「ねぇ、
。クリスマスは光のページェント見にいこうよ」
「え。嫌だ」
取りつく島もない、とは、まさにこういうことを言うのだろうな。力ない微笑みを浮かべたまま、及川徹はどこか清々しい気持ちでそう思った。
平日の夕方の喫茶店。店内はほとんど満席で、ざわざわと落ち着きなく空気が揺れている。それを彩るクリスマスソングが、耳障りでない程度の音量で流れている。
ふたりがけのテーブルに向かい合わせて座っている
は、ノートと参考書をテーブルの半分に広げて、一定のペースで問題を解き続けている。テーブルのちょうど真ん中には、飲みかけのアイスコーヒーがふたり分並んでいて、テーブルのもう半分に広がっている及川の参考書とノートは、10分ほど前から計算が進んでいない数式が中途半端な場所で途切れていた。
「勉強、飽きちゃったの?」
は何もかも見透かしているとでも言いたげに、視線も上げずに言った。及川はえへへと笑って、頬杖をつきながら可愛らしく小首を傾げて見せた。指先までを覆うカーディガンの袖口が、たぶん
の怒りを買うだろうなぁと確信しながら。
「うん。ちょっと疲れたから休憩」
は上目遣いに及川を見上げる。その端正な眉が、前髪の向こうでぴくりと痙攣した。それを見逃さなかった及川は、口元をにんまりとさせてアイスコーヒーに刺さったストローを口にくわえながら思う。あぁ、どうして
は怒った顔もこんなに可愛いんだろう。
「じゃ、私も休憩しよう」
「うん。結構進んだ?」
「まぁまぁかな。徹は?」
「まぁぼちぼち」
はシャープペンシルをノートの上に置いて、両手でアイスコーヒーを持つと、汗をかいたグラスの肌を指先で撫でた。その爪が滑らかに光る。トップコートを塗っただけの爪は形良く切りそろえられていて、まるで南の国の白い砂浜にこぼれ落ちている小さな貝殻のようだった。光の具合で虹色に光る、貝の滑らかな内側。あぁなんかエロいなぁ、と思ったのが、顔に出ていなければいい。
「徹はきっかり30分で集中が切れるね」
「計ってたの?」
「時間配分確認するのに時計見ていたから」
「でも、人の集中力が続くのってそのくらいなんでしょ?」
「そうらしいけど、それに甘えてたら何にも勉強できないでしょう」
「家で勉強しているときはそうでもないんだけどな」
「そうなの?外だと集中できない派?」
「うーん、というより
といるからかな?」
わざとらしく語尾をあげてそう言うと、
はむっと唇を尖らせた。あぁ、その顔も本当にかわいい。そう思わせたくてわざとやってるのか、それとも天然なのか、どっちでもいいけれど、その拗ねた口元にキスをしたくて仕方がない。
「人のせいにしないでよ」
「別に、そういうつもりはないんだけど」
「ただの責任転嫁にしか聞こえないんだけど」
「ごめんって。うそうそ、冗談だよ」
「……ま、いいけどさ」
はついと窓の外に視線を滑らせ、不満そうな顔をしながらアイスコーヒーを一口飲んだ。喉元が小さく上下するその小さな物音まで聞き逃さないこの両耳は、ちょっとどうかしていると自分でも思うほど、
のたてる音に敏感だ。テーブルの下で音がして、
が足を組み替えたのが手に取るように分かった。
そんな敏感な耳に、近くの四人がけのテーブルに陣取っていた他校の男子生徒の声が届いた。あの子かわいくね?うわ青城生じゃん。レベル高っ。その後にも、
の可愛らしさに目をチカチカさせている男子達の一方的な褒め言葉が続く。そうだろうそうだろう。
はとっても可愛いのだ。
及川は内心優越感に浸りながら、テーブルに両肘をついて前かがみになり、
の顔を覗き込んだ。
の彼氏は俺だからねと、背中で語って見せながら。
「ねぇ、
。ページェント行こうよ」
は急に身を乗り出してきた及川に驚いて、ぱちくりと瞬きをした。大きな瞳に長い睫毛の影が落ちる。たぶん、マスカラでカールさせた睫毛にはほんの少しマスカラを塗ってある。きめ細やかな肌、チークなんか使わなくてもほんのりと桃色に透ける頬がとても綺麗だった。
「嫌だって言ったじゃない」
「だからもう一回誘ってるんじゃん。行こうよ」
「だから、嫌だって」
「なんでそんなに嫌がるの?」
は椅子を引いて及川から逃れようとしたけれど、そうはさせなかった。及川はその長い足を思い切り伸ばして
が座る椅子の足に自分の踵を引っ掛けた。がたん、と大きな音を立てて、椅子はもとの場所に落ち着いた。及川はもう片方の足を
の足の間に差し込んで、
のふくらはぎの内側にスラックスの裾を押し付けた。
「ちょっと、徹……」
「質問に答えてよ」
上目遣いに
を見上げて、凄む。
は散々迷ったような表情をしてから、やっと観念すると大きなため息をついた。アイスコーヒーとミルクが混ざった匂いがする息に前髪が揺れて、及川はめまいを起こしてしまいそうだった。
「だって、受験生がページェント見に行ったら第一志望落ちるっていうじゃない」
「あぁ、そういえばそういうジンクスあったね。でも、
、第一志望は模試でA判定出てるんでしょ?」
「模試はそうでも、本番は分からないでしょ。今は何にでもあやかりたい気分なの」
は不安げに視線を落とすと、その瞳がゆらりと揺れた。
受験勉強は、今が佳境だ。あと1ヶ月足らずでセンター試験、それから2ヶ月に渡って続く試験試験試験。この1年試験勉強と部活を両立させながら、
が必死の努力をしてきたことを及川は知っていた。
知ってはいるのだが、自信がなさそうに俯く
の小さな鼻先が指先で摘んでしまいたいほど可愛くて仕方がなかった。
がこんなに追い詰められているというのに、そんなことばっかり考える自分がみっともなく情けなくも思えたけれど、
があんまり可愛いからもう仕方がなかった。
「……何をにやにやしてるの?」
「え?
