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epilogue 春が来て桜は散り、もうすぐ二度目の夏がやってくる。 誰が言い出したのかは分からないけれど、最後にもう一度、みんなで集まることになった。月に一度の練習でよく使っていた都内の中学校の校庭に各々集まったメンバーは、ほんの数ヶ月、顔を合わせていなかっただけなのに少しだけ大人びて見えた。 風祭は松葉杖をついて不破に付き添われていたけれど、口元には笑顔が浮かんでいた。それを見ただけで、は心からほっとした。今日は風祭の送別会も兼ねている。やっぱり風祭には笑顔がよく似合うから、別れの日でもしんみりせずにすみそうで安心した。 せっかく集まったのだからゲームをしようということになって、それぞれ準備体操をしていたとき、はこっそり水野に耳打ちした。 「あのね、お父さんに会ってきたの」 水野は驚いた顔をして身を乗り出した。 「そうなの? なんでまた急に……」 「合宿が終わったら一度家に帰ろうとはずっと思ってて……。春休みで寮もしまるから、いい機会かなって思ったんだけど……」 は言いにくそうに口をつぐみかけたけれど、水野は先を促した。 「どうだった?」 「……けんかした」 「え? なんで?」 「なんだか、いつの間にか言い合いになっちゃって……」 「なんの話してたの? サッカーのこと?」 「ううん。学校はどうか、とか、寮生活はどうだとか、そういう普通のことだったんだけど、お父さんってば根掘り葉掘り聞いてくるんだもん。ちょっと面倒くさくなっちゃって」 「何か言ったの?」 「何っていうことはないんだけど、態度が良くなかったのかな。ちょっと話し疲れて投げやりになっちゃったのかもしれない。お父さんが『こんなに心配しているのにどうしてそんな冷たい態度を取るんだ』とか言うから、こっちはただでさえ久しぶりに実家に帰ってきて緊張してるんだよって答えたら、『実家に帰るのにどうして緊張することがあるんだ!』って怒り出して……」 はそこで言葉を切り、怪訝な顔をして水野を見上げた。 「何がおかしいの?」 水野はとっさに、緩んだ口元に手のひらを押し当てた。 「悪い。ついな」 「私の話、おかしかった?」 「いやおかしいわけじゃないけど」 「じゃぁ、なんで笑うの?」 「だって、がそんな普通の親子げんかするなんてさ。もっと複雑なのかと思ってた」 はむっと唇を尖らせた。普通、と言われたことが、なんだか面白くなかった。こんなにも思いつめて、考え出すと悲しくて苦しくて、息が詰まりそうになる悩み、父に会おうと決意するまでこんなにも長い時間を要して、会ったら会ったでなにひとつ上手にできなかった自分に自己嫌悪を覚えて、その夜はいつまでもいつまでも眠れなかった、この悩みが、普通のこと? 「複雑は、複雑だと思うけど……」 は少しふてくされてそうこぼした。 「俺も、親父とは顔合わせるたびにけんかしてるよ」 「例えばどんなことで?」 「と似たようなことで。桜上水ではどういう練習してるんだとか、強豪でもないチームでどこまでのことができるんだとか言われて、武蔵森の監督してる奴に俺たちの練習方法なんか教えられるわけないのにさ」 「水野くんのこと気にしてるんだね」 「余計なお世話だけどな。俺には俺のやり方があるんだから」 「そうかな」 「だってそうだろ。お父さんに心配されても、素直に受け取れない」 「あれは心配っていうのかな。ああしろこうしろ言われて、何か押し付けられてるみたい」 「余計なお世話?」 「そう、余計なお世話」 「たぶん、それが普通なんだよ。親って」 「そうかな。そうじゃない親って、いないのなかな」 「でも俺たちの親はそういう親だし、代わりはいないわけだし」 「……お互い難儀だね」 はため息をつきながら肩を落とした。水野は笑っていた。その笑顔が、心強かった。同じような悩みを抱えているもの同士、お互いを慰めあえるというのは、とてもいいことなのかもしれないと、は思う。 