オーガズム
『片時も目を離していないだろうな?』
安室はひとり、早朝のキッチンに立っている。地の底から響くような重く低い声は、左耳につけたイヤホンマイクを通して安室の耳にだけ届いていた。
「はい、もちろん」
安室は感情を抑えた声で言う。
火にかけたドリップポットの口からしゅんしゅんと蒸気が上がっている。横目でそれを確認しながら、サーバーの上のドリッパーにフィルターをセットする。コーヒー豆はスプーンに2杯。
『報告は聞いた。悪くない判断だな』
「例の件は問題ありませんか?」
『あぁ。今日中に、組の青年部に家宅捜索が入る。報道にも出るだろう』
「ご尽力、感謝します」
『大義のためだ。ただし、』
沸騰したドリップポットをコンロから下ろし、ちょろちょろとドリッパーに注いで豆を湿らす。目が覚めるようにふくふくするコーヒー豆をじっと観察しながら、少し待つ。
『今後もこういうことが続くなら、面倒は背負いきれん。肝に銘じておけ』
「分かっています。次の手は考えています」
20秒ほど待って、ドリップポットを傾ける。豆に円を描くようにゆっくり湯を注ぐ。少し遅れて、サーバーに落ちる深い色。ふわりと立ち上るかぐわしい香り。
『新たな情報は?』
「今は、特に」
『この件については、お前に任せている部分が大きい。期待に応えてもらわなければ困るぞ』
「分かっています」
前触れもなく電話は切れ、イヤホンは沈黙した。
集中力を切らさず湯を注ぎ切ってから、安室はふぅ、と息を吐いた。大きな不始末をしたわけではないのだから堂々としていればいいのだけれど、上の人間のもったいぶった言い方には緊張感を煽られる。コーヒーの香りに包まれて迎える素晴らしい朝にはできれば遠慮したかったが、そういうわけにもいかない。
言外に、釘を刺された気がした。女で身を滅ぼした男は何人もいる、楽しみすぎるな、と。
地の底を這うような声の裏にはそんな意図が隠れていたのではないかと勘ぐってしまうのは、安室の中に
との関係を楽しみたい気持ちが紛れもなくあるからだ。
胸の真ん中にある温かい想いを両手で包み込むように、安室は淹れたてのコーヒーをマグカップにたっぷり注いだ。
その時、部屋の奥から、不明瞭なうめき声が聞こえ、安室は思わず吹き出した。
「おはよう。起きた?」
マグカップを片手に部屋に入ると、布団の中からにょろりと細い腕が伸びてきて、何かを探すようにばたばたする。
「今、何時?」
と、寝起きのかすれた声が布団の中から響く。安室が時計を見て時刻を告げるのと、その手が枕元のスマートフォンを掴んだのはほとんど同時だった。
「嘘でしょ、まだ寝かせてよ」
げんなりと言う
の肩を、安室は布団越しに叩いた。
「コーヒーを淹れたけど、飲む? 目が覚めるよ」
亀が甲羅から頭を出すように、布団の縁から寝癖のついた頭が飛び出す。開ききらない目で安室を見つけた
は、濁った声で不満そうに言った。
「キッチンに立つなら、ちゃんと服を着て」
ベッドの縁に腰掛けてマグカップに口をつけていた安室は、滑らかな筋肉を覆う浅黒い肌が丸出しだった。
「下は履いてるよ」
「あ、そう」
「コーヒー、飲む?」
芳醇な香りに誘われて気を良くしたのか、
は気だるそうにしながらも起き上がる。布団の下は生まれたままの姿で、その格好で文句を言われても説得力はないな、と安室は苦笑いした。
肩から布団をかぶったままコーヒーをひと口飲んだ
は、温かなため息をついて目を細めた。
の部屋にはひとり暮らしのために必要な最低限の食器しかそろっておらず、飲料を飲むための食器はこのマグカップひとつしかない。ふたりはひとつのマグカップから分け合ってコーヒーを味わった。
「これ、あなたが使ってる豆?」
「いいや、この部屋にあったのを使ったけど」
「いつもと味が違う」
「淹れる人間が違うと、味も変わるって言うからね」
