月曜日は君に会えない?
「
! 明日、遊びに行かない?」
と、徹が陽気に言った。
ミニゲーム形式の練習の最中だった。ワンセットマッチでメンバーチェンジをして、テンポ良く続くゲーム。監督とコーチは少し離れた場所で、選手の調子をチェックしている。今日は日曜日で、一週間続いた練習の山場だ。疲労も見え隠れする選手はぎりぎりの集中力でボールを追いかけている。スパイクがきゅっと音高く鳴り、ボールを打つ鋭い音と、選手の声、体育館独特の音と匂い。
張り詰めた空気が流れる中で、徹の発言は場違い極まりなかった。
「今、話しかけないでくれる?」
マネージャーであるところの
は、コーチに頼まれて選手それぞれのスパイク成功数、レシーブ成功数などの記録をとっていた。集中していないと、ちょっと目を離した隙にプレーを見逃してしまいそうだ。
の言葉を律儀に守って、試合の流れを見守りながら、穏やかな顔をしていた。徹は
の隣に立って、タオルを首に引っ掛けてボトルを傾ける。徹はひとつ前のゲームに出ていたので、しばらく出番はない。
長いラリーが続いて、1年の金田一がスパイクを決める。わっとコート内が盛り上がって、岩泉が金田一の頭をぐしゃぐしゃに撫でて笑っている。
は金田一の名前の横に線を1本書き足す。
「今ならいい?」
プレーが途切れたのを見計らって、徹は切り出した。
「どうぞ」
「映画でも見に行こうよ。俺、見たいものあるんだよね」
「明日は用事があるから無理。ごめんね」
「あ、そうなの? 何の用事?」
花巻がサーブポジションに入って、審判がぴっと笛を吹く。ラリーが続いている間は、徹も
も口をつぐんでボールの動きを目で追った。
徹がこんな風に
を誘うのは、一度や二度のことではなかった。けれど、
がその誘いに応えたことは一度もない。全国大会を目指す青葉城西高校バレー部は県内でもトップクラスの強豪で、ご多分に漏れず練習時間が長い。土日はもちろん、平日も日が暮れるまで練習が続く。練習終わりに遊びに行くなんてことは、時間的にも体力的にも難しい。
花巻が打ったスパイクが岩泉のブロックに引っかかってそのままラインを超えた。汗だくの花巻が舌打ちをして、その肩を渡が叩いて声をかけた。
「で、なんの用事?」
「塾」
唯一のオフである月曜日に、
は塾に通っていた。
は進学希望で、しかも一般受験をする予定だ。部活と受験勉強を両立させるために、週に1度のオフは貴重な1日だった。
「1日中? 映画は無理でも、ちょっとくらい時間取れない?」
「1日中みたいなもんなの。今年受験なんだから」
審判の笛が鳴る。今、Aチームのセットポイントだ。次の試合に出るメンバーが、そろそろ動き出して、軽く体をほぐしている。
岩泉のレシーブが綺麗に上がって、矢巾が大きく山なりのトスを上げる。十分な助走をとって、金田一が3枚ブロックを打ち抜いた。夏休みに入って、めきめきと腕を上げている金田一を見て、監督とコーチが目を合わせて頷いた。審判が長く笛を吹く。岩泉や松川が金田一の肩を叩いて「ナイスキー!」と雄叫びを上げる。先輩に手放しに褒められて、金田一も嬉しそうだった。
「じゃぁ、塾が終わったら連絡してよ。迎えに行っていい?」
「遅くなるからいいよ」
「それならなおさら迎えに行くよ」
「大丈夫だってば」
は、この試合の結果の記録をつけて、ノートをめくる。メンバーが入れ替わったので、コートに入るメンバーをチェックする。試合を終えた選手がドリンクで喉を潤して、汗だくの顔をタオルでごしごし拭っている。
「徹こそ、推薦だからって勉強サボってると評点落ちるよ」
「ちゃんとやってるって」
徹がスポーツ推薦で進学する予定だということは、1年ほど前からほとんど決まっていた。そのことを
が知ったのは、とても最近のことだった。青葉城西高校バレー部は強豪で、毎年何人かがスポーツ推薦で進学する。その推薦者を決めるのは大学バレー部の関係者と繋がりの深い入畑監督で、もちろん、春高予選の結果にもよるけれど、監督が推薦すれば進学はほとんど決まったようなものなのだ。
