たのしい迷路









 楽しいメロディが夢の中にいるを呼ぶ。目を開けると朝だった。少し寒くてくしゃみが出る。布団を肩まで引き上げようとしたけれど、背中から回された腕に体を締め付けられた。その腕の力強さに、はうめいて抵抗した。

「……もう起きちゃった? またする?」

 安室が寝起きの掠れた声で言う。
 その吐息がくすぐったくて、は肩をすくめた。

「しないよ。ケータイ鳴ってるから、起きないと……」
「こんな朝早く? 無視すれば?」
「そんなに早くないよ」

 を逃がすまいとしがみついてくる安室の腕をなんとか解いて、はベッドから抜け出した。床に落ちていたTシャツを拾って頭からかぶりながら、寝ぼけ眼で音のする方に足を向ける。のスマートフォンは充電器に刺さったまま、同じメロディをくり返して震えていた。液晶に表示されているのは、高校時代からの友人の名前だ。

「もしもし?」
『あ、やっと出た! 、今日ヒマ!?』

 底抜けに明るい声に、は思わずスマートフォンを耳から離した。

「ちょっと、朝から声大きいよ」
『あぁ、悪い悪い。ついいつものくせで』
「いいけどさ、何の用?」

 ふと、背後に気配を感じて振り向くと、安室が立っていた。安室はの肩口に顔を押し付け、甘えるようにの腰を抱いてくる。は声を上げそうになるのをなんとかこらえて、電話の声に意識を集中した。

『実は、仕事お願いしたいんだ。イギリス人相手の観光ガイドなんだけど』
「え、今日?」
『そうなの。本当、急で悪いんだけど頼まれてくんない?』

 は安室の薄い金色の髪が目の前でちらちら揺れているのを見つめながら、気心知れた友人の声に耳を傾ける。

『元々、今日はうちの会社のお得意さんを接待する予定だったんだけど、その人が急にお友達も一緒に連れて行きたいって言い出してさ。そのお得意さんは日本語ぺらっぺらだから問題ないんだけど、お友達の方はからっきしらしいのね』

 首の付け根を安室の唇が滑る。くすぐったいようなもどかしいような感触に、は心地良く目を細めた。安室の唇は冷たい。なのに、それが触れたところは静かに熱を持ってくる。

『社の大事なお客さんだから失礼があったらまずいのよ。なら安心して任せられるんだ。ね、頼むよ』
「そんなこと言われても、いきなり今日のことなんて何の準備もできないじゃない」

 安室の手がTシャツの上からの下腹部を撫でる。は体を折って抵抗しようとしたが、安室の鍛え上げられた体の前では為す術がない。

『大丈夫! 日本に来るのは初めてらしいから、今日は東都の定番観光コースを巡る予定なの。築地に、銀座にベルツリータワー、前にもにガイドしてもらったでしょ、あの時もすごく評判良かったんだよ』
「そうは言ってもねぇ……」

 はほんの少しだけスマートフォンを耳から離すと、安室の耳元に鼻先を押し付ける。そして、鋭い吐息で牽制した。

「やめて。電話できないでしょ」
「放っておくが悪い」
「あのね」
「行ったらいいよ」
「え?」
「仕事をないがしろにしたらだめだよ」

 安室はそう言うと、唇を重ねるだけのキスをしてにやりと笑う。その笑顔の圧倒的な力強さに、は何も言えなくなってしまった。まるでこうなることをすでに分かっていたような、むしろ待っていたような笑い方だ。

『ちょっと、、聞いてるの!?』

 と、電話越しに怒鳴られて、ははっとした。

「うん、聞いてるよ」
『私の頼み、聞いてくれる?』

 は電話の向こうの友人へではなく、目の前にいる安室に向かって言った。

「分かった、引き受けるよ」

 安室は満足そうに笑った。

『本当!? ありがとう! 恩に着るね!』
「ギャラはずみなさいよ」
『任せといて! じゃ、時間と場所はLINEするから』

 苦々しい顔をして電話を切ったの頭を、安室は髪がぐしゃぐしゃになるまで撫で回した。もともと寝癖がついてぼさぼさだったが、前が見えなくなるほどかき回されて、は安室の腕の中で精一杯もがいた。