マグカップはふたりの手の間を行ったり来たりして、いつもの二倍の仕事をした。マグカップに描かれたキャラクターの笑顔はどこか誇らしげだ。
「そういえば、あなたプロだったわね」
「店ではコーヒーメーカーを使ってるんだけど。いつもと違うのは
の気分なんじゃないか?」
目には見えない気分を点検するつもりなのか、
は眉根に皺を寄せてぎゅっと目をつむる。そしてぱっと目を開けたか思うと、うんざりした顔で肩を落としてみせた。布団が肩からずり落ちて、片方の乳房が朝の淡い光を浴びてほの白く光る。
「確かに、こんな時間に叩き起こされたのは生まれて初めてかも」
「仕方ないよ、あまりゆっくりもしていられないから」
「なぜ?」
「公安の職員が、監視カメラの設置に来るから」
日々
の行動を監視していたカメラは、昨夜、
の行方を掴むため、公安の捜査員によって回収されていた。一夜も経たずに部屋に戻ったので、その再設置に来るのだという。
は心から名残惜しそうにため息をつきながら安室に肩にもたれた。
「せっかくのびのびできると思ったのに、もうおしまいなの」
ふたりきりの時間が終わってしまうことより、
は再び手に入れた自由を失うことの方が名残惜しいようだった。
「またのびのびしたくなったら、僕の部屋に来ればいい。カメラはないから」
「犬がいるじゃない」
「あいつは物分かりがいいから大丈夫」
「ふたりでいる間に、どこかに出かけていてくれるの?」
「見ないふりくらいはしてくれるんじゃないかな」
「それは、ずいぶんお利口さんなのね」
「この僕の犬だからね」
がくすくすと笑うと、それに合わせてマグカップも震える。中身がこぼれそうだったので、安室はそれをテーブルの上に避難させ、コーヒーの味と匂いのするキスをした。
布団を巻き込みながらもつれ合うように抱き合う。
の体温が残った布団はまだ温かく、眠っている間に染み込んだふたりの汗の匂いが夜の残り香になって香る。
暗く長いトンネルを通り抜けたような夜だった。トンネルを抜ける前と後では、目に映るもの全てがすっかり様変わりしていた。昨日より前のことが、はるか昔の出来事のようで、ふたりが互いを見つめ合う目の色も、昨日までとはすっかり変わっている。そして、トンネルを引き返して元のふたりに戻ることはもうない。
「振り回してごめん」
安室の広く大きな手が、
の頬をそっと包む。
「部屋にカメラを仕掛けるなんて理不尽だし、人権問題だと思う。けれど、どうしてもそこだけは通らなくて」
は手のひらに頬を擦り付けるように首を横に振った。
「いいよ、私の自業自得だし。大人しくさえしていれば映像は誰も見ないんでしょう?」
「絶対とは言えないけどね」
「見られて困ることはしないわ。できるだけね」
「できれば、着替えはカメラの死角でしてほしい」
「なんで?」
「こんなに綺麗な体、誰にも見せたくない」
安室が
の体を撫でる手つきは、茶人が茶器の銘品に触れてその曲線や釉薬の色合いや感触を視覚と触覚全てを使って丹念に干渉するときのようだった。
はくすぐったく微笑みながら、自分から安室の唇をついばんだ。安室は
の体に触れているだけで満たされたように幸せそうで、この笑顔を守れるのなら、着替える場所に気を付けるくらいことはしてあげようと、
は心に刻むことにした。
「忘れないように気をつける」
「絶対、忘れないで」
「はいはい。あと何分で来るの?」
「1時間くらいかな」
「それじゃ、その前にシャワー浴びちゃおう」
「ちょっと待って」
布団から抜け出そうとした
を、安室は腕を掴んで引き留めた。
「大事な話があるんだ」
「何?」
安室は居住まいを正して、
の膝を抱えるようにする。
は安室の膝に手を置いて、話を聞く体制を整えると、安室はきりりと目元を引き締めた。
「下世話だと思わないで欲しいんだけれど、
はいつも、お金のことを気にしてただろ。一度、ちゃんと話しておいた方がいいんじゃないかと思って」
「どういう話?」
「殺しの前金でもらった金で、これまで
