![]() 真選組の黒い隊服が、2人の隊士を取り囲んでいる。散乱した汽車の破片、あちらこちらで黒煙が上がっている。朝焼けの空がスポットライトのように世界を照らしていた。美しい景色だった。まるで、地獄のように。 「……ごめんなさい。銀さん」 は見える全ての景色から目をそらした。いくらきつく目を閉じても、後からあとから涙が溢れて止まらなかった。 肩に大きな手のぬくもりを感じる。それは、世界にただひとつ自分を支えてくれる大きな木のような、銀時の手だった。 「私、もう見てられない……」 銀時は、優しく耳を塞ぐように深くを抱き込んだ。 銀時の隣には真選組の隊服を着た新八と神楽がいる。ふたりはまっすぐに隊士たちが描く円の中心を睨んでいる。銀時はの頭越しにそれを見ていた。あまりに残酷な場面をから遠ざけてやりたくて、両腕にさらに力を込めた。 この動乱では人が死にすぎた。そのほとんどは真選組の隊士たちだ。家政婦として真選組で働いているにとっては顔馴染みも大勢いただろう。しかもその死の原因は内輪もめだというのだからやりきれない。銀時には分からない苦しみを、は胸の内に抱えている。 は銀時の腕の中で、じっと涙をこらえていた。 「大丈夫か?」 やっと夜が明けた頃、銀時が言った。ゆっくりと顔を上げたは、泣き腫らした顔で小さく頷いた。 「うん、ありがとう。銀さん」 「顔色悪ぃぞ。無理すんな」 銀時の大きな手がの頭を撫でる。子どもにするような慈しみのこもった手つきだった。 はうまく体に力が入らず、立ち上がる気力さえなかった。魂が抜けて、どこか遠くへ行ってしまったような気分だ。何かしなければならないことがあるような気がしたけれど、何も思いつかなかった。 「銀さん」 「ん?」 「私、今何したらいい? できること、ある?」 銀時はしばらく考えて、首を横に振った。 「ねぇよ、何にも。楽になるまでじっとしてな」 「せめて銀さんの傷の手当てさせてくれる? 」 「こんなもんかすり傷だよ。舐めときゃ治る……お」 銀時はの体を離して、ぐいと後ろを振り返らせた。急に視界が明るくなって、は目を細くする。東から昇る太陽を背にこちらに歩いてきたのは土方だった。血と泥と汗と、人が命のやり取りでまとった臭気のようなものをまとわり付かせて、土方はそこに立っていた。 「……大丈夫か?」 土方の問いに、はとっさに答えられなかった。 こんな土方の顔を見たことがなかった。例えば、もし銀時たちと一緒に攘夷戦争を経験していたとしたら、こんな怒りと悲しみと、憤りとやるせなさがぐちゃぐちゃに混ざり合ったような顔を見ることになったのかもしれない。そんなことが頭をよぎる。 土方はから距離を保ったまま、内ポケットからタバコを取り出して火をつける。息を深く吸い込んで、吐く。そのたったひと呼吸が永遠のようだった。 土方はたばこの煙に乗せて、言った。 「……巻き込んで、悪かった」 土方の言葉を聞いて、はぴくりと目尻を強ばらせた。それに目ざとく気づいた銀時はその横顔を見やって息を呑む。は、怒っていた。 「お前が、もう屯所に戻って来たくないってんなら、それでいい。万事屋のとこにでも、どこへでも行ったらいい」 の様子に気づかない土方は、淡々と言う。 「今まで世話になったことには、礼を言う。お前もこれから幸せに……」 突然、は立ち上がり、土方の頬を平手で打った。土方はその拍子にたばこを落とし、銀時はぽかんと目を丸くした。 「どうしてそんなこと言うの!? どうして、私が嫌気さしたって、そんなこと決めつけるの!? いつ私がそんなこと言ったのよ!!」 は全力疾走した後のように肩で息をして、泣きながら力の限り叫んだ。土方も銀時も何も言えず、そんなふたりを尻目に、は涙を拭いながら足早に走り去ってしまった。 残された銀時は、の後ろ姿を見送りながら言った。 「めったに怒らない奴が怒ると怖いって本当なのな。あいつが怒ったとこ初めて見たわ」 「……初めて? 子どもの頃からの付き合いなんだろ?」 