は可愛いなぁと思ってるだけだよ?」
「……人が悩んでる時によくそういうこと言えるよね……」
「褒めてるんだよ」
「このタイミングでそんなこと言われても喜べないわ」
は吐き捨てるようにそう言うと、シャープペンシルを持ち直して参考書のページをめくった。
あぁ、また
の機嫌を損ねてしまった。
どうしてこの口を通して言うと、どんな言葉も雲のようにふわふわと軽くなってしまうんだろう。心の底にある本心をそのまま言葉にしただけなのに、どうしてそれは
の鼻先をかすめる雪虫みたいに軽くいなされて届かないのだろう。いくら声を張り上げても届かない大きく広い川の向こう側とこちら側にいるみたいだ。こちら側からどんなに大きく声を張り上げてみても、
は見向きもしない。
こんなに近くで、同じテーブルについて、同じアイスコーヒーを飲みながら一緒に勉強をして、少し手を伸ばせば肌と肌を触れ合わせることさえわけないし、スラックス越しに感じる
の素足の柔らかさは手に取るように分かるのに、どうしてこんなにも熱い気持ちが
に届かないのだろう。
及川は口元に笑みを貼り付けたまま、こっそり眉尻を下げて手のひらの中にため息を落とした。参考書をじっと見下ろしている
はきっと気づかなかっただろう。及川に対して無関心を装っていたり、邪険にあしらったり、及川の軽口を冷たい一言で切って捨てたり、そういう仕草ひとつひとつが及川を煽っていることに気づいていないのと同じように。
及川は、
の全てが欲しくてたまらなかった。一応のところ
の彼氏を名乗らせてはらっているし、指を絡めて手をつなぐことも、ふいに唇を奪うことも
は許してくれているけれど、だからと言って
の全てを手に入れたという実感が湧いたことは一度もない。彼氏を名乗らせてくれていても受験にかまけてなかなかデートもできないし、手を繋いで並んで歩いていても、ちょっとしたことで
はすぐに機嫌を損ねてしまう。そういう時はキスをしたくてもとてもできやしない。
彼女の鎖骨のあたりに残した小さな赤い痣は、いったいどのくらいの時間彼女の体に止まってくれるのだろう。あっという間に消えてしまわないように、できる限り力一杯彼女の肌に吸い付いて作った赤い痣。ただただ、彼女は自分のものだという証を、彼女の体に刻みつけた痣。服を着替えるたび、体を洗うたび、鏡を覗き込むたびに、
に自分のことを思い出して欲しかった。そうでもしなくちゃ、
は知らぬ間にどんどん遠く離れていってしまいそうな気がした。
。夜、布団に入って眠りにつく前、俺のことをどのくらい思い出している?
「じゃぁさ、来年行こうよ」
そう言った及川の声は、先ほどまでとは打って変わって穏やかに優しく響いた。そのことに及川自身は気づかなかったけれど、
はノートを滑るシャープペンシルの動きを止めて、意外にそうに瞬きをした。
そんな
の顔を眺めながら、及川はしみじみと思う。 1年後も
と付き合えているかどうか、正直分からない。もしかしたら、大学は別々になってしまうかもしれないし、もしそうなったら、今よりもっとふたりの時間は少なくなってしまうだろう。それをおしても
をそばにつなぎとめておけるかどうか、及川には分からなかった。
は及川に囚われない。束縛は許さないし、大学へ進学した後の夢もはっきりしている。こととなれば、及川は
の最優先事項ではなくなるだろう。
それでも、こんな口約束にすらすがりたかった。及川は
の全てが欲しくてたまらないのだ。けれど、
を自分のそばに繋ぎとめておくためには何かが足りない。その何かが分からない今は、もう無我夢中にどんな小さなことにもすがらなければ仕方がない。
今でも
は自分を好きでいてくれてるけれど、もっともっと、
から求めてもらえるくらい魅力的な男にならなければ、足りない何かを獲得していかなくては、
に釣り合う男にはなれないのだ。
「受験生じゃなくなったら、ジンクスも関係ないでしょ?」
だから、これは自分との約束でもある。1年という月日が流れても、
の隣にいられるようないい男でいること。今、足りない何かを、1年後にはきっとしっかりこの手に掴んでいること。
「……そうだね。来年ならいいかもね」
は眉尻を下げて、しょうがないな、とでも言いたげに肩をすくめて苦笑した。その仕草が、どんな人気者のアイドルにも劣らないくらいの可愛くて、及川は胸を天使の矢に撃ち抜かれたようになって身悶えした。
ねぇ、
はどのくらい俺のことが好き?俺と同じくらいの気持ちがある?その身も心も隅々まで喰らい尽くしてしまいたいと欲望する凶暴な愛に、俺が身をやつしていること、分かってる?
ともっとずっといっしょにいるために、これからどんなに辛く苦しいことがあっても、俺は逃げないよ。俺は欲張りだから、欲しいもの全部手に入れるまで、絶対に諦めないんだから。
きみと もっと ずっと いっしょ
Happy Holiday!
20151220
thanks a lot! OTOGIUNION、 まったりほんぽ