idol fancy
「
、俺と付き合わない?」
妙に真剣な顔してそう言ったのは、隣のクラスの高橋くんだ。去年一年間同じクラスで、一緒に環境委員の仕事をしていた人で、音楽の趣味が合った。CDの貸し借りをしたり、おすすめのアーティストについて熱く語り合ったりして、弾む会話は小気味良く、いつも楽しかった。お互いに部活が忙しかったからそれ以上の何かがあったわけではないし、3年に進級してからはクラスが別れたので、近頃は廊下ですれ違ったときに二言三言会話するくらいの関係だったのだ。
「そんな突然、どうしたの?」
私がぽかんと口を開けて首を傾げると、高橋くんは苦いような顔をして眉根に皺を寄せた。
「突然ってことないだろ。ずっと仲良くしてたじゃん」
「それはそうだけど……」
「ずっと、好きだったんだ。
のこと」
私は高橋くんの告白を聞きながら、不穏な気持ちで胸がいっぱいになった。
どうして高橋くんは、苦いものを吐き出すような顔をして私への好意を告白するのだろう。高橋くんの苦しそうな顔を見ていると、私の方まで胸が苦しくなってきてしまう。好き、という言葉は、本来もっと甘やかな言葉ではないのだろうか。
「ごめんね。私、付き合ってる人いるの」
申し訳ないような気持ちはしたけれど、そう答えるしかなかったのでそう答えた。
すると、高橋くんは唇の片方の端をにやりと持ち上げ、嘲りに彩られた声色でその名を吐き捨てた。
「知ってる。及川だろ?」
そのいやらしくつり上がった口元が唾でも吐き出しそうに歪む。その仕草が本当にいやらしくて、私はこの一瞬で高橋くんのことが大嫌いになった。
「そうだけど、それが何?」
高橋くんの歪んだ口元を睨みつける。乾燥しているのか、その唇が白く粉を吹いているのが、私はとても嫌だと思った。
「あんなののどこがいいの?いっつも周りに女子はべらせてさ、あれ、絶対浮気してるでしょ」
「そんなの高橋くんに関係ないでしょ?」
「俺は
の幸せを思って言ってるんだよ。将来、浮気されて傷つくのなんてちょっと考えれば分かることじゃん。俺だったら絶対そんなことしない」
「徹だってそんなことしないよ」
「どうかな。俺見たことあるんだよね、及川が体育館裏で後輩の女子とふたりでいるところ」
「でもそんなのは……」
「浮気じゃないって、どうして断言できんの? あの及川だよ?
はあいつのこと全部分かってるつもりなのかもしんないけどさ、隠し事のひとつやふたつ絶対あるよ。いや、ひとつふたつじゃきかないかもね。何せあの及川のことだから……」
「高橋くんが徹の何を知ってるって言うの?」
「知ってるよ。俺は及川と同じ男なんだから」
高橋くんがそう言った瞬間、唇の間から真っ赤な舌と白い歯が覗き見え、見ていられず私は足元に視線を落とした。高橋くんが踵を潰して履いている汚れた上靴と、私の小さなつま先が存外近くにあって息を飲む。
あぁ、嫌だなと私は思う。徹の悪口を聞かされるのは嫌だ。徹のことをよく知りもしないくせに、自分の都合のいいように徹の人となりを勝手に解釈しようとするその態度が嫌だ。踵を潰し、おそらく入学してから一度も洗っていないであろう汚れた上履が不衛生で嫌だ。制服のスラックスの裾が擦り切れて、床を擦っているのが嫌だ。
徹だったら、絶対にこんなだらしのない格好はしない。上履は月に一度は家に持って帰って洗っているし、スラックスは背が伸びるたびに丈を直している。唇が乾燥したらリップクリームを塗るし、ちょっとした寝癖をほうったまま登校したり絶対にしない。人の悪口を言う前にいいところを探して褒めるし、憶測でものを言ったり決めつけたりしない。
「だから、
。俺と付き合ってよ。俺といた方が絶対に楽しいから」