「んもう! やめてよ!」
「こうしてると、とても仕事のできる女には見えないね」
「透だって今はただの露出狂じゃない」
「仕方ないだろ、が俺の服着ちゃってるんだから」

 言われて初めて、は安室のTシャツを着ていることに気が付いた、寝ぼけながら最初に手に取ったシャツをよく確認もせずに着てしまったせいだ。安室のシャツは、が着ると太腿の中ほどまで裾が落ちてしまう。どうりでやたらと肩が落ちるし体が泳いでしまうわけだ。

「ごめん。気づかなかった」

 はシャツの裾をつまんで言った。

「そうなの? 誘ってるんだと思ったけど」

 安室は腕の中での体を反転させると、わざわざ体を持ち上げてキスをする。は安室の首に腕を回してしがみつき、そのまま元いた場所に運ばれた。ふたり分の体温で温まったベッドはまだ冷えていなかった。

 の手の中でスマートフォンが震える。

「ちょっと待って」

 と、は安室の唇を片手で押さえて言った。
 安室はその指先に舌を這わせながら待った。

「待ち合わせは東都駅だって」
「何時に出れば間に合う?」
「あと2時間後かな」
「充分だね」
「何が?」

 安室はの手からスマートフォンを奪い取ると、ベッドの下に放り投げてしまう。は「ちょっと」と不機嫌な声を出したけれど、その顔は言葉とは裏腹に笑っている。その笑顔を両腕で閉じ込めるようにして、安室はを抱きしめた。



 の部屋は高層マンションの10階にあって、ベランダから気持ちのいい景色が見渡せた。ちょうど目の前にある公園の緑が真上から見下ろせ、その上に広がる空が広い。熱いコーヒーに舌鼓を打ちながら景色を楽しんでいた安室は、物音を聞いて部屋に戻った。

 ほとんど身支度を整えたが、リビングのテーブルの上に荷物を広げている。スマートフォン、モバイルバッテリー、デジカメ、財布、手帳、筆記用具、化粧ポーチ、電子辞書に、外国人観光客向けの東都観光パンフレット。

「あー、もう、コーヒー飲む時間もないよ」

 は鞄に荷物を詰める手を止めずに言う。ベッドを出るのがずるずると遅くなってしまったので時間はぎりぎりだった。

「車で送って行こうか?」
「いいよ。地下鉄の方が時間読めるし」
「間に合う?」
「たぶん、なんとかなると思う」

 は荷物の準備を終えると、ドレッサーの前に立つ。そんなに時間もないというのにじっと自分の顔を見つめて、きれいに巻いた髪をいじったりまつ毛に触れたりして、安室には何をしているのか分からない。そんなことをしなくてもは充分きれいだと思う。

 鏡越しにの後ろに立った安室を見つけて、は髪を払った。体の線を見せる仕立てのいいワンピースの背中がぱっくり割れて、しみひとつない真っ白な背中が露だ。

「ファスナー上げてくれる?」

 安室はコーヒーカップをドレッサーに置くと、の髪を噛まないように慎重にファスナーを引き上げる。

 はグロスを塗り直しながら言った。

「本当にごめんね、ゆっくりできなくて」
「もう謝らなくていいよ」

 安室はファスナーを上げ切る直前、首の後ろの骨の下、ちょうど襟で隠れるところにキスをする。は息を詰めて身を引いたが、ドレッサーと安室の体の間に閉じ込められて身動きが取れない。安室がそこにしっかり痕を残したことを感じて、は呆れた顔でため息を吐いた。

「透ってさ、本当に日本人?」
「なんで?」
「こんなにべたべたする人と今まで会ったことないもん」
「べたべたって、愛情表現のつもりなんだけど」
「それがべたべたしてるって言うの」
「いや?」
「そうじゃない、まだ慣れないだけ」
「じゃあ、早く慣れて」

 安室はの後頭部にもキスをして、鏡越しにの目を見つめる。

 は後ろ髪を引かれるような思いに、気が重くなった。ここまで支度を整えておいて今更だが、安室に見つめられるとその視線に縛られたように身動きが取れなくなってしまう。この腕の中以外、どこにも行きたいところなんかない。友人の頼みとはいえ、あんな急な依頼なんかきっぱり断ってしまえばよかった。

