
縁。辞書を引くといくつか意味があるようだけれど、今の自分の考えにぴったりくるものはこれだ。「そのようになるめぐりあわせ」。
と自分にはそんな縁があるような気がする。小学校、中学校、高校とずっと同じ学校に通っていて、そんな奴は他にも何人かいるけれど、小学校で4回、中学校で3回、高校で2回同じクラスになったのは
だけで、その数はダントツでトップだ。自分のことを下の名前で呼ぶクラスメートは何人もいるけれど、その中で
はただひとりの女の子で、小学校の頃からずっと「大地くん」と呼ばれている。そんな風に自分を呼んでいた女子は子どもの頃は何人もいたけれど、成長するにしたがってその数はどんどん減っていき、今となっては
ただひとりだけになっている。
そのせいで、自分たちは特別に打ち解けた仲のように見えるらしい。「澤村と
って付き合ってんの?」とこっそりと尋ねられることもたびたびだ。実際のところは顔を見ればなんとなく挨拶をするくらいの仲で、お互いの好きな食べ物も好きな色も、得意教科も部活も何にも知らなかった。そんな二人が恋人同士に見えるだなんて、どう考えたっておかしな話だ。
も同じようなことを聞かれることがあるらしく、そんな時に目が合うとお互いに気まずく笑いあったりすることもあった。
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縁。
との間には縁がある。子どもの頃からなんとなく顔を知っていて、高校3年生になった今ではもう12年間の付き合いだ。数字にするとちょっとぞっとするような年月だと思う。そんな長い年月を同じ学び舎で過ごしていた割に、あまりにもお互いのこと知らない自分たちはまぁそれはそれでうまくやっていた。
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子どもの頃から大好きな駄菓子。真ん中に穴が空いたラムネ、口先に咥えて息を吐くと高い笛のような音が鳴る。自分たちが子どもの頃から白髪の数も顔の皺の数も変わらない駄菓子屋のおばあちゃん。日常に当たり前にあって、なくなって始めて知る寂しさ。夏休み、プールの帰りに毎日通ったあの駄菓子屋は、高校2年の冬におばあちゃんが脳梗塞で倒れて店じまいしてしまった。高校3年生になってまた同じクラスになった
の顔を見て、柄にもなくノスタルジックな気持ちになったものだ。
と同じクラスになるのは今年が本当に最後だ。まさか同じ大学に進むはずはないだろう。いつもそこにあった見慣れた顔もいつかは消えて無くなってしまう。あの駄菓子屋みたいに、
もいつか懐かしい思い出のひとつになるのだろう。それが、なんだかちょっと寂しい。
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はじめて
と日直のペアになったのは、高校生活最後の1年が半分ほど過ぎた頃だった。12年のうち9年間同じクラスだったのに、一度も一緒に日直をしたことはなかったというのもすごいことだ。出席番号で言えばいつもは女子の斉藤さんとペアなのだけれど、その日彼女は風邪を引いて学校を休んでいた。
は彼女と仲が良かったので当番を代わったらしかった。
「大地くんって、バレー部なんだよね?」
放課後、二人で教室に残っていたら、
は何の前触れもなくそう言った。日誌に今日の出来事を記入している間に
が黒板を掃除していて、
の声は黒板に跳ね返って変に歪んで聞こえた。
「そうだけど、なに?」
「あの、さ。菅原くんもバレー部だよね?」
「そうだけど」
「仲良いよね、ふたり」
「まぁ、そうだね」
「……彼女とか、いるのかな?」
そう言った時、
の肩がぎゅっと縮こまった。子どもみたいに小さくなってしまった
の背中。広い深緑色の黒板の真ん中でぽつんと所在無さげで、手を差し伸べてやりたいような気持ちになった。
「さぁ、そういう話あんまりしないけど、たぶんいないんじゃないかな」
「そっか、そうなんだ」
は後ろ姿からも分かるほどあからさまに安心して肩を撫で下ろした。ちょっとだけ首をかしげるようにするその仕草がおかしくて、ついぷっと吹き出してしまった。
「好きなの?」
「いや、好きとか、そんな大袈裟なもんじゃないんだけど……!」
そこまで言っておいて今更もごもごと言葉尻を濁すのもおかしくて遠慮なく笑ったら、顔を真っ赤にして怒られた。
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菅原のどこが好きなの? と聞いてみたら、
は少し照れながら、「笑顔がやわらかいところ」と照れくさそうに答えた。
