ある夜。

 何やら騒がしい音がして、は仕事の手を止めた。音は玄関の方から聞こえた気がしたが、この時間、隊士は夜勤に出ているか眠っているか、どちらかのはずだ。

 何かあったのだろうか。気になって様子を見に行ったは、沖田の肩にぐったりともたれかかっている土方を見て、目を丸くした。

「どうしたの? 何があったの?」
「あぁ、さん。すいません、騒々しくって」

 沖田はいつも通りの涼しい顔をして言う。

 はとっさにそばに駆け寄ったものの、不意に鼻先を襲った強いアルコールの臭いに、思わず体をのけ反らせた。

「飲みすぎて潰れっちまったんですよ」
「土方さんが潰れるまで飲むなんて珍しいわね」
「まったく、いい大人が情けねぇったらねぇや」

 は沖田に手を貸して、ふたりがかりで土方を部屋まで運んだ。土方は気を失っているわけではないようで、足をもつれさせながらも何とか自力で歩いたけれど、にとっては漬物石のように重かった。沖田は平気そうな顔をしていたけれど、は土方の部屋にたどり着くまでにすっかり息が上がってしまう。

 が呼吸を整えている間に、沖田は土方の腰のあたりを蹴っ飛ばして部屋の中程まで転がした。そのやり方はずいぶん雑で荒っぽいけれど、には和やかな光景だった。沖田なりに最後まで土方の面倒を見ようとして、その背中にはぶっきらぼうな優しさが透けて見えるようだった。

「沖田くん、悪いんだけどお水くんできてくれる?」

 が襖を開けながら言うと、沖田は土方の腰骨に片足を乗せたまま答えた。

「いいですけど。さん、ひとりで大丈夫ですか?」
「お布団くらいひとりで敷けるわ」
「いや、そういう意味じゃねぇんですけど」
「え? なぁに?」

 が布団を抱えて振り返ると、沖田が土方の腹を踏みつけて部屋を出て行いくところだった。障子を開けっ放しにしていくところは大雑把で微笑ましい。

 は手早く布団を敷くと、畳の上に大の字になってぐったりと寝転んでいる土方の側に膝をついた。

 まるでゆであがったタコだ。顔はもちろん、首や手のひらまで真っ赤にして、ちょっと鼻を近づけただけでも酒臭い。体中の毛穴という毛穴からアルコールの臭気が立ち昇っているようで、今ここでライターをカチリとやったら燃え上がるんじゃないかしらと、物騒なことを考えて、はひとり苦笑した。

「土方さん、大丈夫ですか?」

 肩を揺すりながら声をかける。土方は苦しそうに呻きながら、夢から醒めたような目をしてを見上げた。

?」
「お布団敷きましたから、そっちで寝てください」
「あぁ、うん」

 曖昧な返事をして、土方はゆっくりと体を起こす。ぐるりと首を巡らせてを見た、その胡乱な瞳。酒に濁り熱に潤んで、何も考えていなさそうにも、何か深く暗いことを考えていそうにも見える瞳。

「わぁ! ちょっと!?」

 はとっさに身動きが取れなくなった。土方が何の前触れもなくがばりとに抱きついてきたからだ。

「あー、気持ちいいー」
「はぁ?」

 土方はの首筋に頬をぺたりとくっつけて、酒臭い息を吐きながら呟いた。その上、土方の体重を支え切れず、体が斜めに傾いたの着物の襟合わせを無理やり開こうとする。

「ちょっと! 何やってるんですか!?」

 はいつになく尖った声で怒鳴った。

「お前の肌、冷たくって気持ちいいんだよ」
「だからってやめて!」
「いいじゃねぇか。俺とお前の仲だろ」
「すぐに沖田くんが戻ってきちゃいますから!」
「あんな野郎どうでもいい」
「よくないでしょうが!」

 土方が口を開いて舌を出したのが感覚で分かって、はびくりと肩を震わせた。こういう愛撫を受けるのは初めてのことではないのに、快感とは違う寒気を感じて怖くなる。むせ返るようなアルコールの匂いと、土方の着物に染み付いたすえた汗の匂い。酔っ払い特有の不躾で遠慮のないやり方はいっそ暴力的で、まるで肌の上をナメクジが這っているようだ。あっという間に丸出しにされた肩に、夜の冷気と土方の熱い吐息があたって鳥肌が立つ。

