市中巡回中に不抜けた万事屋の顔を見つけて、土方十四郎は胸を悪くした。
できることなら、あの両手首に手錠をかけることにならない限りお目にかかりたくない相手だ。気づかないふりをして踵を返せばいいのかもしれないが、意思に反して体が言うことを聞かなかった。
銀時は片腕に大きな茶色の包を抱え、反対の腕にいくつもの紙袋をぶら下げている。それらはいかにも重そうで、道行く人々が何人も振り返る。
銀時の隣には、小さな手提げと紙切れを持った
がいた。ふたりは額を寄せ合ってその紙切れを覗き込み、何かを話し合っている。重い荷物に嫌気が差したのか、銀時は眉根を寄せてぶつくさと文句を言って、
はそれを笑って受け流し、足を止めようとする銀時を催促する。その様は長年の付き合いになる連れ合い同士が、結末が分かっているけんかを楽しんでいるようにも見え、他の誰も挟ませない特別な空気があった。
土方はさらに胸を悪くした。なんだか無性に腹が立った。
「おぉ、土方くん」
こちらに気づいた銀時が、土方の名を気安く呼んだ。
土方はさらにさらに、胸を悪くして目尻を釣り上げる。こんなに馴れ馴れしく銀時に名前を呼ばれる筋合いなどない。
「何? 巡回中? ご苦労なこって」
「まぁな」
低い声でぶっきらぼうに答える土方に、銀時は何も心配していなさそうな顔で首を傾げた。
「っんだよ、機嫌悪いな」
「別に悪くねぇよ」
「お前、ただでさえ瞳孔開き気味で人相悪いんだからさ、見回り中くらいもうちょっと愛想よくした方がいんじゃねぇ? とてもおまわりさんとは思えねぇ面してんぞ」
「余計なお世話だ、この万年金欠野郎」
「それは否定しねぇけど、今まさに必死こいて働いてる人間に言うセリフか? それ」
「あら、土方さん?」
と、
に呼ばれて、土方は不機嫌な顔のまま振り返った。
は紙切れのメモに夢中になっていて、銀時が後についてこないことに気づいて道を引き返してきたらしい。銀時と土方の顔を交互に見やって、土方の気も知らずにふわりと笑った。
「見回り中ですか? ご苦労様です」
「お前は、万事屋に付き合って何やってんだ?」
「銀さんのお手伝いですよ。買い物代行の依頼を受けたんですって」
「屯所の仕事もあんだろうが。そんな事してて大丈夫なのか?」
「そんな事とはなんだ。これも立派な仕事だ」
「うるせぇ、お前は黙ってろ」
「大丈夫です。夕食までには戻りますから」
「夕食までって。大の大人に対して門限? 束縛キツっ!」
「だからお前は黙ってろって言ってんだろうがぁ!!」
「お前がいちいち俺の気に障ること言うのが悪いんだろうがぁ!!」
「やめてください! こんな往来で恥ずかしい」
気の立った犬のように荒い呼吸をして睨み合うふたりの間に割って入って、
はため息を吐きながらふたりを睨んだ。
「もう、顔を合わせればけんかばっかりして……」
「「俺は悪くねぇよ。こいつが……!」」
「はいはい、もう分かりましたから。土方さんはお仕事中なんでしょう? 話は屯所に戻ってから聞きますから。銀さん、早くしないとお店しまっちゃうわよ。いいの?」
は銀時の背中をぐいぐい押して無理やり歩かせ、土方にはそっけなく手を振る。まるで野良犬を追い払うようなその仕草に、土方は横っ面をバットでぶん殴られたような衝撃を受けた。
なんだ、その適当なあしらい方は。自分よりもそんな男のことを優先するのか。
世界ががらがらと崩れる音を聞いた気がした。
土方は銀時が嫌いだ。大嫌いだ。考えるだけで胸糞悪くなるし、あの死んだ魚のような目は生理的に受け付けない。神経を逆撫でする汚い言葉、だらしのない態度。善良な一市民だとのたまわってはいるが、過去にどんな悪事を働いてきたのか、それはきっと土方の想像を超えるだろう。叩けばいくらでも埃ばかり出てきそうな胡散臭い男だ。警察として見過ごせないし、いつか刀を交える日が来るのならこの手でその息の根を止めてやりたい。
そんな男に、どうして
はあんなにかまいたがるのだろう。いくら昔馴染みだとは言え、なにもそこまでしてやることはないはずだ。奇特としか思えない。
土方は嫌で嫌でたまらない。
