眠れる森、その後先






が休日を利用して、年がら年中休日みたいな暮らしをしている銀時を訪ねたら、今日は珍しく仕事が入っているということで、ちょうど万事屋を出るところに出くわした。「それなら飯作ってくんねぇ? 一週間くらい冷蔵庫で持つようなやつ代金後払いで」と抜かした銀時を、神楽と新八が「恥を知れこのヒモ男!!」となじって殴り飛ばしたので、は「こんなの慣れてるから全然いいのよ」と、なんとか2人をなだめて送り出し、そう言ってしまった手前、ここから引き返す訳にもいかず、万事屋の留守を預かることになってしまった。

天気も良かったので、銀時と神楽の布団を干して、掃除をし、スーパーで買い出しをして、銀時のリクエストどおり炊き込みご飯や煮物を作っていたら、「ごめんください」と誰かが戸口で声を上げた。

訪ねてきたのは、金髪を結い上げた黒い着物の女性だった。何か大きな荷物を携えて、の顔を凝視してぱちくりとまばたきを繰り返して何も言わないので、の方から声をかけた。

「こんにちは」

「あ、あぁ、こんにちは。あの、銀時は……?」

彼女はどうやら、とても動揺しているようだ。それがなぜなのかには分からない。

「すいません。銀さんは留守で、いつ戻ってくるか分からないんです」

「そ、そうか」

彼女は忙しなく視線を動かし、手遊びに荷物を持ち替えてみたり、腰に差した煙管をなでてみたりと忙しない。

はふと思い至って、つい緩んでしまった口元を片手で抑えた。

「「あ、あの、あなたはもしかして……」」

と、ふたり同時に口を開いて、

「「あ、お先にどうぞ」」

と、ふたり同時に譲り合う。

そんなことが起きると何だか妙におかしな気分になったので、つい、はぷっと吹き出した。金髪の彼女は頬を朱に染めて照れたように頬をかいた。

「すまん、な。どうも、こういうことには慣れていなくて……」

「いいえ、こちらこそ。笑ったりして失礼しました。まさか銀さんにこんなに綺麗な彼女がいるなんて思わなくて……」

「え? 彼女はそちらでは?」

「え? 私? 違います違います! 彼女はあなたでしょう?」

「いやいや、私こそ違う!」

「……え?」

「……え?」

2人の誤解をとくのには、少し時間がかかった。何しろ、は銀時が一部の界隈で「吉原の救世主様」なんて呼ばれていることも知らなかったし、月詠は銀時に昔馴染みがいるということすら知らなかったのだ。

万事屋の応接間に腰を落ち着けたふたりは、肝心なことを何も話さない銀時への腹いせに、銀時秘蔵の栗羊羹(たぶん、神楽から隠していたのだろう。棚の奥から出てきた。)をお茶請けに粗茶をすすった。

「本当に、すまないな。あいつのせいでいらぬ誤解をしてしまって」

月詠は本当に申し訳なさそうな顔をして深々と頭を下げた。

「いいえ、こちらこそ。銀さんにはもったいないくらいの美人さんに向かって、失礼なこと言っちゃったわ」

も同じように頭を下げて、今は誰もいない、銀時の椅子をふたり一緒にじっとりと睨んだ。

「よく喧嘩して怪我をする人だとは思っていたんだけれど。まさか吉原でそんなことがあったなんて……」

「本当に、何も聞いていなかったのか?」

「えぇ、何も」

「非常識な奴だな」

「月詠さんは、銀さんとはそれ以来のお付き合いなの?」

「まぁな。吉原の皆が、あいつに感謝しているから、何かにつけお使いをさせられるんじゃ。今日もな」

月詠が持ってきたものは、日輪が銀時へ送ってよこした重箱だった。なんでも、日輪がせっかく作った弁当を晴太がわざと忘れていったらしく、激昂した日輪が、銀時への差し入れにでもしてしまえと、月詠に八つ当たりしたのだという。