「ちょっ、本当に、いや、やめて……!」
「やだ」

 土方は子供がだだをこねるようにそう言って、の肩口にさらに強く頬を押し当てる。

 まるで、力加減を知らない人懐っこい犬のようだと、は思う。

 は子どもの頃、自分の体よりひとまわりも大きい犬に懐かれたことがあった。ちぎれんばかりに尻尾を振りながら温かな舌で頬を舐めてくれるのは嬉しかったし気持ちが良かったけれど、犬の真っ赤な舌や、鋭い牙、牙と牙の間にしたたる唾液が目の前で光るのを見て、その生々しさに背筋がぞっとしたのを覚えている。

 嬉しくて暖かくて楽しい気持ちに、ほんの少し怖い気持ちが混ざるあの感じを、は今、土方に感じていた。しらふの時ならいざ知らず、酒に呑まれて前後不覚になった土方が何をしてくるのか分からない。首筋と肩に感じる土方の熱は、肌が焼けるんじゃないかと思うほど熱い。犬歯が肌に触れるたび、そのまま噛みつかれるかもしれない、そう思うとびしりと体が強張る。

 知らず知らずのうちに、は土方の体にしがみついてしまっていた。逃げ出したいのか、それとも土方に襲われるまま身を任せてしまいたいのか。自分のことながら訳が分からなかった。

 土方の唇がひときわ強くの肌を吸ったとき、カシャッと無機質な音がして、ははっと我に返った。

「ほーら、言わんこっちゃない」

 沖田が携帯電話を構えながらあっけらかんと言った。

 は顔を真っ赤にして怒鳴った。

「写真はやめて!」
「安心してください。動画です」
「それもやめて……!!」

 沖田は詫びれもせず、携帯電話を構えたまま部屋に入ると、水を満たしたグラスを畳に直置きした。グラスの汗が畳にじわりと染みを作ったのが、の目にいかにも生々しく映る。

「いいもの撮れました。ありがとうございます、さん」

 沖田がこんなに近くにいるというのに、土方はいつまでも飽きずにの肌に貪り付いている。は渾身の力で体を起こし、土方の脇腹をぐいぐい押し返しながら顔を真っ赤にして言った。

「そんなの何に使うのよ?」
「土方さんをゆするには充分いいネタになりますよ。心配しねぇでも誰かに見せたり、ましてネットにばら撒いたりしませんから、安心してください」

 いまいち信用できなかったけれど、はひとまず納得したふりをした。酔っ払った土方より、しらふでどこまでも冷静な沖田の方がよっぽどたちが悪い。ついさっきまで沖田から感じた不器用な優しさは完全に勘違いだったらしい。

 と、ふいに、土方の体が力が抜ける。ずるずるとの体を滑ってうつ伏せに倒れた土方は、熱いため息とともにの名前を呼び、の膝の上で気を失うように眠ってしまった。

 そこまでをしっかりカメラに収めた沖田は、満足げに頷いてぱくんと携帯電話を閉じた。

「大丈夫ですか?」
「え? あぁ、まぁね」

 は肩が丸出しになった襟をどうにか直そうとしたけれど、合わせがすっかりゆるくなってしまって元通りには戻らなかった。

「水、どうぞ」
「あぁ、ありがとう」

 沖田が差し出したグラスの水は、口に含むとカルキ臭い嫌な味がした。どうやら水道水をくんできたらしい。それでも、土方のおかげで火照った体には心地良くて、はそれを半分ほど飲み干した。

「こんな風になってる土方さん、初めて見ました」

 沖田はすとんと腰を下ろすと、ぐうすかと眠る土方の寝顔を覗き込んだ。は片手で襟を押さえながら沖田の横顔を盗み見た。沖田の顔色は昼間と変わらず、酒の匂いもしなかった。

「沖田くんでも?」
「俺の目の前でここまで酔ったら何されるか分かんねぇって、土方さんは知ってますからね」
「でも、今夜は一緒だったんでしょう? どうしてこんなことに?」

