注意! 土方さんがモブの女性と絡んでます! ダメな人は自衛してね!
回るミラーボールがそこら中に星を散りばめて、江戸の地下にまやかしの宇宙を作る。空気を揺らすような音楽、その重低音。悲鳴にも似た笑い声、そして怒鳴り声、酒と煙草と香水の匂い。
「マジで嫌なんだけど」
星明りの届かない暗がりで、土方は口から、鼻から、耳から、白い煙を吐き出してうなるように言った。眉間には深い皺が刻まれ、頬は怒りに上気している。さながら地獄の閻魔大王のようだ。山崎はそう思ったが口には出さず、土方より数段落ち着いた顔をして頷いた。
「気持ちは分かりますけど、ここは耐えてください」
「俺じゃなきゃできない仕事じゃねぇだろ」
「けど、どう考えても一番の適任者は土方さんです。自分でも分かってるでしょ」
山崎は力づけるように土方の肩を叩くと、その耳元に顔を寄せて目配せをした。
視線の先には、派手な着物を着て豪奢に髪を結い上げた女が笑っている。真っ赤な口紅、こんなに離れていてもむせ返るような香水の匂いがただよってきそうなほどけばけばしい。さながら、熱帯のジャングルの奥地に生息する食虫植物を連想させた。その強い香りと派手な色で獲物を引き寄せて食らう巨大な花。
女が土方を見る。片目をつむって誘うような流し目を寄越したが、土方はこめかみがかゆいふりをして目を逸らし、手のひらの陰で道端の汚物を見るような顔をした。
「あんな女タイプじゃねぇよ」
「土方さんはそうでも、向こうは違うんです。あの女から情報を聞き出さなきゃならないって言ったのは土方さんでしょうが」
「監察はそっちだろ、仕事しろよ」
土方は恨みがましい目で山崎を睨む。閻魔大王をたきつける小鬼になったような気持ちで、山崎は土方を睨み返した。
「甘えたこと言わないでください」
山崎の任務は、ある攘夷組織の潜伏場所を突き止めることだ。調査の末にたどり着いた手掛かりはとあるキャバクラで働くひとりの女。女は、たまたま敵情視察にやってきた土方を気に入り、ついさっきまでべたべたと隣に侍っていた。手錠のように強力な女の腕からなんとか逃げ出した土方は、本来の目的を忘れてすっかり弱腰だ。
山崎はさっきより強めに土方の肩を叩いた。
「俺みたいな地味な男は相手にされないってもうとっくに証明されました。任務の遂行のために、より確立の高い方がやるべきだとは思わないんですか?」
年上の部下に本気でけしかけられ、土方はようやく決心したらしい。心底つまらなさそうな顔をしながら、しぶしぶと煙草の火を潰した。
「……情報を引き出したらすぐに知らせる。そっちはお前にまかせるから、敵に逃げる隙をやるなよ」
山崎は神妙に頷いた。
土方は女の隣に戻って酒を飲み、内容のない話に適当に相槌を打ち、面白くもない話に愛想笑いをして、なんとか女を誘うことに成功した。
一度店を出てから近くのバーに入り、仕事を終えた女が来るのを待つ。しばらく待たされ、姿を見せた女は着物を変え、髪を下ろし、化粧を直していたが相変わらずけばかった。土方は眉間に皺が寄りそうになるのを堪えるのに神経を使ったが、女は土方が酒を飲みすぎて酔ったのだと誤解してくれた。ネオンの光る町を腕を組んで歩く。腕に押し付けられた女の胸は、まるでゴム風船のようだ。どんどん空気を送り込まれふくらみ続け、いつはじけてしまうか分からない風船。
ホテルを適当に選んで、女に部屋を選ばせた。お菓子と生クリームで作ったような白とピンクのレースでふんだんに飾られた部屋で、見るだけで吐き気がする。
すがり付いてくる女をなんとか説得して風呂場に押し込み、やっと人心地ついた土方は、むしゃくしゃと髪をかき上げながら煙草に火を着けた。
真っ赤な唇の形をした灰皿を掴んで窓辺に立つと、ビルとビルの間に浮かぶ月が見えた。
――何をやっているんだろう、俺は。
任務のためとはいえ、惚れてもいない女と寝なければならないなんて気が重い。土方にも人並みの経験はあるし、恋人でない女を抱いたこともある。そのほとんどは行きずりの女で、祭りの夜に目が合った町娘とか、たまたま同じ宿に泊まっていた旅芸人とかだ。そこに愛はなかったかもしれないけれど、情はあったし慰め合えた。それも、
と出会う前の話だ。