「しかし、殿が手料理を振舞うというのだったら、これは不要だったな」

「そんな。私の料理なんか比べ物にならないわよ」

「あいつらには、そっちの方が口に合うんじゃないか?」

「でも、質より量の人達だからね」

と月詠は顔を見合わせ、ふたり一緒に重箱を見る。

「「……食べちゃおっか」」

ふたり同時にそう言って、結局そうすることにした。たったふたりで食べ切るには随分量が多かったけれど、銀時の悪口は尽きなかったし、元々こんな豪華な食事とは縁遠かったので、貧乏性が幸いしてふたりの箸は止まらなかった。そもそも、肝心なことを何も話さない銀時が悪いのだ、という大義名分もあった。

「しかし、あの銀時と昔馴染みとは。さんも苦労されたことだろうに」

あわびの酒蒸しを口に含みながら、月詠が言った。

「苦労というか、心配の種が尽きないわね。吉原でも大怪我してたでしょう?」

は伊勢海老の身をほぐして口に運ぶ。

「一体どんな喧嘩したらあんな怪我ができるのか、いつも不思議なの」

殿は、本当に何も聞いていないのか?」

「神楽ちゃんに少しだけ話をきいたけれど、神楽ちゃんも新八くんもあまり事情を分かってないみたいなのよね。何だかすごく怒ってたらしいけれど、銀さんが怒るっていうくらいだからよっぽどのことがあったんでしょうね。月詠さんは何か知ってる?」

がそう聞くと、月詠は苦々しく顔を強ばらせた。

「月詠さん?」

何か聞いてはいけないことを聞いてしまっただろうかと、が顔を覗き込む。

「あの時の喧嘩の相手なんだが……」

「知ってるの?」

「あぁ。……私の師匠だ」

月詠はひとつため息をついた後、覚悟を決めたように薄く微笑んだ。

殿に心配をかけたのは、私のせいでもあるわけだな。すまなかった」

「そんなことを言いたいわけじゃないのよ。ごめんなさい、私本当に、何も知らないのよ」

「簡単に言うと、吉原で違法薬物の売買が横行していて、その調査を万事屋に頼んだんじゃ。その主犯が私の師匠だった」

月詠は食事をする手を止めて、じっと自分の膝頭を睨んだ。は、月詠の様子を伺いながら、慎重に言葉を選んだ。

「銀さんは、どうしてその師匠さんと喧嘩するようなことになったの?」

「……私が悪いんだ。私がヘマをして、師匠の罠にかかったところを銀時が助けてくれた」

「そうだったの。でも、どうして、月詠さんの師匠さんが月詠さんを罠にはめるようなことを……?」

その問いかけに、月詠は苦虫を噛み潰したような顔をして答えなかった。

は月詠の様子を注意深く見守りながら、銀時がそれほど怒った理由について考えた。師匠が弟子を罠にはめる。銀時には、それが我慢ならなかったのだろう。本当なら、絶対的な信頼で結ばれていなければならない関係のはずなのに、そんな酷い裏切りはない。

殿は、銀時の師匠がどんな人か、知っているのか?」

月詠はふいにそんなことを言った。

「銀さんの師匠?」

「あぁ。そんな人がいるようなことを、銀時が話していたんだが……」

は一瞬、目の前が真っ暗になったような気がした。その正体は自身のまばたきだったのだけれど、そんなことも考えなければ分からないくらい動揺した。

銀時にとって師匠と呼べる人は、吉田松陽しかいない。銀時は何を思って、月詠の師匠と剣を交えたのだろう。

殿? 大丈夫か?」

「えぇ。ごめんなさい、ちょっと、動揺しちゃって」

「すまない、聞いてはいけないことを聞いてしまったか?」

「ううん、そうじゃないの。ただ……」

は居住まいを正して、なんとか心を落ち着けようとした。月詠になんと伝えるべきか、迷った。あの銀時のことだから、きっと具体的なことは何も説明していないだろう。知られたくないのかもしれないし、口にしたくもないのかもしれない。でも、月詠は松陽の存在を知っているわけだし、絶対的な秘密だというわけでもない。ただ。

