リリリ-サイクル





 初めて彼氏が出来たのは、高校2年生のとき。烏野高校バレー部のエースアタッカーをしていた山田くんだった。当時の烏野高校バレー部は県内でも指折りの強豪校で、平日も休日も休まず練習、長期連休には東京の音駒高校へ遠征、とにかくバレー一色の生活を送っていて、私はそんなバレー部のマネージャーだった。マネージャーは私の他に後輩の女子が2人いたから、大変っていうより、皆でわいわいと楽しくやっていた。だから恋愛ごとにうつつを抜かす暇もあったというか、余裕があったというか、そういうことひっくるめて全部楽しめたのだ。
 山田くんは背が高くて格好良かったし、マネージャーの仕事ひとつひとつをよく見てれる気のつく人だった。「ありがとう」を口に出して言ってくれたし、話も面白かった。インハイ予選が終わって、3年が引退する時期に告白されて、付き合うことになって、それはもう人生の絶頂期かと思うほど幸せで嬉しくてたまらなかった。志望校も同じだったし、ふたりで夢のキャンパスライフを送るために私はなんだって頑張れた。
 結果。桜が咲いたのは私だけだった。浪人して予備校に通いだした山田くんを放って花の女子大生の生活を満喫しだした私はあっさり振られた。

「そんなに大学が楽しいんなら、大学の男と付き合えば?」

 山田くんは冷たくそう言った。私はただ、山田くんの受験勉強の励みになればと思っていただけだったのに。大学がどんなに楽しくて自由な場所か知れば、山田くんも勉強を頑張ろうって、思ってくれるかと思っていたのに、山田くんには私が楽しい大学生活をただ自慢しているだけにしか聞こえなかったらしい。
 今思えば、確かに私のとった行動は山田くんにとってはただの嫌味にしか映らなかっただろう。本当、よくあんな行動が取れたものだよ、18歳の私。
 でもあの時はただ、大好きな山田くんに振られたという事実を受け止めきれず、辛くて悲しくて寂しくて、大学のバレー部が定期的に開いていた飲み会で、たまたま隣の席に座っていたチームメイトに涙ながらに悲しみをぶちまけた。
 それが、烏養繋心だった。
 その時は、私の話を聞いてくれる人だったら誰でも良かったのだと思う。繋心は、ただうんうんと頷きながらじっと私の話を聞いてくれた。つっこみどころもたくさんあったはずだ。私が悪いこともたくさんあった。でも繋心はなんにも言わなかった。突っ込む気もなかったのかもしれないし、バカバカしかったのかもしれない。面倒くさいから右から左に聞き流していただけかもしれない。でも、ちょっと突き放すような繋心の優しさが、私にはちょうど良く心地良かった
 繋心とは高校のバレー部に所属していた頃からの付き合いだけれど、バレー以外の話をした覚えはなく、同じ大学に入学していたことを知ったのも、バレー部に入部して顔を合わせてからだった。繋心は万年補欠のベンチ組で、3年最後のインハイ予選も出場のなかった影の薄いバレー部員だった。後輩指導が部員の中ではダントツにうまくて、小さなコーチみたいだねって、後輩のマネージャーが噂していたのを覚えているけれど、それ以外の記憶はほとんどない。まぁ、当時の私は山田くんしか目に入っていなかったから、レギュラーでもない繋心に大した興味を持てなかったのも仕方のないことといえばそうかもしれない。今思えば失礼な話だ。
 とにかく、そのことがあってから、繋心とは顔を合わせれば雑談をするような仲になった。
 繋心は大学でも抜群にうまいってわけじゃなかったけれど、バレーをするのが好きで楽しくって仕方がないって感じがいつも顔に出ていて、そういうところが繋心のいいところだなってこの頃は思っていた。バレーはそんなにうまくなくて背も低いくせに一生懸命で、バレー部の仲間とわいわいやるのがとても楽しくて仕方ないんだろうなと思った。だから私もそれに乗っかって楽しくやっていた。男も女も関係ないみたいに、遊び半分みたいにやるバレーは、子どもの頃夕方の公園で夢中になった鬼ごっこみたいに楽しかった。
 でも、私たちはもう大人だ。お酒も飲めるし煙草も吸える。深夜のアルバイトで荒稼ぎもできるし、親に無断で外泊するのだって怖くもなんともない。ただ、責任の取り方を知らないだけで、私たちはなんだってできた。
 確かあれは、他校との合同の飲み会でのことだったと思う。ものすごい人数がお店の中でひしめき合っていて、アルコールの匂いと煙草の煙、誰かの馬鹿みたいな笑い声や女の子の甲高い声がぐちゃぐちゃに混ざってどうしようもない空気に酔って、私は飲みすぎた。飲みすぎたから、この時のことはあんまりよく覚えていない。