のためにあてがった生活費を返済するって言ってたけど、返済する必要なんてないんだ」
は不満そうに首をかしげる。
「どうして? 確かに綺麗なお金ではないけど、安室くんならその辺もうまくやれるでしょ?」
「僕が言いたいのは、そもそも、その必要がないということ」
「だから、その理由は何?」
「
が自分で言ったんじゃないか。『コインロッカーに金が入っているから好きに使っていい』って」
それは、安室と
がバーボンとアマレットとして初めて会った夜、安室に銃を突き付けられながら
が言ったことだった。
その金は、自分の死を悟った
が、自ら身辺整理をして作ったものだ。安室に助けられ生き延び、その後に起きた混乱ですっかり忘れていたのだ。
はゆっくり目を見開くと、手探りで掴んだ枕を安室の顔面に押し付けた。
「どうしてそれを早く言わないのよ!」
柔らかい羽毛の枕をぶつけられてもちっとも痛くはないが、突然のことに息が止まったようになった安室は軽くむせた。
「まさか分かっていないとは思っていなくて。自分でそう言ってたんだし」
「それは、確かに言ったけど、あなたの口ぶりはいかにも公安が世話してるみたいな言い方だったじゃない!」
「そんなつもりはなかったんだけどな……」
「もう! このことで私がどんなに気を揉んだか分かってるの!?」
「ずいぶん気にしているなとは思っていたけど、勘違いをしているとは思わなくて」
安室は枕の形を整えるように両手でもてあそぶ。
はその枕を奪い取ると、両腕でぎゅっと抱きしめそこに顔をうずめた。
「あぁ、もう恥ずかしい……」
ほんの些細な言葉の行き違いでおきた誤解い、どうして
はここまで動揺しているんだろうか、安室には分からなかった。この程度のこと、誰にでも一度や二度経験することだろうに。
それはともかく、寝ぐせのついた髪の間からのぞく耳が赤く染まっているのがかわいくて、安室は枕ごと
を抱きしめた。裸の背中、その真ん中を横断する背骨のでこぼこを辿るように撫でると、安室の指先はスキップをするように嬉しく踊った。
「もっと早く伝えておけば良かったね。ごめん」
「安室くんは、」
は枕に顔を押しつけたままくぐもった声で言う。けれどその先をなかなか言わず、もしかすると息ができないのかと思って、安室は腕の力を緩めて
の顔をのぞき込む。
「何? ちゃんと言って」
「安室くんは、本当に私のことを好きなの?」
怪しむような目をしてそう言った
は、本当に、に強いアクセントを置いた。
公安警察の人間に、私生活はないに等しい。普通の人間が、家族や友達と他愛ない時間を過ごしたり、恋人と甘い時間を過ごしている間、安室は本来の自分とは全く違う人間の名を名乗り、組織の命令に従って手を汚し、必要な情報を求めて駆けずり回り、人生を犠牲にして国に尽くしている。
それは安室が心から望んだことで、なんの不満も後悔もない。偽物の人間を演じて生きることと引き換えに、自分の能力を国益のために使う、これほどやりがいのある仕事は他にない。
けれど、本来の自分を殺して、安室透という偽物の仮面を被り、偽りの人生を送っている自分が、どうして「本当の愛」を口にできるだろか。
感情という目に見えないものを、それだけは嘘偽りのない本物だと証明する手立ては、ない。
もそれを分かっていないはずはないけれど、その上で安室の気持ちを確かめようとする
の思いは無視できない。
安室の腕の中で裸のまま小さくなっている
の、滑らかでひんやりとした肌に触れていると、指先から目に見えない幸せが流れ込んでくるような気がした。
理屈ではない。説明も、証明もできない。愛というものほど曖昧で、不確かなものは他にない。
安室は答えを言う代わりに、ふたりを隔てている枕を取り除いて
の額にキスをした。