 沖田はにやりと笑って言った。

「実は、万事屋の旦那と相席になっちまいましてね」
「あら」

 は膝の上の土方を見下ろして、額にかかった前髪を払ってやる。真っ赤に火照った頬に手を添えると、心なしか、土方の表情が緩んだように見えた。の手のひらの冷たさが、ちょうどいい冷却材になっているようだった。

「また喧嘩したあげくに飲み比べでもはじめちゃったわけ?」
「まぁ、そんなところです」
「お店には迷惑かからなかった?」
「それはノーコメントで」
「そう。まったくあのふたりは、顔を合わせるたびにどうしてこう……。まぁ、気心知れてる証拠かしらね」
「旦那と土方さんがですか?」
「沖田くんはそう思わない?」

 は呆れた微笑みを浮かべながら、土方の黒髪に指を絡めて遊んでいた。白魚のようなの指が土方のコシの強い黒髪にくるくると絡む。沖田はの指が楽しげに土方の髪の中を泳いでいる様を見るともなしに眺め、考え込むふりをしてあくびを噛み殺した。

「まぁ、土方さんが近藤さんと飲んでてこんな風になったことはないと思うんで、そういう風に考えられないこともないんですかね」

 の膝の上で、土方がうなりながら身じろぎをし、その腕がの足を抱え込む。は苦笑して、その手を力任せに引き離した。

「悪いんだけど、布団に寝かせてあげたいから手伝ってくれる?」
「はい」

 沖田は瞼を伏せるようにして頷いた。

 土方と銀時が顔を合わせれば喧嘩ばかりしていることには、沖田はもう慣れっこだ。今日に限ってどうして土方が自立できないほど泥酔してしまったのか、その理由は簡単だ。のことが話題に上ったのだ。ふたりに共通の話題は少ないし、そうなったのは自然の流れだったように思う。会話の一部始終を聞いていた沖田には、土方が飲まずにいられなかった理由がなんとなく分かるような気がしている。

 銀時はのことを子どもの頃からよく知っていて、当たり前のことだが、土方よりもと過ごしてきた時間が長い。銀時は土方の知らないを知っている。土方はそのことに、分かりやすく嫉妬しているのだ。はじめこそ、銀時はただの近況を尋ねただけのつもりだったようだが、土方がだんだんとへそを曲げていく原因に気づくとわざと火に油を注ぐようなことばかり言って、明らかに面白がっていることが沖田には手に取るように分かった。何せ、お互い超の付くドSだ。弱みを握られた土方が、銀時に敵うはずがない。

 沖田は呆れて言葉も出なかった。死んだように眠っている土方は、沖田がどんなに乱暴に蹴とばしてもちっとも目を覚まさなかった。布団の上に転がり着いても子どものように寝返りを打っての手にすがり付くさまは、沖田の知るどんな土方とも違っていた。

 恋をすると男はこんな風に情けなくみっともなくなってしまうのだろうか。もしそうなら、自分は一生恋なんかしたくない、沖田は思って、眠い目をこすりながら言った。

さん、これじゃ休めないでしょ。大丈夫ですか?」

 は仕方がなさそうに笑った。乱れた襟元はもう気にしていないようだった。

「大丈夫よ、その気になればこのくらい」
「そうですか、俺もう寝ますけど」
「はい、今日はどうもありがとうね」
「いいえ、あとよろしくお願いします」
「おやすみなさい」

 沖田は部屋を出て行きしな振り返り、布団にうつ伏せで倒れている土方と、色っぽく白い肩を見せて斜めに座っているの背中を見た。

 沖田が知らないふたりの背中だった。恋を知る、大人のふたりの背中だった。

 沖田は携帯電話をぱくんと開く。酔っぱらった土方が悪乗りしてに絡む動画は、沖田が思った以上によく撮れていた。これを使ってどうやって土方を落とし入れてやろうか、考える楽しみは明日にとっておくことにする。

 沖田はシャッター音を消してふたりの背中を一枚の写真に収めると、今度は静かにきっちりと障子を閉めた。








後悔は明日の朝に。



20180618