がって開け放していた襖を閉めた。昼日中だというのに、部屋は影を落としたように薄暗くなる。どうしたのかと口を開きかけたところで、土方に唇を塞がれた。その勢いのまま倒れそうになるのをなんとか堪えた。 「ちょっと、土方さん!? 急に何ですか……!?」 「何って。昼寝だよ、ひるね」 「ひとりで勝手に寝てください! ていうか、全然昼寝じゃないでしょこれ……!」 「あんまじたばたすんなよ。こっちは片腕使えねぇんだから」 土方の手が首の後ろに回って耳の裏をくすぐった。それだけの事で腕の力が抜けてしまって、倒れ込むまいととっさに土方の袖を掴んでしまう。片腕が使えない土方はバランスを崩して、ふたりなだれ込むように倒れ込んだ。その拍子に傷口をしたたか打ち付けたらしく、土方は声にならない悲鳴を上げた。 「……っ! ……っ!!」 「土方さん? 大丈夫ですか?」 「……てめぇ、わざとかよっ……?」 「私がそんな器用なことできるわけないでしょう? もう……」 痛みに打ち震える土方がさすがにあわれになって、横になったまま悶えている土方の額を撫でる。痛みのあまり脂汗が浮いていたので着物の袖で軽く拭ってやると、その手を強い力で握られて、引き倒された。 「わぁっ!」 見上げた土方は得意そうににやりと笑った。どうやらはめられたらしい。してやったりと言わんばかりの嬉しそうな顔を見たら、抵抗する気力も失せてしまう。 「……誰か来たらどうするんですか? それに、傷に響きますよ」 「大丈夫だって。見廻りであらかた出払ってんだから、いいだろ? たまには一緒に昼寝しようぜ」 右肩の包帯を下から眺めていたら、ため息が出た。土方はこういう怪我でもしなければ仕事を休むこともできないのだ。そりゃ、昼間からこんなことをしていても許されるだけで嬉しくて仕方がないのだろう。 「まぁ、いいですけど。無理しないでくださいね」 「お前が大人しくしてくれてりゃ平気だろ」 「どういう意味ですか?」 わざと包帯の上から傷を叩いたら、土方は悲鳴を飲み込んで、体に覆いかぶさるように倒れ込んできた。痛みに肩を震わせているのが間近で見えて、耳元に口付けるようにして言ってやる。 「だから言ったでしょう? 無理するからいけないんですよ」 「……お前、見てろよこの野郎……」 「お好きにどうぞ」 土方とのキスは、いつも苦いたばこの味がする。けだるく重い空気が部屋中を満たして息苦しい。いつの間にか降り出した雨のぱらぱらという音が聞こえる。薄暗い部屋の中にいると、今が何時なのかもよく分からなくなってくる。 ぼんやりとした不確かでふわふわした空間に閉じ込められて、二度とここから出られなくなってしまえばどんなにいいだろう。 そんな空想が頭をよぎる、雨の昼下がり。 20141117 |