が銀時と肩を並べて歩くのも、額を寄せ合って話をするのも。自分と一緒にいるときよりずっと楽しそうな顔をして銀時の隣で笑う
を見るのは、真綿で首を締められるように辛いことだった。
が屯所に戻り、夕方の雑務を終えて土方の部屋へ足を向けたのは、夜も随分更けてからのことだ。
土方はまだ隊服を着ていて、書き物机に向かっていた。その背中から匂い立つように不機嫌な気配を感じ取って、
は呆れて肩を落とす。まったく、子どもじゃあるまいし、もしかしてあれからずっとへそを曲げたままなのかしら。本当に、面倒くさい人。
「失礼します」
「おぉ、入れ」
「はい」
部屋の中に入って、障子を閉める。土方はさらさらと筆を滑らせると、それを硯の隣に寝かせて、両腕を上げて伸びをした。
「お疲れ様です」
「あぁ」
「松平様から桃を頂いたんですけれど、召し上がりませんか?」
「桃?」
「松平様の故郷の名産だそうですよ」
は土方の返事を待たずに、盆に乗せて持ってきた大ぶりの桃の皮を果物ナイフでするすると剥く。
土方はしばらく黙ってそれを睨んでいたが、やがて嘆息して
のそばに腰を移す。
は微笑んでそれを迎え、土方が上着を脱ぎ、ベストとシャツの前ボタンをくつろげて煙草を咥えるのを見ていた。
「たくさんいただいたので、夕食にも出したんですよ」
「そうか」
「パートの皆さんにも配って、隊士の皆にも配ったんですけれど、それでも余っちゃったんです」
「へぇ」
「それで今日、銀さんのところにもお裾分けに持っていったんです」
「……なんであの野郎に桃なんかくれてやらなきゃならねぇんだよ?」
「言ったでしょう、余ってたんです。食べきれずに腐らせちゃうよりはいいじゃないですか」
土方は片手で顔を覆い、口の中でぶつくさと罵詈雑言を呟いたが、
はそれを聞き流した。銀時への悪口に耳を貸す気は最初からなかった。
「万事屋へ行ったら、銀さんがちょうど買い物に出るところで、手伝って欲しいって頼まれたんです。女性用の下着とか生理用品とか頼まれたらしくって、何を選んだらいいか分からないから見つくろってくれって」
「……あぁ、そうかよ」
「そうなんですよ。はい、桃どうぞ」
は皿の上に、白く瑞々しい桃を乗せて差し出し、自分でもそれを一切れつまんで口に含む。爽やかに甘い蜜のような水分が口の中にじゅわりと広がって思わず顔をほころばせると、土方は気詰まりな顔をして、桃にマヨネーズをかけて口に放り込んだ。
「土方さんが心配しているようなことは何にもありませんから」
「誰が心配しているなんて言ったよ」
「あら、違うんですか?」
「違ぇよ」
土方は吐き捨てるように言い、もう一切れ桃を食べ、もぐもぐと口を動かして口をつぐんだ。
土方は銀時を嫌っていて、攘夷活動に加担しているのではと疑い、隙あらば逮捕しようと躍起になっている。そんな人と自分が仲良くしているのが面白くないらしいとは、これまでの経験で何となく分かっているのだけれど、むしろその面白くなさというものは単純な焼きもちなのではないかと、近頃の
は思っている。
自分が他の男と一緒に歩いているところを見るだけでこんなに機嫌を悪くしてしまうだなんて、土方がそんなに独占欲の強い人だとは思っていなかった
は、それはそれでいい気分だった。プライドが高くて強がりで、人に弱みを晒すのが大嫌いで隙がなくてでも本当は隙だらけ。そんな土方を
は好きだったし、こんなことは面と向かって言えないけれど、そんなところがかわいくて仕方がなかった。
焼きもちを焼いて銀時につっかかっていく土方を見るのが好きだから、
はこれからも銀時と会うのを止めるつもりはなかった。例え土方がどんなにそれを面白く思わなくても。
「桃、美味しいでしょう?」
「あぁ、そうだな」
「そろそろ機嫌直してくださいな」
「お前はこれで俺の機嫌取りに来たのかよ?」
「そういうわけじゃありませんけど、美味しいものを食べたら元気が出るかと思って」
土方はあぐらをかいた膝に腕をついて頬杖をつくと、面白くなさそうな顔をして
を睨む。
はひるまずにその目を見返して首を傾げた。
「お前さ、俺が万事屋の野郎に腹立ててるって思ってんのか?」
