こどもごころ
屯所の庭の木に縄を張って、そこに隊士達全員分のシーツが干してある。春の暖かな日和。洗濯には絶好の機会で、縁側から見ると外はシーツの白一色でいっそ壮観だ。幾重にも重なる白のヴェール。太陽の光を乱反射していて、眩しくて目がしょぼしょぼした。
その中にぽつんと、臙脂色の着物を着た黒髪の女が、袖を襷掛けにして懸命に働いている。長い髪を一つに結ったその背中は、女のわりに頑丈そうで、けれどてきぱきと動く腕は細く白い。
口の横に手を添えて腹に力を入れて、縁側から呼んだ。
「
さーん」
振り向いた
は目が合うなり、白く輝くシーツに負けないくらい明るく笑い返してくれる。
「沖田君。おはよう」
洗濯籠を抱えて縁側に寄ってきた
は、乱れた髪を耳に掛ける。水仕事で荒れた指先と、短く切った爪が目についた。
「朝から精が出ますねぃ」
「それはどうも。沖田君は今日はお休み?」
「えぇ。本当は昼まで寝てようかと思ったんですけど、目が覚めちまったもんで」
「それは健康的でいい事ね。たまにはゆっくり散歩でもしてきたら?」
「そうですね、気が向いたらそうします。
さんは一日中仕事ですかぃ?」
「えぇ。今日は一日天気がいいみたいだから、溜まった洗濯物を片付けちゃわないと」
「それは、お疲れさんです」
に声を掛けたのは、もしも少し時間があるなら、刀の手入れを手伝ってもらえないかと思ったからだ。
は家事以外にもそんな仕事までする。竹刀の手入れも、血と人の脂で汚れた真剣の手入れも。
は大抵の雑務なら何でもそつなくこなす。
何が言いたいって、
に手伝ってもらえれば自分は楽できるっていう事だ。休日は休日らしく休みたい。
「ところで
さん。あの……」
「あ、土方さん。おはようございます」
の声と笑顔が華やいだ。自分から離された視線が新しい眩しさを帯びていた。あぁ、奴が来た、と思った。
縁側の向こう側から、煙草をくわえて、ポケットに両手を突っ込んだいつもの様子で土方が歩いてくる。何となく、腰の刀を左手で差し直した。
「おう。朝っぱらから何やってんだ?」
「天気が良かったので洗濯です。沖田君は今日はお休みなんですって」
「へぇ」
「土方さんはこんなとこでサボリですかぃ?」
「これから外回りだ。そうだ、
。マヨネーズ切れてたんだ。補充しといてくれ」
「もうですか? この間買いだめしておいたのに」
「知らねぇよ。もしかして誰か猫糞してんじゃねぇだろうな」
「心配しなくてもそれはないですよ。絶対」
自分と話す時とはまるで違う顔で笑う
と、いつもの不機嫌な顔で煙を摂取している土方。土方相手に愛想を振りまいても何の意味もないだろうに、それでも
はにこにこと楽しそうに笑う。
諦めが悪いのかもしれない。土方が自分に笑い掛けてくれる事を、諦めたくないのかもしれない。心の底では、必死なのかもしれない。そう思った。
「分かりましたよ。買い物にはちゃんと行ってきますから」
「この間みたいに業務用の買ってくんなよ」
「その方が割安なんですよ」
「詰め替えんの面倒だろ」
「私がやるんだからいいじゃないですか」
「だからだろ。じゃぁな。総悟も、刀の手入れくらい自分でしておけよ」
土方は一瞥を寄こして、吐き捨てるようにそれだけ言った。刀に手を掛けた左手を一度見下ろされたような気がしたけれど、向けられた背中は相変わらず冷淡で無表情だ。
のことはさりげなく口説くくせに、こっちには一片の興味もないらしい。分かっていたことだけれど、意味も分からず無性に腹が立った。結局ここに何をしにきたのだ、あいつは。
は土方の背中を見送りながら、「いってらっしゃい」と微笑んでいる。その時ふいに興味が湧いた。ずっと前から思っていたことだ。聞いてもどうせ教えてくれないだろうと思っていたから、ずっと忘れていた。
「一体あんな奴のどこがいいですかぃ?