徹は、2年の時に監督を介して大学関係者と会っていて、その頃にスポーツ推薦の内定が出たようなものだったらしい。徹は中学の頃から名前の知れた名セッターだったから、当然といえば当然だ。徹にはそれほどの実力がある。
けれど
は、スポーツ推薦で進学する徹と、一般受験で進学を目指す自分とを比べずにはいられなかった。徹は毎週月曜日のオフに、決まって
をデートに誘う。
徹にはそれだけの余裕がある。けれど
にはそれがない。マネージャーの仕事と受験勉強を両立するのは、口で言うほど簡単なことではない。毎週月曜日ごとに
を誘う徹は、そのことを分かっていないと思えた。
は徹との温度差をどうすればいいのか分からず、気持ちを持て余していた。
「及川、ゲーム入んねぇの?」
1ゲーム終えて、コートを出た岩泉が声をかけてきた。徹は笑ってそれに答えた。
「この次に入るよ。金田一! スパイク良かったよ、ストレートの決定率上がってきたね!」
「あ、ありがとうございます!」
少し離れたところにいた金田一が、慌てて頭を下げた。
徹はこう見えて、いい先輩だ。チーム全体をよく見ていて、部の主将としての統率力もある。後輩へのフォローも欠かさない。バレーの実力もチーム1で、その実力こそが徹をチームのリーダーたらしめている。それを支える副主将の岩泉のおかげもあって、チームの雰囲気はとてもいい。
だからこそ、
は腹が立った。チームの雰囲気やチームメイトの調子はよく見ているのに、どうして、マネージャーであり、徹の彼女でもある
の事情や心模様には気づいてくれないのだろう。
「
、及川の相手して疲れたろ?」
の気持ちを察して声をかけたのは、岩泉の方だった。
「ちょっと岩ちゃん、それどういう意味?」
「そのまんまの意味だよ」
「岩ちゃん、さすが。分かってるね」
「
までなんだよ!? 話してただけじゃん!?」
は内心ほっとした。岩泉がこうやって徹のことを茶化してくれると、
と徹の間にある温度差をうまく隠してくれる。
は内心、岩泉に感謝した。
「何か気になることでもあったのか?」
岩泉は
のノートを覗き込んでそう言った。どうやら、徹と
が試合の内容について真剣な話をしていたのだと思ったらしい。
「それがさ、聞いてよ、岩ちゃん!
が全然俺と遊んでくれないんだよ!」
岩泉の真剣な表情とは対照的に、徹は大げさに頬をふくらませた。
「え? 試合のこと話してたんじゃねぇの?」
岩泉は
に聞いた。
は申し訳なさそうに肩をすくめた。
「せっかくの休みなのにさ! 冷たいよね!」
「だから、塾があるから無理だって言ってるでしょ。受験生なんだからしょうがないじゃん」
「なんだ、練習中にそんな話してたのかよ。」
「“そんな”ってことないでしょ! 岩ちゃん!」
「知らねぇよ。ていうか、うるせぇ。声でけぇ」
次の試合が、審判の笛を合図に始まった。監督とコーチが、「また及川の奴は……」と言いたげに目を細めている。休憩中の選手たちがなんだなんだと、及川の声に耳を傾けているのが、試合の記録をつけている
にも分かる。そもそも徹は普通にしているだけでも目立つので、こう興奮されては体育館中の注目が集まってしまう。
「岩ちゃんは知らないだろうから言うけどさ、俺たち付き合い初めてまだ1回もデートしたことないんだよ!?」
そんな状況で徹がそんなことを言い出すので、
はぴくりと肩を強ばらせた。
「あぁ、そうなの? けど、いつも一緒に帰ってんじゃん」
それに気づかない岩泉は冷静に質問した。3人から少し離れた場所で休憩している選手たちが、気まずそうに目を見合わせてその会話に当惑している。いくらなんでも練習中にする会話ではなかった。
「それはそうだけど、そんなのデートの内に入んないよ!」
「へぇ、そう」
「俺はもうちょっと、恋人同士の時間を大事にしたいのにさ!」