 とはいえ、やっぱり時間が気になる。もうそろそろ家を出なければならない。きっといい収穫が得られる仕事だ、気合を入れなくては。

 安室は玄関までを見送り、靴を履いて振り返ったの額にキスをしながら言った。

「いってらっしゃい」
「そういうの、誰に教わったの?」

 は照れ隠しに前髪を撫でつけながら言う。土間に降りて一段低いところにいるを見下ろして微笑みながら、安室は首を傾げて答えをはぐらかした。

「さぁ、誰だったかな」
「分かった、元カノでしょ。年上の外国人とか」
「元カノじゃないよ。もう忘れた」
「そういうことにしておこうか」
「もう少し部屋にいていい?」
「好きなだけどうぞ」
「また連絡するよ」

 扉の向こうに笑顔を消したを見送って、安室はチェーンロックをかけてから部屋に戻る。

 寝乱れたベッドは、布団カバーもシーツもほんのり湿って汚れている。そこにが脱ぎ散らかしたTシャツと下着が干からびた死体のように散らばっていた。リビングには色とりどりのクッションが規則性もなく転がっていて、山積みにされたファッション雑誌が雪崩をおこしている。昨夜、安室がプレゼントした花束がテーブルの上に放り投げて合って、少ししおれていた。ダイニングとキッチンは、汚れた食器が出しっぱなしだった。

 この散らかりようの一旦は安室にも責任があったが、ほとんどはひとりの責任だ。これではまだ中を確認していないもうひと部屋もどういう状態になっているか想像に難くない。

「さて、どこからはじめようかな」

 と、安室はひとりごちた。



 この日のポアロのシフトは午後からで、ティータイムの混雑を梓とふたりで乗り切る。サンドウィッチやパスタを調理し、汚れた皿を洗い、常連客と世間話に花を咲かせ、店仕舞いをする頃にはとっぷりと日が暮れていた。昨夜はと会うためにハロの世話を部下に任せていた。今夜はちゃんとハロの顔を見て、一緒に夕飯を食べて夜の町を散歩しようと思っていた。

 冷蔵庫の中に何が残っていたか思い出しながら、スーパーでセロリと黄色いパプリカとトマトを買う。閉店間際だったので、馴染みの店員が値引きしてくれた。それだけでずいぶん得をしたような気分になる。確か絹ごし豆腐を買い置きしていたはずだから、トマトと一緒にオリーブオイルで炒めよう。セロリとパプリカはマリネにして、明日ポアロに持って行こうか。梓もマスターもきっと気にいるだろう。

 段取りを整理し終わる頃、ちょうどアパートに着いた。

 鍵を開けようとして、安室はおや、と目を見張った。
 鍵が開いている。
 そっと扉を開けて、ぎょっとした。

 玄関を入ってすぐのキッチン、ひとり暮らしには充分な大きさのダイニングテーブルの足元に、が膝を抱えて座り込んでいたのだ。

「どうしたの?」

 思わず素っ頓狂な声を出してしまった安室を、は珍しいものを見たように笑った。

「透もそんな顔するんだね」
「連絡くれてればこんなに驚かないよ」

 よく見れば、の足元でハロが皿に顔を突っ込んでドッグフードを頬張っている。腹を空かせていたらしく、すごい食いっぷりだ。

「ハロに会いに来てくれたんだ」
「それから、これ。お土産」

 が差し出したのは、白地に茶色で鳩や雷様が印字された紙袋だ。浅草の仲見世通り名物の人形焼きだ。そういえば今日そこに観光客を案内すると言っていた。

「ありがとう」

 それにしても。

 安室は買ってきたものをダイニングテーブルに広げながら、こっそりを観察する。今朝、着替えを手伝ってやったワンピースの上に、今はジャケットを羽織っている。一日たって少しくたびれた髪のカール、鞄を背中とテーブルの間に当ててクッションにしている。鞄の口は開いていて中が見えていた。そう言えばコナンも言っていた、は少し不用心なところがある。疲れているのか、表情にはりがない。こんな時間まで観光客を案内するのは骨だっただろう。通訳は語学力もさることながら、気力・精神力も必要な仕事だ。それとも、よほど気を遣う相手だったのだろうか。

