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癒されたい孤独などない 独り暮らしをはじめて、ずいぶん経つ。何だって少なめで半分で間に合うという歌があったような気がするけれど、半分どころか三分の一か四分の一で済んでしまっているような気がする六畳のワンルームは、すっかりくたびれて帰ってきた住人には、いささか冷たい。 真っ暗な部屋は暖房が効いていなくて寒いし、出がけに洗濯した服はまだ生乾きで少し臭う。散らかしたままの資料と文房具、飲みかけのコーヒーが底に残っているマグカップ、朝食の菓子パンのビニール包装が、ゴミ箱に入りきらずに飛び出している。くたくたに潰れたクッション、少し前にコーヒーをこぼしてできたカーペットのシミは結局落ち切らなくてそのままだ。 片付けたつもりなのに何だか雑多に散らかって見える小さなキッチン。冷蔵庫を開けてみるけれど、こういう時に限って調味料しか入っていない。 何もする気が起きず、着替えもせず化粧も落とさず、ベッドに倒れこんだ。 上も下もない真っ暗な宇宙にひとり、放り出されてしまったような気分だった。部屋中に散らかる日用品とゴミの間をさまよっているような雑多なものたちはスペースデブリで、隙あらば素知らぬ顔をして私に攻撃を仕掛けてくる。ベッドカバーと私のお腹の間に潜んでいたシャープペンシルをテーブルに投げたけれど、そこまで届かず床に落ちる。後で踏まないように気をつけようと思うけれど、思ったそばから忘れてしまうことは分かっている。 何だか泣き出しそうな気持ちになったので、それをごまかすためにテレビを付けた。ちょうどスポーツニュースが始まったところで、そのトップニュースに、藤代誠二の顔がアップで映り、目を丸くして息を飲んだ。 「藤代、やりました! 後半三十分を過ぎてからのハットトリックで逆転勝利です!」 アナウンサーが興奮気味に宣言すると、ピッチを斜め上から俯瞰するカットに切り替わって、藤代のゴールシーンが立て続けにリプレイされる。その後、ゴール裏のサポーターに駆け寄り、チームメイトからもみくちゃに押しつぶされる藤代の笑い顔がアップになる。 真っ暗な宇宙に太陽の光が射した。 ベッドから起き上がって、テレビから流れ続けるニュースに耳を傾けた。インタビューに答える藤代の汗だくな笑顔が眩しくて、つられてこちらの口元も緩んでしまう。 「いいところにボールが来たんで、決めるだけでしたね!」 底抜けに明るい声。中学生の頃より少し低くなったけれど、変わらないエネルギーに満ちた声だ。 ついさっき郵便受けから取り出したばかりの手紙の束をぱらぱらとくくると、一枚の絵葉書が目を引いた。オレンジ色の屋根をした西洋の町並みと、透き通るような青空のコントラストが美しい一枚だった。 裏返して差出人を見ると、風祭将と天城遼一の連名だった。几帳面な文字がふたりの近況を伝えていて、リハビリの具合、天城の妹が会いたがっているということ、次の帰国の予定を知らせている。こちらの近況を尋ね、体に気をつけて、という一文で結ばれていた。 テレビニュースは今週末に行われたJリーグの試合結果を知らせている。伊賀のチームは負けて、渋沢のチームは勝ったらしい。郭と須釜のチームは引き分け、藤村は今期の得点王を外国人選手と争っている。 ふと、携帯電話が鞄の中で震える小さな音がした。ベッドから精一杯手を伸ばして液晶を覗くと、黒川政輝の文字が浮かんでいた。 「もしもし?」 『あ、? 今平気?』 「うん。久しぶりだね、どうしたの?」 『来月の十五日なんだけど、空いてる?』 「何かあるの?」 再び手を伸ばして鞄の取っ手を掴み、ぐいと引き寄せ中から手帳を引っ張り出す。 『実は、五助が結婚することになってさ』 「え? そうなの?」 『そうなんだよ。で、その婚約パーティーをするから、お前も来ねえ?』 「……私なんかがお邪魔しちゃっていいの?」 黒川は一瞬黙り込んだ後、不思議そうに言った。 『選抜で世話になった仲だろ? 何を遠慮してんの?』 「あ、ううん、何でもない。気にしないで」 いけないいけない、と首を横に振る。いくら精神的に参っているとはいえ、こんなおめでたい誘いを受けて卑屈になっちゃうなんて、だめだめ。 『あいつんち、賑やかなの好きだからさ。できるだけ人集まるようにあちこち声かけてんだよ。はあんまそういうの得意じゃねぇかもしんねぇけど、来いよ』 「黒川くんが幹事なの?」 『おー、なんか流れでな』 「企画は、もしかして翼?」 『分かってんなら、来るって言えよ。じゃねぇと俺がどやされんだからさ』 黒川が携帯電話の向こうで大げさに嘆いて見せたのが、どうにもおかしくて笑えた。それを耳ざとく聞き取ったのか、黒川はことさら優しい声で言った。 『だからさ、来いよ。頼むから』 手帳を開き、ほとんど空白のページを見て、十五日に大きな赤い丸を付ける。ぐるぐると何重にも重ねて、隣の枠にはみ出すほど大きな丸を書いた。その赤丸は、何かのスイッチのようにページの真ん中に鎮座して、異様な存在感を放った。 「頼まれなくたって、ちゃんと行くよ」 携帯電話の向こうで、黒川がほっと息をつくのが聞こえたような気がした。 『じゃ、詳しいこと決まったらまた連絡するな』 「うん。分かった」 『じゃぁな。風邪引くなよ』 「子どもじゃないんだから」 笑みの気配を残して、電話は切れた。 自分の口元にも残ったそれを感じながら、流しっぱなしにしていたテレビを見る。 スポーツニュースはもう終わっていて、水野がCMキャラクターを務めている自動車のコマーシャルが流れている。水野はきりりと引き締まった顔をして、こちらを見つめながらブランド名を口に乗せる。何ということはないたったそれだけのことが、なぜか、おかしくておかしくてたまらなかった。 しばらく笑いをこらえて脇腹を痛めた後、すっくとベッドから起き上がり、ぐるりと部屋を見回す。雑多、という一言で十分足りる部屋ではあったけれど、今ではどんなスペースデブリであろうが、何もかもが愛おしく思えた。 私は、宇宙にたった一人ではない。その当たり前の事実が、こんなにも私を支えている。 「……あしたも、がんばろう」 誰へともなく呟いて、まず手始めに、床に落ちたシャープペンシルを拾い上げた。 20160229 |