「そういえば、シゲがと会いたいって言ってたぞ」 「佐藤くんが? あ、今は藤村くんなんだっけ?」 「もうややこしいからシゲって呼べば?」 「えぇ、いまさら呼びにくいよ」 「喜ぶと思うけどな。良かったら連絡してやって。あいつ、まだ草晴寺に居候してるから」 「うん、分かった」 「なに? ちゃんってあいつと付き合ってんの?」 その時、口を挟んだのは藤代だった。 振り返ったが口を開く前に、藤代はグラウンドに響き渡る大声をあげて、耳ざといメンバーが振り返った。 「へぇー、なんか意外! どう見ても雰囲気違うのに!」 「藤代くん、佐藤くんと知り合いなの?」 「俺、桜上水と対戦したことあるもん」 「あ、そうなんだ。水野くん、教えてくれればいいのに」 「え? 話さなかったっけ?」 「聞いてないよ」 「っていうか、付き合ってるんなら教えてよ。てっきり、ちゃんは俺のこと好きなんだと思ってたんだけどなー」 は変な顔をして言葉を失った。何から否定すればいいのか分からなかった。 「はシゲと付き合ってるわけじゃないよ」 見かねた水野が横から助け舟を出したけれど、藤代は腑に落ちないようだった。 「あ、そうなの? じゃ、あながち俺の自惚れでもないってことか」 「いや、それはどうか知らないけど……」 「去年、若菜がちゃんに振られたって聞いたからさ。そういうことなのかと思ってたんだけど、そこんとこ実際はどうなの? ちゃん」 「えぇ?」 はどう答えればいいか分からず途方に暮れた。そもそも、若菜の告白を断ったことをどうして藤代が知っているんだろう。そしてどうしてそこから藤代を好きだから若菜を振ったのだという発想にいたるのか、にはさっぱり分からない。 「何騒いでんだよ、藤代?」 「なになに、なんの話?」 と、割り込んできたのは、賑やかな場所に首を突っ込むくせのある桜庭と上原だった。 「ちゃんが誰と付き合ってんのかって話」 「いや、ちょっと……」 そんな話はしていない、と口を挟む隙もない。 「え、って彼氏いんの?」 「へぇ、だれだれ? 俺の知ってるやつ?」 「え、メンバーなの?」 「若菜が振られたのは知ってるけど」 少し離れた場所にいた若菜が桜庭を睨んでいたけれど、は努めてそれを見ないようにした。見てしまったら最後、申し訳なさで胸が潰れてしまいそうな気がした。あれから半年も経つというのにどうして誰も忘れてくれないのかが、にはほとほと不思議だった。 「言っとくけど俺じゃねーからな」 どこから聞いていたのか、鳴海が口を挟む。 「そりゃそーだろ」 「誰もお前とさんが付き合うとか思ってないから」 「おい鳴海。ちゃんに失礼だろーが。謝れー」 「あぁ!? それどういう意味だオラ!?」 「いやなんでそこでマジになんだよ」 「鳴海ってちゃんのこと好きなの? だったらライバルだな! 恋敵ってやつ!」 「ちげーって! 妙な誤解される前にこっちから言ってやってんだよ!」 「鳴海―。さん困ってるぞー」 「あ、いや、別に……」 「好きなら好きって素直に言えばいいのに」 「それを言うならてめぇだってそうだろーが!」 「俺はちゃんから言ってくれるの待ってるんだって」 「んだよそれ、男らしくねぇな!」 口をつぐんだままのの肩を、上原がちょんちょんと叩き、面白そうに耳打ちした。 「若菜がそろそろ限界かも」 見ると、確かに若菜が何とも言えない顔をして肩を震わせていた。 「私、何か言うべき?」 上原はからりと笑った。 「いや、たぶんあれは照れてるだけだから。今、声なんか掛けたらあいつ恥ずかしくって死んじゃうよ」 「なんか、本当に申し訳ないことした気分になるな」 「じゃぁ、若菜と付き合ってたら良かった?」 「それは……」 「でしょ? 同情でそんなことするもんじゃないよ」 「でも、結人と顔合わせるたびにこんな気持ちになるのもなんかね」 「気にしすぎだと思うけどねぇ」 と、若菜と一緒にいた郭がこちらに歩いてきた。 「どうした? 郭」 上原が問うと、郭は申し訳なさそうな顔をしてを見た。 「さんに、ひとつ謝らなくちゃならないことがあるんだけど」 「何?」 