「まだ仕事?」

 と、眠たい声でが言い、降谷は膝の上に置いたラップトップから顔を上げて後ろを振り返る。降谷が背中を預けているベッドで、は降谷の方を向いて横向きに寝転がっていた。枕元にはハロが体を丸めて眠っている。熟睡していることを示して、呼吸に合わせて規則正しく背中が上下していた。

「ごめん、起こした?」

 降谷はの肩から落ちているキャミソールの肩紐を直してやりながら静かに言う。
 は薄く目を開けて、小さく首を横に振った。

「今、何時?」
「もうすぐ2時になるところ」
「明日に響くよ」
「そろそろ寝るよ」

 そうは言ったものの、降谷はキーボードを叩く指を止めなかった。タイピング音が響かないように気を付けているが、は仕事柄耳がよく、少しの気配にも敏感だ。もしかすると、寝たふりをしてずっと起きていたのかもしれない。

 そうだとしたら、悪いことをしてしまった。ふたりきりで一夜を明かす、ただそれだけの時間を捻出するにもあらゆる努力や工夫が必要なふたりだ。それがに無理をさせる結果になっていたのだとしたらいたたまれない。

 ふと、布団の中からにゅっと伸びてきたの手が、降谷の髪に触れた。

「零くんの髪は、光を縒り合わせて作った糸みたいだね」

 何を言われたのか分からず、降谷はん? と首をかしげる。寝ぼけ眼で降谷を見上げるは、まるで半分夢の中にいて甘い綿菓子の雲に乗って空を飛ぶ夢でも見ているようにふやけた笑顔だった。

「急にどうしたの?」
「何でも。ただ、きれいだなって思っただけ」
に褒められると嬉しいよ」

 降谷は髪に触れるの手を取ると、コーラルピンクのネイルに彩られた指先に口づけた。は照れ臭そうにふふふと笑うと、布団の中に腕を引っ込めて目を閉じる。しばらくその寝顔をじっと見守ってから、降谷はスタンドライトの明かりだけを消して、再びキーボードを叩いた。今夜のうちにこの仕事を終わらせておけば、明日は一日中、とゆっくり過ごせる。それが今夜の降谷の原動力だった。

 暗いモニターにアルファベットと数字の羅列が並ぶ、そこにぼんやりと、眠そうな顔でキーボードを叩く降谷の顔が反射していた。黄みの強い金髪は、明かりを消した夜の中にあるとほとんど白っぽく見え、日本人離れした面立ちがますます際立つ。

「……子供の頃は、大嫌いだったんだ」

 降谷はそう呟いて自嘲した。

 この髪のせいで、どれだけ指をさされて罵られ、嘲り嫌われたことだろう。あいにく、それで泣き寝入りするようなやわな性格は持ち合わせていなかったので、おかげで喧嘩に明け暮れる毎日だった。優しい人の助けがなければ今頃どうなっていたか分からない。

 自分をそんな運命に導いたこの髪を、降谷は物心つくまで受け入れられなかった。

「そうなの」

 静かな声に、降谷はびくりと肩を震わせた。

「聞いてたの」
「うん」

 降谷は苦笑いをして、照れ隠しに髪をかき上げた。

「ひとりごとを聞かれるのは気まずいな」
「ごめんね。でも、その話聞きたいな」
「よくある話だよ」
「それでもいいよ」

 降谷はキーボードから手を放し、ぼんやり光る液晶を見つめる。まばたきをした瞬間、そこに少年時代の自分の顔が見えたような気がして、降谷は慌てて瞬きをした。長くブルーライトを浴びて疲れてしまったのかもしれない、人差し指と親指で瞼を押さえる。

「そんな髪のくせに日本人だなんておかしいって、さんざんからかわれたんだ」
「そうだったの」
「よくある話だろ」
「泣いちゃった?」
「いや、そう言った奴はみんなやっつけてやったさ」
「喧嘩したの?」
「そうだよ。だからいつも絆創膏だらけの子供だった」
「それは、悲しかったね」

 降谷はとっさに言葉が出ず、黙り込んでしまった。あの頃、自分は悲しかったのだろうか。金色の髪をからかわれるたび、体の中が熱くなってこぶしを振るわずにはいられなかった。あの感情は強い怒りだったと思う。自分では変えようにない容姿を貶められ、お前は日本人ではないとつまはじきにされたあの感覚。人は誰かと繋がりたい、絆を結びたいと本能的に思う生き物なのだという。それを頭から拒絶されれば、深く傷ついただろう。

 けれど、あの頃のことを思い出そうとすると、傷だらけになった自分を優しくたしなめて叱ってくれたあの人のことが頭をよぎった。そして、優しかったあの人はもうこの世にいないことを思い出す。すると、なんだかしんみりした気分になってしまった。まったく、こんな真夜中に失ったものを数えたりするものではない。

 と、その時だ。

 頭の後ろに柔らかい圧を感じたかと思うと、そのまま頭を抱え込まれるように背中から抱きしめられた。圧はの胸で、キャミソール越しに体温が伝わってくる。つむじにの頬が押し当てられている感触がして、耳元にの吐息がかかった。

「よしよし、辛かったね」

 と、は呟いて、優しく降谷の頭を撫でた。
 降谷は思わず苦笑いをして、の腕をとった。

「もう子供じゃないんだから」
「悲しくない?」
「大丈夫だよ」
「ならよかった」

 はそう言って、わざと音を立てて降谷のつむじにキスをした。わざとらしく芝居がかったその仕草に、降谷は息を漏らして笑ってしまう。肩越しに振り返ると、の慈愛に満ちた笑顔が目の前にあって、自然な流れでキスをした。その唇の柔らかさに夢中になる。おかげで、しんみりとした寂しい気分もどこかに溶けて消えてしまった。

 降谷が手探りでラップトップを閉じると、光源がなくなってワンルームは闇に包まれた。キスをしながら、ふたり一緒に布団の中に潜り込む。降谷の金髪は闇の中でもかすかに光るように輝いていて、それが布団の中をわずかに明るく照らしてくれた。まるで三日月が夜を照らすようなかすかな光だったけれど、の顔が見えればそれで十分だった。

 この髪を持って生まれた幸いは、この闇の中にあってもの微笑みを見逃さずに済むことかもしれない。

 降谷はそう思って、いっぱいの満足感とともに胸に抱いたと静かに眠りについた。






20191111