「ふぅん、そう」
気のない返事をしながら、岩泉は
を盗み見る。傍目にはまじめに試合の記録をつけているように見えるけれど、シャープペンを持った右手が白くなるほど力が入っていることに気づいて、岩泉は危機感を覚えた。
「
は、俺に対する愛が足りないよね!」
それに気づかない及川は不満も顕にそんなことを言う。岩泉が慌ててフォローしようと口を開いたとき、体育館の観覧席から「及川さぁーん!」という黄色い声援が響いてきた。徹はそれに笑顔で手を振って応えて、それで、
の堪忍袋の緒が切れた。
「そんなに遊びたいなら、ファンの子にでも声かけたらいいんじゃない?」
は何も考えずに吐き出すように言った。その声はずいぶん大きく響いて、徹と岩泉だけでなく、休憩中の選手、コートの中にいた選手の何人かもそれに反応して振り向いた。
は徹をきっと睨みつける。徹はぽかんと目を丸くして
を見下ろしていて、間に立っている岩泉はフォローするタイミングを逃しておろおろした。
それっきり、
は徹と口をきかなかった。
*****
月曜日。
は午前中から塾に行った。朝、徹からラインでメッセージが届いていたけれど、
はそれを読まなかった。
塾で授業を受けて、昼休みには塾での友人と一緒にコンビニまで出掛けてアイスを食べた。授業がない間は自習室で勉強して、授業を受けて、休憩して、授業を受けて。授業の合間に教師とくだらない談笑をして、また自習室で勉強して。そんな風にしていたら、あっという間に一日が終わった。徹のことは、一度も思い出さなかった。
帰る方角が同じ塾生と途中まで一緒に帰る。塾を出たのが遅い夏の夕暮れの頃だったので、電車に乗る頃にはすっかり日が暮れていた。空気が湿ってべたつくけれど、昼間よりは随分気温も下がって、柔らかい風が吹いていた。
電車に乗って一人になったらようやくそんな気分になったので、
は徹から届いていたメッセージを見た。
『塾、終わったら連絡して』
は両手でスマートフォンを握りしめ、じっとその文面を睨む。このたった一言を、徹はどんな思いで送信したのだろう。
へらへらとして調子のいいことばかり喋るのは徹の長所であって短所でもある。徹の底抜けの明るさに暖かい気持ちになったりするし、でも、女の子にキャーキャー言われて満足げに笑う徹の顔は気に入らない。ふたりで話をしている時、くだらないことでふわりと穏やかに笑う徹の笑顔が好きだ。岩泉とくだらないことで言い合って言い負かされているのを見ると、かわいいなって思うし、岩泉とふたりで徹をからかうとき、子どもみたいにふて腐れるところもかわいくて、何回でも同じことをしたくなる。チームの真ん中で不敵に笑う姿は頼もしい。誰よりも努力して技を磨いていることもよく知っている。厳しく自分を律して、どこまでも上を目指して努力する姿は本当にかっこいいと思う。
は、徹の優しいところも、かわいいところも、情けないところも、かっこいいところも、本当は全部大好きだった。
けれど、今年は受験だし、部活と両立するのは本当に大変だし、遊んでいるひまはない。徹とは部活で会えるからそれでいいと思っていたけれど、徹はそうではない。何かと理由をつけては、
とふたりで会いたがる。
つまり、このふたりの温度差が問題なのだった。
は決心して、徹にメッセージを送信した。
『塾、終わったよ』
ちょうど、電車が駅のホームに滑り込んだ。乗客は多くはなく、人影はまばらだ。
は改札を出て徹からの返信を待とうとしたけれど、その目にいつもどおりにへらへらと笑って手を振る徹の姿が映って当惑した。とっさにどんな顔をしていいか分からず、顔を伏せてしまう。
がメッセージを送信したのはほんの数秒前だから、それを見て徹がここに来たわけではないことは、
にはすぐに分かった。いつ帰ってくるか分からない
を、徹はここでずっと待っていたのだ。
徹は
の顔を覗き込むようにして目を合わせて、スマートフォンを片手に言った。