高橋くんはいやらしい顔で笑って、私の腕を掴もうとした。私はそれを体を捻ってすんでのところで躱した。
「ごめんね。高橋くんのことは、どうやっても好きになれそうにない」
高橋くんは目を丸くして、一体何を言われているか分からない、とでも言いたげに瞬きをした。
「何言ってんの?俺たち仲良しじゃん?」
「別に、仲良しじゃないよ。とにかく、高橋くんとは付き合えない」
「え? なんで? 意味わかんないだけど?」
「だから……!」
その時、がらりと大きな音がして私達は息を止めて振り返った。教室の扉を開けて悠然とした態度でそこに立っていたのは、まぎれもなく及川徹、本人だった。
「
、お待たせ。一緒に帰ろう?」
帰り道をふたり並んで歩きながら、どうしようもなく気詰まりな空気が流れていて私はどうしたらいいのか分からなかった。横目で見ると、徹は片方の肩に鞄の持ち手を引っ掛けて、両手をズボンのポケットにしまっていた。いつもなら校門を出たところでそれとなく手を繋いでくるのに、今日はそれがなかった。私は行き場のない右手のやり場に困って、左肩に掛けた鞄の持ち手を両手で握りしめた。徹の表情は、いつも通りしまりのない薄笑い。視線は、まっすぐ前に向いていて私の方を見ない。
「待たせてごめんね。退屈したでしょ」
徹は意識的な笑みの滲んだ声で言った。
「うん、まぁ、そうでもないけど……」
「俺が何してたか聞かないの?」
「コーチと相談があったんじゃないの?」
「うん、そうなんだけどさ。他に何かあったんじゃとか、考えない?」
「例えば?」
「例えば、女の子と会ってたんじゃないか、とか?」
「……もしかして、さっきの話聞いてたの?」
私がそう言うと、徹は堪え切れなくなったようにぶはっと笑った。どうやら図星らしい。
「ちょっと! 聞いてたんなら助けてくれればよかったのに!」
思わず徹の二の腕を手のひらで叩くと、徹は全然痛くなさそうに「いたっ!」とわざとらしく訴えて見せたけれど、一体何がそんなに面白いのかけらけら笑い続けた。私は何がなんだか分からない。分からないことが、気に食わなかった。私の言い分を無視して笑う徹に腹が立った。あんなに嫌な思いをしたのに、その元凶であるところの徹が何にも知らずに呑気に笑っているのが、他の何にも変えがたいほど憎らしかった。私は怒りに任せて、英和辞書の入った鞄で思い切り徹の背中を殴りつけた。徹は転びそうになりながら前につんのめったけれどなんとか堪えて、涙を拭いながら何度も「ごめんごめん」と謝った。
私は鞄を肩に抱え直して腕を組み、徹を問いただした。
「どこから聞いてたの?」
「えーっと、『付き合ってる人いるの』くらいから?」
「ほとんど最初っからじゃない」
「うん、そうだね。全部聞いてた」
そこで私ははっとした。最初から聞いていたということは、徹は高橋くんが言った徹の悪口を一から十まで全部聞いていたということだ。私は急に心苦しくなって、徹の顔を覗き込んだ。
「気を悪くした?」
「ううん、別に?」
私の心配をよそに、徹はあっけらかんとして笑った。私は呆気にとられて、まじまじと徹の笑顔に見入ってしまった。涙を浮かべて笑い転げていた名残か、目の下あたりがほんのりと赤い。
「だって、あんなの俺、しょっちゅう言われてるもん。もう慣れっこだよ」
「悪口言われるのが?」
「うん。だから全然平気!」
徹はそう言って、とびきりの笑顔でVサインをして見せた。その全く濁ったところのない笑顔は、まるで小さな子どものようで、私は拍子抜けしてしまう。