ちゃん、彼氏いないの?」
「そうなのー。だからもう寂しくって!」

 そんな会話をしたような気がする。相手は誰だったか覚えていない。たぶん、他校の男子で、たまたま隣にいたのか、それとも目が合って声をかけたのか、どちらからそうしたのかも定かじゃない。私はべろんべろんに酔っ払ってその時の記憶をなくし、気がついた時には朝になっていた。がんがんする頭をどうにか起こすと、そこは私の部屋で、どうやって家に帰ってきたのかまるで記憶になかったので、携帯の着信履歴の一番上に名前がった友人に電話をかけてみたら、「あんた今どこにいるの!?」「大丈夫!?」と、大げさに心配されたので、一体何のことかと問いただすと、私の記憶のピースがやっと埋まった。
 彼女の話に寄ると、私が他校の男子にお持ち帰りされそうになったところを、繋心が止めに入って派手な喧嘩になったらしい。酔って前後不覚になった私は、

「私のためにケンカは止めて!」

 とかなんとか口走ったらしいけれど、まぁ、それは置いておいて、バレー部の嶋田くんや滝ノ上くんが繋心を羽交い絞めにしてなんとか止めてくれたらしく、私は女友達に付き添われてタクシーでなんとか帰宅したというわけだ。
 翌日、バレー部に顔を出して繋心に会ったら、開口一番怒鳴られた。

「会ったばっかの男にほいほいついて行ってんじゃねぇよ! このタコ助!!」

 記憶はないけれど、助けてもらったことにはちゃんとお礼をしようと思っていたのに繋心がそんなことを言うから、私もカチンと来てしまった。親も友達も、そんなに仲良くもなかったバレー部員も、形ばかりは私を心配してくれたのに、どうして繋心は怒るのか意味が分からなかった。

「そんな風にいうことないでしょ!? 私だって悪かったと思ってるんだから!」

 その日から、私と繋心はけんか友達になった。顔を合わせれば、お互いに嫌味を言いあった。

「おい、ブス。そろそろ新しい彼氏できたか?」
「うっさい、バレー馬鹿。そっちこそ、そろそろバレーボール以外に恋人作ったら?」

 繋心とのやりとりは小気味よくて、打てば響き、ボールを投げられたら前準備がなくても打ち返せた。今思えば、あの頃が一番、繋心といて楽しかった時期かもしれない。私には他に彼氏ができたし、繋心にも彼女がいたと思う。お互いにそれをなんとなく知っていたけれど、だからってふたりの関係が変わることはなく、男と女の間でも友情って成り立つんだなって、ちょっと感動すらしたくらいだ。
 繋心は私にとっては大切な友だちだった。
 大学4年の時にできた彼氏の田中君はとても穏やかな人で、口数は多くなかったけれど、一緒にいる時に無性に安心する空気感が好きで、あまり話をしなくてもお互い通じ合っているような不思議な感覚があって、こんな人間関係が家族以外に生まれるものなのかと驚いたくらいで、私は田中君を大好きになった。
 繋心も彼のことをよく知っていたから探りを入れたら、高校生の頃からよく練習試合をしていた相手校の選手だったらしい。

