不機嫌なポニーテール その周辺
青葉城西高校男子バレー部に、女子マネージャーがやって来る。そんな噂が流れたのは、インターハイ予選が終わってすぐのことだった。
「それが、3年の女子らしいんだよ」
練習着に着替えて体育館へ向かう途中、矢巾が興味津々といった様子で人差し指を立てた。隣を歩いていた渡は「へぇ」と相槌を打って、トレーナーの袖をぐいと捲りあげた。
「この時期に入部なんて珍しいな。普通なら引退する時期だろ?」
「それが、女バレのマネ引退して、男バレに転部するんだってさ。どういうことだと思うよ?」
「さぁ? っていうかそれ、どこで聞いてきたんだよ? 冗談じゃねぇの?」
「今日日直で、職員室にプリント出しに行ったら監督とコーチが3年のクラス担任と喋ってんの聞いたんだよ。間違いないって」
矢巾はかわいい女の子に目がない。学校内でも、帰り道でも、部の公式戦でも、練習試合でも、あの高校の女子マネージャーがかわいいとか、今すれ違った子美人だとか、まるで呼吸をするように呟いている。そんな矢巾にとって、女子マネージャーはある意味で憧れの存在だった。
現2年生であるところの矢巾と渡が入部してから、男子バレー部にマネージャーはいなかった。過去にはちゃんとマネージャーがいたこともあったらしいが、女子マネージャーとして定着することはなく、時には男子マネージャーがいたり、志願者がいなかった年には1年生がその仕事を代行していた。部員は多かったから、マネージャーがいないならいないで問題はなかったのだ。
けれど、女子マネージャーが本当に入部するとなれば、そわそわと浮き足立ってしまうのは男の性だ。特に男所帯しか知らない部員にとっては、今後の部活動生活のいかんを左右する重要な問題だった。
「どんな人だろうなぁ」
矢巾は期待に胸を膨らませ、空を仰ぎながらにんまりと笑った。
「さぁな。女バレに知り合いいないし、体育館違うと疎遠だよな」
「すんげぇ美人だったらどうする?」
「どうするもこうするもないだろ。何想像してんだよ?」
「いやぁだって、夢は膨らむじゃん?」
体育館に入ると、1年生がネットを張ったりドリンクを準備したりタオルを準備しながら、大声で「おはようございまぁす!」と声を上げる。部内では、朝でも昼でも夕方でも、挨拶は「おはようございます」と決まっている。
「うぃーっす」
矢巾と渡の後ろから、松川と花巻が連れ立ってやって来た。矢巾はここぞとばかりに問いただした。
「松川先輩、うちに女子マネージャーが入るって本当ですか?」
松川は花巻と顔を見合わせて目をパチクリさせた。
「なんだ、もう知ってんのかよ?」
「あ、じゃぁ本当なんすね」
「そうだよ。この時期に転部なんて物好きだよな」
「しかもあいつだろ?」
花巻が苦笑いをして言うので、渡は首を傾げた。
「どんな人か知ってるんですか?」
「知ってるもなにも、お前らも顔くらい知ってると思うぞ」
「有名人ですか?」
「去年の文化祭のミスコン。覚えてる?」
それは、青葉城西高校の文化祭の目玉イベントのひとつだ。学校一の美男子と美女を全校生徒の投票で決めるというもので、一種の人気投票と言っていい。
「去年、及川先輩が『俺が2位なんておかしい』ってゴネてたあれですか?」
矢巾が思い出し笑いをしながら言うと、
「それ」
と、花巻がぴっと人差し指を立てた。
「その時の女子の1位。
っつーんだけど」
「えぇ!? 美人じゃないっすか!?」
「まぁ、美人っちゃー、美人だけどな」
「矢巾、あんま期待すっと後でひどいぞ?」
「え? なんすかそれ? 教えてくださいよ」
「何くっちゃべってんだ?」
口をはさんだのは岩泉だ。誰よりも早く体育館に来て自主練をしていたらしく、既にほんのりと汗をかいていた。
「おぉ。
って今日からくんの?」
と、松川が言う。
「俺はそう聞いたけど」
「まだ来てないんすね」
「初日だから、キャプテンが紹介したりとかするんじゃねぇの?」
岩泉が目を細めて言うので、渡は不思議に思って尋ねた。
「何か、気になることでもあるんですか?」
「いや、別に」
岩泉は花巻や松川と目を見合わせて、疲れたように笑った。
「お前らもそのうち分かるよ」
この時、3年生が何を言いたいのか、2年生のふたりには分からなかったのだけれど、その疑問はその日のうちに解消した。
部活の開始時間ぎりぎりになって体育館へやってきたバレー部キャプテン、及川徹は、3年生の女子生徒を伴って現れた。あれが噂の
先輩かと、2年生は顔を見合わせる。当時2年生ながらミスコンでグランプリを受賞したというだけあって、整った顔の美人だった。黒く長い髪をポニーテールにしていて、目の前を通りすぎるとフローラルないい匂いがした。矢巾の鼻の下が伸びる。