「違うんですか?」
「違ぇよ」
「じゃぁ何なんですか?」
「本当に分かんねぇの?」
「何ですか? 私、何かしました?」
土方は恨みがましいため息をついて、いよいよ強く
を睨む。
身に覚えはないものの、さすがに罪悪感が湧いてきて、
は膝を滑らせて土方に詰め寄った。
「はっきり言ってください。何ですか?」
土方は獲物を狙う狼のような目でじっと
を睨みつけている。
はしばらくその目を睨み返したが、根負けしてしまった。
土方の手が
の手を掴む。桃を食べたばかりの指は甘い蜜にベタついていて、土方はそれを煙草を咥えるように唇で喰んだ。
は突然のことに驚いたものの、土方の熱い舌が指の腹を舐めるのをじっと見ていた。ただそれだけのことに、体の奥が熱くなる。
ひとしきりそうした後、土方は囁いた。
「今、抱いてもいいか?」
「……質問には答えてくれないんですか?」
「それだよ」
「え?」
「その、敬語」
土方は
の手を掴んだまま、もう片方の手でその腰を掴んで引き寄せる。
はふいに冷静ではいられなくなった。土方の目を見ていられなくなって、顔を真横に背けてその視線から逃れようとしたけれど、その代わりに土方に首筋を噛まれて喘ぎ声を上げてしまう。
「あいつにはタメ口のくせに、何なんだよそれ」
「いや、だって、土方さんは私の雇い主じゃないですか」
「何度もこんなことしてんのに?」
「だから、それは、あっ」
そのまま
は押し倒されて、不機嫌な気持ちを隠さない土方に好き放題にされてしまった。
も反省しない点がなかったわけではない。
真選組副長と、家政婦としての立場をわきまえて敬語を使っていたのは、風聞を気にかけていたということもある。隊士達の前で土方とふたり、敬語も使わず親密に話をしていたら、それはそれで問題だろう。
けれど、土方と特別な意味で付き合うようになってもうずいぶん経つ。何も身につけずに布団の中に丸まって囁き交わしたいくつかのことは、お互いしか知らない大切な秘密だ。
の秘密を土方はいくつも知っているし、
も土方の秘密をいくつも知った。
だというのに、それを知らないふりをして、いつまでも距離を置いた話し方をしていたのでは、確かに面白くはないものなのかもしれない。
終わった後、
は裾を整えながら、浴衣に着替えて寝煙草を吸っている土方の背中に呼びかけた。
「ねぇ、十四郎さん」
土方は何の反応も示さず、静かに煙草の煙を吐き出す。
「ふたりきりの時だけ、名前で呼んでもいい?」
土方は何も言わない。しばらく答えを待ったものの、しびれを切らした
は土方の肩を叩いてみた。その拍子にごろりと仰向けに寝転がった土方は、複雑に歪んだ顔をして
を見上げた。嬉しいのか悔しいのか、まだ腹を立てているのかそれとも照れているのか。何にせよ、
にとってはたまらなくかわいい顔だった。
「とうしろうさん」
まだ呼び慣れないその名前を唇に乗せると、甘い蜜が瑞々しい桃を口に含んだ時のように自然と口元がほころんでしまう。
「……名前を呼べとまでは言ってねぇよ」
土方は不満げにぼやく。
「私のことは
って呼ぶくせに?」
「それはもう慣れたことだろう」
「そういえば、どうして私のこと名前で呼んでるの? 最初からよね。一介の家政婦には親密すぎるんじゃない?」
土方は苦虫を噛み潰したような顔をして
を睨むものの、今度は土方が根負けした。
土方は
の頬を撫でてやりながらしぶしぶ答えた。
「そうすりゃみんな、お前は俺のもんなんだって思うだろ。お前をアホな奴らの餌食にしたくなかったんだ」
「……そうだったんですか」
「ほら、また敬語」
「あ、ごめんなさい。あっ……」
土方は煙を吐き出して笑い、
は照れ笑いをして肩を揺らす。
「まぁ、慣れろよな」
「使い分けるのが難しいかも。皆の前では今までどおりの方がいいんでしょう?」
「そうだな。けど、どっちでもいい。好きにしろよ」
そう言って、土方は
の首を引き寄せてキスをする。
甘く瑞々しい、桃の味のするキスを。
20180226(2017年発行夢本「魔法ビスケットon the paper」再録)