help me , help you







私が座り込んでいるのは、校舎と校庭の間にある、砂利が敷かれた通路だ。植木の木陰がちょうど良く地面にきらきらの模様を映して、初夏の風が柔く気持ちがいい。

けれど、膝小僧から土埃混じりに流れ出る血だけがグロテスクだ。お尻にあたる尖った石がちくちくする。膝のじくじくする痛みに唇を噛みしめていたら、昨日から下唇の裏にできている口内炎が潰れそうに痛んだ。

今、西浦高校は体育祭の期間中だ。体育館で行われているバスケの試合を応援に行くんだ、とか、団長さんが出るんだってーとか、黄色い声を挙げる女の子とたまたますれ違って、その時になんとなく肩がぶつかってしまって転んで、砂利に足を取られて派手に転がって、今この状況にある。

自分の運動神経のなさや反射神経の鈍さを嘆くよりも、たった今すれ違った女子達の無神経さに腹が立った。

どうしてああいう女の子たちってああなのかな。人にぶつかっておいて、謝罪の一言もないなんて。人の悪口は言いたくないけれど、どうしてああなのかな。あぁいう人種は苦手だから話をしたことはないし、団長さんのことが好きな一心なんだろうけれど、でもどうしてああなのかな。

とりあえず保健室に行かなければ。とは思うものの、転んだ拍子に膝を打ってしまったのか、痛みに耐え切れず立ち上がれない。バスケットの試合が始まってしまえばこんなところ誰も通らないだろう。こうなったら痛みが落ち着くまでじっとしている以外方法がないのだ。

情けなくて寂しくて、泣きそうだった。何やってんだろう。ついてない。今日の占い何位だったっけ。

「あれー、もしかしてもう浜田の試合始まってンじゃねぇのー?」

「だから急げって言ってんだろ」

「阿部はどうすんの?」

「おー、俺も行く」

近くで人の声がし始める。時間に遅れているのだろうか、砂利を踏む音が荒々しい。ここで通りがかった人に助けを求めるのが賢い方法かもしれないけれど、声の調子からするに、通りがかったのは男子だ。しかも、阿部、と言うのは確か、今話題の野球部の副部長じゃないかな。一番目立つ大きな声は同じクラスの田島だ。そんな有名人たちにこんなところ見られるのは、ちょっと勘弁してほしい。恥ずかしくて死んでしまうかもしれない。

「ちょっと先行っといて。後から行くから」

「何だよ、泉ー。便所?」

「ちげーよ、ほっとけ」

膝の痛みを痛みをじっと堪えて息を潜める。早く通り過ぎてどこかへ行って。この膝の痛みみたいに。

祈るようにそんなことを考えていた、その時だった。

「おい、? 何やってんの?」

通り過ぎてくれたはずの声が、思わず至近距離から降ってきた。見上げると、木漏れ日のきらめきを背負って腰を屈めて私の顔を覗き込んでいたのは、同じクラスの泉だった。





「男の人にあんなに優しくされたの初めてだったの!」

「男の人って」

「クラスの男子じゃん」

苦笑いをしながらそんな風に反論してくる友たちに、言い知れず腹が立った。

どうして分かってくれないんだろう。理解してもらえないくやしさ、もどかしさがもやもやと胸の中を蝕む。例えばこの友たち二人に泉の魅力を理解してもらったとして、万が一泉に恋をしてしまったら厄介だけれど、それとこれは別の問題だ。

こんなに高鳴っている胸の鼓動が、どうしてこの二人には聞こえないんだろう。

「だって、かっこいいじゃん!」

「顔は普通じゃない?」

「私は団長さんの方が好みだけど」

「ほら! 野球してるとことか!」

「私この間の試合見てないもん。どうだったの?」

「よく分かんないけど、打ってたし点入れてたよ。まぁそういうとこはかっこいいかもね」

「そうでしょ!?」

「田島とかといるから目立つだけかと思ってたけどなぁ」

「そんなことないんだって! かっこいいの泉くんは! そんで優しいの!」

何でこんなこと大声で叫んでいるんだろう。

頭の片隅の冷静な一部分で、そんなことを考えてみる。昼休みの美術室。廊下にも人気はなくて、誰に聞かれている心配もない。だからだ。その上、気心が知れた友達。でも、大切な恋心を理解してくれない友達。