「銀さんにとっても、私にとっても、あまりにも大切な存在だから。大切すぎて、うまく話せないのよね」

はひとつひとつの言葉を噛み締めるように、そう言った。

殿にも?」

「育ての親なのよ。私と銀さんとはほとんど兄弟みたいなものね」

「そうだったのか。何だか、デリケートなことを聞いてしまったな」

「いいのよ。今までこんな話ができる人なんかいなかったから、慣れていないのよ」

「そうなのか?」

「えぇ。だから、大丈夫」

「……どんな師匠だったか、聞いてもいいか?」

は、遠い記憶を呼び覚ますように目を閉じた。日々の生活に追われて、思い出のページを捲ることを全くしていなかったから、ほんの少し時間がかかったけれど、松陽の穏やかな笑顔をすぐに思い出せてほっとした。松陽はいつでも優しかった。剣術の稽古となればとても厳しかったけれど、愛のある厳しさだった。

「優しくて、厳しい人だったわ。いつもみんなを見守ってくれた」

「銀時も、見守られていたんだな」

「そうね。特に銀さんはあぁいう性格だから。今思えば、人一倍松陽先生のお世話になってたかもしれないわね」

「あの性格か。言い得て妙だな」

「ふふっ。そうでしょう?」

月詠はひとしきり、くすくすと笑った。それから面映く目を細め、懐かしむように言った。

「私は、師匠の言うことが正しいんだって、ずっと思ってたんだ」

「師匠の言うことって?」

「女を捨てて生きろと言われた。吉原の街を守るための強さが欲しかったから、当然だと思って、そうやって生きてきた。けれど、銀時は師匠に、『お前に師匠を名乗る資格はない』と言ったよ。そうなのかもしれない。けれど、そうじゃないような気もする」

月詠はそう言って、悲しげに目を細めた。

そのはかなげな表情はとても色っぽく、かすかに傾げた首筋のしなは絶妙な曲線を描いていて、の目に映る月詠はとても美しかった。さすが吉原で生まれ育った女性だと、感嘆の思いで月詠を見つめながら、は思う。

正しさって、何だろう。

月詠がこれまで吉原でやってこられたのは、その師匠の存在があったからこそなのだろう。けれど、銀時のことをよく知っているにとっては、月詠の言葉よりも、銀時が『師匠を名乗る資格はない』とまで言ったその怒りこそが信頼に足るものだった。銀時がそう言ったなら、きっとそうなのだ。

不思議だ。銀時が一刀両断したという月詠の師匠は、月詠の体の奥底の、誰にも犯されない深い場所で月詠を支えている。それを失ったら、きっと、今ここにいる月詠の存在自体が消え去ってしまうだろう。

それはきっと、自分の体の中にも眠っている。目覚める時を待って、まだ静かに息を潜めている得体の知れない何か。

松陽先生。あなたは私達に、こんなものを残して逝ってしまったんですね。

は胸元が圧迫されるような息苦しさを覚えて、息を深く静かに吸い込んだ。心がざわざわと騒いで、落ち着かなかった。

「でも、月詠さん、女を捨ててなんかないわよね」

「え?」

「髪もお肌も、とても綺麗よ。着物も素敵だし、かんざしもお洒落。女捨ててなんかないじゃない」

月詠は顔を真っ赤にしてうつむいた。重箱の煮豆を口いっぱいに詰め込んでハムスターみたいになりながら、声になるかならないかの小声で言った。

「……あ、ありがとう」



***



「お前ら、何やってんの?」

銀時と神楽が万事屋に戻ってきたとき、と月詠はお重を平らげて、帯が苦しくなるほど膨れた腹を抱えてソファの上で伸びていた。

「あぁ、銀さん。おかえり」

「邪魔しているぞ、銀時」

「だから、何やってんの? 何これ? なんで月詠が来てんの? 散らかってるこれ何? 汚っねぇんだけどこれ何?」

「あぁ、ご飯はできてるから。好きに食べてね」

まで何やってんだよ、おい! 話を聞け!」

「わぁお! 銀ちゃん見て! 豚の角煮! こんなにたくさん!」

「てめぇは黙ってろぉ!!」




20150406




ふたりとも美味しいものを食べて元気になってたらいいなぁ。