零くんはベッドの中では服を着ない。どんなに寒い日でも黒いボクサーパンツ1枚で布団にくるまって眠る。

「寒くないの?」

と、タオル地のパジャマに身を包んだ私が言うと、零くんはくすぐったそうな顔をして笑った。

「ぜんぜん。寝癖かわいいね」

その言葉を、私は「はいはい」と聞き流す。零くんは褒め言葉を安売りしすぎる。息を吐くようにぽんぽん飛び出してくる甘い言葉は、嬉しいよりその語彙の多さに驚かされる気持ちの方が大きい。甘くて美味しい苺はおよそ二五〇もの品種があるそうだ。それだけあれば全て味わうよりも先にお腹一杯になってしまっても仕方がないというものだ。
零くんはベッドから抜け出してTシャツとズボンを履くと、キッチンに入ってやかんを火にかけてから洗面所に向かう。顔を洗って軽く歯を磨き、計ったようなタイミングでやかんが悲鳴を上げる直後に戻ってきた。

「緑茶淹れるけど、飲む?」
「うん」

私の朝はいつも濃いブラックコーヒーで始まる。がつんと脳に響くような苦味と濃くで眠気を吹き飛ばすのが毎朝の習慣だった。柔らかい湯気を上げる抹茶入り緑茶はまだ重いまぶたをぐっと持ち上げる力はないけれど、お腹の中からじわりと体を温めて優しく体を目覚めさせてくれるようだった。

「おいしい」
「それはよかった」
「零くんは朝は和食派?」
「どちらかというと食べない方が多いかな」

足元がすうすうして、私はダイニングテーブルの下で零くんの足の甲に裸足の足を乗せた。零くんの足はほかほかで、温かいというよりむしろ熱いくらいだ。足の指を曲げたり伸ばしたりして零くんの体温を味わう。

「冷たい足だな」

零くんは笑いながらそう言うと、私の両足をサンドイッチするように左右の足ではさんでくれた。

「今日はどうしようか」
「仕事は大丈夫?」
「急な連絡が入らなければね。良かったら買い物にでも行かないか?」
「いいけど、何か欲しいものあるの?」
「いろいろそろえないとならないだろ」
「そろえるって?」
「湯呑みとか、スリッパとかさ」

私は手のひらの中の湯呑みを見下ろした。零くんの家には湯呑みがひとつしかないらしく、私の緑茶は取っ手がついたマグカップに入っている。お茶を飲むだけならこれでも困らないけれど、やっぱり少しちぐはぐだ。足元を温めるスリッパを一足揃えてもらえると、確かにありがたい。

「それじゃ、そうしようか」

身支度をしながら、他に何か必要なものがないかを話し合う。

「シャンプーとかトリートメントは?」
「零くんと同じの使うからいいよ」
「俺のは安物だから、ちゃんとしたの使いなよ。それから食器とか箸も買わないと」
「ハンガーも欲しいな」
「タンスを置けたらいいんだけど」
「そこまでしなくていいよ」

洗面所を借りてメイクをする。昨日の夜、コンビニで買ったお泊まりセットと、メイク道具がぎゅうぎゅうに詰めこまれたポーチ。化粧下地、ファンデーション、アイブロウ、いくつものアイシャドウとリップ、そしてマスカラ。今日はどれを使おうか、自分の顔色と相談する。

「ドライヤーは?」

鏡の中にひょこりと顔を見せた零くんは、あっという間に身だしなみを整えていた。黒いジャケットとやわらかい生成りのセーター。金色の髪は針金のようにまっすぐだ。ドライヤーも使わずにどうやってそのキューティクルを維持しているのか教えてもらいたいけれど、聞いたところで私の髪に応用できるわけでもないだろう。素直に甘えさせてもらうことにする。

「それはあると嬉しい」

零くんは指折り数える。

「スリッパに、湯呑に、ドライヤーか。タンスは置けないけれど、せめて何か収納があるといいよね」
「場所取るでしょ、無理しなくていいよ」

零くんの住む部屋は、よく言えば綺麗に片付いていて、悪く言えば殺風景だ。私のものが増えれば部屋はその分だけ片付かなくなるだろうし、彩りを増すだろう。
けれど、それは果たして正しいことなんだろうか。
私達が一緒にいることは、ある意味では自分達の首を絞めることでもある。それを覚悟でこうして一緒に朝を迎えたりしているわけだけれど、その決意が簡単に揺らいでしまうくらいには私はまだ腹が据わっていない。
鏡越しに零くんと目が合う。笑顔を見せたかったけれど、不安は隠しきれなかった。私はぐるりと振り向くと、うんと背伸びをして零くんの首に腕を回す。零くんは私の腰に両腕を回して抱きとめてくれた。

「どうしたの?」
「何でもないよ」
「そう? 気がすすまないなら止めようか」
「ううん、そうじゃない。大丈夫」

私は腕を緩めると、精一杯勇気を出して微笑んだ。零くんの手が前髪を払って、そのままキスを落としてくれる。せっかくのリップを塗り直さないとならないけれど、そのキスは零くんと手を取って歩いていくための勇気を与えてくれた。

「そのリップ、すごく似合ってる」

唇を離すなり、零くんはまた浮ついたことを言う。私の不安な気持ちも知らずにのん気なものだ。私は瞳をぐるりと回しておどけて見せた。

「ありがとう」
「甘い味がするね」
「そう? そういうリップじゃないんだけど」

もつれ合うように抱き合ったまま、しばらくふたりで笑った。

アパートを出て駐車場まで少し歩く。今日はいい天気だ。途中、一家で車に乗り込んでどこかへ出かけていく家族や、大きなお腹を抱えた女性とそのパートナーらしい男性が手を繋いで歩いて行くのとすれ違う。
遠い世界の出来事のようにそれを見送った私の手を握りながら、零くんが思い出したように言った。

「そうそう。他にも買いたいものがあるんだ。一緒に選びたいんだけど、付き合ってくれる?」
「いいけど、何が欲しいの?」

零くんは照れくさいような、いたずらを思いついたような顔で微笑みながら、私の顔を覗き込んでくる。

「何だと思う? 当ててみて」

私は首をかしげてうーんと考え込む。一緒に選びたいというからには、ふたりで使うものだろう。料理道具か何かだろうか? ひとり暮らしの家にある雪平鍋はとても小さかったからもうひと回り大きいサイズがあってもいいかもしれない。けれど一緒に選びたいというほどのものとは思えない。

「ふたりで使うもの?」
「使うというよりは、持つものかな」
「あ、もしかして合鍵?」
「それはわざわざ一緒に行かなくてもいいだろ」
「分かんないよ。教えて」

降参すると、零くんは私の左手を取ってぎゅっと握りしめた。その指が、私の左手の薬指を撫でる。それでやっと想像がついて、私は頬が熱くなるのをこらえられなかった。赤面して黙り込んだ私の手を、零くんは勇気づけるようにぐっと力を込めて握った。

「少し気が早いんじゃない?」

照れ隠しに目をそらした私を、零くんは真剣なまなざしで見ていた。

「覚悟を決めるのに、早すぎるということはないさ」






20201227