「連絡、ありがとね。
」
「なんでここにいるの?」
「そろそろ帰ってくるかと思ってさ」
は言葉に詰まった。昨日けんかをしたばかりだというのに、徹は何事もなかったかのように笑っていた。
は冷たいとか、愛が足りないとか言った口で、「ありがとう」と言う。
は、なんだか泣きたくなった。仲直りをしたわけでもないのに、徹はどうしてこんなに、優しいのだろう。
徹は
の手を取ると、のんびりとした足取りで家路についた。人通りも車通りも少ない。どこからか蛙の鳴き声が聞こえて、夏草の湿った匂いが風のない夜に立ち込めていた。
徹はバレー部の練習用Tシャツを着ていて、財布とスマートフォンをポケットに入れている以外は手ぶらだった。
「走ってきたの?」
が聞くと、徹は少し困ったような顔で笑った。
「うん、それもあるけど」
「何?」
「甥っ子の付き添いで、『ちびっこバレーボール教室』に行ってきたんだ」
は、そんなチラシが回覧板で回ってきていたことを思い出した。
「今日だったんだ」
「うん。今朝、急に頼まれてさ」
「楽しかった?」
「付き添いだから、プレーできるわけでないし。まぁ、普通だよ」
「甥っ子くん、嬉しかったんじゃない。徹に付き添ってもらえて」
「どうかな、俺馬鹿にされてるしね。そもそも、
と遊べないんなら他にすることもないし……」
徹は言いよどんで、口をつぐむ。
が先を促すように徹の手をくんと引くと、徹は言い訳をするように苦笑した。
「女の子とは、遊ばなかったよ」
その笑顔に、
の胸がずきんと痛んだ。昨日、
が怒りに任せて口走った言葉は、想像以上に深く徹の胸を深くえぐったらしい。その傷ついた顔を見ていられず、
は徹の手をぎゅっと握りしめた。
「昨日は、ひどいこと言ってごめんね」
「ううん。俺もちょっと、無神経だった。1日経って頭冷えたよ。こっちこそごめんね」
徹はいつもどおりの笑顔で、
の手を握り返した。
徹は一見、いつもへらへらしているように見えて、実は結構真面目で、しっかりしている。くだらないことにこだわって子どもっぽく拗ねることもよくあるけれど、周りが知らないところで、いろんなことを真剣に考えている。
のこともそうだ。こっそり真面目に考えている。
にも気づかれないくらい、ひっそりとだ。けれど、徹の誰にも見せない真面目さを、
は知っている。
「まぁ、それでもやっぱりデートはしたいんだけどね」
未練たらしく徹がそうつぶやくので、
はほんの少しだけ譲歩した。
「私も、デートしたくないわけじゃないんだよ?」
がそう言うなり、徹は嬉しそうに目を輝かせて身を乗り出した。
「ね? そうでしょ?」
「うん。でもやっぱり、受験が終わるまでは難しいと思う」
その目の輝きが、一瞬でしぼんだ。
「えぇ!?」
徹が本気で傷ついたような目をする。いつもへらへら笑っている徹を、自分の言葉で振り回して一喜一憂させられることが、
は嬉しかった。
「まぁ、もうしばらくは我慢しようよ。受験に失敗したら元も子もないし、徹だって、春高、全国に行くんでしょ?」
「そりゃそうだけどさ……」
徹は何か言いたげに、複雑に眉根を寄せる。
「たまに、ふたりで会えるだけでもいいじゃん」
の慰めの言葉に、徹はむっとした。どうやらまだ納得していないらしい。
「
は本当に、俺と会えただけで満足?」
徹は急に、いつになく真剣な顔で
の頬に顔を寄せる。そして、
の耳元でそっと囁いた。
「ちゅうしていい?」
に断る理由はなかった。歩みを止めて、徹を見上げる。街頭の灯りに照らされて照れたように微笑む徹は神秘的で、とても綺麗だった。夏の湿気に混ざって、徹の汗の匂いがした。
が目を閉じると、唇に徹のそれが触れて、小さなとんがった音を立てた。繋いだ手を、お互いにぎゅっと握しめる。至近距離で見つめ合って、徹と
は同じ気持ちで笑いあった。
20150523
企画「恋するカラダ」提出作品(テーマ:頭を冷やす)