「あいつはいい奴だよ」

 繋心がそう言ったから、田中君は私の運命の人に間違いないと盲信した。私には田中君しかいないと思えたし、きっと大学を卒業して数年したら彼と結婚して、子供を産んで育てて、地域の行事にも積極的に参加する地元愛に満ちた優しい家庭を作って、穏やかに幸せに生きていく未来を思い浮かべては幸せに浸った。彼が大好きだったし、彼も私を好きでいてくれた。お互いの両親に挨拶もしたし、友達も祝福してくれた。
 頭の中がお花畑だったんだなと、今となっては思う。
 大学を卒業して、私たちは就職した。彼は都内の企業の営業職、私は地元の町役場、繋心は母親が経営する商店の手伝い。
 田中君のために、いつか仕事を辞める日が来るんだろうと思っていた。職場の同僚にもそれとなくそんな話をして、友達にもいつ結婚するんだとか、同級生ではきっと結婚第一号だねってちやほやされて、私はもうプロポーズされるのを待つばかりという構えだったというか、とにかくもう、浮かれていた。遠距離恋愛になんの不安もなかった。田中君とは毎日電話もメールもしていたし、私たちは絶対に大丈夫だって、なんの保証もないことを信じて疑わなかった。
 どうしてあんなことができたのか、今もって謎だ。
 ある時、田中君を驚かせようとして、連絡をせずに東京のアパートまで会いに行った。今日は仕事は休みだって電話で言っていたし、疲れているから一日家でだらだらしてるって言ってたし、部屋の合鍵はもらっていたし、久しぶりに顔を見て話をしたかった。
 東京についたのはちょうどお昼頃。合鍵を使って扉を開けて、声をかけようとして私は自分の目を疑った。彼の革靴と、女物の華奢なハイヒールが玄関のたたきに無造作に転がっていたのだ。耳を澄ますと、衣擦れの音に混ざってささやき声が聞こえてきた。子どもがかくれんぼをしながら、物陰に身を潜めて楽しげに笑っているような声だった。鬼には居場所はばればれだっていうのに、見つかったらどうなると思ってたんだろう。鬼はこん棒を振り上げてふたりをぼろぼろになるまで殴り続けるかもしれないし、両足をコンクリートで固めて東京湾に沈めてしまうかもしれないのに。
 けれど鬼はそうしなかった。鬼は田中君のために持ってきた宮城の名物笹かまぼこ(東京ではスーパーで売ってないって言ってたから)をそっと玄関に置いて、音を立てずに扉を閉めた。
 見知らぬ街をあてもなくぶらぶらと歩きながら、私は繋心に電話した。
 何を喋ったのかよく覚えていない。これは私の本当に悪い癖なんだと思うんだけれど、ひどく辛いことがあって正気を失ったり動転すると、自分で自分が何をしているのか分からなくなってしまう。冷静でいられないし、記憶にも残らない。もしかしたら何かの病気なのかもしれない。
 とにかく私は繋心に電話をして、何事かを訴え、その後ただひたすら見知らぬ街を徘徊した。どこにも行く当てはなかったけれど、すぐに宮城に帰ろうという気にもならなかった。誰かに時間を止めて欲しかった。もう終わった。田中君と結婚して幸せになる未来は崩れ落ちた。それじゃ私に残っているものってなんだろう。なんにもない。これからどうやって生きていったらいいか分からない。そういう絶望に全身を支配されて、体が言う事を聞かなかった。
 昼は午後になり、夕方になって夜になった。その時、車のクラクションの音がして振り返ると、繋心が車の窓から顔を覗かせて煙草を吹かしていた。

「何やってんだ? 死にそうなツラして」

 繋心は、私の電話を受けてからすぐに家を飛び出して、車で東京まで駆けつけてきたらしかった。繋心に車に乗せられ、首都高から川口JCTを経て、東北自動車道を北へ向かう車の中で、私はこれでもかと泣いた。あんまり泣きすぎて喉が渇いたのでパーキングエリアで飲み物とお菓子を買い込んで、やけ食いしながらまた泣いたら食べ過ぎて、次のパーキングエリアで全部吐いた。
 繋心は、お菓子の食べかすで車が汚れるのにも、私が鼻をかんだティッシュを足元にぼろぼろこぼすのにも、なんにも言わなかった。学生の頃からずっとそうしていたみたいに、うんうんと頷きながら私の話をただ聞いていた。ただ疲れていただけかもしれない。なんたって、宮城と東京を往復して8時間以上もアクセルと踏みっぱなしで休みなしだったのだから、頭は正常に回っていなかっただろう。
 でも、繋心は来てくれた。こんなどうしようもない私のために、たぶん、いろんなものを投げ打って。











 烏野町内会チームで定期的に開かれている飲み会の席には、いつもほとんど同じメンバーが顔を揃える。チームメイトはもちろん、野次馬の近所の親父や、町役場のバレーボールチームのメンバーが参加する日もある。そうなると結構な大所帯で、町内の会合御用達の居酒屋「おすわり」は満員御礼、店主のおばちゃんは厨房でてんてこまいだ。

