攘夷浪士の潜伏先と目されていたとある旅館への討ち入りがあって、真選組隊士にも多数の怪我人が出た。

真夜中にも関わらず医師が呼び出され、重傷者を優先に、屯所には次々と怪我人が運び込まれている。自分の足で歩けるものは、廊下で手当ての順番を待っており、かすり傷を負った程度の者同士は、互いに消毒液を塗り合ったり絆創膏を譲り合ったりしている。

血生臭く騒々しい夜だったが、大きな任務をやり遂げた達成感に、みんなの表情は明るかった。

「あ、土方さん。お戻りだったんですね」

食堂に姿を見せた土方さんは、少しくたびれた様子だった。服と髪が乱れ、目に力がない。けれど目立つ外傷はなく、足取りもしっかりしていた。土方さんの無事に、私は心からほっとした。

「おぉ。水くれねぇか」

私は冷蔵庫からよく冷えたミネラルウォーターを取り出した。

「どうぞ」
「夜中まで働かせて悪いな」
「いいえ。私だけ休んでられませんから」

ペットボトルの水をごくごくと一気に飲み干す勢いから、久しぶりの大取物の興奮冷めやらぬ土方さんの熱が伝わってきた。ぐんと反らした喉仏が、元気よく上下に動く。

「あぁ、うまい」

土方さんはぷはーっ、と気持ちよさそうに息を吐いた。

「お疲れ様でした」
「これは?」

土方さんは流しに置いたたらいを見た。

「お医者さまに、寝ずの看病をするように言われたんです。三好くんが今、意識がなくて」
「危ないのか?」
「いえ、手当ては無事に終わりましたし、輸血も間に合ってますから、あとは本人の気力次第だって」
「三好のことだから、そう簡単に三途の川は渡らんだろう」
「えぇ、私もそう思います」
「寝ずの番は誰かにやらせろよ。夜勤の誰か引っ張ってきてやる」
「ありがとうございます。でも、皆さんもお仕事があるでしょうし」
「じゃぁ、誰か都合がつくまでは、お前が見ててくれ」
「はい。分かりました」

私は夜通しの看病に必要なものを、手当たり次第用意した。清潔な布巾、水、氷嚢、簡単な夜食、ビニール袋……。

黙々と手を動かす私を見つめながら、土方さんは煙草に火を着けて一服している。ガス台の上の換気扇のスイッチを入れると、白い煙がそこに吸い込まれて消えていく。

土方さんは何も言わない。怪しい沈黙が流れる。全く気にならない沈黙も、あるにはある。たとえば、土方さんが必死に書類に判子をついている横で縫い物をして過ごす午後や、夕焼けとカラスの影を眺め、家に帰る子供たちの楽し気な声を聞きながら、川べりを散歩する夕方。

たったひと言の言葉すら邪魔に思えるほど満ち足りた時間の沈黙は宝物だ。けれど、今夜はそれとは少し違う。

言いたいことがあるなら、はっきりと言えばいいのに。そんな物欲しそうな顔をしていないで、してほしいことがあるならはっきりと。けれど、私の方から「どうかしたんですか?」と言ってきっかけを作るのはためらわれた。それではまるで私の方が欲しがっているみたいだ。

どうしたものかと悩みながら流しにたらいを置いて蛇口をひねった瞬間、勢いよく吹き出した水が跳ねて、私の手や頬をぴしゃりと濡らした。考え事をしていたせいで力加減を間違えたのだ。

手の甲で濡れた頬を拭おうとすると、土方さんがくすっと笑う気配がした。

「お前はせわしないな」

熱く乾いた指先が、濡れた頬をくすぐる。そこからぞくぞくとした波が肌を伝って全身に広がり、私は思わずすがるように土方さんを見た。

土方さんのまなざしは、極限まで熱く燃え上がった炎の残り火が静かにくすぶっているようだった。煙草を挟んでいる節くれだった指、手の甲に浮いた筋、いつの間にかスカーフを解いていて太い首が露になっている。乾いた汗と土埃と血の匂いが混ざったような匂いがした。土方さんはほんの数十分前に人を斬ったばかりなのだ。

「お前がちょこまか動いてるとこ見ると和む」
「ちょこまかって、人をネズミみたいに言わないでください」
「そういう意味じゃねぇよ」
「どういう意味ですか?」

私はじっと土方さんの瞳を見つめたまま、土方さんの乾いた指が私の肌の上を滑っていく感触を楽しんだ。こんなことをしている場合じゃないのに、土方さんが触れたところから体が麻痺するように痺れて動けない。夜も更けてきたせいか、土方さんの口の上が少し青みがかっていて、髭が伸びているのだと分かる。

完璧な身だしなみでぴしりと隊服を着こなす土方さんはもちろん素敵だけれど、殺戮の残り香をまとった湿度の高い雰囲気は、狩りから戻った野生の獣を彷彿とさせた。気だるく、くたびれた男の匂い。その乱暴な腕で、私の体を八つ裂きにするような強さで抱かれたらどんな夢が見られるだろう。

たらいの縁から、ざざざと音を立てて水が溢れた。








title by OTOGIUNION

20210322(拍手再録)