真選組、引いては近藤のためにどんな危険も犯す覚悟が土方にはある。喧嘩は好きだし、白刃のもとに命をさらすことに何のためらいもない。けれど、この身ひとつで女を騙して道具にするのにはどうしても二の足を踏んでしまう。土方は嘘を吐くのが下手だ。
ふと、袖の下で携帯電話が震える気配がして、土方は肘を折ってそれを取った。
『あ、土方さん? 首尾はどうですか?』
呑気な声は沖田だ。屯所からかけているらしい、生意気な態度には腹が立つが、こんな時にはそれすら懐かしいような気がして、土方は胸をなでおろした。
「どうもこうもねぇよ」
『ってことはもう何か聞き出せたんで?』
「これからだ。そっちこそ何かあったのか?」
『いえ別に。ただ土方さんが女と連れ込み宿に入ってったって聞いたんでちょっとからかってやろうかと』
「てめぇに任せれば良かったって心底後悔してるよ」
『そいつはいけねぇ、俺はまだ未成年ですぜ。枕仕事なんかしたら外野に何言われるか』
「こんな時だけ未成年づらしてんじゃねぇよ。ったく」
電話の向こうから笑い声が聞こえ、土方は顔を強張らせた。沖田の笑い声の向こうに、かすかだが女の声が混ざったような気がしたのだ。土方は携帯電話を耳に押し当てたまま振り返る。風呂場からはまだ水音が漏れ聞こえてくる。
「おい、総悟。もしかしてそこに
がいるか?」
『いますよ、代わりましょうか?』
「え、いや、おい、ちょっと待てこら……!」
土方の制止を無視して、沖田の声が遠のいた。少しの間をおいて、衣擦れと「私?」というかすかな声がして、やがて遠慮がちな声が土方の名前を呼んだ。
『土方さん?』
土方は言葉に詰まった。沖田ははっきとりと「土方が女連れ込み宿に」と言った。
は沖田との会話をどこまで聞いていただろう。とっさに言いわけを考えて黙り込んでしまった土方に、
はもう一度言った。
『もしもし? 土方さん?』
「あぁ、悪い、聞こえてる」
『どうかしたんですか?』
が両手で口元を隠すようにして携帯電話を耳に当てているさまが目に浮かんで、土方は目を伏せた。罪悪感で胸が潰れそうだ。任務のためとはいえ、これから
以外の女と寝ようとしている。胸の辺りをぐしゃぐしゃにかきむしりたいような気持ちになる。
夜を背景にした窓に苦悶に歪む男の顔が映り込んで、そのみっともないありさまに土方はいっそ泣きたくなった。こんなことをしたくて武州の田舎から江戸に出てきたわけではないのに。
「
」
『はい?』
「……今、何してた?」
『夜勤のみんなにお夜食を出してたところです。土方さんは、お戻りは遅いんですか? おむすび、残しておきましょうか?』
「いや、いつ戻れるか分かんねぇから」
『そうですか』
「あのな、俺だって好きこのんでこんなことしてるわけじゃねぇんだからな。成り行き上仕方ねぇんだ」
『はい。お仕事ですものね』
土方は暗い窓に映る自分を睨み付けたまま首をひねった。想像と違って、
の声はいつもと変わらず穏やかで、土方が女と連れ込み宿にいると知ったとは思えない落ち着きぶりだ。てっきり責められるかと思った土方は拍子抜けする。それとも、
にとっては土方が他の女と何をしようとどうでもいいことなんだろうか、そう考えると虚しさと寂しさが同時に襲ってきた。
「なぁ」
『はい』
「もし、仕事で他の女と寝なきゃなんねぇって言ったらどうする?」
『……何ですか、それ? 接待かなにかですか?』
は冗談を聞いたときのように笑う。
土方は語気を強めた。
「例え話だ、いいから答えろよ」
沈黙が落ちる。
が周りの隊士達を憚って、声の届かないところへ移動しているのが気配で分かる。
土方は耳を澄ませて待った。
『……もし土方さんがそんなことをしたら、……きっともう』
が言い終わるか終わらないか、浴室のドアが開く音がした。女の声がする。その声を
に聞かれたくなくて、土方はとっさに通話を切ってしまった。これでは後ろめたいことがあると自ら教えているようなものだ。けれどもう
に言いわけをすることもできない。
浴室から出てきた女は、ホテル備え付けのバスローブを体に巻き付け、長い髪を下ろしていた。袖の下に携帯電話を忍び込ませた土方を見て、女は妖しく笑う。
「なぁに、どこに電話してたの?」
「何でもねぇよ、気にすんな」