土方は手のひらの形に赤くなった頬で言った。 「そうだよ。あいつを怒らせるなんて、そうそうできる芸当じゃねぇよ」 「そうかよ。ったく、思いっきり殴りやがって……」 「どうすんの? 謝んの?」 「何で俺が謝らなきゃならねぇんだよ」 土方は頬をさすりながら毒づいた。 は真選組の任務に関わったことがない。これはが屯所に勤めはじめた時に近藤と土方が取り決めたことで、隊士たち全員に徹底されていた。今回の動乱にが巻き込まれたのは、反土方派だった伊東一派に、土方とが懇意にしていることが知られたためだ。近藤と土方を亡きものにするために、は利用されたのだ。 もし、がこれからも真選組で働き続けるなら、任務にたずさわっているかどうかに関わらず、その立場を利用される可能性はある。 もう、をこんなことに巻き込むわけにはいかない。そのためには、を真選組から遠ざけなくてはならない。 土方はたばこの煙に乗せて言った。 「悪いが、のことは頼んだぜ、万事屋」 銀時は何も答えなかった。 子どもの頃は、幸せだった。 山や森の中を走り回って遊んで、寺子屋に集う仲間たちと笑って泣いて喧嘩して仲直りして、一緒にご飯を食べて眠って。大好きな松陽先生に守られて、何の心配も不安もなかった。 あの幸せな日々はもう戻らない。だから大切な思い出を胸の奥に大事にしまって、傷つかないようにしっかり鍵をかけている。その思い出さえあればきっと自分は強くなれると信じて生きてきた。 今、あの頃よりも私は、どのくらい強くなれただろう。 あれから、は万事屋に身を置いている。銀時の怪我を世話するというのが名目で、事実上は真選組屯所に戻れないのだった。多くの隊士が怪我をしたり命を落としたため、隊の再編や怪我人の治療などで、屯所は毎日落ち着かない。副長の土方も姿を消したまま戻らないらしく、以前の真選組とは様子が様変わりしているらしい。風の噂でそんなことを聞いたは、ますます真選組に戻る機会を逸していた。 「そんな意地はらねぇで、さっさと帰ればいいのに」 銀時は包帯だらけのかっこうでうそぶく。怪我が治り切っておらず、まだ満足に動くことができないので、暇を持て余していた。 「意地悪言わないでよ、銀さん」 は繕いものをしながら答えた。銀時が喧嘩をして穴をあけた着物が山のようにあるので、手遊びに修理していたのだった。屯所にいた頃は家事全般をこなしていたけれど、銀時の元ではそれを全てこなしても時間が余るのでとても暇だった。万事屋というところは、人を怠惰にする不思議な力が働く場所なのかもしれない。 「戻ったとしても、真選組には私の居場所なんかないかもしれないわ」 「だったら、どうすんの? これから」 「さぁ。どうしようかしらね」 は空虚な目で、自虐的に笑った。元来働き者のが、暇を持て余して将来の見通しもなく無為に日々をやり過ごしている。まるで銀時の悪い性分が伝染してしまったようで、銀時は正直困っていた。何もを堕落させるためにその身を預かったわけではないのだ。 「、お前さぁ……」 と、その時、ドアベルが鳴った。 「ごめんくださぁい、坂田君はいますかぁ!?」 銀時が外へ出ると、そこに立っていたのは真選組局長、近藤だった。 「よぉ、何の用?」 「突然すまんな! ここにちゃんがいるって聞いたんだが……」 「近藤さん」 「よぉ、ちゃん!」 銀時は不本意ではあったが、ふたり分の茶を淹れて万事屋の居間を提供した。と向かい合って座った近藤は、神妙な顔つきで言った。 「顔色もいいし、元気そうじゃないか。よかったよかった!」 「近藤さんはどうしてここに?」 「単刀直入に言う。ちゃん、真選組に戻ってきちゃくれないかな?」 言うなり、近藤は両膝を床につけて深く頭を下げた。 「近藤さん!? やめてください! 頭上げてください!」 「今回の件で、ちゃんを巻き込んじまったことは、本当に申し訳なく思っている。すまなかった! 今回の内輪もめは完全に俺に落ち度があった。