「はぁい、みんな! 紹介するよ! 今日から、男子バレー部に待望の女子マネージャーが入部することになりました!」
及川は芝居がかった仕草で両手を広げて高らかに宣言した。部員達は及川のこういうところは見慣れていたけれど、
は一体何が始まったのかと不審そうに及川を睨む。
「さっそく自己紹介してもらおうかな。はい、
! どうぞ!」
は1歩前に出て、部員達をぐるりと見回してから話し始めた。
「
です。ちょっとした成り行きで、マネージャーとして入部させていただくことになりました。春高までの短い間ですが、よろしくお願いします」
がぺこりと頭を下げると、それにつられてポニーテールがぴょこんと跳ねた。
「え? それだけ?」
「なにか足りない?」
「ちゃんと、俺の彼女だって自己紹介してよ」
及川の言い分に、
は頬を引きつらせて何も答えなかった。
1年と2年は、及川の言葉を引きずってざわざわと動揺したけれど、3年生はさすがに落ち着いていて、及川を差し置いて、「じゃぁーランニングー」と、さっさとアップを取り始め、及川はキャプテンなのに体育館の真ん中に取り残された。
「……こういうことだったか」
矢巾がつぶやくと、渡は隣で苦笑いをした。
***
「信じられない! みんなの前であんな風に言うなんて!」
「何で!? 事実を言っただけじゃん俺は!」
「わざわざ宣言することじゃないでしょう!?」
「宣言しておかないと
に惚れちゃう奴が出てくるかもしれないでしょ!? 俺は部員と恋愛沙汰でもめたくないの!」
「私の身にもなってよ! 仕事するのに気まずいったらないんだから! 明日からどんな顔して部活でればいいのよ!?」
「そんなの『及川徹の彼女ですが何か?』って顔してればいいじゃん!」
「それどんな顔?」
「こんなの」
「気持ち悪い」
「えぇ!? なんでだよ!? 幸せそうでしょ!?」
「どこが!?」
岩泉一は、及川徹と
がふたり並んで歩いている2、3歩後ろを歩いている。3人は同じ北川第一中学校出身で学区が一緒なので、必然的に帰る方角が一緒だった。それをこれ程恥ずかしく思ったことはない。できれば他人のふりをしたいところだけれど、残念ながら及川と岩泉は揃いのバレー部専用Tシャツを着ているし、揃いのロゴ入りバックを肩に引っ掛けているので言い訳はできない。
夏の日暮れの時間はとっくに過ぎて人通りが少ないことが救いだけれど、たまにすれ違うノーネクタイのサラリーマンが怪訝な顔をするのを見ると肩身が狭かった。騒がしくってなんかすいません、と頭を下げたくなる。何で俺がこんな気持ちにならなくちゃならないんだ。本当、いい加減にして欲しい。
「やっぱりマネージャーなんか引き受けるんじゃなかったな……」
「えぇ!? 今更それ言う!?」
「だって、徹がこんなんだと思わなかった! キャプテンやってるからにはもうちょっと真面目にやってるのかと思ってたのに!」
「俺ちょー真面目じゃん? 何をそんな心配してんのさ?」
「どこが真面目!? 最初っから最後までへらへらへらへらして、これじゃ岩ちゃんとどっちがキャプテンか分かんないよ!?」
「岩ちゃんはあぁやって俺のフォローをするのが仕事なの! そのための副キャプテンだから!」
別に及川のために副キャプテンやってるわけじゃないけどな、という言葉は飲み込む。こけにされているようで腹は立ったけれど、2人の間に割って入ってとばっちりを食うのはもっと御免だ。
ぷりぷりと怒る
の後ろ姿を見ていたら、購買部の自動販売機の前で野菜ジュースを飲みながら愚痴をこぼしていた
を思い出した。
あの頃の
は、及川の遠まわしな告白をどう受け止めていいのか分からず迷っていた。浮かない顔をしていたし、ストレスも相当溜まっていたのだろうと思う。
けれど今、及川とけんかをしている
は、本当にいきいきして見える。うじうじと悩んでいる
より、及川に腹を立てて目くじらを立てる
の方がずっと
らしい。
きっと、これがふたりにとって正しい形なのだろう。だから、けんかをしたっていいのだ。けんかもせずに完璧にお互いを理解できる人間なんかいないのだし、思ったことを素直にぶつけ合える関係というのは案外貴重だ。けんかするほど仲がいいと言うし、及川と
のけんかもその類のものだと思うことにしよう。
「岩ちゃんもなんとか言ってやってよ!」
「あ! ずるい! 岩ちゃん味方につけようとして!」
だからって、俺をそこに巻き込むんじゃない。面倒くさいんだよ、お前ら。
20150706
1周年記念企画作品。リクエスト、ありがとうございました!