女の腕が蛇のように肩に絡んでくる。顔を近づくと人工的な甘ったるい匂いがして思わず顔をしかめそうになったが、なんとか耐えた。見下ろせば、バスローブの縁からたわわな胸がのぞいている。これが
のものだったなら四の五の言わずにむしゃぶりついているところだ。女に見とれているふりをしながらその首に手を添える。心地よさそうに目を細めた女の顔に
の顔を重ねてみるが、肩に添えられた女の手の爪はまるで魔女のように尖って真っ赤だ。
の爪は仕事柄、いつも短くて色もついていなかった。顔を見ないように、後頭部を掴んで抱き寄せると香水の強い香りに鼻が曲がりそうになって、もうそれで限界だった。
「……お前に恨みはないが、許せよ」
女が何か言う前に、土方は手刀で女の急所を打った。気を失ってずるりと倒れ込んだ女をベッドに寝かせて呼吸を確認してから、土方は女の手荷物を探る。スマートフォンを起動し、酒を飲みながら女の手元を覗き込んで覚えたパスワードを打ち込み画像フォルダを検索すると、指名手配中の浪士の写真がごろごろと出てきた。
それらの位置情報のデータを山崎に送信して、土方もそのうちのひとつに足を向けることにする。
今すぐ屯所に駆け戻って
に言いわけをしたい気持ちもした。けれど、「きっともう」の続きを聞く勇気は、今は湧いてこなかった。
土方が屯所に戻ったのは、東の空が白みはじめる明け方になってからだった。
一睡もせず、浪士の潜伏場所を探しあて、酒に酔った浪士達が寝込んだところに踏み込み捕縛した。どのテレビ局も朝一番にこのニュースを伝えるはずだ。
眠い目をこすりながら屯所の廊下をとぼとぼと歩いていた土方は、人気のない台所から物音を聞いて足を止めた。しっとりと湿った気配から、炊飯器が米を炊き上げ、大鍋が静かに煮えているのが分かる。きっと
が朝食の支度をしているのだ。
土方は迷ったあげく、勇気をふりしぼってそちらに足を向けた。このまま逃げ隠れしても問題を先延ばしにするだけだし、眠れたとしても悪夢を見そうだ。
はひとり作業台に向かっていた。たすき掛けにした袖、白い前掛け、邪魔にならないようにまとめた髪。包丁がリズミカルにまな板を叩いている。
土方は足音を立てないように足を進めたつもりだったが、腰に差した刀が食器棚の角にあたって大きな音を立ててしまう。
驚いた
が包丁を握りしめたまま声を上げた。
「……よう」
「土方さん、どうしたんですか? こんな時間に」
包丁を振り上げたままの
の手に注意を向けたまま、土方はゆっくり
に歩み寄った。
は土方の足元から頭のてっぺんまでを舐めるように見上げ、眉根を寄せた。
「ずいぶん早いんですね」
「早いんじゃなくて遅かったんだよ。でかい捕り物があってな、今戻った」
「そうですか。お疲れさまです」
ようやく包丁を下ろした
は、視線を落として再び手を動かし始めた。まな板の上で鮮やかな山吹色をしたたくあんが均等な幅に刻まれていく。
土方はこっそり
の顔をのぞき込んだけれど、その表情からは何も読み取れない。怒っているだろうか、落ち込んでいるだろうか、それとも本当に何も感じていないだけだろうか。
「昨日は、悪かったな。電話、途中で切れちまって」
慎重に言葉を選んだ土方に、
は手を止めずに首を横に振った。
「お仕事だったんでしょう。気にしてませんよ」
「そうか」
「結局、あれは何だったんですか?」
「あー、あれはだな」
土方は言葉を探して明後日の方を向く。言い逃れをするためになんの作戦も立てていなかった。ほとんど眠っていないので頭もうまく働かないし、いざ
を目の前にすると、何も言われていないのに責められているような気持ちになって言葉が出ない。
そんな土方の気持ちを察してか、
が探るような目をして土方を見た。
「私に言えないことがあるなら、無理に教えてくれなくてもいいですよ」
「いや、そういうことじゃねぇんだけどよ」
「なら、はっきり言ってください」
口を開こうとして怖気付いた土方に代わって、
は言った。
「女の人と会ってたんですか?」
「……それには事情があってだな」
「えぇ、お仕事だったんでしょう。女の人と一晩過ごすだけでお給料もらえるなんて、ずいぶん楽しそうなお仕事ですね」
「おい、沖田の言ったことを真に受けるなよ」
「沖田くんが何ですか? 部下に責任転嫁?」