大声も出したくなるというものだ。理解して欲しくて、応援して欲しい、それだけのことなのに。

「告白は? しないの?」

「そうだよ。そんなに好き好き言うならさくっと言えるんじゃないの?」

どうしてこの二人は真剣な恋心を面白がるんだろう。ここまで言われると意地になってしまって、むっと唇を尖らせて答えた。

「ううん。それはまだ無理」

「なんで?」

「……今は、片思いが楽しいような気がするから」

一時沈黙が流れて何事かと思ったら、二人は唇を尖らせて息が漏れるみたいに笑った。そこから笑い声がどんどん大きくなって、たまたま廊下を通りがかった誰かが怪訝そうに教室を覗いていく姿が窓から見えた。

なんだか、心が腐った。





***





階段を登ろうとしてふと見上げると、踊り場に膝に包帯を巻いた足が見えた。

「あれ、?」

思い浮かんだ名前を呼んだら、その足は立ち止まって、踊り場でぎこちなくターンをする。膝が痛むような仕草だった。

「あ、あれ、泉くん」

「怪我ひどそうだな。大丈夫?」

踊り場まで階段を一段飛ばしに上がって、の隣に並ぶ。少し見下ろしたところにある目が、何度か瞬きをした。

「治るまで結構掛かるんだろ?」

「うん、まぁ」

保険医にそう告げられた瞬間、が泣きそうな顔をしていたのが印象的で、よく覚えている。

野球部の練習で擦り傷には慣れているから、たったそれだけのことで涙を流すの気持ちは分からなかった。けれど、は女の子だから、男の自分には分からない辛さとか、事情があるんだろうなぁと思った。

「風呂とかしみそうだよなぁ、それ」

「ちょっとだけだよ。平気平気、全然」

「そ? ならいいけど」

の背中を追い越して、踊り場を折り返す。去り際に注意を促して、また一段飛ばしに階段を上がる。

「気をつけて歩けよ」

「あ、あ、泉くん!」

軽やかな自分の足音に耳をすませていたら、少し裏返ったの声が廊下に反響した。透き通るように、まっすぐに。踊り場を見下ろすと、同じ場所に直立したままのと目が合った。

「どうかした?」

は、なぜか驚いたような顔をしていて、逆にこっちが驚いた。もしかして、何か気に触ることでも言ってしまっただろうか。

「あの、泉くん、この間のね」

「この間?」

「体育祭の日、ほら、保健室に連れてってくれたでしょ」

「あぁ、あれ」

が息を吸った。階段の上から見てもそれが分かるくらい大きな仕草だった。何かを振り絞るみたいに、両手が体の横できつく結ばれていた。

「あ、ありがとうね。すごく助かった」

たったそれだけのことを口にするのに、どうしてそんなに力一杯になっているんだろう。志賀にアルファー波の説明をされた時、足元に蛇がいると騙された篠岡の格好に少し似ている。ただ蛇に身構えている、あの感じ。は何に身構えているんだろう。

「いいよ、そんなの」

できるだけ優しい声になるように、気を遣って答えた。は途端に肩の力を抜いて、手のひらをほどく。そして、少しだけ照れたように笑った。

「もう転ぶなよ」

「うん」

そのの笑顔に、泉は少し面食らった。さっきまでがちがちに固まっていた手のひらがひらりとほどけて、階段の手摺の上で踊る。突然緊張したり柔らかく笑ったり、忙しそうな奴だ。

けれど膝に包帯を巻いたまま、脚をぎこちなく動かしながら階段を登る姿には、素直に好感が持てた。そんな風にしか歩けないなら、手を貸してくれとか、頼めばいいのに。

そんな一生懸命さを無駄にしたくなくて、あえて手は貸さなかった。あの時みたいに、ひとりぼっちで涙を流していたりしなければ、そんな必要もないのだ。

は、ひとりで頑張れる子だ。それはとても、魅力的なことに思えた。

「じゃぁな。がんばれよ」

が笑うから、自分も笑ってそう言った。は手摺の上の手のひらを持ち上げて、敬礼をするように手をかざす。

がんばります、と言っているようだった。






20100424