約束の時間ぴったりに美容院を出ると、土方さんがタクシーの車体に背中を預けて待ち構えていた。
「すいません、お待たせしました?」
「いや、今来たところだ」
今日の土方さんは仕立てのいい黒のスーツを着ている。ネクタイは艶のある白で、胸ポケットにモスグリーンのハンカチがのぞいている。珍しく髪もワックスを使ってセットしたらしい。いつもより数段男ぶりが上がっていて惚れ惚れしてしまう。
「わざわざありがとうございます。迎えに来てくださって」
「ついでだ。気にすんな」
土方さんはタクシーの窓をノックする。がちゃりと音を立てて扉が自動で開き、その取っ手を土方さんが引いてくれた。
「頭、気をつけろよ」
私が先に車に乗り込むと、裾に気をつけながらそっと扉を閉めてくれる。そして自分はわざわざ車を回り込んで車道側から乗り込んできた。どうしよう、私の方が上座に座ってしまった。けれど、着物で車に乗ると着崩れしてしまいそうで不安だったからありがたい。
土方さんが行き先を告げて、タクシーは滑り出した。
今日はある真選組隊士の結婚披露宴だ。元々身寄りがなく、食うにあぐねて入隊した隊士だけれど、生来からの負けず嫌いな性格と帰る場所のない切羽詰まった状況も手伝って、めきめきと腕を上げた逸材だった。不逞浪士に乱暴されそうになっていたお嬢さんを助けたことがきっかけで交際がはじまり、今日ついにゴールインというわけだ。
「今更ですけど本当に私も出席してよかったんでしょうか?」
「急になんだよ、藪から棒に」
「だって、私なんかただの家政婦なのに」
土方さんは呆れた顔をして一蹴した。
「世話になったお前にも人生の門出を見守って欲しいんだろ、あいつは。遠慮なんかせずに祝ってやれよ」
確かに、それはもっともだ。今日の主役は彼とその花嫁。私のちゃちな心配で水を差してはいけない。
タクシーはすいすいと進んで、あっという間に会場のホテルに到着した。
ホテルのロビーはとても混み合っていた。華やかな振袖で着飾った女性があちこちに集まって談笑している。花嫁側の友人達だろう。みんな楽しそうにはしゃいでいて、見ているこちらまで胸が躍るようだ。
ところが、土方さんは面白くなさそうだった。
「まるでキャバクラだな。騒々しいったらねぇ」
「お祝いの席なんですから、にぎやかな方がいいでしょ」
「それにしても限度があるだろ。さっさと行こうぜ」
と、土方さんの後について受付に向かおうとした時だった。突然、背後から体当たりをされてバランスを崩してしまう。足がもつれて、あぁこれは転ぶなということが直感で分かった。せっかく美容院で髪をセットしてもらったのに、着物も汚れてしまう。何とかしたいけれど、とっさに体が動かない。
けれど、私が想像したことは起こらなかった。
「おいお前、気をつけろよ」
まるでチンピラをどやしつけるように、土方さんは低い声で言う。相手は、髪を高く盛り上げていくつもの簪で飾り、素人目にも高価と分かる振袖に身を包んだ女性だった。いわゆる、歩きスマホをしていたらしい。彼女は私をひと睨みするとすぐスマートフォンに視線を戻して、謝りもせずに行ってしまった。
「ったく、あの野郎。謝りもしねぇ」
土方さんは汚い言葉で毒づいた。
私が転ばずに済んだのは、土方さんが肩を抱いて支えてくれたおかげだった。こんなに人目のある場所でくっついているのは照れくさくて、離して、と言おうかと思ったけれど、元気な女性達がひっきりなしに長い袖を振り回して駆け抜けていくので、土方さんが隣にいてもらわないと跳ね飛ばされそうだ。
とはいえ、それを分かっていても。
「土方さん、あの、恥ずかしいんですけれど……」
私はそっと耳打ちしたけれど、土方さんは何食わぬ顔で私を強く引き寄せた。文句を言うな、ということらしい。
やっと人混みを抜けて、受付でふたり並んで記帳をする。すると、受付の担当者が笑顔を浮かべて言った。
「こちら、女性のお客様にお渡ししています。余興で使用しますので奥様もどうぞ」
その瞬間、土方さんは茹でたたこのように赤面した。
おそらく、私が三ツ紋の色留袖など着ているから不要な誤解を生んだのだと思う。けれど、私はもう振袖を着る歳ではないし、今時は未婚女性でも着用するものだ。何より、松平様があつらえてくれた着物なのだ、断れるわけがない。
「あの、土方さん? 大丈夫ですか?」
土方さんは赤い顔をしたまま首を縦に振った。そして、気を取り直すように背筋を伸ばすと、そっと肘を差し出してきた。奥様なんかじゃないと否定することもできるのに、照れくささに悶絶しながらも、私に恥をかかすまいとしてくれている。その心遣いがありがたくて、私はそっと腕を絡めた。
照れくさいという気持ちは、嬉しい気持ちによく似ている。それを、私はこの時初めて知った。
20201227