「韓国に行ったときに会った、ソウル選抜の李潤慶のこと覚えてる?」 「うん。彼がどうかした?」 「ちょっと説明が難しいんだけど、彼がさんについて憶測みたいなものを話していてね。こういう事態になったのはそれが原因なんだと思うんだ」 「憶測って、どんなこと?」 「つまり、都選抜のメンバーの中に、さんの好きな人がいるんじゃないかっていう噂があって……」 「え? そうなの?」 「あー、そういえばあったねぇ、そんな話」 「……それ、みんな知ってるの?」 「うん。みんな知ってる」 「あぁ、だから藤代くんあんなこと言いだしたんだ」 「ごめんね。僕のいとこのせいでこんな騒がしいことになって……」 「郭くんが謝ることじゃないと思うけど……。でも、気にしてくれてありがとう」 「僕より結人にそれ言ってやってくれる? 憤死しそうになってるから」 若菜は真田に肩を叩かれてなだめられていた。 「まさかとは思うけど、若菜ってまださんのこと……?」 「いや、それはさすがにないと思うけど、いろいろ思い出して古傷えぐられてるんじゃない?」 「わぁ、哀れだなぁ」 「……なんか、ごめんね」 「いや、さんが謝ることじゃないけどね」 藤代と鳴海はまだ言い争っている。 この春から高校生になった渋沢と椎名が、少し離れた場所で腕組みをしてその騒ぎを見守っていた。 「俺はてっきり、椎名はさんのことを好きなんだと思ってたんだけどな」 渋沢が言うと、椎名は眉根を寄せて心から嫌そうな顔をした。 「それを聞かれるのも今日を最後にして欲しいね。そういう渋沢はどうなんだよ?」 「俺か?」 「実際、まんざらでもないんじゃないの? 俺はお似合いだと思うけど」 渋沢は目を丸くして椎名を見下ろした。 「椎名がそこまで言うなんて珍しいな」 「別に、深い意味はないよ」 「そうか? 俺にはそうは聞こえないぞ」 椎名は少し伸びた襟足を気にするふりをしながら、に手招きされて不承不承呼ばれた若菜と真田が苦々しく笑いあうのを見ていた。桜庭と上原が若菜をからかったけれど、がうまくフォローしたのを、郭が眩しい顔をして見ている。 は笑っていた。1年前のとは、すっかり見違えた笑顔だった。 「どういう意味だよ?」 「もたもたしてると、藤代になり、若菜になり、先を越されてしまうかもしれないってことさ」 渋沢は年よりずっと大人びた笑顔でそう言うと、ぽんと椎名の肩を叩いた。不本意だとは思ったけれど、椎名は何も言い返さなかった。 「よーし! じゃ、1番点とった奴がちゃんと1日デートできるってどうよ!」 一方的に宣言したのは藤代だ。 「ふざけんな! ディフェンダーが不利だろーが!」 「ゴールキーパーはそもそも権利なし?」 「俺はそれでも別に構わんが」 「ちょっと待てよ! それじゃ風祭が参加できねーじゃん!」 「あ、僕は明日にはもう発つからデートなんてそんな……」 「それはほら、この間のハットトリックの3点分があるだろ」 「げー、3点取んなきゃそもそも勝負になんねぇの?」 「ちょっと厳しすぎねぇ?」 「文句言ってる暇あるんなら点取れって話だろ」 「本気でちゃんとデートしたいならな!」 「……っていうか、私は景品なの?」 「文句があるなら今のうちに言っとけば?」 「なんでもいいからさっさと始めようぜー。セルフジャッジでいいだろー」 「ちゃんがジャッジやってよ!」 「あ、それいいね! 一番公平な感じするわ!」 「審判なんてできないって……」 「笛吹くだけでいいよー」 銀色のホイッスルを手渡されて、はグラウンドに散らばったメンバーを見渡した。ビブスも付けていないから、いったい誰がどっちのチームなのか傍目にはさっぱり分からなかっただろうけれど、この1年間何度も紅白戦を繰り返してきたメンバーだから、チーム分けなんか深く考えなくとも体に染み付いているようだったし、の目にも困らなかった。 否定したいことも訂正したいこともたくさんあった。けれど、みんなが、を見ていた。笛の音を待っていた。 仕方がないから、は口元にホイッスルを構えた。 「それじゃ、いくよ!」 高く、笛の音が響いた。 20160411 |