隊士でもないちゃんを巻き込むなんて、絶対にあってはならないことだったんだ!」 は近藤と視線を合わせようとして、同じように床に座り込んだ。近藤はやっと顔を上げて、情けない顔で笑った。 「こんな状況で戻ってきて欲しいなんて頼むのは筋が違うんじゃないかとも思う。もっとちゃんにとっていい環境を整えてから頼むべきなんだと思う。けどな、」 ふと、近藤は照れたように破顔した。 「皆、ちゃんの作った飯が食いたいって、我慢の限界がきてるんだ。家政婦代行のおばちゃんに来てもらってるんだが、これがひどい飯でさ」 「……近藤さん」 「だから、戻ってきちゃくれないかな。これからは、何があっても真選組がちゃんを守る。もう二度とあんな辛い思いはさせない。だから、ちゃんも俺たちを、真選組を、支えて欲しい」 近藤の言葉に、はほんの少しだけ泣いた。自分を必要としてくれている場所があることが何より嬉しかった。 銀時はふたりの晴れやかな顔を見て、穏やかな気持ちで言った。 「そうと決まったら、さっさと帰んな。荷物は後で届けてやっから」 は、泣きながら微笑んだ。 「ありがとう、銀さん」 が屯所に戻ったその日は、山崎退と松平片栗虎の飼い犬の葬式の日で、は隊士たちから盛大な歓迎を受けた。 「さぁぁぁん! おかえりなさぁぁぁい!」 「やった――――! やっとこれであのまずい飯ともおさらばできる――――!」 「さん! 炊き込みご飯作ってください!! 鮭といくらの奴!」 「俺は筑前煮が食いたいです!」 「ぶり大根!!」 「たらのフライ!」 「生姜焼き!」 「カレー!」 葬式があるというのに、大きな笑い声を響かせて、礼儀もなにもあったものではない。 それでも、は嬉しかった。前と変わらず賑やかで物騒な真選組の隊士たちが、は大好きだった。まるで子供の頃ともに過ごした仲間達のようだ。昔のことばかり感傷的に思い出すつもりはないが、はこういう人たちが大好きなのだった。 乱暴で喧嘩っ早くてやんちゃで、下品でおせっかいで、ときどき無茶をするけれど自分の信念を曲げず、ときどき優しい、大好きな人たち。 ここにいられて幸せだと、は心から思った。 土方が葬式の最中に屯所に戻り、そのままなだれ込んだ宴会から解放されたのは真夜中になってからだった。隊士たちから盛大な歓迎を受けて少し疲れてしまった。そもそもちょっと屯所をあけたぐらいであの騒ぎ様は異常だ。 とりあえず一服と、人気のない縁側に足を踏み出したとき、土方は信じられないものを目にしてたばこを取り落とした。 女が一人、酔い潰れた隊士ひとりに肩を貸している。その後ろ姿は見間違うはずもなく、土方が真選組から遠ざけたはずのだった。 土方は無意識のうちにを追いかけ、有無を言わさず、介抱されていた隊士を殴り飛ばした。 「きゃぁ! 土方さん!」 「てめぇ何やってんだ? こんなとこで」 「原田君が潰れちゃったから部屋に送ってこようと思って……。急に何するんですか?」 「そんなのいいから。ちょっと来い!」 土方はの腕を無理矢理引っ張って、宴会場からできるだけ離れた屯所の奥座敷へ入る。喧騒も届かず、まずこんなところまで誰もやってこないだろうというところまで来て、改めて土方はを睨みつけた。 「お前、何で戻ってきたんだ?」 は土方に掴まれた腕を振りほどいて、痛みに顔をしかめた。 「聞いてないんですか? 近藤さんに説得されたんです。戻ってきて欲しいって……」 「あんの馬鹿局長! 一体何考えてやがんだ……!」 「近藤さんを悪く言わないでください。戻って来るって、決めたのは私です」 土方はイライラと前髪をかきあげた。 近藤がに何を言ったのかは分からないが、勝手なことをされてをまた危険な目に合わせることがあったらどうするのか。を心配して、腸がねじ切れるような気分で別れを告げたはずだったのに、自分がやったことが馬鹿らしく思えてくる。 まるで何事もなかったように振舞うの態度も気に障った。帰ってきたなら帰ってきたでなぜ顔を見せに来なかった? 