「烏養って、なんだかんだ言ってに甘いよな」

 滝ノ上が焼酎を傾けながら言った言葉に、烏養は曖昧に首を傾けた。

「なんだよ、急に?」
「いや、また振られただかなんだかでお前んとこ転がり込んだんだろ?」
「誰に聞いたんだよそれ?」
「お前んとこのお袋さん」
「あんのおしゃべり」
「お前ら昔っからそんなんだよな」

 滝ノ上は、座敷のちょうど反対側で町役場のバレーボールチームのメンバーと楽しげに談笑しているを見やった。彼らはにとっては職場の同僚でもある。はあぁ見えて実は相当できる女だ。町役場に就職できる人間は極限られているし、町の中だけに限られた狭い社会でうまく立ち振る舞えるというのは一種の才能だ。町内会の若手と顔見知りということも手伝って、若手ながら町おこしプロジェクトの大きな仕事も任されている。
 どうして仕事はできるのに男はできないのかね、とは、ゲスっぽく噂好きの古臭い因習に縛られたおっさん達の言い分だったけれど、今時の若者であるところの滝ノ上や嶋田はそういう話は絶対にの耳に入らないように気をつけている。ちなみに、烏養は何もしない。
 
「烏養って、とどうにかなりそうになったことねぇの?」
「ねぇよ」

 嶋田の問いかけに、烏養はすげなく答えた。

「お前ら付き合っちゃえばいいのに」
「はぁ? 冗談よせよ。あんな面倒くさい女こっちから願い下げだ」
「いや、別に面倒くさくはねぇだろ」
「そうだよ。仕事に一生懸命なを、実家の手伝いしかしてねぇお前が支えてやりゃぁいいじゃん。今流行りの主夫だよ。現代的じゃん」
「おー、いいじゃんそれ!」
「なんで一気にそこまで話が進むんだよ!」

 声を荒げた烏養を尻目に、滝ノ上と嶋田は酒の勢いで好き勝手言って笑った。
 嫌気がさした烏養は、乱暴に席を立ってひとり店の外に出た。少しだけ、ひとりで静かに煙草を吸いたかった。酔って火照った体に夜風が心地いい。
 仙台の街中と違って、ここは空気が澄んでいて星がよく見える。首を仰け反らせ星空に煙を吐きかけると、背後で引き戸の開く音がした。

「繋心?」

 そこに立っていたのはだった。

「おぉ、どうした?」
「そっちこそ。酔った?」
「まぁな」
「私にも一本ちょうだい」

 言われたとおりに煙草を一本差し出し、それを咥えたの前にライターをかざしてやる。は器用に煙草の先を赤く光らせ、子どもがシャボン玉を吹くみたいに煙を吐き出した。

「ほどほどにしとけよ」

 はくすくすと笑いながら、さっき烏養がしたように星空を煙でくもらせた。
 烏養の中にを想う気持ちがこれっぽちもないと言ったら、それは嘘になる。そうじゃなかったら、東京まで車を走らせて迎えに行ったりなんかしないし、が男に振られて落ち込むたびに愚痴を聞いてやるなんてことはしない。
 それをが分かっているかどうかは、烏養には分からなかった。だって、は男に振られるたびに烏養に泣きつき、すぐに烏養以外の誰かを好きになって一目散にそっちへ走っていってしまう。学生の頃からずっとその繰り返しだ。自分はの眼中にないのだろうなと、烏養はなんとなく納得していて、納得するたびに自分で自分を傷つけた。
 たぶんはこれからも変わらないだろう。最後の恋をするまで、何度でも傷ついてその度に烏養の元に傷を癒しに舞い戻ってくるだろう。
 それで満足だなんて言えるわけもないけれど、を好きだなんてもっと言えるわけがなかった。
 は町役場で働きながら街を盛り上げていこうとしていて、その頑張りは誰もが認めるところだ。仕事はできるし、人柄はいいし、誰からも好かれて、町内会とも役場の人間ともうまくやっている。実家の手伝いとバレーしかしていない烏養とは大違いだ。烏養はそれが悔しくて情けなくてたまらない。男としてのプライドが邪魔をして、肝心なところへ踏み込めない。

「繋心ってさ、そろそろ結婚とか考えないの?」
「……なんだよ? 急に」
「この間、おばさんが嘆いてたからさ。早いとこ結婚して孫の顔見せてくれなくちゃこっちの寿命が先に尽きるって。どうなのよ、そこんとこ?」

 烏養は、ため息にのせて煙草の煙を吐き出した。
 そんなこと、こっちが聞きたいわ。




20150928




烏養繋心の人の良さについて
title by alkalism