「聞いてないのか? じゃぁなんで分かったんだ?」
「土方さんの顔を見れば、何か後ろ暗いところがあるのは分かります」
――なんだそれ、エスパーか。
土方はぞっとしたが、それを追求しても仕方がない。うまい言い逃れも思いつかないし、それになにより、
の前では正直でありたかった。
「今、追っている攘夷浪士の潜伏場所を突き止めるために、女を利用した。おかげで真夜中に大捕物だよ。今朝一番のニュースに出る」
「……そうですか」
は刻んだたくあんを皿に盛り付けていく。
「お前以外の女とは寝てない。本当だ」
包丁の刃がきらりと光ったような気がして土方はこっそり身構えたが、
は包丁から手を離すと皿をカウンターの方に運んでいった。炊飯器から立ち昇る湯気が勢いを増して、しゅんしゅんと音を立てている。
は土方の顔を見ずに言う。
「信じます。信じますけど、」
「けど?」
「……私の気持ちも少しは考えてください。そんな話聞いて、気分がいいわけないでしょ。正直に話しさえすれば私が喜ぶとでも思いました?」
「嘘つくよりはましだろ」
「上手な嘘の方がいいこともあります」
「俺が嘘ついたって、どうせお前はなんでもお見通しだろ」
「だから下手くそだって言うんですよ」
「怒ってるならはっきりそう言えよ」
「怒ってるんじゃなくて、悲しいんです」
は肩を震わせて黙り込む。
今にもこぼれてしまいそうな涙を堪えているように見えて土方は手を伸ばしたけれど、
は肩を斜めにしてそれを避けた。
「俺はどうすりゃいいんだよ」
「私に聞かないで、少しは自分で考えてください」
そう言われても、とっさに何も浮かばない。火にかけられた大鍋から鰹出汁の香ばしい匂いが漂ってくる。黙り込んだ土方に呆れたような視線を投げて、
はコンロに立って火加減を調整した。サイコロ状の豆腐と刻まれた油揚げがボウルに盛られ、業務用の乾燥わかめのパックがそばに控えている。
「あの時、何を言いかけてたんだ?」
の背に向かって、土方は言った。
「え?」
「電話、途中で切っちまっただろ。俺が浮気でもしたら、きっともうって、何を言おうとしてた?」
はおたまで鍋をかき回しながら何も言わない。土方はしばらくそのまま待ったが、やがてしびれを切らして詰め寄った。
「
。答えろよ」
隣に立って乱暴に顔を覗き込んできた土方に、
はびくりと体をのけぞらせる。困ったように八の字になった眉、瞳が揺れる。大鍋から立ち昇る湯気に火照った頬、おたまを握る手が迷うように動く。
「……きっともう、ここで働いていられなくだろうって。私はそんなに神経が太くないんです」
は荒っぽい仕草でボウルを傾け、ぼちゃぼちゃと豆腐と油揚げを出汁に落とす。湯が跳ねて土方の手の甲が焼けるように熱くなったが、声をあげるのは堪えた。
鍋に蓋をして離れていこうとする
の肩を、土方は掴んだ。
「俺はお前にここにいて欲しいよ」
の手が土方の手を捕える。泣きそうな顔をして振り返ると、すがるように土方の手を握る。しっとりと湿った手は氷のように冷たくて、土方は体温を分けるようにその手を握り返してやった。
「そう思うなら、私を傷つけるようなことしないでください」
「お前以外の女に興味ねぇよ」
「それ以外にも」
は試すような目をして土方を見上げると、唇を尖らせる。
「言葉には、気を付けて」
「……努力する」
土方はひとつ頷いて、許しを請うための短い口づけをした。唇が離れた瞬間、
は何事もなかったように笑って、土方の胸を叩く。
「土方さん、汗臭いですよ」
「徹夜だったんだから仕方ねぇだろ」
「朝ご飯はお風呂に入ってからにしてくださいね」
「分かった」
かなわない、という言葉が浮かんだけれど、土方はぐっとこらえて飲み込んだ。
のために正直でありたいと思った気持ちは行き場を失ってしまったが、最後に
の笑顔を取り戻せたのならそんな信念はどうでもよくなってしまった。
炊飯器がアラームを鳴らし、大鍋が湯気を上げている。朝食の匂いに満ちた台所は、女の香水の匂いや浪士の血の匂いを記憶の底に追いやってくれる。窓から朝一番の光が差し込んで、空気を黄金色に染める。庭で雀が鳴いて、朝稽古に向かう隊士達の足音が聞こえ出す。
真選組の朝だ。
(映画【キングスマン2】から着想しました。)
20190305