屯所の正門をくぐろうとしたところで、土方さんと行き合った。ちょうど、門の警備にあたっている隊士と挨拶ついでに雑談していたらしい。

「ご苦労様です」
「おぉ、出掛けるのか?」
「はい。松平様のお屋敷にお使いに」
「じゃぁ、途中まで送る」
「お仕事はいいんですか?」
「見廻りのついでにな」
「それじゃ、お願いします」

短い道のりとはいえ、ふたりで外を歩けるのは嬉しい。私は門番の隊士に見送られながら、土方さんの後について意気揚々と歩き出した。今日はお日様がさんさんとしてお散歩日和だ。

「松平のとっつぁんに何か頼まれたのか?」

土方さんは振り向きざま言った。

「いいえ、頼まれたのは近藤さんです。先日の宴会で松平様からご祝儀をいただいたお礼だそうです」
「んなもん自分で持っていきやがればいいのに」
「お忙しいんじゃないですか。昨日も明け方近くに帰ってらして、着替えてすぐ出て行かれましたから」
「どうせいつものストーキングだろ」
「どうして分かるんですか?」
「昨日今日と有給取ってたからな」
「あぁ、なるほど」

と、道の向こうからクラクションが聞こえた。歩行者の多い道に車が滑り込んでくる。昔ながらのおもかげを残した江戸の町は道幅が狭い。土方さんは私をかばうように道の端に寄り、車が行き過ぎるまでそうしてくれた。

ふと、土方さんはおもしろくなさそうな顔をして私を見た。

「どうかしました?」
「なんでお前はそんなに離れて歩くんだよ?」
「は?」

思いがけないことを言われて、つい変な声を出してしまう。

確かに、私は土方さんの斜め後ろ、一歩半ほど距離を置いて歩いていた。侍は女と肩を並べて歩くものではないし、私服ならばいざ知らず、隊服を着て帯刀した土方さんの隣を歩くのは気が引ける。

「そんなの、当然じゃありませんか」

そう答えると、土方さんはむっと口をへの字に曲げた。

「そんなに離れて歩かれちゃ話しにくいんだよ」
「見廻りのついでだって自分でおっしゃったんじゃありませんか。女とぺちゃくちゃおしゃべりしながら見廻りなんて、まるで油を売ってるように見えますよ」
「他人にどう見えるかがそんなに大事か?」
「大事です」

私はきっぱりと答える。
土方さんはそれでしぶしぶ納得してくれたようだった。

「重そうだな。それ」

言いながら、風呂敷包みを指差した。

「そうでもないですよ」

私はそれを片手で持ち上げて見せる。包みの中には一升瓶包みをした日本酒が一本入っているが、毎日家事に汗水流している身としてはこれくらいわけはない。

「俺が持つ」

と、手を差し出してくるので、私は慌てて首を振った。

「何言ってるんですか、駄目です」
「何でだよ?」
「見廻り中にお酒を持って歩くなんて駄目に決まってるじゃありませんか」
「それくらい何でもねぇって。お前はいちいち気にしすぎなんだよ」
「土方さんが気にしなさすぎなんです。他でもない土方さんが真選組副長として自覚を持って行動してもらわないと。困るのは周りのみんななんですよ」
「大袈裟だな、酒の一本くらいで」
「大袈裟じゃありません」

私はもう一度きっぱりと言う。けれど、今度は土方さんも簡単には引き下がらなかった。私の手から無理やり風呂敷包みを奪い取ろうと手を伸ばしてくるので、私もむきになって包みを両腕で抱きしめるようにしてかばう。土方さんが一歩間合いを詰めてくれば、私は一歩下がって距離をとる。それを何度か繰り返すけれど、土方さんの方が歩幅が大きくて、あっという間に追い詰められてしまう。気が付けば、表通りから逸れたほの暗い裏道に入り込んでしまっていて、背中に壁を感じたと思ったら土方さんの手が私の顔のすぐ真横を叩いた。

「観念しやがれ、この野郎」

瞳孔が開いた瞳に圧倒されて身動きが取れない。包みを抱きしめる両腕に力を込めて、私はせめて目を合わせないように顔を真横にそむける。

「そこまで怒るほどのことですか?」
「てめぇが意地を張るのが悪い」
「土方さんが立場をわきまえないのがいけないんです」

じりじりとした、ふたりの根競べが続いた。おそらく、時間にすればほんの数十秒のことだったろう。けれどその数十秒は胃がきりきりするほど長かった。
驚くほどくだらない理由で言い争いが始まってしまった。だからこそ、引っ込みがつかなかった。これが物を盗んだとか人を傷つけたとか明らかに罪が認められるならば簡単に頭を下げることもできる。けれど、その原因がささいなことであればあるほど譲れない。どうしてこんな単純明快なことを理解してくれないんだろう。見廻りの最中に酒を持って歩いていたりしたら、世間に何と言われるか。それだけならまだいい、もし松平様の耳に入ったら? 土方さんが私のせいで悪く言われるところは見たくなかった。

「力が強い方が重いもの持つのは当然だろ」

と、土方さんは言う。

「真選組副長ともあろう方が、世間の目を気にしないなんていけません」

と、私は切に言う。

厳しい表情をした土方さんの顔がすぐ目の前にあって、私は胸が高鳴るのを抑えきれなかった。こんな明るい内から、路地裏で、土方さんとふたりきりで何をやっているんだろうと思う。やましいことは何もないのに、いけないことをしているような気持ちになってもやもやする。
ふと、土方さんは、前触れもなく私に体を寄せると、唇で私の耳を挟み、熱い舌でそこをぞろりと舐った。ぞくぞくと体中の肌が粟立ち、力が抜けてしまう。その隙に土方さんは私の手から風呂敷包みを奪ってしまった。

「……ちょっと! 土方さん!」

包みを取り返そうとした私の手を、土方さんは軽い身のこなしでさらりと交わし、にやりと笑って表通りの方へ逃げていった。私は慌ててその後を追い、なんとかその袖をつかんで追いすがった。

「卑怯ですよ!」
「何がだよ?」

耳がうずうずして、思わず手のひらでこする。すると、手のひらが土方さんの唾液で濡れた。頬がかっと熱くなったのが鏡を見なくても分かる。

「もう!」

私は小さなこぶしで土方さんの肩を叩く。土方さんは愉快そうに笑っている。その笑顔を見ているとあんなことで腹を立てた自分が心底馬鹿らしく思えて、私は観念して肩を落とした。

土方さんにはきっと一生、勝てないだろう。そんな予感がした。






20201227