あんな風に外側から見ただけのイメージで好き勝手なことを言われて、本当に腹は立たないものなのかしら。徹は高橋くんが言うような軽薄な人間じゃない。私にはよく分かっていることが、どうして他の誰かには分かってもらえないのだろう。徹があんまり平気そうな顔で笑っていると、私の方が悔しいくらいだ。
「むしろ、俺は嬉しいな」
「何が?」
「
がモテてるのが」
「はぁ?」
「だってさ、自分の彼女がモテるって、嬉しいよ。
のかわいさを誰もが認めてるってことじゃん」
「いや、普通は逆なんじゃないの?」
「逆って?」
「自分の彼女が他の男子に好かれてたら、腹が立ったりするものなんじゃないの?」
「
はそうなの?」
「え?」
「
は、俺が他の女の子にモテてると腹が立つの?」
徹にしたり顔でそう問われて、私はしまった、と思った。この論理でいくと、私の方が徹を取り巻く女の子に嫉妬してるみたいだ。それを認めるには、私のなけなしのプライドが邪魔をした。
「……徹は、女の子にちやほやされてないと寂しくて死んじゃうんでしょ?だったらしょうがないじゃない」
「別にそこまでじゃないよ!」
照れ隠しに口をついて出た言葉とはいえ、それはほとんど私の本心だった。
徹がどれだけの女の子に告白されようと、黄色い歓声を浴びせられようと、どんなにたくさんのプレゼントをもらおうと、もうしょうがないなぁという気分にしかならない。だって、それはもう本当にどうしようもないことなのだ。私が誰に何を言おうと何をしようと、徹の魅力は女の子を惹きつけてやまないだろう。徹本人に何を言ってもきっと無駄だ。彼女たちは別に、徹が望んだから告白をするわけじゃないしプレゼントを贈るのでもない。誰のせいでもない。ただ、徹はそういう星の下に生まれただけ、彼女たちはその星の魅力に目が眩んでいるだけ。ただそれだけのことだ。
もしも、自分をまるでアイドルのようにちやほやしてくれる彼女たちがいなかったら、徹はきっと拗ねてしまう。月刊バレーボールの取材を受けたのに白鳥沢の牛島くんより扱いが小さかったというだけで、体育館の隅で背中を丸めて寝転んでしまうみたいに。そういう時の徹はまったく言うことを聞いてくれない幼稚園児みたいで本当に心から面倒臭いので、私は私の良心にしたがってプライドのカーテンを引いた。
「ごめん、前言撤回する。徹がモテるのは、私も悪くは思ってないよ。むしろ彼女たちに感謝したいくらいだわ」
「え? なんでそこまで?」
「なんでも」
徹がかわいらしい仕草で首を傾げて見せたけれど、胸の奥がくすぐられる甘い感覚を無視して、私は駆け足になり徹の隣から数歩先に飛び出した。
まぁでも、私がこんな風にいくら好き勝手に想像を膨らませても、それは高橋くんの悪口と一緒だ。自分勝手な憶測。私にだけ都合のいい徹のイメージ。他の女の子とは私は違う、私だけが徹の特別だと思いたい私が私に見せている幻と言ってもいいかもしれない。そんな風に思えるくらい、徹の笑顔は掴みどころがない。
いつか、徹の口から本当のことを聞いてみたいと思う。徹を好きだというあの女の子達を、徹は本当はどんな風に思っているのか。あの子達と私は一体何が違って、どうして私だけが徹の彼女を名乗ることを許されているのか。
「ちょっと、待ってよ。
」
徹が私を追って、右手を掴む。わざとらしく抵抗するふりをしてみたら、徹の指が私の指に絡んで、罠にはまったように手が離れなくなった。
徹。甘い笑顔と言葉で女の子の心に魔法をかけるお星さま。
今はまだ、許しておいてあげるわ。その空言ばかり上手な唇が、本当の本当を口にしてくれるまでは、魔法にかかったふりをしていてあげる。なぜって、あなたのことが大好きだからよ。たぶん、あなたが思うよりもずっと。
20151214
たぶん、ド直球ストライクで外見がタイプなんです。