隊士の誰かが知らせてくるでもなし。土方は腹が立って仕方がなかった。 「どこにでも行けって言っただろ。何で戻ってきたんだよ?」 「土方さん、私、」 「また、いつ命狙われる羽目になるか分かんねぇんだぞ!? 死にてぇのか!?」 怒りのままに、土方は壁を思いき叩いて怒鳴った。人気のない部屋にその音は大きく響く。はびくりと肩を震わせた。 「土方さん。私の話を聞いてください」 の瞳が、ひたりと土方の目を見つめる。土方は苛立ちを隠さずを睨みつけたけれど、は臆さなかった。 「私、子どもの頃に両親を亡くして、ある方に引き取ってもらったんです。その方は寺子屋を開いていて、そこの生徒たちとは兄弟みたいに育ちました」 「……何の話だよ?」 「けれど、その寺子屋も攘夷戦争で潰れてしまいました。私を育ててくれた人も、兄弟たちも、たくさん死んでしまいました。私はその時、自分の命が惜しくて逃げたんです」 は苦いものを飲み込むような仕草で俯いた。 たくさんの仲間が死んでしまった。その命はもう戻らない。なら、残された者はどうすればいいだろう。 仲間を忘れて幸せを求めて生きるか。仲間の屍を背負って、歯を食いしばって生きるか。どちらを選ぶのが正しいのだろう。 「私はもう、あんな思いをしたくないんです。近藤さんは、真選組が私を守ると言ってくれました。でも、もしまた何かの事件に巻き込まれたとしても、利用されたとしても、いいです。それすらできなかったことを悔やむくらいなら、いいんです」 は不器用に笑った。きっとまだ、事件に巻き込まれる危険や恐怖に対する覚悟ができているわけではないのだ。土方にも言い聞かせながら、自分にも言い聞かせているのだ。 「……青い顔して泣いてた口でよく言うぜ」 土方は大きくため息をついてうなだれた。の勇気に慄いていた。こんな小さな体のどこにこんな力が眠っているのだろう。いっそ眩しいくらいだ。だからこそ、に何かあったらと思うと背筋に冷たいものが走った。 「俺は、お前には死んで欲しくねぇ」 不覚にも、土方は声を震わせた。はそのことに驚いて、思わずといった様子で土方の肩に触れた。 「土方さん……」 「俺たちのせいで、お前に死んで欲しくねぇんだよ」 土方は唇を噛み締め、力の限りを抱きしめた。の小さな体は腕の中にすっぽりと収まった。 本当は、を自分だけのものにしてしまいたかった。腕の中で小さく身をよじるこの体を、思い切り力を込めて抱きしめて壊してしまいたい。耳の裏から匂い立つ甘美な香りに酔って、何もかも忘れてしまいたい。絶対に、誰にも渡したくない。 けれど、そんなことはできない。剣を振り回して命を頂戴する、そんなことをして生きている自分が、を幸せにするなんてできるはずがない。修羅の道にを巻き込むわけにはいかない。 ジレンマに押しつぶされそうになって、土方は壁と自分の体に挟まれて身動きがとれなくなったを見下ろして、背中を這い上がってくる優越感に任せての首に噛み付いた。 「土方さん……っ」 痛みに声を上ずらせ、はそれでもなんとか言った。 「そんなに、すべてをひとりで抱え込まないでください。何にもできないかもしれませんけど、私はずっとここにいます」 「俺はいるなっつってんだよ」 「だったら離してください。今すぐいなくなってあげますから」 は土方の胸に手をついてぐっと力を込めた。けれどそんなことはものともせず、土方はさらに力を込めてを腕の中に閉じ込めた。 「ずっと、土方さんといっしょにいます。土方さんが何て言ったって、いますから」 は土方の胸に向かって囁いた。自分を犠牲にしてでも、真選組を、そしてを守ろうと葛藤する土方、手放す気もないくせに、幸せになれだの出ていけだの、裏腹な言葉ばかり飛び出してくるその唇、力加減を忘れた腕は鋼のように強く、ここから逃れる術はもうなかった。 20140901
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