やわらかい、という表現が菅原に当てはまるかどうか、正直自分にはピンとこなかった。菅原は言い方は悪いけれど少し無遠慮なところがあって、旭のちょびヒゲとかネガティブな言動をイジっている時なんかは本当に意地が悪い。昔、ネコがネズミを追いかけてすったもんだする外国のアニメを見たことがあるけれど、ネズミがネコをからかっていたずらに罠に嵌めるときの「きしし」という笑い方が菅原にそっくりで、それを旭に言ったらしみじみと共感してくれたことがある。あれはどう甘く見ても「やわらかい」と表現できる類のものではないと思うのだけれど、一体
には菅原がどんな風に見えているのだろう。
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菅原を見つめる
の視線は、何かに取り憑かれたように真っ直ぐだった。授業中もずっと、まるで見えない糸に縛られたみたいに菅原のことを見ている。あんな様子で授業に集中できているのかと心配したけれど、
は突然先生に名前を呼ばれても何食わぬ顔できちんと正解を答えて見せた。菅原はその視線には全く気づかず、もくもくとノートにペンを走らせている。あんな風に見つめられてちっとも気づかないだなんて、菅原も案外鈍いなと思う。
ふと、
がひとつまばたきしたあと自分の方に視線を寄越した。その眼差しには菅原に向けられていた熱っぽさは欠片もなくて、その一瞬の変化にやけに戸惑ってしまう。
は先生にばれない程度にほんの少し口角を上げて微笑んで見せた。
その微笑みが何を伝えようとしていたのかは分からない。けれど、30もの人間がいる教室で自分にだけ向けられた小さな微笑みは驚くほど魅力的で、つい握っていたシャープペンを取り落としてしまった。かちゃん、と驚くほど大きな音が鳴ったような気がして焦ったけれど、クラスメートには些細な雑音でしかなかったらしく誰も気に留めはしなかった。けれどなんだかもう無性に恥ずかしくなってしまって、短い髪をかきあげるようにして顔を伏せた。その授業中はもう、顔を上げて黒板を見ることさえできなくなってしまった。
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「今度の土曜に練習試合をするから、見に来れば?」と
を誘ったのは、そうすればきっと
が喜ぶと思ったからだ。インターハイ予選で青葉城西とフルセットを戦ったことがきっかけで、校内で練習試合をするとなれば多少のギャラリーが集まるのは日常茶飯事になっていたし、そこに
が混ざりこむのも全然不自然なことではないから、悪目立ちすることもないだろうと思ったのだ。
はほんの少し驚いたあと、興奮して顔を真っ赤にしながら両手で拳を作って、「行く! 絶対行く!」と大声で叫んだ。喜んでくれたようだったから、それだけで自分も嬉しかった。
練習試合の日、
はクラスメートと一緒に体育館へやってきて、体育館の片隅で試合を見ていた。ギャラリーも結構多くて、ただの練習試合とも思えないくらいだったけれど、そのおかげで田中や西谷のテンションも上々で手綱を握りきれないほどだった。
試合が始まってしまえばギャラリーなんか気にならなかったけれど、3セットマッチのゲームをこなして昼休憩に入ったところで、
が菅原に話しかけていることに気がついて息を飲んだ。こうなることを予測してなかったわけじゃないし、もし想像通りにことが運んで菅原と
の距離が縮まったらきっと
は喜ぶだろうとは思っていた。だというのに、ふたりが一緒にいるのを見ただけでどうしてこんなにも胸がざわめくのか、意味が分からなかった。試合を見に来ていた道宮が声をかけてくれなかったら、自分はきっともっと取り乱してしまっていただろう。
女子バレー部を引退した道宮は、同じバレー部主将のよしみで何かと自分を気にかけていてくれる。自分でも正体の分からない気持ちを持て余してしまうこんな時、道宮の存在ほどありがたいものはなかった。
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それから、
と菅原がどんな話をして、どんな風に打ち解けていったのかは分からない。自分から詮索する気は起きなかったし、自分の目の届くところでふたりが話をしていたら意識的に距離をとった。それが当然のマナーだと思った。立ち聞きとか、盗み見とか、ふたりの信頼を損ないそうなことは死んでもできなかった。何かあればふたりのどちらかが報告なりなんなりしてくるだろうし、そもそも練習や受験勉強に忙しくてそんなことしている暇はこれっぽっちもなかった。忙しさにかまけて自分に言い訳をした。別に、気になってなんかいないというふりをした。ふりをしているつもりもなかった。自分で自分の気持ちをなかったことにした。結果的にそれは正しい判断だったと思う。だって、今は春高に行くことと、受験勉強を両立させることにだけ集中していたかった。今年の夏も秋も、今年限りのものなのだ。