「夕飯は食べた? よかったら何か作ろうか?」
「大丈夫。食べてきたから」
「それじゃお茶を淹れるよ」

 やかんを火にかけて湯を沸かす。

 ドッグフードを食べ終わったハロは、の膝に前足を乗せて尻尾を振って甘えている。に喉を撫でてもらってご満悦だ。もそちらに気を取られている。

 安室は引き出しからお茶を取り出すふりをして、の鞄の中からデジカメを掏った。音が出ないことを確認して、写真を呼び出してみる。今日、東都を案内したという外国人が雷門やスカイツリーを観光している写真が何枚か出てきたが、それだけだった。元の場所に戻しておく。

 熱い緑茶を淹れて、が買ってきた人形焼きを皿に移す。安室はの隣に腰を下ろすと、湯呑と皿を直接床に置いた。

「こら、お前はだめだよ」

 人形焼きに興味を示して鼻を鳴らすハロを、安室は膝の上に抱き上げた。
 はそれを見て、疲れた顔をして微笑んだ。

「何かあった?」
「別に、何もないけど」
「何もないのにどうしてこんな床に座ってるんだよ。体冷えるよ」
「ハロがご飯食べてるところ見てたから」
「知ってる? 人って考え事するときに三角座りになるんだよ。それから、不安を抱えていたり、精神的に不安定になっているときにもね。これって母親のおなかの中にいるときと同じ姿勢だろ、お腹を抱え込むようなこの姿勢を取ると本能的に安心するんだって」
「……いつも思うんだけど、探偵ってデリカシーがないよね。そうやって推測で人の心を分かった気になるんだから」
「推理で人の本心までは分からないよ。だから教えてって言ってるんじゃん」
「……言ったら、私のこと嫌いになるかも」

 は膝の上に顎を乗せて目を伏せた。両腕でぎゅっと膝を抱えて、ただでさえ小さな体がますます小さく見える。思い詰めたような目をして、今朝、笑顔で扉の向こうに消えたとはまるで別人だ。

 安室はハロを床に下ろすと、手ぶりと目で合図をする。ハロは賢い顔をして一声吠えると、大人しく居間に引き上げて自分の寝床に寝そべった。我ながらいい犬を拾ったな、と安室はすっかり感心した。

、おいで」

 安室はの顔をのぞき込んで、両手を広げて言った。その瞬間、の目元がぴくりと動いた。それを見逃さなかった安室は、の肩を抱いて体を引き寄せる。

「ひとりで無理するもんじゃないよ」
「透は優しすぎるよ。少しは鬱陶しいって思わないの?」
「思うわけない」

 抱えた肩を温めるように撫でてやりながら、が何か言うのを待った。
 どれくらいの時間が経っただろうか。
 ふいに、の手が安室の上着をぎゅっと掴んだ。

「透の言うこと、当たってる。私、不安なの」

 安室はの言うことを邪魔しないよう、じっと口をつぐんでいた。話はちゃんと聞いていることが伝わるように、絶えずの肩を撫でてやりながら。

「透はさ、私のどこがよくて付き合ってくれてるの?」
「何だよ、急に?」
「別に、ただ気になったから」
「うーん、そうだな」

 ふと、安室は昼間のことを思い出して笑った。

「しっかりしてそうに見えて、実は結構ずぼらなところ、かな」
「どういうこと?」
「あの部屋は見ものだった」
「……見たの!?」

 は大声を出して安室を振り返る。その形相に、安室は思わず声を上げて笑った。

 のマンションの一室はウォークインクローゼットになっていて、安室が見たそこはまるで竜巻が通り過ぎた後のように激しく散らかっていたのだ。必要最低限のものしか手元には置かない安室には、あの光景は衝撃だった。泥棒に入られたと言ってもおそらく誰も疑わないだろう。どうやったらあそこまで散らかすことができるのか、むしろ教えを請いたいくらいだ。