愛の存在を確かめ、その信頼を勝ち得るためには時間が必要だ。それさえあれば、優しさと思いやりを持ち、約束を守り、小さな信頼をいくつもいくつも、積み木のように積み重ねていける。それが、ふたりだけに見える愛になる。愛とはそうやって育てていくものだ。
「言ったよね。僕は最後まで一緒にいるって」
「言ったわね」
「その時が来たら、僕の気持ちが本物かどうか
が決めて。僕はそれまで、
に信じてもらえるように頑張るよ」
は安室の肩口でため息を吐いた。温かい吐息が安室の肌を撫で、そのくすぐったさに安室はくすくすと笑った。
「そういう返事が来るとは思わなかったな」
「何て言うと思った?」
「もっと、歯の浮くようなセリフを言ってごまかすかと思ってた」
「言って欲しいなら、いくらでも言うけど」
「別にいいよ。痒くなるから」
は安室の腕の中でうんと背筋を伸ばし、安室の鼻先に音を立てて口付けた。そして、子どものような顔でにっこりしてみせると、両腕を伸ばして安室の髪をぐしゃぐしゃにかき回した。
「しょうがないな。安室くんと一緒にいてあげる。どこにも行かない」
「本当に?」
「本当!」
その途端、安室は笑い声を上げながら
をかき抱いた。腕の力が強すぎたのか、
は胸がつぶれそうな声を出したけれど、文句も言わずに安室の抱擁を受け止めてくれた。
胸の奥で心臓がいつもより少しだけ早いリズムを刻んでいる。体が勝手に奏でる喜びと興奮のメロディ。それだけは紛れもなく嘘偽りのない本者だと伝わればと願いながら、安室はますます強く
を抱きしめた。
基本的に、
はいつも夜型の生活を送っている。
殺しは夜の仕事だからそれは当然で、組織を抜けて安室に匿われるようになってからも、長年の習慣は変わらなかった。
なので、安室に連れられて、帰るつもりのなかったアパートの部屋に帰った時も、(
に与えられていた鍵は堤無津川に投げ捨ててしまっていたので、安室が持っていた合い鍵を使った。)お茶でも飲んでいかないかと安室を部屋に誘い、そのままふたりでベッドになだれ込んだ時も、互いに満足するまで楽しみ尽くしてぴったり寄り添ったまま部屋の電気を消した時も、まだ普段の活動時間の範囲内だった。
たった数時間の間にいろいろなことが起き、たくさんのことを知り、新しい経験を積んだ。その興奮に頭も体も冴えて、ちっとも眠れる気がしなかった。
一方で安室は、
を連れ戻すことに成功したことで気が抜けたのか、
を抱いた後後、シャワーも浴びず、服も着ずにそのまま寝落ちてしまっていた。
暗闇の中でもほのかに明るい金色の髪、浅黒い肌は闇に沈んで溶けている。安室の肌は、まるでココアの粉をまぶしたようだ。
舐めたら甘そう。
アマレットとして初めてバーボンに会った日からずっとそう思っていた。もちろん人間の肌が甘いわけはなく、一日分の汗と皮脂と、清潔な洗剤の匂いがかすかに混ざった、働く男の味がしたのだけれど、そのことよりも、あの日の想像を本当に確認できる日が来たことに、
は新鮮な驚きを覚えていた。
規則正しい寝息を立てている安室の寝顔を見つめていると、だんだん下腹が張ってきたので、
はできるだけそっと、布団を抜け出そうとした。
安室は昼間は一日中ポアロで立ち仕事をこなした後、忽然と姿を消した
を探して、休む暇もなくあちこち駆けずり回ったのだ。きっとくたくたにくたびれているだろう。
の監視の任務を忘れて寝入ってしまったことが、そのなによりの証拠だ。
自分のせいでこうなってしまったのなら、ちゃんと休ませてやりたかった。
ベッドの縁から両足を下ろして立ち上がりかけた、その時だ。
の手首を、安室がはっしと掴んで引き留めた。
驚いて振り返ったものの、安室は子どものようにあどけない顔で目を閉じている。
「安室くん?」
声をかけてみても、反応はなかった。
が抜け出したことを腕の感触だけで感じ取ったのか、無意識のうちに手だけが動いたらしい。
しょうがないな、と苦笑いをしながら、
は安室の手を外そうと、逆の手で指をつまんでみた。
安室が口を開いたのはその時だ。