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「最近、菅原とどう?」
運命のいたずらか、それとも
との縁がなせる技なのか、再びふたりで日直の当番になったとき、ついそう聞いてしまったのはほとんど無意識だった。
はどんなことが好きかとか、得意教科は何かとか、どの部活に所属していたのか、それとももともと帰宅部だったのか、相変わらず自分は知らないままだったし、
との共通の話題は他にこれといってなかったのだ。
「どうって?」
今日も
は黒板に黒板消しを滑らせていて、その間に自分は学級日誌を埋めていた。
「いや、最近仲良くしてるなと思ったからさ」
「別に普通だよ。世間話するくらいだし」
「そうなの?」
てっきり、もっと親密な仲になっているのかと思っていた。以前と比べてふたりがふたりきりで話をしているす光景をよく見るようになったし、偶然か確信犯かは知らないけれど選択授業もよく隣同士の席で受けていた。
「てっきり、うまくいったのかと思ってた」
「うまくって?」
心底驚いたような顔をして、
が振り向いた。
「いやだって、菅原のこと好きなんだろ?」
「そうだけど、でも付き合うとかそういうのは考えてないよ」
「そうなの?」
「そうだよ。だって今年受験だよ? 菅原くんは部活も続けてるし、そんな余裕ないでしょ」
「……そんなこと考えてたんだ」
「考えるよ、そりゃ」
は呆れたように笑った。
そうか、そんなに自分は考えなしだったのか。女の子の恋は、もっと熱っぽくて見境なしで思いに任せて突っ走るものだと思っていた。
は自分が思っているよりもずっと大人なのだ。
「……いつか、告白するの?」
の背中に向かって問い掛けると、
は考え込むように首を傾げた。
「どうかな。受験が終わったらって考えたりもするけど、友だちになれただけで十分嬉しいし、楽しいし。告白なんかして今の関係が壊れちゃうのもいやだし、このままでも私は充分かなって」
「そうなんだ」
「それに、菅原くんって思ってたよりいじわるだった!」
そこで
は唐突に声を大きくした。
「え? 何かされたの?」
「そうじゃないよ。ただ、菅原くんってそういうユーモアのある人なんだなっていう話で」
「……もしかして、幻滅した?」
「ううん、そこまでじゃない。なんていうのかな、私が好きだったのは、私が想像で作り上げていた菅原くんだったんだなぁって、気づいたの」
「想像と違った?」
「違った! でも、本当の菅原くんの方がずっといい人で、魅力的だったよ」
「そっか。……よかったな」
「こういうことがわかったのも大地くんのおかげだよね。ありがとね」
はそう言うと、黒板の前で振り返ってにこりと笑った。あの授業中、先生やクラスメートの目を盗んで自分に向けられたひそやかな微笑みと同じ、親しみのこもった笑顔だった。
「別に、お礼を言われることなんかしてないよ」
恥ずかしくて見ていられなくて、照れ隠しに前髪をかきながら学級日誌に視線を落とす。今日の日付の下に、自分の名前と
の名前が並んでいる。澤村大地。
。平成○年×月△日。
「そういえば、明日、誕生日だよね?」
ほとんど反射的に呟くと、
は驚いて目を丸くした。黒板には
の字で明日の日付がすでに記入してある。×月△日。明日は
の誕生日だ。
「なんで、私の誕生日を知ってるの?」
なんでって、答えは簡単だ。小学生のときは出席番号が生年月日順だったからだ。小学校で4回も同じクラスになったのだから、そりゃ覚えていたって当然だ。
じっと
の瞳を見つめていたら、ふいに
の視線が泣き出しそうに甘く緩んだ。その目を見ていたら、なんだかもう、たまらなくなって言葉が勝手に溢れてきた。
「
のことが好きだから覚えてたんだよ、きっと」
はどんなことが好きかとか、得意教科は何かとか、どの部活に所属していたのか、それとももともと帰宅部だったのか、自分は知らない。けれど、
のことが好きだ。菅原を好きだという
を知って、その姿を好きになった。菅原の魅力を知ってそのありのままの姿に好意を寄せている
が好きだった。子どもの頃の懐かしい匂いを感じさせてくれる
が好きだ。突然こんなことを言い出した自分に驚きながらも、真剣な眼差しで受け止めてくれる
が好きだ。
「……大地くんの誕生日、私も覚えてるよ」
そう言って、親しみのこもった表情で笑う
が、大好きだと思った。
20151116
企画「あいつにキスはいらない」提出作品