さん」
は心底意外な事を聞かれたようにきょとんとして、目を丸くする。驚いている。
「どうして急にそんな事聞くの?」
「前から一度聞いてみたかったんでさぁ」
「土方さんを好きな理由?」
「はい」
「理由。うーん、そうねぇ……」
は少しの間考え込む。土方の良い所を探そうとしているというよりは、土方に惚れている理由をどう説明するべきなのか、言葉を組み立てているように見えた。
そして何か良い言葉を思いついたのだろうか、ふと綻ぶ様に、
はどこかわざとらしく笑った。
「口下手なところ、かな。私の事を好きって、絶対に言ってくれない所」
「……それただのへたれじゃないですか」
が何を言っているのか分からなかった。元々腹の内が読めない人だと思っていたけれど、今回ばかりは馬鹿なんじゃないかなこの人、とまで思った。土方なんかに惚れている女の考える事なんか、分かるはずもない事だったのだろうか。
は笑っている。笑っていた。
「で、なんでそれを俺に話すんだよ?」
と、坂田銀時は縁側で横になって鼻を穿りながら言った。
近藤さんが昨夜から行方不明だと聞いて散歩がてら探しに来てみたら、志村家に銀時とチャイナ娘が来ていたところに鉢合わせた。近藤さんは予想通り志村家の床下でストーカー活動に勤しんでいて、お妙の攻撃によって昏倒してしまったので、仕方なく目が覚めるのを待っている。チャイナ娘は眼鏡とお妙とどこかに出掛けてしまったので、どういう事の流れか、銀時と二人で志村家の留守番するはめになった。
「
さんが真撰組の屯所でどんな生活してるのかくらい、旦那だって気になるでしょ?」
「いやそりゃ否定はしないけどさぁ。土方君といちゃついてる
の事なんかわざわざ知りたくないって」
「何でです?
さんの事心配じゃないんで?」
「そうじゃなくて。なんかこう、餓鬼の頃一緒に風呂にも入った間柄の女が、そう大人になってやることやってますーなんて話を聞くとね、何となく気恥ずかしいものがあんのよ。分かる?」
「分かりやせん」
「あぁ、そう。じゃぁいいよ別に」
銀時は小指に付いた鼻糞を吹き飛ばすと、大欠伸をして天を仰いだ。これだけだらしのないだれた大人が、あの
の友人だと思うとにわかには信じられないような気もする。横顔を眺めると、どこか遠い所を見るように目を細くしていた。
「まぁ、
が土方君に惚れてるってのは、ちょっと疑問に思うところなんだけどねぇ」
「何がでさぁ?」
「
って結構、潔癖なところある奴だったから。昔だったらあんな煙草臭い奴生理的に受け付けなかったと思うんだけど」
「へぇ、そりゃ意外だ。今じゃ
さんまで土方さんの煙草の臭いぷんぷんさせてますぜ? ありゃ着物に染み付いて取れないんでしょうね」
「うっへぇ。どんだけラブラブなんだよ。腹立つ以前に呆れるっつの」
銀時は赤い舌をべろりと出して今にも吐きそうな仕草をする。
が酷く土方に惚れこんでいる事よりも、煙草の臭いが染み付くほど長時間土方の近くにいようとする
の神経を理解しかねているようだ。
それは自分も同意するところなので、一つ頷いた。けれど。
「けどねぇ、旦那。さっき旦那は、
さんはやる事やってるって言ってましたけど、実際はやる事なんかひとつもやってないと思いますよ」
「は? どういう意味? それ」
「前に俺、土方さんの部屋の床下でスモーク焚いて燻り出そうとしようとした事があるんですけど、」
「どんな嫌がらせしてんだよ。燻製にでもするつもりだったのか?」
「いざ火ぃ着けようとしたら
さんが部屋に来ちゃったんで、縁の下で会話立ち聞きしてたんです。この場合、忍び聞きってんですかね」
「どっちでもいいけどな」
「
さん、ずっと縁側の隅に正座して、土方さんに話してるんですよ。今日の天気とか、隊士達がどうだったとか、犬猫がどうしたとか。下らないことをずっと。部屋の中にも入らないで」
「部屋に入らない?」
「土方さんが縁側の端まで出てきて、二人で話してるんです。それも毎晩」
「……」