「いかないで」
はっきりとした命令に、
は目を見開いた。寝言とは思われなかったけれど、目が覚めたようでもない。暗闇で表情がよく分からず、
は上体をひねりながら、鼻の先がぶつかりそうなほど安室と顔を近づけた。
寝息に少しの乱れが生じ、
の手首を掴む手に力がこもる。
「行かないでくれ」
大の男が、寝言とはいえこんなに弱々しい声を出す姿に、
は呆気に取られて言葉も出なかった。
初めて会った時から、安室はいつも堂々とした風格で、やることなすこと完璧だった。
颯爽と目の前に現れ、
を苦境から救い出し、厳しい公安警察の監視の中で送らざるを得ない暮らしを、少しでも居心地のいいものにしようと奔走してくれた。
その安室が、こんなに弱々しい一面を持っていただなんて。
は安室の金色の髪に手を伸ばし、動物の毛並みを撫でるように触ってみた。
「どこにも行かない。ここにいるよ」
髪を撫でるリズムと言葉が、自然とそろう。子守唄を歌うように優しく、ゆったりとしたリズム。
安室はやがて、手の力を緩めて
の手を離し、健やかな寝息を立ててますます深い眠りに落ちていった。
安室は車の中で、スコッチとシェリーの話をしてくれた。なんとかして助けたかったのに、力が及ばず叶わなかった。
感情を押し殺した冷静な話し口だった。けれど、本心にはもっと複雑な感情が渦巻いていたのかもしれない。
――僕から決して逃げられない。
獲物を狙う獣のような強さで言ったあの言葉に、
は心臓を矢で射抜かれたような気がしていた。強引で有無を言わせない、支配者のように圧倒的な声だった。その一方で、行かないでと懇願する安室もいる。
逃がさない、と、行かないで。全く違うようでいて、その言葉の正体はとても良く似ている。
誰も知らない安室の秘密の傷をのぞき見てしまったような気がして、
は申し訳ないような気持ちがするのと同時に、きらりと光る宝物を見つけたような気持ちもした。
いつか、安室を出し抜こうと決意した時には使えるかもしれない。
の中の悪魔がにやりと笑う。そして、
の中にいる天使は、次は私が彼を助ける番だと囁いた。
安室の願いを叶えることはとても簡単だ。なにせ
には行くあてがないし、監視の目がある。それはこれからますます厳しくなるだろう。離れようと思っても、簡単には離れられない。
それで安室が喜ぶのならそうしようと、
は思った。
はずっと、組織の命令に従って生きてきた。命令は絶対で、それに逆らうことは死を意味した。だから、組織から逃げ出した後も、安室の提案や申し出には無条件で従ってきた。
けれど、「逃がさない」「行かないで」という安室の願いは、今までのものとは全く性格が違う。これは安室の最も切実な、心の底からの願いだ。理屈ではない。不思議な確信をもって、そうなのだと分かる。
本気で安室に恩を返すつもりがあるなら、この願いだけは全身全霊で叶えてあげなければならない。
は眠る安室の瞼にそっとキスをした。誓いのキスだった。安室が望む限り、決してそばを離れない。
安室のことを愛しているかどうかは、自分でも分からない。
安室も
も、偽物の人間だ。偽名を使い、偽物の身分証を持ち、誰にも言えない秘密を抱え日陰の中でひっそりと生きている。全身嘘で着飾った人間が、この心と愛だけは本物だとうそぶいたところで誰がそれを信じられるだろう。
けれど、愛や恋を歌わなくても、キスすることはできるし、体を重ねることもできる。それと比べれば、ただそばにいることなど簡単なことだ。
与えられた運命の流れに身を任せて生きていくと決めた。その流れの中に、安室透、降谷零、そしてバーボンという男は間違いなくいる。
「私はあなたについて行く」
眠る安室に向かって呟きながら、
はどうかこの言葉だけは、本物の輝きを持って安室に届きますようにと願った。強く、強く願った。
ついさっきまで
の手首を掴んでいた安室の手を、今は
が強く握り返していた。
20200928