 は顔を真っ赤にして膝頭に額を押し付けた。

「もう、勝手なことしないでよ……」
「見ちゃだめって言われなかったし」

 よほど恥ずかしいのか、は耳から首筋まで真っ赤だ。なんだか小動物のようでかわいくて、安室はの耳元に唇を寄せた。

「そういうはどうなの? 俺のどこがよくて付き合ってくれてるの?」
「もう嫌いになったかもしんないよ」
「そんないじわる言わないでくれよ」
「いじわるはどっちよ」
「すねてないで、教えて」

 小さな子どもがへそを曲げてむくれている。の不機嫌はそんなふうにいじらしくて、深刻な雰囲気は感じなかった。それだから余計に庇護欲をそそられて、安室は無意識にを抱く腕に力を込める。

「……透の、優しいところが好き」

 は顔を伏せたまま呟いた。消え入りそうなほど小さな声だったが、安室にはちゃんと聞こえていた。

「一緒にいると楽しいし、私を大事に扱ってくれて嬉しい。男の人に花束なんかもらったの初めてだった」

 ふいに、は大きなため息を吐いて安室の腕にもたれかかってきた。ぐったりと、全ての力を使い果たしてしまったような様子で、安室は少し心配になった。体に寄りかかってくるの重さは、本当にくたびれ切ってしまっている人の重さだった。

「大丈夫? そんなに疲れてるの?」
「うん、疲れてる」
「そんなに大変な仕事だったんだ、頑張ったね」
「違うの、そうじゃない」
「じゃぁ何?」
「……自分の気持ちを持て余し気味なの。重くて大きくて、ずっとこんなの抱えてるの本当大変だよ」
?」
「ねぇ、年上の外国人の元カノってどんな人だった?」
「え?」

 に下から睨み上げられて、安室は不覚にも動揺した。かすかに潤んだ瞳、白目の部分がかすかに青く光っている。間近で見ると、の黒い瞳の向こうに何か違う色が見えるような気がするけれど、それがなぜなのかが分からない。

 分からないことで、自分が冷静さを欠いていることが分かる。

「もしかして、妬いてるの?」
「悪い?」
「まさかそれを気にして落ち込んでたの? 小学生の頃とか、そのくらい前の話だよ」
「自分でも馬鹿だなって思ってるよ。でも、こういう感情って自分ではコントロールできないんだよ」
「朝も言ったけど、元カノじゃないよ。昔お世話になったお医者さんで、その時にはもう結婚してたし」
「でも好きだったんでしょ」
「好きというか、なんというか、まぁ、今思えばあれは憧れだったかな。母親の影を重ねていたのかもしれない。もしもあの人にまた会った時に、恥ずかしくない男になりたかった。そういう意味では目標かな」
「ふぅん」

 は納得したようなそうでないような目で安室を睨むと、安室の胸に頬をこすりつけて甘えてきた。

「面倒くさいこと言ってごめん。嫌いにならないでね」
「ならないよ」
「ちょっと混乱してるの、透のことこんなに好きになると思ってなかったから」
「俺ものこと好きだよ」
「うん」
「人を好きになることに、そんなに戸惑う必要はないよ。恋愛は理屈じゃないんだから」

 ふいに、が身じろぎをする。何かと思えば、両腕を安室の首に回してしがみついて来た。そして、安室の耳元で、思い詰めたようにささやいた。

「大好き」

 拳銃を撃つ時、その銃口からは弾と一緒に高温の熱風が噴き出る。銃口を肌に押し当てて引き金を引けば、必ず火傷の痕が残る。安室はの腰を抱いて支えてやりながら、の言葉がそんな風に胸の奥に焼き付くのを実感した。

 人を殺すための手段は星の数ほどある。けれど、人が人を殺す原因はたったひとつだ。恨みも憎しみも悲しみも、全て人の心から生まれてくる。人を殺すのはいつだって、人の心から生まれる感情だ。

 たった今、安室の胸に生まれた感情は、の体を抱く腕に無茶な力をこめる。が悲鳴を上げるほど強くその体を締め上げて、安室はそれでなんとかそれ以上のことをするのを我慢した。








20190526