銀時は板間に寝転んだまま、頬杖を着いてじっと見上げてくる。こうして話を聞いてくれるのはありがたい事だ。近藤とか山崎とか、その辺りの人間に話しても構いはしないけれど、銀時の立場は
の数少ない友人として貴重だ。
そう言えば、銀時以外の
の友人って、聞いたことがないなと、思った。
「あの二人、ただ話をしてるだけで、やるどころか手も握ってないと思いますよ。土方の野郎が何を考えてるかは知らねぇですけど、あんなんでラブラブ何て言えるもんなんですかねぃ?」
「さぁな。そんなのは本人達が決めることだろ」
銀時は吐き捨てるように言う。そんな事俺が知るか、と言わんばかりの粗雑さだった。
銀時は本当に、
と土方の関係には全く興味がないらしい。だったら、一体何になら興味があるというんだろう。
「ていうか、何で沖田君はそんなに
の事気にしてくれてんの?」
突然、銀時はのそりと起き上がって、くるくるの銀髪を掻き上げながら心底不思議そうに自分を見た。
どうやら銀時の興味は今、自分にあるようだ。見上げてくる視線はだるそうだけれど、真っ直ぐな瞳が一時光る。少し気圧された。
「……気にしてるつもりはありやせんよ。ただ土方の野郎に次はどんな呪詛をかけてやろうか考えると必ず障害になるんで、どうしたらいいもんかなと思ってただけでさぁ。俺は
さんのことうまい飯作ってくれる良い人だと思ってるんで、怪我とかさせたかねぇんです」
「そう言ってくれんのは有難いけどさ、そもそもお前は何で土方君の事そんな嫌ってんの? 昔からの付き合いなんだろ?」
「別に、ただ嫌いなだけさぁ。嫌いなのに理由なんかないですよ」
銀時がじっと自分を見ているような気がした。そう言えばミツバが死んだ時、土方に対しての苛立ちを銀時に吐露したことがあったような気がする。あの時は二、三日不眠不休で、何をどうしゃべったのかよく覚えていない。けれどそれはともかく、銀時は何かしら、自分と土方に関しての理解を持っているのだろう。
銀時は何か言いたくて、何を言ったらいいのか分からないでいるような顔をしていた。けれど銀時に何を言って欲しいのか分からなくて、むしろ何も言われない方がいいような気もしている。不思議な気分だった。
だから、先に口火を切ってみる。
「……旦那は、
さんを土方の野郎なんかに取られて気分悪くないんですか?」
「別に。俺は
に惚れてるわけじゃないし、あいつが選んだんならそれでいいよ。土方君って金持ちなんだろ?」
「まぁ、一応警察ですからね」
「金はあるに越した事ねぇし、それが全てとは思わねぇけど、
が幸せに生きてくための材料は多いほうがいいだろ。俺じゃ逆に苦労させるのがオチだ」
銀時が
に対して持ってる気持ちは、どういう類のものなのだろう。分からない。
の幸せを願う事は、銀時にとってどんな意味を持つんだろう。
銀時が自分を見る。死んだ魚みたいな目で。
「むしろ、俺が心配なのは、土方君の巻き添え食って
が怪我でもしないかって事くらいだ。その辺は頼んだよ。沖田君」
銀時は、近くて遠い。
という友人と介しても、そうでなくても、近く遠い場所から自分の事を見ている気がした。
その夜、土方を燻製にする作戦をもう一度実行しようと思い立って、深夜を過ぎた頃部屋に忍んでみた。
はいつも通りそこにいて、土方と談笑していた。あの時みたいにまた、忍び聞きしてみようと思ったのだけれど、
はやけに楽しそうに笑っている。昼間聞いた銀時の話を思い出して、自分らしくなく逡巡してしまった。
夜に浮かび上がるように、土方の部屋だけが煌々と明るい。土方が加えている煙草の煙が、霞のように広がっている。
煙草の副流煙は、喫煙者よりもその周囲にいる人間の体に悪影響を及ぼすという。土方は
の命を縮めるつもりなんだろうか。それとも、
が自らの命を犠牲にして土方と共にいようとしているのだろうか。どちらにしろ、理解しがたい心理だ。
大人の考える事は分からない。銀時の話も、正直よく分からなかった。大人達は遠い。こんなに近くにいるのに、こんなに遠い。
遠い。遠かった。
20090419